蜘蛛の乙女は、人の手で怪物にされた
アラクネ(アラクネー)は、蜘蛛の怪物として知られるギリシャ神話の若い娘です。
エンターテイメント作品で描かれる姿は、美しい女の上体で、腰から下は禍々しい大蜘蛛。
しばしば冷酷残忍な性格で、毒や糸罠、ときに危険な魔法さえつかい、男を魅了したりとらえた人間を食べることも。上位悪魔や大組織の幹部、亜人種族のアラクネもいます。
この蜘蛛の乙女の起源を調べるとき、しばしば『アルケニーの呼び名は誤り』との記述にあいます。
蜘蛛、あるいは蜘蛛の巣を指すギリシャ語 Aráchnē 「アラクネー」も、英語 Arachne 「アラークニー」も「アルケニー」と読むことはありません。
アルケニーとはゲーム由来のようです…(個性を出すためでしょうか?)
しかし、呼び方以前に、アラクネの物語は正しく知られているでしょうか?
列記してみましょう。
① アラクネの物語は、古代ギリシャで生まれたのではなく、帝政ローマの詩人が著した文芸作品。
②アラクネの物語は、どこにも人外の怪物は登場しない。乙女は小さく無力な蜘蛛になった。
③邪悪なイメージのアラクネ(人蜘蛛)は、ストーリーや作者と無関係な後世の創作。
── 織物の乙女アラクネと、邪悪な怪物のアラクネは同じキャラクターなのでしょうか?
****
○アラクネの物語とは?
かいつまんで紹介します。
アテナは学問、技芸、武芸の女神で正義の戦いを勝利に導くとされ、オリンポスの神々で随一の織り物の名手でした。
一方、アラクネは人間の娘で、小アジア半島のリディアにくらす織物の名手でした。しかし、才能を誇る余り不遜な言葉を口にし、アテナと美しい織物の技芸を競うことになります。
─── アラクネは非の打ち所のない織物をつくり、勝利。
しかし、アラクネが織ったのは、アテナの父、大神ゼウスが愛欲にふける情景でした。アラクネは神への不敬不遜を咎められ、蜘蛛に変わり果てます。
… 咎められたアラクネが自殺してしまい。女神がさすがにあわれみ、蜘蛛にかえて命をつないだ、ともいいますが。
正直いって……女神さまが若い子に難癖つけた話では? と思ってしまいます。
ギリシャ神話を題材にした長編叙事詩「オデュッセイア」に、スキュラという異形の怪物が登場します。
こちらは、美しい人間の娘が半人半魚の海神に恋慕されたことから魔女に嫉妬されて、おそろしい魔物に変えられたものです。彼女は正気をなくして人喰いを繰り返した末、怪物として退治されます。
これに対してアラクネの物語には、そもそも怪物は登場しません。変身した蜘蛛は、自分の腹から糸を紡ぎ、巣網を織る無力な蟲です。
『神話のアラクネ』が、蜘蛛脚を生やしたすがたで描かれることもがありますが、物語の中では変身途中、数分?のシーンです。
****
○いつ、どのように出来たのか?
アラクネの物語は、神話を題材にした文学作品です。
おさめられているのは『変身物語』……
「15巻で構成されており、ギリシア・ローマ神話の登場人物たちが様々なもの(動物、植物、鉱物、更には星座や神など)に変身してゆくエピソードを集めた物語」「中世文学やシェイクスピア、そしてグリム童話にも大きな影響を与えた(Wiki)」
…… ギリシャ・ローマ神話の集大成とされる名作で、美少年ナルキッソスが自己愛の果てにスイセンにかわる話は有名です。
記したのは帝政ローマ時代の詩人オウィディウスです。
ちなみに、ギリシャ神話を題材にした『イリアス』『オデュッセイア』(現存する最古のギリシャ詩作品)がつくられたのは紀元前8世紀半ば頃。
オウィディウスが生まれたのは、はるか後の時代、紀元前43年3月20日 でした。
さらにアラクネの物語(『変身物語』)は、ギリシャの都市国家でギリシャ語で書かれたのではなく、ラテン語でかかれたラテン文学。
超大国・帝政ローマの平和と繁栄のもとで書かれました。
── その為かどうか。女神と乙女の争いは俗っぽく、感情的な印象です。
****
○ 蜘蛛の乙女は裁かれた 〜 アラクネの物語の寓意①
人間の娘が、オリュンポスの技芸の女神との織物の競争に勝利しながら、不遜を咎められて蜘蛛に変わり果てた。
── アラクネの物語の結末は、どうにも理不尽です。
才能に驕ったアラクネが、我が身を振り返らず。逆に、他者(神)の驕りをあげつらい『告発』に技芸の才能をつかった。
だから、技芸の女神は最後に激昂した。
── そうした解釈もあります。
しかし、挑発したのは女神でした。
また、アラクネのいた土地は田舎で、発展していなかったようです。神の恩寵を感じることはあったのか?
