幼年期 十一歳の夏
何だコイツは。剣を合わせた男は震撼した。
剣戟を受け流されたとしたら不思議ではない。此方も小手調べの一撃、取りに行った訳でもなければ、ましてや全力でもない。
だが、結果として自分の硬く握っていた筈の剣が宙を舞っていた。片や敵手の剣は切っ先が自身の首筋に突きつけられている。
にもかかわらず、剣にも手にも、触れた感覚すらないのだ。
「如何か?」
「……もう一本」
戦場ならこれで“おしまい”だった。頸動脈を撫で切りにされ、噴水みたいに血を吹き出して溺れるように死ぬのだ。たとえ首鎧や帷子で守っていても、隙間に突き込んでどうにもできただろう。
しかし彼は納得がいかず、もう一本を望んだ。まるで淡雪の如く掌中から剣が抜け落ちるはずがあるまいと。
敵手は鷹揚に受け容れ、再び間合いをとって剣を構える。
男は取り落とした剣を拾い上げ、確かめるように柄を握った。まるで、さっき剣が掌中より消え失せたのは幻覚だったのでは、と訝るように。
しかして、刃引きされた訓練用の剣は厳然として手の中に存在しているのであった。
気合いを入れ直し、男は剣を構える。どちらも両手で剣をゆるりと握り、腹の前で相手に向ける特徴のない構え。彼等が習った戦場刀法の構えなき構えだ。
男からして、泰然として立つ敵手は隙だらけのように見えた。瞳はぼやっと焦点を結んでいるようには思えず、やや半身の身体は完全に脱力しているとしかとれない。
だのに違和感だけが強かった。見ているはずなのに見えない、どうにも意識に強く残らないような立ち姿に焦りだけが募る。
だから焦りを打ち消すように打ち込んだ。捻りがないが故、幾度となく練習し自信のある雷刀――上段から振り下ろす一撃――は、しかして相手の額に触れることはなかった。
どういうわけか、後から振り上げた筈の敵手の一撃が、これまた触れられたようでもない柔らかさで男から剣を奪い去っていたのだ。そして振り上げたついでとばかりに、紙一枚の正確さでぴたりと額の手前で剣先が止まっていた。
真剣であれば、頭が真っ二つに割れていただろう。一刀の鋭さを鑑みれば、仮に兜の守りがあっても、頭が無事であったか定かではない。昏倒してのんびり首を刈られる、あるいは額が割れて流れる血によって視界が潰れ同様に軽々と殺られる。
自分は今、確実に殺されていた。
ごくりと唾を飲み込み、男は負けを認めた。
しかし、何だコイツはと最初に抱いた感慨は強まるばかりだ。
別に彼は自分を最強だなどと驕ったことはない。剣の師であり上司たるランベルトに七年やって一度も勝てず、乱取り稽古の際に三人がかりでも駄目だった時に諦めは付いていた。戦士として、自警団員として、自分は精々並でしかないのだと。
だとしても異様だった。七年研鑽し、何度となく荘の脅威に立ちはだかって生き延び、二度は領主の呼びかけに答えて軍にも参集した自分が“たかが十一のガキ”相手に完敗するとは。
しかも、男の感性をしてこれは尋常なる立合ではなかった。あり得るのだろうか、一撃で相手の手指を痛めることなく武器を剥奪せしめるなど。
しかし、何度見ても敵手の剣は自分の顔面に突きつけられ、自身のそれは跳ね上げられて背後に転がっている。
「ま、参った」
奇妙な感覚と怖気に捕らわれながら、男は汗一つ掻かぬ細面の少年を見て冷や汗を掻いた。
ヨハネスの四子エーリヒ。なにくれとなく理由を付け、ランベルトだけが彼に稽古を付け、他に手合わせをゆるさない理由が分かる気がした。
ようは今まで気遣われていたのだ。七年という自警団員のプライドを。
「……怪物かよ」
しかし、いっちょ揉んでやるかと自主練習していた少年に絡んだのが運の尽きだった。彼は自分で自分の師からの気遣いを無駄にしたのだ。
もしもコレが剣だけの立合ではなく、盾を持ち、或いは互いに槍だったらどうだったかと思案を巡らせて見るものの、彼は想像の中でさえ一本が取れぬほどに心を打ちのめされてしまった。最早、新人を相手に指導しようなどという気は欠片も湧いてこない。
男は悔しさをもみ消すように悪態を口にし、空恐ろしい強さを誇る子供に背を向けた…………。
【Tips】戦場刀法。戦場で磨かれた流派に依らない闘争術であり、剣術をベースとしつつ戦場で運用されるあらゆる武器の運用を想定する。同時に組み討ち、投げ、投擲武器の使用なども念頭に置いた、正しく何でもありの剣術カテゴリスキル。剣以外にも多くの武器の仮使用適性を与える。
データマンチ最上の瞬間とは何か。
そりゃ鍛えたデータを叩き付け、相手の「何コイツ」という顔を見た時ですよ。
自警団の訓練に参加するようになって二年ほど。自警団員候補として家業の空いた時間でランベルト氏に相手をして貰っているが、これが中々驚くべきことに戦うという行為は凄まじい勢いで熟練度が溜まるものだった。
