帰還と問答
誰かの温かい背中におぶされている。
そういえば、最後におんぶなんてされたのはいつだっただろうか。
小3の時、家族で言ったピクニックで兄貴にどつかれて砂利道で転んだ。その時にお父さんにおぶされて車まで運ばれたんだが、あの時が最後だろうか。頬っぺたと膝から血が出て物凄く痛かったのを覚えてる。兄貴は許さん。
でも、父さんの背中、広くてあったかかったなぁ……。
「―――はぇ?」
「あら、起きたわね」
思い出の記憶から浮上して目を開けてみれば、少し離れた低いところにミラの顔があった。
んんん?あれ、何があったっけ。
ゆっさゆっさ揺られながら直前の記憶を掘り返そうとして、そういえば私は誰におぶわれているんだと気になって正面を見た。
黒地の質の良いドレスに重ね着された真っ白なエプロンドレス。長く伸ばした銀髪を三つ編みにして流しているその風体。
今朝方ダンジョン案内所で会った人だ!!
「あっえっえーっとえーっと、そうアフィリナさん!」
慌てて思い出した名前を叫ぶと、ズキリと右の足首が痛んだ。
「あだっ……!」
「大人しくした方が良い。右足を捻挫してる」
淡々とした口調で言われてぶら下がる足を見下ろすと、包帯のようなものが巻かれているのがわかった。一度自覚するとズキズキとした痛みが断続的に続き、患部が熱をもっているように感じられた。
何があったんだ……というかここはどこだ……と考えて辺りを見回すと、暖かい日差しが降り注ぐ長閑な森の小道のようだった。時折小鳥の鳴く声が聞こえて、とても平和な場所に思える。
こんな場所で怪我を……?足……怪我……転んだ……あっ!
「地下ダンジョン!蝙蝠のモンスター!ミラちゃん怪我は!?あっだっ……!」
「大人しくして」
思い出したことを一気に捲し立てるライラに、アフィリナが再び冷静に言葉を重ねる。耳元で叫ばれてうるさい筈だが、顔色ひとつ変えずに彼女はひたすら歩く。
よく見るとアフィリナは器用にも自身の荷物と槍まで自力で運んでいて、特にバランスを崩す様子もなく涼しい顔で前を見ている。
けれどもライラが驚いたのは後ろをついて歩くミラの方で、彼女はライラの荷物まで当たり前のように持って運んでいた。不満の色さえ浮かべていない彼女にライラは内心目を丸くする。この元王女、王宮での立ち居振舞いはどこに置いてきた。
ライラの視線に気が付いたミラが怪訝な顔になる。
「何よ、怪我ならしてないわよ」
「あ、うん、えっとありがとね、私の荷物」
ライラの言葉にふん、と小さく鼻を鳴らしてミラは再び前を向く。
その2人のやりとりを、アフィリナは黙って聞いていた。
* * *
町に帰りついたアフィリナ一行は、まず真っ先にライラが取っていた宿屋に向かった。足を負傷したライラを連れて歩く訳にはいかないので、まず彼女を降ろす為である。
ダンジョン案内所に帰還の報告をしなければならなかったが、アフィリナが自分のついでにしてくると申し出た。
「貴女たちが地下ダンジョンにいたことについては一応彼女に少し事情を聞いたわ。でも改めて詳しく聞きたいし、場合によっては案内所に報告しなくてはいけないけれど、まずは帰還の報告が先だから。あちらには私が言っておくから、戻って来たら話を聞かせて頂戴」
「わかりました。ありがとうございます」
ライラが頭を下げると、アフィリナは静かに宿の部屋を出ていった。
やっとのことで落ち着いてため息を吐くと、向かいのベッドで腰を降ろして俯くミラに気が付いた。
「ミラちゃん、どした?疲れちゃった?」
ライラが声を掛けるとはっと気が付いたようにミラは目を見開き、取り繕うようにふんっとそっぽを向く。
「散々な目に遭ったんだから疲れて当然でしょ。おまけに荷物持ちまでさせられたんだから」
「あはは、ごめんごめん」
へらりと笑って謝り、ライラは改めて居住まいを正した。
「で、あのあと何があったの?ふん縛った野郎どもはどうした?」
気になっていたことを聞けば、ミラはそっぽを向いていた顔を再び俯かせてぽつぽつと語り始めた。
ライラが気絶した後、蝙蝠のモンスターに襲われそうになったミラをアフィリナが間一髪で助けてくれた。
