少年期 十三歳の晩春 二一
サポ特化ヒーラーが種族特性ガン盛りタンク――尚、火力を出せないとはいっていない――に軽くあしらわれるという悲喜交々があったものの、お茶が冷める前に話は元のベクトルに戻った。
うん、お茶を冷ますのはね、三重帝国人的にね。沽券に関わるからね。
「さて、我が姪御を差し出すのは冗談として、褒美の話といくか」
香ばしくほのかに甘い高級な黒茶を一口啜り、自分の発言を反芻した後にフランツィスカ様は額に指を添え、悩ましげに吐息した。
「ん、ま、褒美というよりも詫びというほうが近しいが」
「別にお詫びを受けるようなことはなにも……」
「さにあらず」
私の発言を遮り、ぱちんと扇子を畳んで笑みのままに真面目な表情を作るという器用な真似を見せ、名家のご老公は朗々と語る。
曰く、平民を家の大事に巻き込み、剰え半生半死の怪我をさせるのはいやしくも名家を名乗る上で大変な不祥事だという。のみならず、次代を担う若い純血統、その大事をただの平民一人が解決に導いたとあれば、分家や傍流筋から鼎の軽重を問われかねないとのこと。
無論、覆い隠すことは容易い。此度の婚姻話も内々にしか進んでおらず、婚姻の相手方も都合を汲んでくれる間柄ということもあって、なんなりと処理できるそうだ。
だが、他人があずかり知らなかろうと、家中にケーニヒスシュトゥール荘のエーリヒが大事な連枝を助けたという記憶は残る。
なんと言っても彼等は非定命。ほんの数十年で代が入れ替わり、百年足らずで故人が口伝にしか残らない定命の家とは家法も感覚も違うのだ。
記憶、薄れがたく忘れにくいことは罪業にも繋がる。過去にした不義理が延々と残るのだ。故に彼等は忘れっぽい我々を合われむと同時に……。
「時として羨ましく思うものよ。積み重なった記憶の重みは如何なる枷より酷く身に食い込むものでな」
羨んでいる。繊細に花の形に整形された砂糖菓子――落雁みたいなもので、割と上品な甘さで黒茶と合う――を弄びながら、まるで眩しいものを見るような目で旧き吸血種は私を眺めた。
非定命には非定命の悩みがある。何より元はヒトであった吸血種の精神に永劫は長く、定命が甘受する死する権利は甘く映るのであろう。
なればこそ、生に飽いて陽の下に身を晒す吸血種が現れるのだ。
「受け取ってたもれよ、温き血の子よ。汝が此方らの心のトゲとならぬように」
アカシアの華を模した砂糖菓子が指の間で砕けた。そして、黒茶の薄い闇に沈んでいく様は酷く心を掻き乱す。
結局、私にできたのは謹んでお受け致します、そう声を震わせぬよう注意しながら発するだけであった。
ああ、ほんと、根本的に違う生き物なのだなと実感させられる。
「素直でよろしい。さて、身につけておったものは此方で代替させよう」
言われてふと思い出した。私の鎧は何処に行った。
「ああ、随分と痛んでおったから新しいものを……」
「あのっ、いえっ、あれは思い入れのあるものでして!」
なんと言っても初めて手前で用立てた冒険道具である。荘の職工たるスミス氏が私の成長まで見越して作ってくれた鎧を手放すのはあまりに惜しい。
「ふむ? 思い入れのぅ……良質な金属鎧を仕立ててやってもよいが?」
一瞬魅力的かと思ったけど、実際そうでもない。全身を覆う板金の鎧は防御力に優れるが、小器用に動き回る銀河チャンバラ集団的な動きをする私には重すぎる。何より金属は魔力を良く通すため、あまりに金属が多い鎧は魔力の集中を乱す。帷子や胸当ての金属だけでも一杯一杯なのだから、全身金属鎧なんぞを身につけた日には<見えざる手>の発動数を半分ほどに下げねばならなくなる。
あと、利便性が低すぎるのだ。折りたためないので鎧櫃も大型になりがちだし、一人で着込むのはかなり難しく、あと目立ちすぎる。冒険者を志す私にとっては長すぎる帯でしかない。
