綺麗ごとと本音
先程までの和やかなムードが一転、ピリピリとした緊張感がわたしの部屋を包んでいる。
「姫様、僕のことを覚えていらっしゃいます?」
けれど、きっかけを作った張本人は、わたしの隣でニコニコとお茶を飲んでいる。
「ランハートよね? 殿下――――父の葬儀でお会いした」
「そうです! 良かった、覚えていて下さったんですね」
そう言ってランハートはわたしの手をギュッと握る。その瞬間、向かいの席からフンと蔑むような笑い声が聞こえてきた。
「姫様、そのような者を覚えておくメリットはございません。口先だけで、女にだらしなく、禄でもない男ですもの。姫様はこの国の唯一の後継者である尊い御身。この男に関わるのは時間の無駄でございますわ」
ハッキリ、キッパリと毒づきつつ、シルビアは花のような笑みを浮かべる。
「嬉しいなぁ~~。そんな禄でもない僕のことを、シルビアちゃんは詳細に覚えてくれているんだものね」
「…………っ!」
けれど、ランハートも負けてはいなかった。朗らかな笑みを浮かべつつ、シルビアが絶妙に言い返しづらい返答をする。
「しばらくの間は姫様もお忙しいかなぁってご遠慮差し上げていたんですが、最近はバルデマーと一緒にお茶をしていらっしゃると噂を聞いたものですから。僕も是非、姫様と親交を深めたいなぁって」
「はぁ…………」
なんて答えるのが正解か分からないまま、わたしはそっと首を傾げる。ランハートは軽く目を細めると、そっとわたしの顔を覗き込んだ。
「王位継承者教育なんて疲れるでしょう? 以前伯母から『妃教育が相当大変だった』って話を聞いていたから、平民として育った姫様は尚更大変だろうなぁって心配していたんです。僕なら堪らず逃げ出しちゃいそう」
(伯母? 妃教育って……)
首を傾げつつ、わたしは目を瞬かせる。
「実は僕、王太子妃ゼルリダ様の甥っ子なんです。おまけに、祖父が陛下の弟なので、姫様とははとこ同士にあたるのですよ?」
わたしの疑問に答えるように、ランハートは情報を付け加える。
「そうなんだ」
なるほど、おじいちゃんがランハートに対して親し気に話し掛けた理由がよく分かる。わたしはほぅと息を呑んだ。
「姫様、この男に気を許してはいけませんわ」
けれどその瞬間、シルビアがそう言って眉を吊り上げた。そのあまりの剣幕に、背筋がブルりと震える。皆の視線がシルビアへと注がれた。
「もしも姫様が現れなければ、王位を継承するのはこの男だった可能性が高いのです。姫様を恨んでいたっておかしくありません。王位を奪還しようと企てている可能性だってございますのよ?」
シルビアの言葉を聞くと、ランハートは声を上げて笑いつつ、ほんのりと首を傾げた。
「相変わらずシルビアちゃんは変なことを考えるねぇ。
――――確かに妃殿下を通じて、僕のところにも次期王太子の打診は来たよ? だけど、陛下は姫様を王太女にするって決めていらっしゃったし、面倒ごとは嫌いだ。陛下と妃殿下の間に挟まれるなんてごめんだからね。僕自身が王太子になろうなんて大それたことは考えないよ」
優雅にティーカップを傾けながら、ランハートはそう口にする。
(僕自身が、ね……)
何となく含みのある物言いに、わたしはランハートのことをそっと見つめる。視線に気づいたのか、ランハートは屈託のない笑みを浮かべると、わたしの手をギュッと握った。
「だって、自分で王太子になるより、王太女の配偶者になった方がずっと楽に生きられる。この考え方、姫様なら分かってくれるでしょう?」
明け透けな物言い。わたしはゴクリと息を呑んだ。
「姫様……! こんな男の言うことを聞く必要はございませんわ! 今すぐここから追い出しましょう」
「えっ、どうして? 野心を隠して姫様に近づくバルデマーより、僕の方がずっとマシだと思うんだけどなぁ。
姫様だってもう分かっていらっしゃるでしょう? 今、あなたに近づく男性は十中八九あなたの配偶者の地位を狙っている。『姫様を想って』みたいな綺麗ごとを聞かされて、嬉しいって思います?」
「それは…………」
正直言って、ランハートの言う通りだった。
城内でわたしに話し掛けてくる貴族は皆、野心に燃えた瞳をしている。その癖『人柄に惹かれた』だとか『可愛らしい』だとか、そういうおべっかばかりを口にするので、内心イライラしていたのだ。
「だったら、姫様の心を掴もうとするより、王配として如何に有能かをアピールした方がずっと良い。良い子ぶりっこは疲れるし、腹を割って話した方が、互いに時間を無駄にしなくて済む。
姫様、僕は性格が悪い分、良い働きをしますよ? 外面が良く、独自の情報網を確立していますし、血筋だってこよなく良い。顔だって悪くないと自負しておりますし、民からの人気稼ぎも可能です」
ランハートのセリフに、わたしは静かに息を呑む。好むか好まざるかはさておき、彼の言うことには一理ある。耳触りの良い綺麗ごとの何倍も心を揺さぶられたのは確かだった。
「では、今日はこの辺で失礼いたします。
姫様、次回は邪魔者なし――――二人きりでお茶をしましょうね」
そう言ってランハートは、わたしの頬に触れるだけのキスをする。思わぬことに目を見開くと、ランハートはここに来た時と同じ、満面の笑みを浮かべた。
「姫様……大丈夫ですか?」
アダルフォが眉を顰めつつ、そっとハンカチを差し出す。どうやら己の身分を鑑み、口を挟むことが出来なかったようだ。困惑した様子で、ランハートの去っていった方角を見つめている。
「わたしは大丈夫だけど」
向かいの席ではシルビアが、静かに怒りの炎を燃やしている。声を掛けるのが憚られる程、ランハートに対して憤っているようだ。
(何だかなぁ……。とりあえず、おじいちゃんに話を聞かないと)
密かにそう決意しつつ、わたしは小さくため息を吐くのだった。




