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男女平等社会を“女性の男性化”によって目指そうとしている人達がいる気がします

 こんな情景を思い浮かべてみてください。

 ある人達が海に遊びに行きました。ところがその中のAさんという人が遊び過ぎてへとへとに疲れてしまったのです。一緒に来ていたBさんはそれを見て、帰りの運転をしてあげる事にしました。Aさんはそのお陰で帰りの車の中で気持ち良く眠ることができました。

 

 さて。

 ここであなたは、この車を運転してあげたBさんをどう評価しますか?

 Aさんに召使いのように使われているプライドのない人間か、それとも疲れているAさんの為に運転をしてあげる優しい人物か。

 

 仮にBさんを“召使いのように使われているプライドのない人間”と思ったとしたなら、あなたは男性原理的な価値観を強く持っている人なのかもしれません。

 男性原理では、優劣を意識しがちで、競い合い、勝つ事で相手より上になる事を目指し、そしてルールや論理を重んじます。

 ですが、車を運転してあげたBさんを“優しい人”と思ったのなら、あなたは女性原理的な価値観を強く持っていると言えるかもしれません。

 女性原理では、競い合う事よりも協調を目指し、ルールよりも感情を重視します。だから感情の調停者になろうとします。

 

 この男性原理と女性原理は、どちらも必要で、対立すると言うよりは、相補的な関係にあるものです。

 また、必ずしも生物学的な“性”に結びつくものでもありません。男性原理的な価値観を持った女性もいるし、女性原理的な価値観を持った男性だっているのです。

 

 ――本題に入る前に、まず、断っておきます。

 

 僕は男女平等には大賛成です。

 男性の暴力に苦しんで来た女性をよく知っているし、「女性社員の成果が男性社員の成果ということにされて、男性社員が出世する」という事例も今まで働いて来た職場で知っているので(ただし、その女性社員の方、地位は低いけど人間関係上の立場は強いです)、心情的に女性の境遇は是非とも改善して欲しいと思っているのに加え、「男親がいなくなったら直ぐに母子家庭が貧困に陥ってしまう」という問題の改善に効果的である点や、「会社の横暴に対し男親にも女親にも収入があった方が対抗し易い(どちらかの親に収入がなくなっても片方に収入があるので、仕事を辞めても生活に困るケースが少なくなる)」といった男女平等のシステム的なメリットも認めているからです。

 因みに、男女平等社会の方が男性の寿命は長くなる傾向にあるそうです。原因は不明ですが、男親にかかるプレッシャーが緩和するからなのかもしれません。これを踏まえると、男性にとっても男女平等はメリットがありそうです。

 ただし、男女平等社会を目指す一部のフェミニスト達の言動には疑問を抱いています(そういった人達を、フェミニストではなく、単なる“男性嫌悪者”ではないか?とする見方もあるようですが)。男性原理的な価値観のみを基準に男女平等を進めようとしてしまっていて、無自覚なのかもしれませんが、“女性の男性化”を目指しちゃっているように思えるからです。

 

 現在、男女平等問題が世界では盛んに議論されています。特に日本社会は男女平等が遅れていると言われていて、改善が急務です。

 が、男女平等問題というのは、実はとても複雑で繊細で、一筋縄では論じることはできない上に、人間社会全体の根本的な方略に関わってすらいます。

 何故なら、生物学的な性差だけでなく、文化的な性差も存在し、それは人間の行動原理の根源にも関わっているからです。

 だから、シンプルに捉えた表面だけを扱う議論はあまり好ましくないのですが、現状はどうも違ってしまっているようです。

 一例を、2021年6月9日現在のウィキペディア“ツイフェミ”のページより引用します。

 

 『2014年11月、サーフィンを楽しんで疲れ果てた夫が後部座席で眠り、妻が運転している場面で終わるスバルのコマーシャルに対して、男尊女卑、差別的、妻が奴隷のようだといった批判が殺到した。サーファーの夫を持つ女性ライターが「安全や効率を考えれば妥当な判断で現実のサーファーの妻たちは男尊女卑の認識は全くない」と反論する一方、「本人が好きでやってるかどうかの問題じゃない」などと批判が噴出した』

 

 はい。

 もう分かったかもしれませんが、これは冒頭の内容と同じです。

 夫の代わりに運転してあげた妻の行為をどう捉えるかは、男性原理的な価値観を持っているか、女性原理的な価値観を持っているかによって異なります。

 ですが、この記事を読む限りでは、この議論(?)でそんな事はまったく考慮されいるようには思えません。

 男性原理的な価値観を持つ一部のフェミニスト達が、女性原理的な価値観を理解できずに、己の価値観のみでこのCMを捉えて、批判してしまっているように思えます。

 もちろん、「女性だから、女性原理的な価値観を持つべきだ」などといった主張をしているのなら問題ですが、このCMはそういった主旨のものではないでしょう。また、このCMに抗議をしたフェミニスト達は、「女性は男性原理的な価値観を持つべきだ」と主張しているとも捉えられます。