「そうか。ならば職工同業者組合の伝手にあたって繕わせよう。それでよいか?」
「是非に。折角の申し入れを断ったにも関わらず、お心遣いに感謝いたします」
「よいよい。ヒトの身に思い入れは丁度良い荷物であろう。大事にせよ」
素直にありがてぇ、ありがてぇ。鎧の修繕代なんて幾らするか分かったもんじゃないからな。薄い財布が更に薄くなって、エリザの学費を払うための蓄えが減るのは困るなんてものじゃないし。
「さてと、次に分かりやすいのは金か……」
一番有り難い提案に心が浮き足立った。ただ、彼女は顎に手を添えて首を傾げ、悩ましげに眉根を寄せる。
「……ヒトの稼ぎは近年だとどの程度であったか? 月に一ドラクマは稼いでおったかの?」
茶を噴き出しかけた。金持ちが庶民感覚に疎いのは分かっているが、これはちょっと度を超していないだろうか。アグリッピナ氏やライゼニッツ卿は下々の感覚に詳しかったが……ああ、彼女らはフィールドワークで方々を彷徨いているし、従僕を雇っているからか。
「いえ、伯母様、せいぜいその半分かと」
「む? そんなものか? あれはどの治世であったか。館を直す人足を集めるに用立てた金額がだな」
「それは職工を派遣する同業者組合への仲介金込みの話ではございませんか?」
いやー、だとしても月五〇リブラは多いんだよなぁ。大店の正規従業員でもなきゃ、そんなには貰えんよ。お嬢様も多分、聖堂に喜捨して徳を積める高給取りを基準に語っていらっしゃるのでは?
ただまぁ、収入の多寡を一口で語るのは難しい。地方分権気味な三重帝国であっても、地方の荘園で暮らすのと都市部で暮らすのでは収入も必要となる金銭も大分違うのだから。
それでも小作ではない家の年収と同程度を一馬力で稼がれてたまるか。
貴人の会話に割り込むのは無礼と承知ではあるが、このまま変な金銭感覚で報酬の話が進むと困るので、私は割って入って適正な庶民感覚を語った。
マンチ的にこれが一度会ったら二度と会わない系のクライアントなら、そりゃあもう有り難く狂った金銭感覚の報酬を頂戴したとも。
だが、今後もお付き合いが出そうな御相手に後足で砂を掛けるような真似はできまいて。この世界のコネクションアイテムは、下手なコインよりずっと強力なのだから。
たった一度使ったら終わりのコインと、難事を退けてくれる“縁”と言う名の護符。マンチ的にどっちが強力かなんて分かりきった話。
なんと言ってもツェツィーリア嬢は運勢的にピンゾロ振っていた私のサイコロを裏返してくれたのだ。最低値の反対には最高の値がくっついているなら、私の守護女神に等しい御仁に不義理だけは働けない。
マンチ云々以前に人間として拙かろうよ。それこそ、さっきフランツィスカ様が仰ったことと変わりが無い。ヒトだって記憶によって苛まれるものなれば……。
「なるほどの……今は帝都でもその程度で生活できるのか」
意外そうに頷きながら、フランツィスカ様は指折り数え昔の記憶を口にする。かつて帝都が造営されたばかりの頃、家賃は最低でも一〇リブラほどかかっていたそうな。
「時代は巡るのぉ……劇作家として古典ばかりではなく現代物も触るべきか」
どこから取り出したかは全くの謎だが、メモ帳らしき紙束に書き付けをしながら古の吸血種はしきりに頷いてみせた。知識のアップデートをこまめにしないと定命と会話が食い違うのはホント大変そうだな。
「俗世間と離れて創作に溺れておると時流に取り残されていかんな。えーと、ではアレかの、五〇〇ドラクマくらいはくれてやるのが妥当かの?」
「ぶふっ!?」
「きゃあっ!? だ、大丈夫ですか!?」
今度こそ我慢できずにお茶を吹き出した。今の話聞いてました!?
