魔窟の入り口
「いいかライラ。この世で最も弱いモンスターはクムリワームだ」
「クムリワーム?」
「そう。5歳の子供が蹴っ飛ばしただけで霧散する。通称煤っころ」
(まっく●く●すけ?)
「それ単体だとなんてことはないがな、数百体が集まって合体すると厄介だ。特に女が遭遇したくないモンスター3位以内に常時ランクインしている。お前も気をつけておくに越したことはないぞ」
「合体するとどうなるの?」
「それはな……」
「すご、ホントに石当たっただけで消えてく」
その辺に落ちているライラの拳よりも小さな石を拾い上げ、宙に放ってはキャッチするのを繰り返しながらライラは思わず呟いた。
第6Fダンジョン。数ある低級ダンジョンの中でも特に初心者向けとされ、迷い込んだ子供でさえ難なく帰れるとまで言われている場所だった。
近寄ってくる小さなモンスターを軽く牽制しながら、ライラは改めてインベントリのダンジョンマップのモンスター一覧を開いた。
「えーっと、クムリワーム。攻撃が当たりさえすれば確実に死ぬ……マンボウかな?」
呆れ顔で近寄ってきた目玉も何もないまっ○ろくろ○けを爪先で軽く蹴っ飛ばすと、何の抵抗もなく呆気なく転がって消えた。
「完全に弱いもの苛めしてる気分……ここってこれしか出ないんだ」
「通称最弱のダンジョンね。稀にフラットバットも出るらしいけれど、それも初級魔法で簡単に倒せるし物理攻撃も覿面に効くから、大して脅威にはならないと聞くわ」
「あ、ホントだ出てきた」
噂をすればなんとやら、小さな丸っこい体にコウモリの羽を生やしたモンスターが数匹飛んできた。
ライラが腰のベルトに着けていたナイフを引き抜いて振ると、難なく当たりフラットバットもあっという間に消え去っていった。
「なるほど、最弱」
思った以上の手応えの無さに肩の力が抜けるのを感じる。
ライラはナイフを鞘にしまい、迷いなく先へ進み始めた。
受付のお姉さんは24時間と言ったが、それもあり得ないだろうと思われて設定された時間に違いない。あまりにモンスターが弱すぎて単なる散歩コースだ。
単純な洞窟構造をしているこのダンジョンは、上にも下にも階層は広がっていなく、ただ行き止まりまで突き進むだけの一直線ルートしかない。そしてその最奥に、このダンジョンの核となる魔石があるのだそうだ。
舗装などは当然されていない地面は石ころが転がり、足場が良いとは言えない。照明用として発光性のある魔石が等間隔で天井にあたる部分に設置されているが、入り口から離れてしまえば昼夜問わずに薄暗いのも無理はないだろう。
モンスター関係なく転んで怪我をしそうだな、などと思いながらライラはミラがいる方を振り返った。
王宮生まれ王宮育ちの彼女は、城を出たことがあるとしても整備された地面しか歩いたことがないだろうに、顔をしかめながらも黙ってライラについて来ていた。
ライラが立ち止まったことに気が付いたミラは、警戒心を隠さずに視線を返す。
「……何よ」
「ミラちゃんさ、どうして逃げないの?」
「はぁ?またその話?だいたい貴女がそれを言うの?」
「だって町に着いてからだって、逃げようと思えば逃げられたじゃない。思ったより素直についてくるなーって思って」
「こんな貧相な成りで、お金も碌に持っていないのにどこへ逃げろというの?」
馬鹿にしたように見下した視線を寄越す彼女だが、そもそもその開き直りが潔すぎる、とライラは思っていた。
彼女が言う貧相な成りに着替えさせる時も、盛大に顔を歪められはしたが大人しく着替えてくれた。文句を言われたのも馬車を降りたあの時だけで、ミラは表情にこそ不満は示すが口にはあまり出さないのだ。