そんな場所で花開いた(師匠もなく、ひとりで研鑽した?)若いた才能は、神の域に届きながら、驕りを理由に葬られました。驕り?
では、アテナは?
女神が織ったのは、自分の過去の『成功体験』でした。
アテナは海神ポセイドンと英知を競ったことがあり、勝利して、ギリシャ本土の有力都市・アテナイの守護神になりました。
アラクネは、人でありながら大神ゼウスの乱倫をあげつらいました。
しかし、アテナもまた、この件と無関係な海神ポセイドン──ゼウスの兄神でアテナの伯父──が、自分に敗北した出来事を持ち出した(蒸し返した)…… 不遜な娘に神の偉大さを示す意図があったなら、自分の織物のモチーフを神と神の競争にするのは不可解です。
アテナは、オリュンポスの神々の偉大さというより。単に「自分の」力と実績を誇示したように思えます。
それはアラクネとの競争に自分が勝利すると信じた、予告ホームランのポーズ?のような…
敗北したアテナの振る舞いは異様です。
オリュンポスで最高の織りの女神が、機織りの道具の杼で人間の娘を殴りつけ。 美しい織物を引き裂き、織り機さえ打ち壊す……
まるで、激昂して手が出た暴力夫のようです。
これは単に驕った天才少女と女神、二者の諍いでは「ない」のかも知れない……アラクネの物語には、いくつも意味づけ(寓意)が試みられています。
例えば、女神には挑む織りの乙女は、強権をにぎる国の統治者と無謀に批判する庶民(芸術家)のすがた──という解釈です。
どれほどすぐれた技芸の才能があっても、弱者が権威を批判すれば一方的に裁かれる。栄誉も失い、一生、この世の片隅に追いやられてしまう。
身も蓋もない民衆に対する教訓?話と化します。こじつけでしょうか?
****
○アラクネの物語の作者も追放された
詩人オヴィディウスはローマ帝国で絶大な人気を誇り、詩作品がよく知られた『恋の教師』でした。
のちに『ラテン文学最後の恋愛悲劇作家』とも讃えられ、ずっとのちの中世ヨーロッパでも模倣されるなど西洋文学、西洋芸術に大きな影響を与えました。
ところが紀元後8年(西暦8年)、名の知れたオヴィディウスはローマ皇帝によって 突然、黒海沿岸の僻地に追放されてしまい、帰還を望みながら18年(または19年)に死没します。
追放理由はわかっていません。
西洋の文学史上、最も不可解な事件とされ、ローマ皇帝に対する政治的謀議に関わりがあったとも。ローマ皇帝が法で定めた風紀を、かれの不埒な?恋愛文芸が乱したともいいます。
オウィディウス自身は追放の理由を、
「一つの詩歌と一つの過誤(carmen et error)に帰す」──と意味深に述べています。
「わが罪は殺人より重く」「誰かを傷つけること、詩よりもはなはだしい」とも…
ローマ帝国の最高権力者と、詩人の間に何があったのか分かりません。
ただ、理由はさておいて。わたしはどうしても、皇帝に追放された作者のエピソードは、アテナに打ち据えられた物語のヒロインと似通ってみえます。
オヴィディウスの配流は裁判無しに、ローマ皇帝の独断で実行されました。「変身物語」全15巻は、ローマ追放の直前に完成したということです。
****
○アラクネの物語の寓意②
女神と乙女の対決は、より大きな枠組み(例えば織物=国の産業とする)でとらえて『統制しようとする中央政府と成長しようとする地方』、あるいは『大国と新興国家』の勢力争い、という解釈もできます。
その場合、アテナの織物は自己顕示欲などではなく、自分は有力都市アテナイの守護神である、と、この地を訪れた立場を宣言したことになります。
つまり── アラクネの才能は潰される運命だったのです。
最高の織物をつくる、との、世間の評判はどこにあるべきでしょう?
