飛んで危機一髪
トンネルの向こうは、不思議の街でした。
なんて展開にはならなかった。正直ちょっとがっかりである。
真っ暗で狭い通路を足元や気配に注意して慎重に進み続けること約1時間。正直時間の感覚すら怪しかったが、何よりも正確と誇れるライラの腹時計がちょうど昼時を主張していたので間違いない。
真っ暗な通路は突然終わりを告げ、行き止まりにぶち当たってライラたちは首を傾げていた。
2人が横並びで歩ける程度の道幅を手を繋いで並んで歩き、その間中ずっと空いている方の手でそれぞれ左右の岩壁を触りながら進んでいたので、間違いなく一本道だったと断言出来る。
「ご丁寧に隠してあった割にはあっけないんだけど」
「何か仕掛けとかがあるのかしら……」
すっかり暗闇に慣れた目で辺りを見回し、繋いだ手は離さずに岩壁や足元を探る。
「…………あっ?」
「えっ何……、わあああっ!?」
何かを見つけたようなミラの声に振り返った瞬間、2人の体は突然吹き飛ばされたような浮遊感に襲われた。
体中が何処にも触れていない不安感が一瞬で駆け抜け、気がつけばまた真っ暗な地面にドサリと尻餅をついていた。
「いったぁ……何なのよもう……あっミラっちは!?」
「変な呼び方しないでくださる!?いるわよここに!」
じんじんと痛む臀部を擦りながら名前を叫ぶと、同じく痛みを堪えているような声ですぐ隣からミラの元気な返事が返ってきた。
それに安心してから今の浮遊感は何だったのかと未だに真っ暗な空間を見回すと、違和感に気が付く。
両腕を広げて適当に振ると、何処にもぶつからない。さっきまではすぐそこに壁があったのに。
狭い通路という性質上、息苦しさもあったのにそれも幾らか軽くなっている。
慎重に立ち上がって後ろを見ると、どこからか洩れているのだろう、少し離れた場所に縦一直線に細い光がライラの身長より頭3つ分高いところまで伸びていた。
光が洩れている壁らしきところに手を当てる。少し力を込めると、グラッ、と何やら手応えが感じられる。思い切って、えいっと肩を押し付けて踏ん張るがビクとも動かない。
「逆じゃないの?」
呆れたようなミラの声に、あ、そっか。と改めて壁を探ると取っ手のような凹みを見つける。そこに手を掛けてぐいっと引くと、重厚な石の扉がザリザリと地面の小石や砂を引き摺って開く。
やっとの思いで人1人分が通れるくらいの隙間を開けたライラは、力を込めすぎて少しだけ冷たくなった指先を振ってため息をついた。
「ふぁー……おっも!」
「これも隠し扉みたいね」
あまりの重さに辟易するライラの横で、外の光に当たった扉の側面に先程見つけたのと同じ魔法陣のような紋様を確認したミラが冷静に呟く。
釣られてそれを見たライラは、表情を引き締めて扉の外を覗く。人の気配はない。先程までいたダンジョンとは違って、少し古びた石畳とフランス建築などでよく見るようなアーチ状の柱と天井が目につく。広間、というよりは無駄に幅広い通路のようだ。
そっと隙間から体を滑り込ませたライラに続いて、ミラも慎重に周囲を警戒して足を踏み出す。いっそ不気味なほど冷たく静かな空間は、どこか緊張するような張り詰めた雰囲気があった。
「どこなのかしら、ここ」
「正しくダンジョンって感じだよね」
「……どういう意味?」
「あ、私の故郷だとね、ダンジョンって地下墓地って意味もあったから」
英語の授業中に適当に辞書をパラパラして得た知識である。じゃあRPGでダンジョン攻略って墓荒らししてることになるんだなー、などとぼんやり思った記憶がライラにはあった。
のほほんとするライラの傍ら、地下墓地、という単語を聞いてミラは何やら考え込む様子を見せる。
「……もしかして」
「え、何?」
「以前、本で読んだことがあるのよ。この国有数のSランクダンジョンの1つが、地下墓地と併合されているって」
ガチの墓荒らし案件じゃないですか、やだー。などと現実逃避をしている場合ではない。頭から爪先まで、一気にライラの体温が下がる。
ミラの話が真実で、もしここが本当にSランクダンジョンであるとすれば。なりたてほやほや超初心者冒険者など紙切れ同然に吹き飛ばされる、否、消し炭にされることは確定だ。
「ヤバくね?あっでもまだ確定した訳じゃ、」
「とにかく現在地を特定した方が早いんじゃなくて?その腕に付いてる物と頭は飾りなの?」
目に見えて真っ青な顔色でわたわたし始めるライラに何度目かの呆れた視線を向けて、ミラは冒険者証のインベントリを指す。少なくとも、大まかな位置ぐらいはわかる筈だ。
慌ててライラは画面を開き、何度目かの操作で慣れた手順で現在地の表示を呼び出す。
その時だった。
ズゥン……!