 これでは、一般の男性よりも“男性原理主義者”になっちゃうじゃないですか……

 いえ、本人達にも言い分はあると思うので、一方的な決めつけはいけませんが(これでフェミニスト達の行いを決めつけて糾弾するのなら、それこそ“男性原理的”です)。単に知識が不足していただけかもしれないし、「多様な価値観は認めるべきだが、女性が不遇な立場である現在の社会では適切ではない」なんて主張をするかもしれませんし。

 なので、ここでは「“女性原理的な価値観”で捉えるのなら、車を運転してあげた妻は優しい人物として高く評価でき、そして、その価値観は、世の中にとって重要なのですよ」と主張するにとどめます。

 

 フェミニスト達の主張として代表的なものに、「性的な表現への攻撃」が挙げられます。

 胸の大きな女性のアニメキャラのポスターに批判が集まったりとかってやつですね。

 女性が性的に搾取されてきた歴史には、凄惨なものがありますから、過敏に反応する気持ちも分かるし、現代でさえ、「薬漬けにされて性風俗で働かされる」女性や、「貧困から性風俗で働かされることを余儀なくされる」女性がいることを考えるのなら、性の商品化には警戒感を持たなくてはいけない点はよく分かります。

 ただ、その一方で「人間が異性に性的な魅力を感じる」って、禁止してどうにかなる類のものでもないのも事実だと思うのです。むしろ、禁止してしまったなら、却って性犯罪が増える結果になってしまいませんかね?

 いえ、これはそれほど単純な議論ではないのですが、性風俗でもなんでも、禁止するとアンダーグラウンドに潜ってしまい、コントロールが効かなくなって、却って悲惨な目に遭う犠牲者が増えるって現象は人間社会の歴史上よくある事なんですよ。

 それに、「性に対する不寛容性」って、男系社会の方がむしろ強かったりするのです。

 男系社会は、“男”から“男”へと、血が引き継がれなくてはならない社会です。子供には“男性の血”が入っていなくてはいけません。

 ところがですね。

 女性が産んだ子供に“男性の血”が入っていることを確実にする為には、女性が他の男性と性交するのは絶対に禁止する必要があるのですよ。

 結果として、「浮気や不倫は駄目」という社会ルールが適用されるに至ります。

 がしかし、これが女系社会となると違うのですね。

 だって、女性が産んだ子供は、絶対にその女性の血を引き継いでいるでしょう? まぁ、“代理出産”なんてものも現代にはありますけども。

 女系社会は“女”から“女”へと、血が引き継がれなくてはならない社会ですが、女系社会の場合は、だから複数人の異性との性交もそれほど禁忌とされない傾向にあるのです。

 日本はかつては女系社会と男系社会が混在していたなんて言われていて、婚姻形態としても男性が女性の許に通う妻問婚が取られていたと言われていますが、この婚姻制度では複数の異性を相手にする場合もあったと言われています(因みに、これが変化して慣習として各地に残ったのが“夜這い”だと言われています)。

 ですが、男系社会の場合は、もちろん、このような状態を許容する事はできません。

 つまり、「性交をみだりに行う事を禁止する」という価値観は、男系社会に特徴的な傾向なのです(ただ、性道徳の強化の決定打になったのは梅毒などの性病が原因だと言われていますが)。男系社会がイコール、男性原理社会って訳じゃありませんが、それでも強い関連があるのは確かです。

 「性的な表現への攻撃」を過度に行う人達は、この男系社会の価値観を基準に性的表現を判断しちゃっていませんかね?

 もちろん、これもフェミニスト達にも言い分はあるでしょうから、決めつけることはできません。

 ただ、“価値観”によっては、性を許容する社会だってあり得るし、性的表現の蔓延がそのまま女性不平等を意味する訳ではないという点は主張しておきます。

 類人猿のボノボは女性優位社会で、性交をコミュニケーション手段にすることで、平和な社会を実現しているという主張があります。もちろん、人間社会にこれがそのまま適用できるとは思いませんが、少なくとも一考に値する事実ではあるでしょう。

 

 さて。

 僕はこの“女性原理”の重要性は、男女平等論以外にとっても重要であると考えています。前述した通り、それは“人間社会の根本的な方略”に関わっているからです。

 

 人間社会は、現在、危機的状況に直面していると言われています。化石燃料の消費による地球規模の気候変動が起こると言われていて、もし仮にそれが一部の学者などが主張する通り杞憂なのだとしても、エネルギー問題がその延長線上には待っています。だから、どうしたって解決しなくてはなりません。