それは無論、有象無象の小都市ではなく、オリュンポスの女神の中でも最高の織りの名手・アテナを守護神に頂くアテナイのはずです。
しかし、最高の才能は田舎の娘に宿っていました。
オヴィディウスが、ギリシャ本土ではなく小アジアを物語の舞台にしたのは、どんな意図だったのでしょう? 文明の中心地の名手たちが、田舎の天才に負けていたと強調したかったのかも?
…… ここでもし、アラクネが女神アテナにへりくだり、アテナイに憧れて移籍?するような娘なら「許された」かも知れません。
けれどそうでないなら、なんとしても口実をつくり断罪した方が、都市アテナイに競合しようとする勢力への見せしめになります。
女神ともあろうものが卑小で卑劣でしょうか?
依怙贔屓ではありません。
守護神がアテナイの利害を優先するのは当然の話ですし、闘争の相手の破滅を目指し、罠を仕組んで挑発するのは「文明的な知略」というものです。
── それにアラクネは、織りの競争をするまでもなく、すぐれた才能を示すことで女神アテナと都市アテナイの威信を傷つけていました。
考えると、技芸の女神がアラクネの才能を見抜けず(変装までして近づいておいて)、自分が負ける競争をはじめたのは不自然でした。
女神アテナは、そもそも競争に勝って得るものはありません。
アラクネは、仮に技で負けても反抗心を燃え上がらせるだけかも知れません。何より、アラクネが改心しようとしまいと、アテナイの織りの乙女たちの才能が彼女に劣る事実は変わりません。アラクネを破滅させる以外、幕引きはなかった…
アテナは、アラクネ個人を純粋に思いやっていた、わざと怒り狂って見せた、という好意的?解釈もあります。
アテナが真摯に忠告したにもかかわらず、アラクネは逆に天空の主神の愛欲を織り物にしました。そんな真似をして、ただで済むはずがありません。ゼウスの神罰は破滅的です。
アテナはあえて粗暴に、素早くアラクネを打ちすえて主神からの神罰を防ぎ、問題の織物も素早く処分し、軽率な乙女の命だけは守った……と。
……きれいすぎて「本当に?」と疑問です。
アラクネがエスカレートしたのは、アテナと競ったからです。アラクネが意識していたのはアテナで、ゼウス(織物と関係ない男神)にとくに関心は無かったようです。
アテナはそもそも、モチーフを制限しませんでした。…… 純粋に織りの技を競うかたちに出来たはずなのに。
最後は、差別と偏見にまつわるアラクネの物語の解釈を取りあげます。
より詳しく、完全な内容に興味がある方には、『象徴としての女性像( 第4章 紡ぐ女―アテナとアラクネ)』ほか、若桑みどり氏の著作をお勧めします。
…… アラクネは自分の能力を鼻にかけたために罰せられますが、女と女(女神)の対決──にみえて、アテナは『女の姿の男神』というべき存在でした。
古代ギリシャの社会は、極端な男尊女卑でした。女は劣等で男に禍をもたらす存在とされ、女に参政権や財産権はなく、男同士の性愛が賞賛されました。
皮肉なことに、王政を廃していた古代ギリシャの国家には女王や王妃、王女といった「敬うべき身分の女性」は生まれず。すべての女性が一様にペットか奴隷のような地位におかれました。
神々の世界も同様です。
ギリシャ神話において、人の世に災厄を解き放った罪深い存在は女でした。
女神アフロディーテは、天界の三美神の一人です。
ホメロスは、ゼウスと女神ディオネの娘と述べましたが、ウラノス神(ゼウスの祖父)が弑逆されて男性器が切り落とされたさい、こぼれた精液の泡から( 女の胎を経ず )直接生まれた、という話も伝えられています。
