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少年期 十三歳の晩春 十九

 貴種という生き物は面倒臭い生き物である。


 彼等は“面子(プライド)”に依って立つ生物だ。全ては自分が持つネームバリューと権勢が物を言い、如何に実際の富を持っていたとしても見合った“背景(バックボーン)”が無ければ相応の扱いさえ受けることはできない。


 故に彼等は経済的観念から鑑みれば全くの“無駄”とも言える城館を築き、絨毯を敷き、豪奢な装束にて自身を飾る。内から安いヤツだと見られれば地位が墜ち、下から頼りないと思われれば求心力が失われ、外から見窄らしいと感じられれば国威そのものに傷が付く。


 ひいては、その気位が格式という面倒臭い手続きに固執することに繋がる。


 軽々に顔を合わせてはならない。軽いヤツだと、人付き合いに餓えているヤツだと思われてしまうから。急ぐのは自身の閥、圧倒的な格上から呼びつけられた時のみであり、時には閥が異なれば一介の帝国騎士風情でさえ三皇統家の面談を断ることがあるという。


 故に貴種は面会に大変な手続きを必要とする。手紙を出して予定を尋ね、その上で許可があれば先触れを出してようやっと。順当にいかなければ、顔を合わせるまで何度も文や配下を往来させてどうにかこうにか、ということも珍しくない。


 その上でどうしても無理を押して会談せねばならぬのなら、狩猟の最中にばったり出くわしただの、行幸先で雨に降られて雨宿りに立ち寄った先でたまたまだのと“作為在る偶然”を態々用意するほどに彼等の政治は手間に溢れている。


 つまりフットワークが異様に軽い――他国の貴族位継承権を持つ研究者を直接呼びつけるなど破格どころの扱いではない――マルティン公やテレーズィアこそがおかしいのであり、本来ノーアポで貴人が部屋を訪ねてくることなどあり得ないのである。


 そう、親子間でさえアポを取ってから面会する面々にとって、あり得ないできごとなのである。


 「無事ですかエーリヒ!?」


 それほどにあり得ない事態を起こすことに戸惑いがないほど、夜陰神の信徒ツェツィーリアは焦っていた。


 昨夜の混沌を乗り越え、大伯母に説得されて床に入って僅か数時間。屋敷内は夜陰神の加護があるがため昼間であっても陽に焼かれることはなくとも、不快であることに違いは無いので締め切った部屋で大人しくしているのが常識的な吸血種の過ごし方。


 しかしながら、冒険の高揚と少年が無事であった安堵がない交ぜになった浅い眠りは長続きしなかった。


 這々の体で城に半死の父上を引き渡した従僕。メティヒルトが何日徹夜したかも分からぬ徹夜明けの顔で己を揺り起こしたからだ。


 曰く、大伯母がエーリヒを玩具にしていると館の侍女頭から通報があったと。


 夜着から着替えもせず、淑女としての色々をかなぐり捨ててツェツィーリアは駆けた。裸足のまま館を疾走し、すれ違う召使い達が何事かと戸惑うのも捨て置いて、彼が眠らされていた客間へと。


 全ては次の夜、落ち着いてから話をしようと決めていたのに。いや、あの大伯母が面白そうなことに堪え性が無いことを彼女は知っていた。というよりもエールストライヒの連枝は大抵その“病気”にかかっているのだから無理もない。


 自分だって加護に任せ、趣味である兵演棋のため陽が出ている内から出歩いたりしていたのだから。


 既に強引に開かれたせいで傾いだドアに突入した彼女が見た物は……。


 「白く、透き通るようでいて奥行きある白さには滑らかさと柔らかさが同居し、触れれば液体の如く沈み込んでしまうような蠱惑的な色味の肌は生物が出せる色なのかと困惑を覚えました。その肌が作るラインも朱のトーガに覆われていながらに……」


 死んだ目で自らの大伯母――つまり祖母の姉妹――を口説く少年の姿であった…………。












【Tips】面談の手間。前述は生粋の貴族におけるものであり、名誉称号として市井より取り上げられた貴種にはあまり当てはまらない。魔導院の研究者上がりの教授達は皆、フットワークの軽さも研究の要訣であると分かっているのだから。


