少年期 一三才の晩春 十四
人は獣より強いのかというと、色々な論があるとは思う。
ただ確実なのは同じ土俵でヒト種が勝てる相手は、あんまりいないということ。
「こわっ!?」
がちんと鋭い牙が噛み合わさり、私の足の代わりに虚空を砕いた。この速度と歯の鋭さ、そして頭部の大きさに見合った咬合力の前では、ヒト種の足なんてプレッツェルみたいな気軽さで囓られてしまう。
低い体勢から這うように飛びかかってきた三頭猟犬――便宜的に以後Aとする――の中央の頭が足を狙い、時間差で左の頭が胴に噛み付こうとしてくるので鼻面を蹴り飛ばす序でに飛び上がって離脱。
こんなおっかない見た目なのに、鼻面を蹴られた時の悲鳴が子犬っぽいのは何だ、敵の罪悪感を煽るための罠か? だが、二体目――こちらは以後Bとする――が計算高く飛び出してきてたら意味が無いぞ。
飛び上がった体勢で<見えざる手>の足場を作ってBに斬撃を見舞おうとタメを作るが……。
「うおあっ!?」
作ったはずの手が霧散し、足が虚空を踏みしめて体勢が崩れる。転倒の最中で流れる視界、その隅で仮面の貴人が杖を振りながら何事か呟いている様が……野郎、妨害式を噛ませてきた!?
「って、あぶねぇ!?」
ここぞとばかりに食いかかってくるBの左頭部の顎を蹴り上げて無理くり黙らせ、追撃せんと起き上がるAの体に手を突いて体を跳ね飛ばし再度の跳躍。空中で体を丸めてついでの如く斬撃を放ってみるものの……浅い。
渇望の剣が持つ尋常ならざる切れ味のおかげで、しなやかにして強靱な毛皮を裂くことができた。普通の剣であれば毛先を数本飛ばすのが関の山というところだろう。
だが、残念ながら踏ん張る所のない空中で放った斬撃は、漫画と違って空中に威力の多くを逃がしてしまって深傷には至らない。肉を深く裂いてはいるが、内臓には掠りもしないしょんぼりダメージ。
うん、挙動としてはリアクションのついでに斬り掛かり、軽くともダメージを与えたと見れば滅茶苦茶お得なんだろうけどね。
着地し間合いをとって仕切り直し、とのんびりさせてくれるほど敵はお優しくなかった。A・B共に巨体が嘘の様な小回りで転回すると、人では到底発揮できない瞬発力で飛びかかってくる。私がリアクションで攻撃しているとすれば、連中はセットアップで殴りかかって来るビルドか。
悪辣さで言えばどっこいどっこいだな!!
Aが真っ正面から小細工することなく押し寄せ、後背についたBが飛び上がり高度差を付けて襲いかかる。本当に獣かこいつら! 下手な冒険者パーティーが裸足で逃げ出すコンビネーションを呼吸するくらいの当然さでぶつけて来やがる。
左右の頭のせいで怖ろしく広い攻撃範囲、素早く前進し続けられる四つ足の特性から右にも左にも牙が届き、後方に引いても歩幅の差で一歩踏み込まれれば口の中。そして上は飛び上がった巨躯で蓋をされ、最早逃げ場が殆ど無い。
なので半べそで唯一残った逃げ場である、巨体故に広く空いた胴体の下へと滑り込んだ。微かに水を湛えた地面に飛沫を上げながら飛び込み、“手”で体を押し込むことで加速を得て長い胴体の下を潜りきる速度を得る。
妨害式を叩き込まれて“手”が次々霧散していくが、一度産んだ運動エネルギーまで消える訳ではない。<見えざる手>そのものは魔法だが、動作に基づく運動エネルギーそのものは魔法ではないのだから。
震えるほど巨大な後足の間を抜け、使役者である仮面の貴人へと突き進む。素早く立ち上がるために練った“手”も瞬きの間に霧散させられてしまうが、ローコストの魔法だけあって再展開も多重展開も容易いので、椀子そばの如くお代わりして無理矢理に立ち上がった。
むしろ嫌がらせみたいにパーミッションを連打してくれている方が有り難い。こちとら脆い脆いヒト種様で、既に手負いなのだから私レベルで使える防御障壁をぶち抜ける魔法を乱打される方が拙いのだ。
何より三頭猟犬二頭で十分持て余してるんだから、後衛の攻撃まで飛んできて堪るか! 言っちゃなんだが、私は単ボスできるくらい強い訳じゃねぇんだからな!?
気合いと共に吐き出した声は自分をしても筆舌し難く、疾駆の勢いを完全に乗せた横凪ぎの一撃に負けぬ気迫を出せていたと思う。そして、剣先に無数の薄くも硬い物を貫いていく衝撃が伝わり……今度は首に刃をかけることができた。
妨害式を練っていたからか、それとも三頭猟犬の使役にキャパを割いていたからか、障壁は最初の七層から比べて五層に減っていた。一撃だけなら五層で防げると思っていたのかもしれないが、普通に踏ん張った方が“斬る”という一点においては高威力なんだよ!
吹っ飛んでいく首を見送らずに残った体にもう一撃くれてやりたかったが、凄まじい速度で駆け戻ってきた犬共のせいで叶わない。振りかぶられる前足の一撃を渇望の剣で防ぎ、自分から跳び退ることで衝撃を移動力に変換して間合いを空ける。
今度はA・Bともに追撃してくることなく、庇うように貴人の前に立ちはだかってうなり声を上げ始めた。いや、首を跳ばされて尚も立ったままの体を心配する必要はないと思うんだけど。
ほら、案の定。
つかつかと貴人の体は首が跳んでいった方へと向かい、杖で転がった頭を跳ね上げると器用に左手で捕まえた。そして杖で<清払>の魔法をかけて泥水を払ってみせ、余裕の表明か傾いた仮面まで正しく直して首に据える。
ああ、正しく普通に殺しても死なない系の不死者だ。あの肉体ダメージを殆ど気にしていないような挙動、優れた魔法の才、決して低くない運動能力からして吸血種あたりだろうか?