色々なリスクを呑み込み、複雑に考え自分の持てる全てを出し尽くすからだろうか。攻撃、回避、防御、ダメージを受けたら受け身やダメージコントロールで受け流す。一瞬の間に無数の判断と推察を繰り返し、その中から結果だけが抽出される命の時間が瞬きの時間に濃縮されてゆく。
今までと比べ物にならない速度で私の熟練度はストックされ、そして毎度の如く膨らんだ財布を見て私の悪い癖が顔を出してしまっていた。
未だ進路は決まっていないというのに、ここ二年で師から教わった<戦場刀法>は<円熟>にまで極まっていた。
うん、またなんだ、すまない自分。でも、こんなご時世に身を守る手段があって無駄にはならないから、かっこ震え声。
とまれ乱戦で振るわれる戦場の剣は粗雑ながら実直で扱いやすい。見栄え云々ではなく、如何にシンプルに敵を斬り殺して次に行くかがメインの術理なのだ。
何より集団戦、一対多や多対多も念頭に置いている所がありがたい。守るための戦いや、仲間と共に戦う位置取りなども含むので、実につぶしが利くのだ。
また、それに合わせて色々と特性やスキルも取得した。
これからがマンチの真骨頂、色々組み合わせることで悪さをするのが我らの領分である。それこそ文句はつまみ食いができるキマイラ的なシステムをマンチに与えた神に言えという話だ。
特に私が目を付け、これは絶対に悪さしかしないなと思ったのがこれだ。
<艶麗繊巧>優れた器用さを他の技術に流用する特性。<器用>ステータスを用いる判定に補正。また他のステータスを用いる判定を<器用>判定に変更可能。
色々なシステムにおいて一点秀でたステータスを別の判定に流用することはままあるが、これはちょっと趣が違った。というのも、剣術や武術においては他の特性やスキルを見たところ、<膂力>や<瞬発力>など幾つかのステータスを組み合わせた計算式が存在しているようだが、どうやら<艶麗繊巧>はそれを全て<器用>に変換できるらしい。
もし仮に上段からの一撃の命中計算式が<器用>と<瞬発力>を元に算出され、ダメージが<膂力>と<器用>によって導き出されるなら、その<瞬発力>と<膂力>が入る所を全部<器用>に入れ替える。
つまり“私の最強のステータス”の二乗にできるというクソ効率スキルだ。
理屈としては、磨き上げた技術さえあれば力も速度も最低限で十分とする、柔らの極意的な発想であろうか。とはいえ、流石にやり過ぎだとは思うが。
現状、私の<器用>値は内職で小銭を稼ぐために膨大な熟練度をブチ込んで<優等>にまで高めている。これより上が二つしかない高位の評価だが、これから上を狙うと現状ではソシャゲの周回も真っ青な熟練度を要求され、ここ数年分のストックが吹き飛ぶ計算なので育成は保留中である。
また、<艶麗繊巧>には、もう一つの壊れ要素が存在する。
他の元々<器用>判定を用いるスキルを一つ、他種カテゴリのスキルに組み合わせることができるのだ。
最初からコンボゲーの趣があったシステムだが、これで益々コンボが加速する。そして、コンボを重視するシステムで他のジョブやクラスのスキルをつまみ食いしてくるヤツは、どんなシステムでも悪さしかしないのはお約束。間違ってもキメラクラスをプレイアブルにするなと言われる理由は、正しく今の私が体現しているといえた。
私は本来体術カテゴリの格闘スキルに存在する<奪刀>を攻撃に絡めて使うことで、武器を奪い取って敵手を無力化するコンボを愛用している。
無手による基本的な護身系の術が並ぶツリー中、<奪刀>は基本カテゴリに属するお安い部類なので、下手なカウンターを取るよりリーズナブルに熟練度を上げられる上、本来難易度が高いそれを<艶麗繊巧>に絡めて無理矢理高い数値をはじき出した判定に放り込めるから成功率も高いとくればもうね。
何より戦場で武器を喪うというデバフはあまりに大きい。武器を絡めた武芸ばかり修めていたなら、後はなんとでも料理できる雑魚に成り果てるのだから。
将来的には他にもデバフを押しつけられるスキルを絡めて……。
などと考えていると、背後に気配を感じた。恐ろしく薄い気配は、風に乗って漂う微かな匂いがなければ完全に気付けなかっただろう。
私はそれを回避すべく半歩身体をずらそうと試み……背後の気配がフェイントをかけていたことに遅れて気付かされた。敢えて私に接近を気付かせ、回避行動を取らせることで行動の選択肢を狭めたのだ。
小さなフェイントの跳躍から本命の跳躍に移り、気配は私の首に手をかけた。そして、その手が首を握り……。
「ごきげんよう?」
そこを軸に小さな身体がくるんと身体の前に回り込んできた。痛みを感じないのは絶妙な握力コントロールのせいか、それとも彼女の身体捌きが上手いからか。二年経っても未だ愛らしさに陰りのないマルギットの目映い笑顔が、背後からスライドするように現れた。