どこか遠くで、何か重量のあるものが激突したような音が響く。
地響きのような振動が2人の足元にも届き、近くの石柱からはパラパラと土埃が落ちる。
「な、何かしら……?」
「ヤバげな雰囲気はビンビン伝わってくるけど」
ズン、ズン、ズゥン……!
何回か同じような重量級の音が地響きと共に木霊する。近付いてきているような感覚はないが、2人は音が響く方角へと視線を向けて固唾を飲む。先の見えない真っ暗な通路の先。するとそこから、次第にバタバタと明らかに先程とは違った足音が聞こえてきた。
誰か来る。そう判断したライラの行動は早かった。ミラの腕を引っ張って近くの壁に伸びる柱の影に隠れる。
程なくして現れたのは、粗末な格好をした2人組の男たちだった。ボサボサの髪に無精髭、その目付きと顔色の悪さから良くない生活をしていることがすぐにわかる。
「ぜぇっ、ぜぇっ、聞いてねぇよ!あんなのがいるなんてよ!」
「うるせぇ、俺だって知らねぇよ!とにかくさっさとここからずらかるぞ!」
肩で息をする男たちは、怯えと焦りを隠さずに自分たちが走ってきた方向を見る。どうやら何かから逃れて来たようだ。
「けどよ、あの移動魔法はあいつが居ねぇと使えねぇんだろ!?どうすんだよ!」
「馬鹿か、出口まで走るんだよ!」
「お前こそ馬鹿か、出口まではモンスターが出るんだぞ!俺たちゃ武器も持ってねぇんだ!」
ほっほう。
良いことを聞いた。ライラの顔が一気に悪どくなる。
しかし対称的にミラの表情は険しくなる。モンスターが出る、ということはここはやはりダンジョンである可能性が高い。
男の1人がライラたちが出て来た隠し扉に近付く。
「こうなりゃ一か八か、あの魔法陣を試して…………ん?おい、扉が開いてるぞ!」
「ああ?ナックの野郎閉めたんじゃなかったのかよ!」
2人の意識が扉に向く。その隙を見逃さず、素早く身を屈めたライラが柱の影から飛び出した。
まずは近付くにいた男の鳩尾に膝蹴りを一発。そして驚いて扉から振り返った男の顎に掌底を食らわせる。
顎をやられた男は即刻昏倒したが、鳩尾に食らった方は口から涎を垂らしながらもしぶとくライラを睨み付ける。そして、拳を握り振り上げた。
「ちくしょ、このガキィィィィ!!!!」
よろけながら殴りかかって来る男の拳を難なく避け、ライラはトドメに右足を鋭く打ち込んだ。全世界共通の男の急所に。
「おぶふぉっ!!!!」
ちょうどよくクリーンヒットしたらしい。男は急所を両手で抑え、そのまま白目を剥いて地面に倒れ込んだ。
目尻から涙を滲ませて泡まで吹いている男に、若干の同情めいた視線を向けながらミラも柱の影から静かに出て来る。
「……やり過ぎではないの?」
「一番手っ取り早く男を沈める方法はこれだってマルクスが言ってた!」
全世界の男性諸氏を裏切った張本人の名前をライラは誇らしげに語る。しかし、ライラにそれを伝授した際に当の本人、元軍人であるマルクスは言った。決して乱用はするな。とーーー。
揃って昏倒した男たちを、ライラは容赦なくロープできつくぐるぐる巻きにする。ちなみにこのロープは男たちの荷物に入っていた。何に使うつもりだったのか知らないが、畳んだ麻袋も幾つか出て来た。
「ダンジョン攻略者って風体でもない……それにしちゃ装備が軽すぎるよね」
「両方気絶させたら尋問も出来ないじゃない。けれど、さっきの話の口振りからして、他にも仲間がいたようね。置いて逃げてきた?何から……」
縛った男たちを壁に並べ、それを眺めながら荷物を検分して2人は考え込む。
男たちが言っていた移動魔法とは恐らく、ライラとミラがこの場所に来た際に見舞われたあの現象のことだろう。恐らく隠し通路の奥に魔法陣か何かが設置されていて、それが何かの条件で発動してこの場所とライラたちがいたFランクダンジョンとを繋げる役割を果たした……と、そんなところだろうか。
「というか貴女、現在地は?」
考え事から頭を上げ、隣で顎をつまんでいるライラをミラが見やる。
あっ。と完全に失念していたライラは目を点にした。正直地響きの件でそれどころではなかった。
その時。
ギャッギャッギャッギャッギャッ!