そのままその場にいた蝙蝠を全て凪ぎ払い、気絶したライラと縛られた男たちを見て、全員の怪我の有無を確認しながら彼女はミラに状況の説明を求めた。アフィリナ自身ライラたちがFランクダンジョンに向かったことを知っていたので、何故地下ダンジョンにいるのかの説明からしなければならなかった。
ミラは正直に隠し通路のこと、男たちの会話も掻い摘んで話し、ここは何処なのかと逆に問い掛けた。
アフィリナはミラの目を正面から見て答えた。
「第3Sダンジョン。通称セミテーラ」
そう呟いたミラの声が、ライラの耳にやたら響いて聞こえた。
「セミテーラ?」
「古代語で、墓地という意味よ。言ったでしょう。地下墓地と併合されたダンジョンがあると」
つまり自分たちは、本当にSランクダンジョンに飛ばされていたのだ。もしもアリフィナがいなかったら、今頃墓地の住人の仲間入りを果たしていたことだろう。
ゾッと背中に走った悪寒を誤魔化すように、ライラは続きを促した。
アフィリナはライラの足の捻挫に気が付き、また頭もぶつけていることに気付くと、手持ちの薬や道具で応急措置ではあるが治療をしてくれた。
同じく気絶していた男たちには特に致命的な負傷は見受けられなかったので、目を覚まして逃げ出さないように眠りの魔法を重ね掛けして隠し扉の中に置いてきたらしい。後で案内所から人員を派遣して貰って、身柄を拘束するそうだ。
「近頃起きているモンスターの乱獲に関わっている可能性が高いから、案内所からも私たちに呼び出しがかかるかも知れないそうよ」
「そっか、やっぱりそうだよね」
やけに気落ちした様子で答えるライラに、ミラは怪訝そうに首を傾げた。怪我や疲れのせい、という訳でもなさそうなその表情は、ライラが彼女に初めて見せるものだ。
「……ごめんね、危ない目に遭わせちゃって」
力なく呟くライラに、ミラは一瞬身体が固まった。
言われたことがわからなかった。自分は彼女に買われたも同然の身の上だ。本来であれば断頭台の露と消える筈だったところをどういう訳か彼女に貰われ、そして彼女はここまで強引にミラを引っ張り回してきた。
いや、強引に?本当にそうだろうか。
思い返せばライラはミラという中途半端な偽名を付けてきたり、ミラの髪を切る為に自分の髪も切り落としたりと突拍子もないことをしでかしてきたが、ミラの行動を目に見える形で制限はして来なかった。ミラが自力で逃げられる訳がない、と確信している風でもない。何度か直接、「逃げないのか」と愚直に聞いてきたほどだ。寧ろ逃げて欲しいのか、とここでミラは疑問に思う。
「貴女は私をどうしたいのよ」
突然降ってきた疑問にライラがきょとんとした顔をする。
粗末な衣服に包まれたすらりとした足を組んで、すっとミラは目を細める。
「何の目的をもって私を引き取ったの?下手をすれば厄しか呼び込まないような存在の今の私を。自分勝手な都合で巻き込んだのならともかく、貴女に私を護る義務でもあって?」
城にいた頃、蝶よ花よと育てられ、王家直系の姫君として当然のように護られていたあの頃とは違う。そんなことはミラ自身始めからわかっていた。今の自分は護られて当然の身の上ではない。
まるで正統性を感じないライラの守護意識に、疑問と不信感しか募らないのだ。
わざとらしいほどの敵意を乗せた視線を送るミラの瞳を見つめ返して、何かを思い返すようにライラは目を閉じる。
ややあって、目蓋を開いたライラの目には優しい光が宿っていた。
「約束半分、自分の意思半分、かな」
明確に答えになっていない返答を口にするライラの柔らかな瞳に、ミラは困惑して目を揺らす。ライラがミラの瞳を通して、別の何かを見ている気がした。
動揺するミラを他所に、話は終わりとばかりにライラはベッドに倒れ込んだ。
「はー疲れちゃった!ミラちゃんもちょっと休んだら?固くてもベッドで寝れるだけマシだよ?」
肌触りがいいとは言えない枕に半分顔を埋めて言うライラに、未だ動揺が続くミラは意地で拒否を示す。
「起きてるわよっ!こんな時間に寝たら夜中に目が覚めるじゃない!」
「そっか」
小さく笑ってそのまま寝入ってしまいそうになるライラは、もう一度だけミラを見上げた。
逃げないの?と悪戯っぽく問い掛けてくる視線に、ミラはまたそっぽを向いた。
窓から差し込む日差しが、少しだけ赤みを帯び始めていた。