 ところがですね。

 今現在の技術力と資源で、既にこの問題は解決可能だと主張している人達が存在するんですよ。その話が本当だとするのなら、経済的な問題さえクリアできたなら、それら技術力や資源を活かせる事になります。つまり、“財源”が必要だって話ですね。

 ところがですね。

 実は、“財源”問題は実質的には存在しないのです。

 何故なら、資源(労働力も含みます)が存在するのなら、それを活かす為の通貨の発行は行えるからです。

 軽く原理を説明します。

 今現在でも、“成長通貨”といって、経済成長とともに通貨は供給されているのですが、このプロセスを少しだけ変えて、通貨の供給を先に行います。

 通貨は供給されますが、新たな生産物に対してそれは循環するので、不健康な物価上昇にはなりません。

 通貨需要が増えた分、通貨供給を行うので問題はないのですね(因みに、僕はこれを理解する為のモデルを“通貨循環モデル”と呼んでいます)。

 これはMMTと呼ばれる経済学派が主張している“就業保証プログラム”と原理的には同じです。

 もう少し具体的に説明します。

 例えば、太陽光発電を製造する為に国民から料金や税金といった形で通貨を徴収する制度を作ったとします。ただし、初めの一回分に関しては、通貨を増刷することで対応するので徴収は行いません。二回目以降は徴収しますが、初めに通貨を増刷した分で国民の収入は増えているので問題はありません。支出も増えるけど、収入もその分増えるからですね。

 もちろん、所得格差等はありますから、その辺りは考慮しなくてはなりませんが、それでも致命的な問題にはならないでしょう。

 この方法を使えば、資源が余っている限り、再生可能エネルギーを増やす事が可能になります。

 

 ――が、“原理的に可能”という事と、「実際にそれを人間を行うかどうか」はまったく別の話です。

 

 仮にこの理屈が受け入れられたとしても、今の、“男性原理的な価値観”が優勢のこの社会で、これがスムーズに行えるとは僕には思えないのです。

 エコ・フェミニズムなんて思想が世の中にはあります。それとは少し違いますが、やっぱり“女性原理的な価値観”が必要なのではないでしょうか?

 

 僕は今までにたくさん長編を書いてきましたが、その多くで実はこの“女性原理”をテーマにしてきました。

 もっとも、明確に言語化している訳ではなく、“深く考察すれば見えて来る”程度の扱いにしている事の方が多いのですがね。

 (因みに、メッセージ性を重視しているというレビュアーさんが、レビューする作品を募集していたので、その“女性原理”を隠しテーマにした作品のレビューを依頼してあります。

 その人を試しているのではなく、その人が見抜けるかどうかで、今後の作品で明確に言語化するべきかどうかの参考にしようと思いまして……

 って、これを読んでいないですよね?)

 

 最後にネタバレ…… というか自分が投稿している“コミュ障魔王は、神に抗う”って長編の解説で締めたいと思います。エッセイとしては完全に蛇足なので、別に読まなくても構いません。

 この長編、実は今までよりも強く“女性原理”をテーマにしてあります。

 本当は、この長編の後書きにでも、このエッセイの内容を載せようかと思っていたのですが、自分が想定した以上にアクセス数が低かったもので、「こりゃ、あかん」と思って、別出しにしたのですがね。

 

 “コミュ障魔王は、神に抗う”には、凄まじい技術を持った魔王が出てきます。

 彼は最強過ぎて、誰も敵いません。

 つまり、男性原理的な価値観においては、最上級の存在です。ところが、彼自身は“女性原理的な価値観”の持ち主なんですね。

 だから、私利私欲の為にその力を使おうとは思わないで、できる限り多くの人を助けようとするし、誰かを傷つけることに恐怖すらします。

 そして、“女性原理的”には、彼はとても弱い存在でもあるんです。孤独に苦しみ、コミュニケーションを巧く取る事ができません。

 ですが、そんな魔王を助けるユアという名前の少女が、この物語には出てきます。彼女は男性原理的な強さは持っていませんが、女性原理的には強者です。

 彼女は、その“女性原理的な強さ”で、魔王を支えます。

 ぶっちゃけて言ってしまうと、これはそんな彼女が主人公の物語です。

 (魔王じゃないんかーい!)

 因みに、女性原理重視なので、戦闘シーンは入れませんでした。ただ、それじゃ物語として弱くなるので、ちょっとミステリ的な要素を入れてみたりもしましたが。

 ま、ヒント出しまくりなので、バレバレだとは思いますがね。

 

 もしかしたら、この物語を読み終えて(このエッセイを読んでいる人の中で、読む終えてくれた人がいるのかは分かりませんが)、不思議に思った人もいたかもしれませんが、実は書いた本人としては、こんな狙いがあったりします。

 

 以上です。「本当に最後のこの解説いらなかったな……」と思いつつ、このエッセイを終わりにしたいと思います。

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2021/06/16 13:34 退会済み
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