「我が姪御の価値と比べたらまだ安いが、過ぎたる金は身を滅ぼすかと思ったのだが」
急な体調不良かと思って奇跡を請願しようと大慌てをする姪御を余所に、伯母はなんてこと無さそうに宣って首を傾げた。
「まだ高いか?」
「私の実家が生涯かけても稼げるかどうかっつー額をポンと投げないでいただきたい!!」
下層向けの宮廷語が乱れてきているが、それくらいのショックだ。確かに大した冒険をした自信はあるが、あまりに金額に現実感かがなさ過ぎて死にそうになる。農民なんて一家族だけでやってれば稼ぎは年に五から一〇ドラクマの間というところだ。それ以上は小作農を何家族も束ねる富農の領域で、ちょっと価値観が違いすぎる世界の話に踏み入っている。
確かに冒険者の金銭感覚ってのは得てしてぶっ壊れるものではある。金額的には家どころか城が建つような武器に入れ込み、専用化だの魔法の武器化だのに金と名誉点をつぎ込みながら、冷え込む厩で安酒を呷るのが我らの習性。とはいえ、流石にガチの金額を出されるとなんだ……どうしても尻込みしてしまうな。
奇跡を願って神に誓願しようとするツェツィーリア嬢を押し止め、私は口を拭ってから口を開いた。
割と妥当かつ私の難事を解決し、同時にフランツィスカ様を納得させられる金額があるのだ。
「でしたら……我が妹の学費を出して頂きたく存じます」
「ぬ? 学費?」
人は自分が付けた値よりもかなり下の値を言われると怒るもの。なんといっても自分が認めた価値、それを「いやぁ、それほど価値ねぇっすよ?」と否定するに等しいのだから、激っしたとして不思議はあるまい。
「はい。我が妹は魔導の才とちょっとした個人的な気質により、魔導院の研究者に見出され師事しております」
「ほぉ、魔導院の。なるほど、確かに地下の者には重い学費よの」
「学費だけで年に十五ドラクマの支払いがございます。これは我が家の稼ぎ全てを二年分注いでもまだ足りず、生活費や衣装代、勉学に必要となる諸経費を重ねてゆけば倍額でも足りませぬ」
衣食住はアグリッピナ氏が賄ってくれているが、それだって無料ではないし、エリザに必要な物を揃えていけば幾らあっても金は足りない。正式な弟子として聴講生の身分に上がったら、ローブや杖も仕立ててあげないといけないからな。
ローブは魔導師の証であるためマストアイテムだし、杖は例え焦点具がなくとも魔法を発動できる半妖精であっても効率を上げるために持たしてやりたいものだ。
……まぁ、ローブはライゼニッツ卿が嬉々として用意し、杖はアグリッピナ氏がお下がりとかいって凄まじいのを持ち出してきそうだから、私が態々用立てる必要はないかもしれないけれど。
ともあれ、五〇〇ドラクマには達すまいが学費は大金。それを褒美としてねだったなら、あまりに低い値付けであると怒られることもないと培った<交渉>のスキルが語っている。うん、これをもっと伸ばすのも視野にいれとこ。
「あー……つまりアレだの、要は此方が普段していることをしてやればよいわけだ」
「普段している、とは?」
「後援であるよ。此方は音楽芸術に目がなくてのぉ。使うアテもなく金をだぶつかせると蔵相に目を付けられる故、気に入った若人に金を撒いて芸術に専念させておる」
なるほど、これほど金を持っていて暇を持て余している御仁であれば、至極普通の文化といえるか。古来より優れた美術家や芸術家、発明家なんぞは貴人に囲われて日々の生活を助けて貰うかわり、創作物を献上したり流通を専任したりしているそうだし。
「よかろう。なれば此方は汝の妹の後援者として名をあげようではないか。生活の一切、研究の全てに予算を付けてしんぜよう。期間は特に定めぬし、此方は魔導への造詣が深くない故、これといって進物をねだることもない」
後援者と被後援者の関係は親子関係にも似ているが、決定的に異なる点は結果を出さねば関係を解消される点である。ミカのように地元の代官から後援を受けて聴講生をやっているような学生も同じようなもの。長い間結果を出せぬなら当然見限られ、好みの作品を献上できねば次第に興味をなくされてしまう。
その点、報酬として後援してくださるというのであれば実に有り難い。後援者の気まぐれで支援を打ちきられ、可愛いエリザが路頭に迷う心配をせずに済むのだから。
私は感激に震える身を押し止めながら立ち上がり、フランツィスカ様の前に跪いた。