『愛と美と性の女神』『生殖と豊穣の女神』が、男女の性を無視して誕生した── 何とも奇妙なエピソードです。詩人ヘーシオドロスが極端な女嫌いで、話を強引に作ったともいわれます
血で血を洗う復讐を描いたギリシャ悲劇「オレステイア」において、青年オレステスは父を殺した仇として、実の母親を手にかけます。かれは自然の摂理に反した母親殺しの大罪で、復讐の女神たちに告発されます。
このとき神アポロンは、父権の優位を理由にオレステスを弁護しました。神々の意見は割れたものの、女神アテナが青年の母親殺しを正当と認めます。
いわく──、
「母親というものは、父親の種を一時的に預かるだけのもので、父親こそ、真の親と言えるものだ」
母は真の意味で親ではない。胎でしかないから親殺しの大罪は免責される…… 狂気さえ感じる理屈です。
しかし、この場面で、アテナは自分自身を指して「いかなる母も私を生まなかった」と宣言し、アポロンも彼女を「女の暗い子宮からではなく、男の頭から生まれた」と讃えました。
アテナは、父神ゼウスの頭(額)から『出産』された存在でした。
話の詳細は省きますが、ギリシャ神話は天空神ウラノスが息子クロノスに倒され。クロノスが、同じようにして次世代のゼウスに討たれる王権交代が連鎖しました。
ゼウスにも同じ運命が予言されていましたが、アテナの誕生がそれを覆しました。
『男が女を生む』奇跡によって、母神が生んだ次の世代が老いた父神を打倒する連鎖は絶たれて、ゼウスの王権の永続が定まったのです。
アラクネの物語に、アテナの特異性を当てはめると、どんな解釈が生まれるでしょう。
── アラクネ技芸に秀でた『生意気な女』でした。
単に傲慢な言葉をはいたり、神に挑んでみたり、神の威信やほかの都市の権益を損なったのではありせん。
アラクネは、神でさえ遵守する「男尊女卑の理」を公然と踏み越えて、男に勝るとも劣らない名声をえて、対等な口をききました。だからこそ、容赦ない暴力をふるわれ永遠の罰を下されたのです。
家の隅にいる蜘蛛にされたのは慈悲ではなく。芸術的織物(名声)が破られ、織り機(経済的自立)が破壊されたことも必然。
アラクネの物語とは…《 女とは、もの言わず家の片隅にとどまり、名声も成功もなく、些末な労働に従うことがふさわしい 》…と。民衆に告げる教訓話だという解釈です。
── しかし、それでもまだ、アラクネは邪悪な蜘蛛の怪物ではありません。
ヒロインには結末よりさらに先に、別の仕打ちが待っていました。
****
○ 蜘蛛の乙女は、さらに奪われた 〜 アラクネの物語の寓意③
(平川祐弘翻訳)
おお、狂女アラクネよ、見ればおまえは / おまえが織った禍のもとの布ぎれの上で、/ 哀れにももう半ば蜘蛛と化していた
(直訳)
おお、狂女アラーニェ(アラクネ)よ、まさしく私は、すでに半ば蜘蛛になっている汝を見た。汝に害をなすように造られた(=織られた)ぼろぼろの布の上で蜘蛛になっていた。
── ダンテの『神曲』、「煉獄篇」の一節です。
『神曲』は1307〜21年頃の長編叙事詩で、中世ヨーロッパのキリスト教の世界観で「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の三部作でした。
煉獄山の第一層には「傲慢」の大罪を戒める13の彫像があり。アラクネは傲慢者のひとりです。下半身が蜘蛛に変じた恐ろしい姿で山肌に彫刻されていました。
ここに登場した怪異な姿が、のちのエンターテイメント作品の「邪悪なアラクネ」の原型になった様です。
(… じつは、傲慢者の彫像の中にはミネルヴァ(アテナ)も含まれています。興味のある方は調べてみてください )
変身物語のアラクネの末路は悲惨でしたが、糸を紡ぎ、機織りする行為まで奪われませんでした。