 ただ、後からパトロンとの付き合いには必要だと判断し、きちんと身につけて使い分ける者も多い。一代限りの名誉貴族から正式に叙勲されて領主になるような功績もまた、名誉称号を受けるような傑物でこそ挙げられるものである。












 「おお、ツェツィーリア! どうした、未だ陽も高かろうに。それより聞いてたもれよ、此方はヒトの小童から口説かれてしもうた。まだ自信持ってもいいかの?」 


ちゃうねん。


 いや、対外的に見たら間違っていないけどちゃうねん。そこ、驚愕したような顔で私を見るんじゃあない。オバ専!? みたいなショックを受けてるのが表情から見てとれちゃうでしょ。


 ただ、ここで否定すると貴人に対して嘘を吐いたことになり、より酷いことになりそうなので私にできることは目をそらすことだけ。弁解させてほしいが、今やるべきでないことを恥ずかしさに任せて口に出すこともできない。


 となると私にできることは一つ。開き直ることだ。


 「見惚れることに種族と老若の理由がございましょうか。真に優れたる者はただ在るだけで感嘆を呼びます。私は言葉足らずではございますが、その美を少しでも表現しようとしたばかり」


 「ほれ、聞いたか愛しい姪御よ! いやぁ、此方も罪よなぁ、いたいけなヒトの子もあるだけで魅了してしまうとは!」


 愉快愉快と笑う貴人、反比例して私を見る目が冷たくなっていくお嬢様。なんだ、あれか、仮面の貴人との戦闘は実はミドルでこっちがクライマックスか。勘弁してくれ、リソースは疾うに使い果たして侵蝕値はギリギリだぞ。主に私の心が蝕まれているという意味で。


 私程度の賛辞で上機嫌になるのが不可解極まるが、とりあえずこの場で一番位が高いであろう御仁に臍を曲げられるよりはずっといい。


 かくして、目が盛大に濁ることを代償に正気を取り戻した私は、ようやっと本題に戻ることができた。


 「麗しき姿を拝謁するのみならず、賛美する栄誉を賜りながら、更なる欲を出すことをお許しいただきたく。どうか私めに麗しき貴方様の名をお教え願えませんでしょうか」


 「ん? ああ、そういえば名を名乗っておらなんだか」


 今初めて思い至った、とばかりに彼女は言い、暫し悩むかのように顎に指を添えて呻る。


 そして、僅かな逡巡の後に名乗った。


 「フランツィスカ。此方はフランツィスカ・ベルンカステルである」


 家名持ちかぁ、やっぱりなぁ。


 三重帝国において家名というのは非常に重く、貴種か貴種に近い存在でしか持つことも名乗ることも許されぬもの。一番軽い所でいえば地頭が長年の安定した農地の運営を讃え、家名を与えられることもあるが、それくらい頑張らねば名乗れないのだ。


 つまり長ったらしくなかろうと、家名があるだけで格上となる。ただ、私が好きな散文詩家と同じ名前というのは中々良いセンスだな。


 「ちょっ、大伯……」


 「まぁいいからいいから、黙って合わせろ愛しき姪御よ。さてと、態々名を聞いたということは色々と気になっているということであろ? ま、無理もなかろうよ。目が覚めれば知らぬ館で身ぐるみ剥がれて寝かされているとくれば、説明も欲しかろうて」


 此方であれば疾うの昔に暴れておるわ、と口元を隠しながらフランツィスカ殿はお笑いになった。何かちょっと気になるやりとりがあったが、さてどっちの意味だろう。家名を気軽に名乗るのかとお嬢様が焦ったのか、はたまた……。


 「長い話だ。汝も寝床でとあっては落ち着くまい? 安心せよ、捕って食いはせぬゆえ、ゆるりと身繕いを整えるがよかろ。何より此方は今大変気分がいい。ゆっくりと支度をするがよい。特に許す」


 フランツィスカ様は心底機嫌良さそうに立ち上がり、今まで完璧に気配を消して「私は関係ありませんが?」みたいな顔をしていたクーニグンデに着替えを用意するよう命ずる。まぁ貴人の屋敷だけあって換えの服くらい幾らでもあるということか。


