串焼きは正義
「今更だけどちゃんと自己紹介をしてないことに気が付いた」
「本当に今更ね」
露店で購入したパンと串焼きの肉をベンチで並んで頬張りながら、ライラは深刻な表情で呟いた。
呆れた表情でミラージュは上品に串焼きをかじる。最初こそ毒味もされていない買ったばかりの物をしかも野外で食べることに抵抗を示したが、最終的に空腹には抗えず美味しく頂いている次第だ。焼きたての柔らかい肉に滴る肉汁と塩胡椒のシンプルな味付けは殺人的。間違いない。
そんな彼女の髪の毛は、首元でばっさりカットされていた。短く揺れる毛先は辛うじて見れるレベルでショートカットの体を保っているが、素人の腕前でしかも断ち切り鋏のみを使用した結果である。まぁ上出来と言えるだろう。
「そんな訳で、ライラ・カーティス16歳です!改めてよろしく!」
美味しいものを食べたお陰もあって元気いっぱいに名乗るライラに、何と返したら良いかわからずミラージュは目線を逸らして冷めかけてきた肉を一かじりする。
その様子にふと一つ思い至ったライラは、既に食べ尽くした串を振ってミラージュの顔を覗き込んだ。
「そういえば、ミラちゃんの名前もどうにかしなきゃね」
「…………え?」
「本名名乗れないじゃん。フルネーム考えといたらいざという時困らないよ?」
ライラの言葉にミラージュは押し黙った。
彼女の言いたいことはわかる。わかってしまう。
事実上自分は王家の名を剥奪された身だ。王宮には戻れないし、これから生きていくには新しい名前が必要になる。
けれどそう易々と受け入れられることではない。名前を捨てるということは、それまでの自分を捨てるということだ。事実上王家の身分を剥奪されたからと言って、自分からこの名前を捨てるのは抵抗が大きい。それとこれとは話が別だ。
ちら、と、ミラージュは隣で宙を睨んで思案顔でいるライラを伺う。
王宮を出て生きていくくらいなら断頭台の露と消えた方が何倍もマシだと、今でも思考の片隅で考えている自分がいる。が、自身の髪を切り落としてまでミラージュを説き伏せたライラに少しだけ興味が湧き始めている。仮にも自分をこんな状況に追い込んだ原因の一つであるのに。勿論、憎々しいことに変わりはないのだが。
ちなみに断髪の件に関して言えば、ライラとしては常々切るタイミングを計っていたのでちょうどいいや、くらいには軽いノリだったりする。
「んー名前……名前かぁ……ていうかこの国の名前って舌噛みそうだよね。由来とかあんの?」
突然の話題転換に顔を歪めたのも束の間、聞かれた内容にミラージュは言葉に詰まり、神妙な顔で声のトーンを落とした。
「…………こんなところでする話ではないわ」
それっきり黙り込んでしまったミラージュに、ライラは深く追求はしなかった。空気は吸って読むものである。
「んーじゃあとりあえず、ミラ・サーリッシュってのでどう?」
そしてぶち壊すものでもある。
急なハンドル捌きで話題を修正されたミラージュは、全力で「は??????」という返事を表情で示した。
「元の名前なんとなくもじっただけなんだけど、どう?まるっきり違うのが良ければまた考えるよ」
何も考えていないのか何なのか、あっけらかんと続けるライラに真面目に対応するのが馬鹿らしくなる。今更である。
ミラージュは深いため息を一つ吐き、「好きにしなさい」とだけ言って冷めきった串焼きの残りを頬張った。
* * *
「えっここってダンジョンあるの!?」
夕暮れ時、ようやく入った宿屋の一室でライラはすっとんきょうな声を上げた。
格安で入った部屋に設置された二つの簡素なベッドにそれぞれ腰掛け、向き合う形で二人は話し込んでいる。
ベッド二つを詰め込んで申し訳程度に出入口への通路があるような部屋だが、昨夜一晩人生で初の野宿を経験したミラージュ改めミラは屋根とベッドがあるだけまだマシと譲歩してしまっていた。
そんなミラは、本気で仰天しているライラに怪訝そうに首を傾げる。
「当たり前じゃない。貴女もそれ目当てで冒険者になったのではなくて?」
「いや私は文字通り冒険したかったからで……冒険者証があったらいろんなとこの出入りが楽だって言うから」
ライラの返答にミラは額を押さえる。彼女がとんだ世間知らずだと気が付いたからだ。生まれてこの方王都を碌に出たことがない自分より酷そうだ。
一方でライラは一人納得するように口元に右手を当ててうんうん頷いていた。
「まぁそっかそうだよね、モンスターがいるならダンジョンもあるよね」
「その理屈はわからないけれど、とにかく貴女はその腕のインベントリを開いてみたらどうなの?」
呆れ顔でミラが指差す先のライラの右手首には、キラリと光る銀色の細いブレスレットがあった。ライラの手首にちょうどフィットしているサイズのそれには小さな緑色の石が付いており、銀色の部分にはよく見なければわからない程細かな線で龍の彫り物がしてあった。
言われてまじまじブレスレットを見るライラは、よくわかっていない顔でとりあえず石の部分をつん、とつついてみた。すると、ブゥン、と音をたててB5サイズ程の横長の画面が石から出現する。
「うわ、これこうやって使うんだ」
「説明を聞かなかったのかしら?」
「『冒険者証です』ってしか聞かなかった」
担当官の怠慢である。詳しく聞かなかったライラもライラだが。
「えーっと何々……冒険者ランクD、ライラ・カーティス。あっ凄い!国中のダンジョンがリストアップされてる!モンスターの分布図もある!てか今現在確認されてるモンスターの図鑑まで入ってるよヤバいこれハイスペック!」
高性能さを理解したライラが興奮気味に空いている左手をパタパタさせる。
ミラも冒険者のインベントリを直接見たことはなかったが、好奇心よりもライラの子供のようなはしゃぎっぷりに対する呆れが勝って冷めた視線を送っていた。
「へーこっから自分のレベルに合ったダンジョンが探せるんだ。この辺にも結構あるね?」
「ダンジョンは古来から増殖と消失を繰り返しているもの。それでも完全に消滅するということはないから、今に至るまで国を上げて極力管理しているわ。ダンジョン専門の研究機関だってあるくらいよ」
呆れつつも説明してくれる辺りが優しい。
この町の近くにある幾つかのダンジョンを見比べて、ライラは即決した。
「へー。じゃ、明日早速試しに一ヶ所行ってみよ!腕試しの意味も込めて一番最低ランクんとこ!」
最低ランクと言えば、子供に石を投げられただけで倒されるレベルのモンスターしかいない完全チュートリアルダンジョンだ。この町の傍にも一つあり、冒険者になりたての初心者がよく集うので賑わっていた。
「……それ、私も行くのかしら」
「もっちろん!じゃ、明日も早いしさっさと寝なきゃね!」
答えは聞いてない!と、元ネタを知らない筈のミラの耳に副音声が重なって聞こえた気がした。