しかし、神曲のアラクネは、蜘蛛になった原典の結末を無視して半人半蟲の歪んだすがたにかわり。オリュンポスの女神を凌いだ織物の芸術も、禍のもとの布ぎれ、です。
「アラクネの織物(tele per Aragne)」という喩えが、神曲『地獄篇』第17歌にあらわされています。しかし、それは、怪物ジェーリオンの胴の派手な模様を指してのことでした。
ジェーリオン(ゲーリュオーン)とは、欺瞞の罪人が死後にゆく地獄第8圏に棲むとされる存在で「虚偽瞞着の厭わしい権化」と呼ばれる化け物です。
アラクネは傲慢な娘で、物語はハッピーエンドではありません。
しかし、アラクネを悪の怪物にしたのは、後の時代のキリスト教(カソリック教会)でした。
****
○ 蜘蛛の乙女は邪悪と呼ばれた
【 かれら(悪しき者)はコカリトスの卵をかえし、蜘蛛の糸を織る 】*
…… 欽定訳聖書より『イザヤ書』59,6
蜘蛛に対する恐怖と嫌悪のイメージは「常識」ではありません。糸をつたって上がり下がりする姿から「自由」の象徴とされることもあります。
昔の中国(北宋など)では、織姫と牽牛の七夕の行事のおり、婦女が裁縫や織物がうまくなるように祈りました。そのとき、供物の乾燥した瓜、あるいは箱の中に小さな蜘蛛を入れて、きれいな巣がつくられたなら、婦女の願いが叶うとされたそうです。
蜘蛛は神の使いだったのです。
しかし、中世のキリスト教において、蜘蛛は邪悪な存在でした。その巣もはかなく壊れる「虚偽」、ひそかに仕掛けられた「悪魔の罠」をあらわしました。
キリスト教は、ローマ帝国においてそれまでのギリシャ・ローマ神話を斥けて国教になった歴史があり、カトリック Catholic 教会は今日もローマ(バチカン)を本拠地にしています。
過去、キリスト教(以降はカソリック教会を指します)は、ギリシャ・ローマ神話のエピソードから、キリスト教の倫理体系で「隠された意味」を読み取ってきました。
例えば、天の神ゼウスが黄金の雨になって美女ダナエーのもとに忍び、密室に閉じ込められたダナエーを妊娠させた話は、建物を子宮にみたてて(⁉︎)、処女懐胎、神の子の誕生の寓意である、といったようにです。
オヴィディウスの『変身物語』も、14〜15世紀、中世フランス文学の『寓意オウィディウス』(L’Ovide moralisé)があらわされました。フランス語に翻訳しながら、全エピソードに寓意的解釈を付け加えたもので、 寓意解釈が元の物語(訳文)よりずっと長くなっています。
『寓意オウィディウス』の作者は、機織の技を競ったアテナ(「パラス」)とアラクネについて、
「富める者」と「貧しき者」
「神の知恵」と 「愚かな思い上がり」
「老人」と「若者」
……などと注釈しました。
しかし、アラクネはさらに「悪魔」に縄をかけられた「偽善者」とされ。アラクネ自身、人を網にかける「悪魔」だと語られます。
(……なぜ?)
アラクネはこうして、美の才能も生産の美徳も奪われて悪魔にされました。
****
○ 蜘蛛の乙女は、なぜ邪悪なのか?
イタリア・ヴィエラにはたくさんの生地メーカーがあります。
トップブランドの1つ FRATELLI TALLIA DI DELFINOのブランドロゴには、蜘蛛の巣のマークが入っています。
蜘蛛の巣を織物の象徴とみたてているようです。
古代ローマでは、蜘蛛は神意を伝える使いとされました。ほかでもないアテナのトーテム虫は蜘蛛だった、ともいいます。
後者は調査不十分ですが、アラクネの物語を根本からくつがえす話です。
(ちなみにアポロンは『蝉』が使いとされました… うるさそう?)