 「それと、此方はかまわぬが姪御よ……なんという格好か」


 「え? ……あっ」


 指摘されて初めて気付いたのか、まるで火にかけられたかのようにツェツィーリア嬢の血色が薄い肌に朱が差した。


 彼女はここまで相当に慌てて駆けてきたのか――つまり、場合によってはそれほど急がねば私が危ないと判断する御仁であったのだろう――シルクの薄いアンダードレス一枚しか着ていなかったのだ。露出度は巨大なブーメランを投げているフランツィスカ様に比べたら何てことはないが、光に透けて体のシルエットを淡く浮かび上がらせる薄衣だけを纏ったはなんだ、その……変に色々ほっぽり出しているより却って目に悪い。


 少女らしい健康的な四肢のラインは完全に露わになり、薄衣で朧に窺える肢体は成熟を待つ青い美しさで見えぬが故の妖しさを帯びる。その対比も相まって言葉を選んで表現するとしたら……うん、エロいね。


 仕方ないだろ! 前世は日本人だ、チラリズムとか見えそうで見えないのに惹かれて何が悪い!


 あと、何より体は中学生レベルなんだよ!


 いやほんと、貧血でよかったよかった。


 「っ……! あっ……そのっ……!!」


 手がぱたぱたと体を隠そうと儚い努力をし、羞恥に沸騰し回転速度を落とした脳味噌で言語が死滅する。何か弁解を口にしようとして失敗すること数度、釣り上げられた魚みたいに口をぱくぱくさせ続けた後に彼女は何も言わずに駆けだした。


 敷き詰められた絨毯が拉げ、焦げ臭い匂いがするほどの勢いで。ぎゅっと凄い音がしたのは、それほど高い摩擦力で絨毯が蹴立てられたからか。立ち上る焦げ臭さには、彼女が覚えた羞恥が滲んでいるかのようであった。


 「うむうむ、初心いのぅ、実に初心い。よいものだ、見ていて若返るようだのぅ?」


 「妾はまだ若いので、誠に申し訳御座いませんが斯様な感慨は察することすらとてもとても」


 「は? 一体何年此方に仕えておるか忘れたか?」


 「四捨五入すれば赤ん坊ですよ」


 「こやつ三の桁を……」


 頭の悪いやりとりをしている主従を余所に、私は頭を振って目頭を揉んだ。雑念、というよりも眼に強く焼き付いてしまった光景を追い出そうと無駄な努力をしているのだ。正直、際どい美人の半裸――美人の際どい半裸でない所が重要――よりも、慎ましやかに隠されたパッと見同年代の少女の肉体に反応してしまうのは、なんだ、その、大分メンタル的にクるな。


 頭を振るのに合わせて、窘めるようにピアスがちりんと揺れた…………。












【Tips】三重帝国における女性の貞操観は現代と比して尚も重く、偶然や事故によって起こった事象でさえ多義的に責任を取らされることも珍しくはない。人生の墓場的な意味しかり、物理的な墓場しかりである。












 「ご説明をお願いしても?」


 整った顔をぶすっと不快そうに歪め、手早く僧衣に着替えた又姪は大伯母を睨み付けた。着替え終えるのを待つこともなく部屋に入り込んだ彼女は扇子で笑みを隠す気があるんだか無いんだか曖昧な態度で問いに答える。