耳障りな鳴き声と共に、バタバタと鳥とは違う羽ばたきの音が聞こえてきた。
振り返れば、蝙蝠と呼ぶには大きさが桁違いなものがライラたちを目掛けて暗闇から飛び出して来ていた。
バスケットボール、いやそれよりももう一回り大きいだろうか、暗い紫色に光る体に怖気の走る濃く赤い瞳、そして鋭い牙を剥いた口を開けたそれが、3匹ほど一直線に飛んでくる。Fランクダンジョンにいたフラットバットとは比べ物にならない禍々しさだ。
「何あれ!」
「知らないわよ!」
言いながらライラはミラの前に立つ。咄嗟にナイフを抜くが、リーチの短さが心許ない。加えてフラットバットの5倍はある大きさの割に素早さも加算された動きのお陰で、攻撃を当てられる自信が全くない。
それでもやらなきゃやられる、とライラは足を踏み出して地面を蹴る。
「やあああっ!!!!」
勢いよくナイフを振り上げるも、刃は蝙蝠の羽を掠めただけで大したダメージにはなっていない。
そして体勢を戻す前に、横合いから突進してきた蝙蝠がライラのガラ空きの脇腹を吹っ飛ばした。
「がぁっ……!」
地面を転がり、力なくナイフを手放してライラは動かなくなる。辛うじて息はしているようだが、とても動けるようには思えない。
それを見たミラは、恐怖と絶望を顔に浮かべて未だ自分たちに狙いを定める蝙蝠らを見上げる。何を考える暇もなく、ライラとやり合ったのとは別の蝙蝠がミラ目掛けて滑空してくる。
「いやああああああっ!!!!」
やられる。
壁に背中を擦り付け、腕を顔の前に交差させてぎゅっと目を閉じた。
死を覚悟した一瞬、
ーーーザンッ!
予想していたのとは違う斬撃音に、微かな風が頬を掠める。
恐る恐る目を開いたミラのすぐ前の地面に、真っ二つになった蝙蝠の巨体が降ってきた。
ひっ、とひきつった悲鳴が喉の奥から洩れ、壁にすがりながらへなへなと腰を抜かす。
ギャッギャッギャッギャッ!!
耳障りな鳴き声を上げて、残りの2匹が何かに向かって一直線に飛んでいく。
その先を見て、ミラは夜明け前の色をした瞳を目一杯見開いた。
ーーーヒュンッザクッ!ザクッ!
茶色い編み上げブーツで地面を蹴り、黒く長いスカートの裾を翻して軽やかに宙を舞いながら、銀色の長い槍でそれは蝙蝠たちを一撃のもと葬り去る。
長槍と揃いの長い銀髪をふわりと撫で下ろしながら、彼女は優雅に着地した。
「怪我はありませんか」
葬った蝙蝠には目もくれず、今朝方すれ違ったメイド騎士は鋭い目付きのまま、真っ直ぐにミラをその視線で射抜いた。