「有り難き仕合わせにございます。今後、御身のお役にたてるのであらば、どうか私めも気軽にお呼び付け頂きたく存じます」
「ん、大儀であったぞ、ケーニヒスシュトゥール荘のエーリヒ。褒美は後に文書として汝の下へ送らせよう」
褒美の言葉を賜り、面を上げる許可を待っていると不意に手が差し伸べられた。吸血種の血の気が薄く、大理石や白磁の如き滑らかな肌が冴え冴えとした月光の下で麗しく輝いている。
「これは汝への褒美じゃ。汝自身が受け取るものがなくては寂しかろ?」
「……身に余る光栄にございます」
貴人の手の甲に贈る口づけは男性側から敬意を示すもの。当然、位に合った貴人同士の文化であり、身分無き私には無縁の挨拶。
だが、それを女性から許されると言うことは相応の意味を持つ。
私は壊れ物を扱うように手を取り、唇を付けるふりをした。礼儀として実際には付けず、寄せるだけで済ますものと書架の本で読んだからだ。
「ふむ、慎み深いの。さて、此方からばかり差し出してはつまるまい」
手を引いたフランツィスカ様は、実に外連味溢れる笑みを浮かべて立ち上がったかと思えば、どこか不服そうな顔で私達のやりとりを見ていたツェツィーリア嬢の後ろに立ち、あろうことか脇に手を差し入れて強引に立ち上がらせたではないか。
「えっ!? なっ!? おお……伯母様!?」
「汝からも褒美を授けてやるがよい。淑女の手の甲、それも神よりの寵愛深き処女の新雪とあらば、霊験は実に灼かであろうことよ」
猫の仔のように抱きかかえられた彼女は私の前に強引に立たされ、促すように腰を一度叩かれた。決して無理矢理に手を差し出させようとしないところが、なんとなしにフランツィスカ様の人間性を臭わせる。
楽しい事は楽しみたい。だが、本当に嫌なことは無理強いしない。芸術家肌の人間にしては、希有な御仁であるな。
「えと……その……」
跪いたままの私を見下ろし、彼女はもじもじと視線、ついでに右手を彷徨わせた。
うん、分かるよ、神殿育ちの僧が手の甲とはいえ、急に男性へ肌を許せなんて言われたって困るわな。
さて、なんとか知恵を出して彼女を逃がしてやらねばと思考を回し始めた時……。
「……どうぞ」
「えっ」
彼女は私に手の甲を差し出してきた。それも、長い手袋からわざわざ手を引き抜いて。
誰にも穢されていない新雪のような手の甲。見ているだけで口腔に唾液が湧き、人肌の筈なのに煮えたぎるように熱いそれを嚥下するのに苦労した。
にやにやと私達を見ているフランツィスカ様の視線が絡みつく網のようで酷く重く感じられる。
恥ずかしそうに伏し目がちに私を見下ろすツェツィーリア嬢。その上に並ぶよく似ているが決定的に似ていない顔。二つの顔に見下ろされ、私はあまりのいたたまれなさに手を取った。
ここで拒否すれば、彼女に恥を掻かせることにもなるから。
私はさっきと同じように唇を寄せる振りをし、直ぐに顔を放そうとする。
ただ……できなかった。
俄に朱色が強くなった手の甲の方から、私の唇に近づいてきたからだ。
まるで濡れていると錯覚するほど瑞々しい肌が私の唇に触れ、小さな口づけの音が鳴る。
そして、一拍遅れて私の顔にも、爆発したのではと不安になる勢いで血が上るのであった…………。
【Tips】手の甲へのキスは親愛・尊敬・忠誠を意味し専ら主従間の挨拶とされる。だが、時に親しい相手に直接肌を許して為される場合は、より深い関係を意味することも……。
大変間が開いて申し訳ございません。
年末も中々にエグい日程で動いており、年始は年始で色々とありました。
今年はもうちょっとペースを上げられればなと思っております。
最低限でも週に一回は更新したい所存。
これで報酬は終わり。後はエンターミッションと事後処理のマスターシーンが幾つか。
そして時間は飛んで冒険者になる青年編に移っていきます。
末筆ではございますが、昨年中は沢山の感想やレビュー、フォローにリツイートありがとう御座いました。
やはり感想やRTをいただけると元気が出て、さぁ書くかって気になってなんとか書いてこられました。
昨年のお礼と新年のご挨拶に代えて更新させていただきました。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。