 「なぁに至極簡単なことよ、我が愛らしき姪御よ。この婆は無駄に長生きしておらぬがゆえ汝によいように差配してやろうと思うてなぁ」


 長椅子に寝そべった女皇が言う言葉は、世の大人が口にする理屈と何ら変わらない。


 大人もかつては子供で、子供の頃にやらかして痛い目を見たからこそ、子供に説教をし行動を封じようとする。やったことがあるからこそ、やらない方が良いことが分かるのだ。


 「汝が思うより我らに流るる血は濃く、重いものよ」


 それくらい分かっていると口にしかけたが、僧は舌の上にまで乗った言葉を吐き出すことができなかった。


 弧を描き、外連味ある笑みの形を装う瞳が全く笑っていなかったからだ。


 「血によって人は人となり、血に従って果つる。これはいつの世も変わらぬ。馬には馬の仕事をさせよ、と昔から言うように」


 笑い声なのに笑っていない。完璧に笑みを作り、笑い、体を震わせるほど喜んで見せながら本質は欠片も笑っていなかった。


 感情から切り離された言葉が語るのは、一つの真理。


 人は血によって人を作る。即ち、生まれが人を作る。同じ種族であっても農耕馬が軍馬のように振る舞えぬように、下層民は貴種の如く振る舞うことはできない。


 そして、下層民は下層民として自らに流れる血に従って生きて死に、貴種は貴種として産まれた血に殉ずる。二つの血は交わらない。何があっても。


 無理に混ぜたならば、巻き起こるは悲劇ばかりだ。たった一滴の汚濁を注げば、一樽の美酒が無に帰すように、一滴の美酒では下水を清めること能わず。


 「汝は気に入ったのであろう? あの儚き定命を。なればこそ、優しい優しい婆は言うとも。無為に重い血を晒すな。血は人を作り、人に流れるがため人の意志を押し流してしまうのでな」


 そうであるなら、皇統家であることは黙するべきだ。人によっては受け入れはするだろう。個人として尊重しつづけるかもしれない。


 だが、決定的な所で“自分とは違う存在”としてカテゴライズされる。


 認識する相手が賢明で賢ければ賢いほど、個人としての付き合いを変えなかったとして“立場”だけは決定的に歪む。


 一体誰にできるのか。己が祖国の最も尊き血と気軽に付き合うことが。


 家格が見合う貴種なら、可能性としてはあり得る。忠実な臣下でありながら莫逆の友となった例は幾らでもある。


 ただ、彼は平民だ。謂われはなく背景もない単なるヒトの小倅。吹けば飛ぶ数多の臣民。帝国という存在からして、彼はその程度に過ぎない。


 どれだけ子供がピカピカ光る石を大事にしていたところで、大人は価値を認めない。寝床に持ち込み、肌身離さず大事にしたところで“不適格”だと判断したなら、容易く取り上げ河原に捨てる。そうなっては、子供が大事にした石は二度と手元に戻らないのだ。


 大事にするなら見合った物でなければならない。それがどうしても無理なら、せめて自分が見合った所まで“降りていって”ゆかねばならない。


 「ま、儚き定命に惹かれるのは若き非定命が必ず陥る病よ。甘美で一生物の病」


 ぱちりと扇子が閉じられ、満面の笑みを形作った冷厳なる無表情が姪を捕らえた。毒蛇毒虫が這いずるような言葉が脳髄に絡みつき、忘れられない言葉を放つ。


 「拗らせるでないぞ?」


 食い込む言葉に若き僧は悟る。ああ、彼女は今も煩っているのだろうと。だからこそ、これほどまでに若い世代に構うのだ。


 「ま、ここまで釘を刺せば小坊殿……ああ、汝の父も百年は真面目に当主をやろう。暫くは好きに振る舞うがよいさ。皇女であるより、名家の子女としての方が幾分か気楽であろうよ」


 再度扇子を広げ、嘘の様に笑みを笑みに戻すと一人の旧き吸血種は立ち上がった。


 「それくらいの時間があれば、満足するまで眺めて時が足りぬことはなかろ?」


 未だ長く生きた先達から受けた“毒”を分解しきっていない僧の後ろに回り、肩を捕まえ微笑みかける。


 「この百年は頑張った汝への婆からの贈り物といったところかの……さて、長く待たせては哀れゆえ、手早く覚えるが良い。なぁに劇作家である此方が練った設定である。五分ほどで考えたが、ボロはでまいよ」


 かくして彼女は一時、仮初めの身分を名乗ることとなった。気遣いからか、それとも別の思惑有ってか。


 彼女の名はツェツィーリア。ツェツィーリア・ベルンカステル…………。












【Tips】三重帝国において貴種が平民と番うことは蛇と小鳥が夫婦になるよりも難しい。 

熱に悶え、咳に頭痛を催し、残業に嘆いていたらこんなに間が開いてしまいました。

なのでこんな時間ですが更新です。


申し訳ない。クリーチャーをツモッ他と思ったら今度は感染で殴られてしまったようです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大叔母が皇帝紫のトーガを羽織る見ている時点で皇族の血縁である事はバレているのでは?
[気になる点] 家名持ちかぁ、やぱっぱりなぁ とありますが、 やぱっぱりとは、やっぱりなのかそれとも、方言か なにかですかね。
[気になる点] この女帝、女帝やりながら散文詩に手を出してたとかそういう [一言] フレーバーテキストの山で殴ろう
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