オカルト思考と科学的思考
幽霊は実在するか?で私はオカルト論法が好きじゃない。あるか?無いか?良く分からないものを取りあえず語ってみる。この大半は無駄だ。神学論争もそれにあたる。あるか?無いか?じゃないそれについて語る事が駄目なんだ。この手のはもう20世紀に入る前に散々西洋では話されてる。
そしてこの応用で何の証拠もなしに陰謀論などを語るのもあかんのだ。20世紀以降の新しいオカルトとして陰謀論を取り上げるっては話しじゃない。私は基本的にこういう姿勢なので、神学論争紛いの話しが苦手なのだ。正直作品の良い悪いもそれに近い。私の話を見ていれば分かるのは一貫して数の問題にしてる点になる。
私が曖昧な点は、頭を使うってのが程度問題になってて厳密などのぐらい?がない点ぐらいだろう。後退屈させないも時間が良く分からないし、数も規模がどれぐらい?が適当だし。ただし多数派は難しくない一番多い集団でいいのだから。ただ根本的にはそれを決定してデータを取れば良いだけなのでそれほど問題だと昔から思ってない。根本が神学論争にならないようにしている。
ただ、これが科学的思考なのか?と言うと、古典科学だと思う。デカルトベーコンの頃の発想。ベーコンのイドラに対する話を見ればベーコンがオカルト思考を嫌ってるのが分かる。デカルトは怪しいけど。古典と近代を分けたのは、この絶対視するような部分の思い込みを打破した点だろう。
基本科学は懐疑的なのだが、実際は守られてる部分が多い。近代科学はそういったものがぐちゃぐちゃになって。土台となる前提条件を疑わなくはいけなくなってる。ただ敢えて言うと量子力学的には考えたほうが良い。シュレディンがーの猫辺りがその端的な例だと思う。
ただそれでも幽霊については、思考法には同意できない。神も幽霊も擬人的発想が元になってて、世界を人間的考えやすい発想で捉えたとなる。これでほぼ解決できる。量子力学は根本がまさにこの自然な人間的思考を許さないって学問なのでそこからオカルトに近いものが出てくるというのが面白い。
こういったものに対して考えるのは無駄な思考になる。だが、量子力学的には幽霊って無いとは言えないのでは?となってくる。大事なのは、ここでそういった事実があったと言う事実確認だと思う。これが大半嘘や適当な思い込みだから相手にしなくて良いのだけど。どうしても否定できない場合に考えないといけないのじゃないか?と思う。
量子力学は空間の境目が実にややこしい。分かりやすいのが量子テレポーテーションになる。マクロサイズで量子的働きが確認できる。ただしややこしいのは情報の理論では相対性理論を破ってない点。この点アインシュタインが考えた理論の矛盾は無い。そうなってくると、時間の概念も大丈夫なのか?と思う部分がある。
正確には幽霊とは違う。死んだ後の人の意識が有るわけじゃない。生前の意識と時空の壁を越えてアクセスできるのではないか?と思う所があって、そういった現象は幽霊と言えない無いのじゃないか?と思うから。幽霊と言うのは生と死の時間的な経過による変化がもたらすのだが、この当たり前の時間の概念が壊れてしまうと生きている人と死んだ人が対話する事が可能なのではないか?と思う。
当然そんな事象見つかったことが無いって反論が出るだろう。だが幽霊の話は多いんだ。その中の一部真実だとしたら?
私はエヴァレット解釈はあまり好きじゃないので、平行世界とのアクセすみたいな話しは好きじゃない。創作としては普通に世界線を楽しむが、エヴァレット解釈自体あまりにひどい論法だと思うのであほくさいと思う部分が強い。あれをSFでは良く取り上げてごちゃごちゃ書く人が多いが、あれをSFだというなら私の言う幽霊理論もSFだと言えなくも無い。
それぐらいエヴァレット解釈はアホくさいんだ。あれ実証的か?あれ科学知識を利用したオカルト論法とそう変わらないぞ…。別に実証しなくて良い。実証できるという道筋があれば良い。その点はアインシュタインはそれをしていたと思う。
エヴァレット解釈がSF的だと言うのは、SFと言う物語の流れを重視してて、根本の科学について疎い人の解釈じゃないか?と思う。有名なSF作家が皆使ってるからハードSFとして捉えて良いみたいなのがありそうな気がするが、エヴァレット解釈なんて考えてる科学者皆無だぞ。
特にアニメではおそろしいほど自然にSFとして氾濫してるが、細かい突っ込みいれるぐらいならこのエヴァレット解釈をベースにした平行世界、異世界世界ファンタジーに近いわって突っ込めやと思う。エヴァレット解釈レベルで良いならって意味で、この幽霊の実在性の話しはありだと思ってる。
ただ科学的に時間の壁を越えるような事象は見つかってない。ただこの世界は人間が考えるシンプルな理路整然とした世界からは程遠い。時間もいつか壊されるときが来るのじゃないか?と思って書いてる。
世界の理に近づくことが多分進化論的に有利だったから発達したと思う。だがその世界観は、所詮マクロ的な生存競争と関わった思考であり、真実の世界を読み解くようには発達してこなかった。量子力学の世界が奇妙なのは、多分人間のこの進化の道筋で手に入れた思考が都合が良い方法を取っただけってためだと見ている。
時間とは何なのか?過去から未来への流れを人間は認識出来ればたいていの事はこなせる。そこから世界はそういうものだという強い思い込みが出来る。
天国とか地獄とかそういうのとは違うけど、時間の概念が人間の素朴な思考と違ったものなら、幽霊は無いとは言えないと言えるから。死んだ人の意識へ生きた人からアクセスできないのは時間がそうなってるからだと見ている。だがそれこそが人間的思考の思い込みだとしたら?
本来なら思考の土台を失って崩壊する。デカルトがそうだったように。だが、それを支えるのが量子力学になる。
やってはいけない思考法ってのは結局材料が出揃うまで待てって事なんじゃないか?と思う。陰謀論もやはり思考の土台となる情報が圧倒的に足りないのだ。神学論法的な創作論に私は嫌気が指してるが、材料さえあればいずれは話せるようになるのかもしれない。私の様にアプローチが集団である場合今からでも可能であるけど。