「だから、普通に来てよ……」
「お約束ですもの。これで一三四勝一四〇敗ですから、少し黒星を返せましたわ」
首飾りのようにぶら下がるマルギットは、私の育ってきた胸板に猫のように頭を擦りつけながら笑った。
この関係は相も変わらずだった。幼なじみというのもあって、何処かで立ったらしいフラグは今尚健在だ。いやまぁ、荘全体が幼なじみだといえば幼なじみなのだが。
私だって前世からトータルで40年近く生きているのだ。男女づきあいだってしたこともあるし、機微も多少は分かるので、彼女が自分をどう見ているか推察することくらいはできる。
好かれていることに違いはなかろう。リュックサックのごとく背中に張り付いて移動したり、こんなバックアタックをしかけたりするのは私だけなのだから。
ただ、見た目が幼いこと、それに反した謎の妖艶さがあるせいで感情のベクトルが制御し辛いのだ。私が彼女をどう見るのが正解なのか、答えを出せないでいる。
未だ彼女を図りかねている私を置き去りに、マルギットは楽しそうに笑いながら口を開いた。流暢な宮廷語は、既に彼女の口にすっかりと馴染んでいる。
「ねぇねぇ、ご存じ?」
「何を?」
具体的な中身のない問い掛けに乗ってみれば……。
「貴方の兄君、ご婚約なさったそうよ?」
思わずむせて吹き出すという回答をするはめになった。
「ちょっ、きったなぁい!?」
思わず普通の帝国語に戻るマルギット。位置的に私の噴出を顔面で受けるしかない位置で、両手を首に回していたせいで直撃させてしまった。そのまま胸に顔を埋めて拭かれたとして、文句は何も言えまい。
「ご、ごめっ……でもハインツ兄さんが婚約!?」
初耳にも程がある。いや、狭い荘の中で家を繋げるため、成人が近くなったら親同士が云々決めるのは良くある話だ。私が十一なので兄のハインツは十四歳。来年には成人を迎え、正式に結婚が許される歳だから、そんな話が出て来ても不思議ではあるまい。
だが、なんで家のことを当事者である私じゃなくて彼女が先に知っているのか。
「そーよぉ。ミナと婚約するんですって」
ミナは数年前まで一緒に遊んでいた面子の一人だ。流石に花嫁としての修行だとか、家の用事を更に手伝うようになって去年から遊びには来ていなかったが、兄とそんな気配はなかったはずである。
つまりは家同士で決めたってアレか……。
「やっぱり、こういうのって女の子の方が耳が早いんだね」
「まぁね。それもあるけど、ハインツって結構人気だったから」
ほう? 家の兄が人気があったとは初耳である。とはいえ言われてみれば、弟としての贔屓目もあるが兄は父に似て結構精悍な顔つきだ。成長期を迎えてガタイもガッシリしてきて、かなり頼りがいがある雰囲気になりつつある。知らない内に男女の付き合いで話題があがったとしても……。
「結構しっかりしたお家の長男だし、お金もある方だからね」
そっちかい。
思わず首に彼女をぶら下げたまま転けそうになった。世の侘しさに膝から力が抜ける思いである。
確かに家は自作農家として小規模だが豊かな方だ。少し遅れて次兄のミハイルも私塾に通わせられた程度には稼ぎがあるのだから。またも私はマルギットからもう習ったことを口実に譲ったが、多少無理をすればお前も一緒に行かせてやれるのだと父から迫られた辺り、かなり裕福と言って良い方なのだと思う。
六年前から広げ始めた畑は豊かで実りも安定し、輓馬も立派なのが一頭いれば、オリーブ畑も順調に収穫可能本数を伸ばしている。
そういえば、熟練度稼ぎの内職で量産した盤上遊戯の駒だとか、勝手なイメージで彫った神像シリーズが結構良い値で捌けているとも父は言っていたな。その還元も含めて提案してくれたのだろうか。
しかし、婚約、婚約かぁ……。
「どうかしたのかしら?」
思わず項垂れてしまう私と、その顔を覗き込みながら問うてくるマルギット。何と答えたものか悩ましいが、黙っていても仕方がないので内心をそのまま吐き出した。
「身の振りを考えないといけないなぁと……」
実に重い課題が目の前にぶら下がっているのだった…………。
【Tips】ライン三重帝国において家の継承、公職への就任、正式な就労は十五歳の成人を迎えてから行える。ただし就労においては丁稚奉公や助手という抜け道が存在する。
誤字報告ありがとうございます。やはり、何度見直しても一人ではなくせないものですね。感想と一緒に大変励みになっております。
今のところは成長の余地を残したカウンター盾技量剣士といった所でしょうか。GMとしては運が良いPLにビルドされると渋い顔をせざるを得ないアレです。
某R-15版けだものふれんずなら、パリィしながら手を入れる専門家に伸ばしていきたいところ。