傲慢で高飛車。ライラがミラに抱くイメージはそんな典型的な悪役令嬢そのものだったが、この数日で大分考えを改めている。城に潜入して彼女を観察している時は接点があまりなかったし、そもそも然程間を置かず現行犯で取り押さえたので充分に彼女の人柄は把握出来ていない。王族としてのプライドは高い、とは思っていたが。
(頭は悪くないし順応性も高い。王族にしては下界の暮らしに理解も示すし……)
初めて町に入った時も、生活水準の低さに嫌悪を示すより先に好奇心が勝っていた。昨日の露店の串焼きだって、行儀や最低限の警戒心こそ意識していたが難なく完食した辺り、やはり受け入れるのが早いように思える。単に空腹に抗えなかった、と言われればそれまでだけれど。
(あの名前もなぁ……)
ライラがつけた偽名であるミラ・サーリッシュも、特に抵抗されずに受け入れられた節がある。勝手にしろ、とは言われたがあの名前で彼女の本名を連想するのは一部の人間にとっては容易いことだ。彼女は下界落ちした今の自分を、一体どう思っているのか…………。
(ま、別にいっか)
特に彼女を扱き下ろしたい訳でも粗探しがしたい訳でもないので、ライラは早々に考えることを止めた。難しいことを考え過ぎると吐き気がしてくるので過度の考え事は自重自重。
しかし自重するのが一歩遅かった。
「おわっ、と!?」
足場の悪さを失念していた。
ボーッと足を踏み出したライラは、見事に転がっていた小石に足を取られてバランスを崩した。
「わわったったっとぉっ!?」
とっさに岩肌の壁面に手をつこうとして、手応えがなく空振りをしたライラはそのまま地面に激突する。
寸前で手をついて顔面衝突は免れたものの、そのまま倒れ込んだので全身土埃まみれとなった。
「ったぁ~……もうなんでよ……?」
擦りむいた手のひらを振りながら起き上がって振り向くと、何故かオロオロと辺りを見回しているミラが目に入った。
何かを探しているような彼女に首を傾げて立ち上がり、歩いて近付くとぎょっとしたようにミラは目を見開いてライラを凝視する。
「ミラちゃんどったの?」
「あ、貴女、今どこに……」
「へっ?どこって……」
さっきまで自分が倒れていた場所を振り返ると、そこには岩肌が剥き出しになった壁があるのみだった。
絶句して壁を触ろうと右手を翳すと、何の手応えもなく岩壁を通り抜けて右手の先が見えなくなる。
岩壁にライラの手が呑み込まれたのを見て、ミラは両手で口元を覆って息を呑んだ。
そのまま右手を上下させて、何もないことを確認したライラは左手も突っ込んで前進する。
「ちょ、ちょっと……!」
慌てるミラの声にも足を止めずにライラは岩壁に身体を埋める。
完全に壁を通り抜けた先には、それまでの道よりも一回り狭い通路が先が見えない程遠くまで伸びていた。
「何よこれ……」
「隠し通路、かな」
ライラに続いて恐る恐る岩壁の中に足を踏み入れたミラは、異様な光景に眉を潜める。
冒険者証のインベントリでマップを確認するライラは、表示された現在地がマップ上では完全に岩壁の中であることをミラにも共有した。
「本来なら存在しない通路……ダンジョンには稀にあると聞いたことがあるけれど」
「でもさ、ほら」
正規ルートとは違って照明用の魔石が設置されていないそこは、分岐路付近から洩れている明かりだけが頼りだったが、一番明るい壁面を見れば作られたのはごく最近であることがわかった。
「堀り口が新しい……?」
「完全に人為的だよね。正規ルートからは見えないように本来あった岩壁を魔法で見せてたんだ」
足元と天井でうっすら光る魔法陣を指し示すライラに、ミラは油断なく通路が伸びていく先を睨み付ける。
人為的に掘られ、隠されていた通路。きな臭さしかない。
「どうする?一応案内所に報告するって選択肢もあるけど」
「その選択権は私にあるのかしら?」
「ははっそりゃそーだ!」
マップを消して両手を腰に添え、ライラは真っ直ぐ暗い通路の先を見つめた。