なぜなら、アラクネの物語で実際に起きたことを拾い出すと【織物に長けた知恵の女神が、地上の織りの乙女の前にあらわれて、自分のしもべに召し出した】ことになるからです。
これは懲罰ではありません。
北欧の主神が、勇敢な戦死者を自分のもとに招き入れる行為と似ていませんか?
こじつけに思われそうなので( 実際、参考資料なしの閃き?です、はい)、変身物語のナルキッソスのエピソードで例えましょう。
美少年が自己愛の果てに、水鏡のすがたに見惚れ、自分を想う妖精にも気づかず、身を滅ぼす。
この物語の原風景を「水辺で起きた少年の不慮の死・手向けの花」とした解釈を……タイトルは忘れましたが……見たことがあります。
こうしたとき【水にひそむ魔性に誘われて、少年は命を落とした】という意味付け(物語作り)が行われることがあります。
ひとりの事故死の顛末は地域の財産(伝承)にかわり、少年の不幸な最後は、創造した「犯人(魔性)」とともに語り継がれます。
オヴィディウスはそのような話の構図を入れかえ、同じ光景から、少年ナルキッソスが自ら破滅を引き寄せた独創的な物語を作り上げた、という解釈です。
それにならうと、アラクネの物語の原風景は?
例えば、織りの技で知られた田舎の乙女が、ある夜、賊に殺されて美しい織物が奪い去られます(古代世界の織物は金銀にならぶ財物です)。
残されたのは、壊された織り機と無残な乙女の亡き骸…… 悲しむ人々がふと見ると、小さな蜘蛛が機械の残骸から走り去る。
残された人たちは、どんな意味づけをしたくなるでしょう?
そんな【原】アラクネの物語=「不幸な死をむかえた乙女の変身譚(古い無名の地方伝承)」があって。
作者はある意味、よくあるストーリーの構図を組み替えて、傲慢な乙女と天上の女神の対決、懲罰のクライマックスがある新たなストーリーへ変身させたのでは?
(蜘蛛に変身する結末は同じです)
何が変わるでしょう?
変身物語の結末は、神の呪いとも救いとも解釈がわかれます(わたしは理不尽と思うのですが…)。
古代ローマでは、織物の乙女が『もの言わぬ神の使い』になり、無心に織物をつくる結末は── わずかな救いを残した、きれいな幕引きだったことに?
けれど、中世ヨーロッパのキリスト教の読者の視点では違ってしまいます。蜘蛛と蜘蛛の巣網は邪悪、罪、欺瞞、罠です。
神に逆らい、おぞましい蜘蛛「なんか」にされたアラクネは悪そのもの。読者によっては、アラクネはもともと人の皮をかぶった悪魔で、邪悪な本性を女神に暴かれて本当の姿になった、と取ったかも?
そうであれば ── キリスト教の読者は『変身物語』に納得行かなかったでしょう。 … 悪は滅びていない! 話は中途半端に打ち切られた!!
「邪悪な」蜘蛛のアラクネが、糸の巣網(= 欺瞞と罠)を作りつづける結末だからです。
フラストレーションがたまり、とても不完全に受け取られた。 だから、アラクネは人蜘蛛の怪物にされて、キリスト教の煉獄におかれた………?
[ とはいえ。美徳(芸術の才能と情熱)を無くした怪物のアラクネは意味不明だと思います。
神を凌ぐ美をつくれないアラクネは、神への不敬不遜(傲慢の罪)の根源を失くします……どうして悪でいられるのか? ]
****
○ 蜘蛛の乙女は終わらない
アラクネの変身物語は、魅力と不可解さがあります。
わたし(歴史家でも文学者でもない)が想像をめぐらてしまうほどに。
蜘蛛の乙女は?
こちらは……… 物語そのものを飛び出し、今や人気あるエンターテイメントの有名悪役です。
テルマエロマエ……ではありませんが。
作者・オヴィディウスが、現在の悪のアラクネをみたなら、さぁ、どう思うでしょう。
激怒? … いえ、わたしは得意満面、あるいは爆笑する気がします。
自分が著した物語が 2,000年近く経っても読み継がれている。研究されている。ヒロインに至っては、すごい姿で全世界で暴れ⁉︎ 自分の作品とキャラクターは、これから先も忘れられることはない!
── 大満足!!
( … 個人的感想です)
(偉人に対して、勝手になんだかすみません)
詩人オウィディウスの謎の追放について。20世紀に新説が発表されました。
『オウィディウスがローマを追放されたことは一度もなく、追放後の作品のすべては詩人の豊かな想像力の産物である(Wiki)』
── 文学的虚構説です。
事実なら、オウィディウスは何を考えていたんでしょう。凄すぎます(笑)。自分の文才で、フェイクを 2,000年近く人々に信じさせて、至上のローマ皇帝に汚名を着せたのですから。
虚構説には強い反論があります。
間違った学説かも知れませんが、少なくとも、一定の専門家たちが、オウィディウスなら虚構を創造できるしやらかしても不思議はない、と考えた訳です。
そんな偉人(変人?)ならば ──
はるか後の世で、蜘蛛の乙女が怪物化しても興味津々。つぎの1,000年、アラクネがさらにどんな変貌を遂げて行くか、楽しみに見守ると思います。
○○○○
── この結論、
要するにこのエッセイの筆者・わたしの意見です。
変身物語の寓意を調べて蜘蛛の乙女の変遷を知るのは、それ自体、物語を読むようです。
悪の人蜘蛛のアラクネが生まれたのが、蜘蛛嫌いの二次創作? キャラクターの魔改造? で理不尽だとしても、はるか昔のこと。
悪のアラクネは、独自の歴史を歩んでゲームやマンガなどの創作物の悪役レギュラーです。今も新しい作品へ登場しています。日本、そして「小説家になろう」に限っても、さらに新しいタイプの蜘蛛の乙女が生まれて、物語は読者に支持されています。
蜘蛛の乙女のアラクネの歩みはまだまだ先があるようです。
これから、自分が気に入る新世代の蜘蛛の乙女に出会えること(あるいは創作できること)をお祈りします。
このエッセイを読んでいただきありがとうございました。
*: 聖書には蜘蛛に肯定的で、知性善性を語る言葉やエピソードも有ります。興味のある方は、調べてみてください。
追記[2021.3.18〜] ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
「アルケニー」について。
NOMAR様より。アラクネーがアルケニーになったのは、日本人が Arachne を誤読した(意味をもった創作・改変ではない)と情報をいただきました。
ゲームでアルケニーと呼び換えられたのは知っていましたが、差別化かなにかかと。まさかそんな(笑)
本エッセイは、 NOMAR さまに意見感想を頂いています。ありがとうございました。
バルーンアートの『アルケニー』
──── ○ ────
読書の参考に!
▼ アラクネ、アルケニーが主人公の「なろう小説」作品です。
『アルケニー洋裁店[連載版] (蒼枝)』
2013〜2016(完結)
https://ncode.syosetu.com/n1990bq/
『蜘蛛ですが、なにか?(馬場翁)』
2015〜(連載中)
https://ncode.syosetu.com/n7975cr/
『蜘蛛の意吐 ~あなたの為ならドラゴンも食い殺すの~ (NOMAR)』
2018〜2019 (完結)
https://ncode.syosetu.com/n4757eu/
▼アラクネの「物語」のアレンジ!!
… 日本の文豪が、日本を舞台にかいた短編小説です。
荒絹(1917)__作「志賀直哉」
収載図書
◇ 『清兵衛と瓢箪・小僧の神様』(1992)
出版社・集英社[集英社文庫]
◇『志賀直哉』(2008)
出版社・筑摩書房[ちくま日本文学]
•オリジナルキャラクター、ヒロインの恋人の牛飼いの青年が登場します。
•機織の名手「荒絹」は「山の女神」が「青年」に恋したため、呪いをかけられてしまい、ついには……… 。三角関係です。理不尽さと不幸は倍増し。
•『なろう小説』のシンデレラやマッチ売りの少女はいくつも発表されています。
アラクネの物語も、逆転□判エンドや女神ざまぁエンド、ネバーエンディング・バトル・エンドなど。物語自体のオマージュ、パロディがさかんになると楽しそう……(私だけ?)