となると実に厄介だな。都合良く生理的なアレルギーを引き起こす銀でできた武器の持ち合わせなどなく、神官もいないので不死者を滅す加護もないと来た。
そりゃあ語るべくもなく不死者の回復リソースとて無限ではない。斬首レベルの損傷を回復するのには非常に手間がかかるだろうし、何度も続ければその内ダウンして回復を待つだけとなるが……さて、一体それまで何度殺せば良いのやら。
かといって慌ててスキルを取るだけの余裕なんて一秒も無く、というかこういった場当たり的な理由で信仰される神の気持ちを考えると忍びないのでなんだかな。パワハラ+適当な理由で信仰されるとか、気分としては相当キツそうだ。
「いやいや驚いた。胴体を両断されたのは四半世紀ぶりであったが、首まで跳ぶのは一世紀以上は体験していなかった。中々に新鮮な気分だよ少年」
楽しそうにステッキをくるくる回している姿は余裕さを示していると言うより、“一度首が落ちたごとき”でお終いの我々を煽っているようにさえ思える。
周囲に煽りガチ勢ばかりが分布していて耐性が身についてなければ「野郎ぶっ殺してやらぁ!!」と正気でいられないレベルの煽りレベルを感じる。
「剣術は全くの門外漢であるが実に素晴らしいことは分かる。魔法との組み合わせも上々。術式構築に合わせて運用理論でもAをあげよう。ただ、打ち消されたら打ち消された分だけ突っ込み続けるのは解法として認めなくもないが、やはり美しさに欠けるな。そこは即興で式を練り直し、対策するだけの発想力が欲しかった」
凄く早口での講評ありがとうございます。犬二頭も嗾けられてなかったらできたかもね!!
あ、いや、こうやって余裕ぶっこいてる瞬間に弄れば良いのか。折角の並列化できる思考があるのだから、ちょちょっと触っておこう。数パターン弄ってランダムに使うだけで、多少なりとも妨害し辛くなってくれる……はず。だったらいいな。祈っておこう。
「では第二講だ」
再びステッキが打ち鳴らされたかと思えば、鼓膜を微かな空気の振動が擽った。
最初は微かだったそれが大きくなるにつれ、皮膚が粟立つような怖気が奔る。
微かな擽りはやがて爪を立てるような不快さに姿を変え、鼓膜がこれは嫌な音だと身震いして脳髄を掻き立てる。
これは羽音だ。それも鳥が発するのではなく、虫が飛行する時のそれ。
不快な羽音の多重奏が玄室の奥より飛来する。一塊となった虫の大群、奇妙な統率感により一体の生き物が如く蠢く姿は、人間の生理的嫌悪感をこれでもかと言わんばかりに励起する。
白い塊、面で押し寄せる蟲の群れに私は反射的に貴重なカードを切っていた。
瞬間的に激烈な発光。ドロマイト鉱石粉末を触媒とした閃光と轟音の術式。七五〇〇〇カンデラの圧倒的な光と一五〇デシベルの轟音が虫の感覚器を焼いて気絶させ、面で襲いかかる塊が波濤となって床にばらまかれる。
漸う見れば、それは白い蛾であった。
「ぐっ……」
地面に散らばり折り重なる同胞の重みで潰れた蛾からは、鼻腔を酷く痛めつける刺激臭が立ち上る。明らかにまともな体液をしていない。自爆特攻前提の改造が施された“使い魔”であろうか。
一時、その言葉の響きに惹かれて私も使い魔関連の書籍を漁った事がある。だが、その面倒くささと融通の利かなさ。なにより金銭的、時間的なコストが莫大過ぎて諦めたのを覚えている。
だって、やってられんだろう。術式に数世代慣らして漸う下地として出来上がり、そこからようやっと改造に移れるとか。
シンプルに金持ちの道楽、と近現代の魔導師が切って捨てたのも分かる技術だ。
一呼吸で鼻粘膜に痛みを覚える呼吸から逃げ、冬の日に防寒用に作り出した<隔離障壁>に<選別除外>のアドオンを噛ませて術式を展開する。冷えた大気や水の浸透を阻む術式は、即興で有害な気体の侵入を阻む壁に組み替えることもできるのだ。
「ほぉ、これは器用だな少年。うむ、再評価し術理機構もB評価に改めようではないか。多様性のある中々に美しい式を書く」
その安くない熟練度使って取得した術式を一目で看破しないでもらえませんかね!?
一部が気絶しても元の数を生かして突っ込んでくる使い魔の群から逃れつつ、ちょっと本気でむかっ腹が立ってきた。向こうの方が格上というのは何から何まで嫌と言うほど分かるが……そこまで舐めプをカマしてくれて余裕だと思われるのも癪だ。
どうせ退路はないのなら、本気で巨人殺しを狙うしかない。
とくれば、ぶっつけ本番の切り札を一つ切るか。不死者相手に痛い目を見せられた私が、何も札を用意していない訳がなかろうて。
さて、あの日、私がさんざっぱらアグリッピナ氏から煽り倒されて小さくなった、実験ブースを台無しにしてしまった日。
実は試そうとしていた術式は一つだけではなかったのだ。
追い縋る蛾の群からバックステップで逃げながら、<見えざる手>を用いてポーチから奥の手を取り出す。いや、封印を破ると言おうか。満を持して出したのもあるが、私がコイツを試さなかったのは焼夷テルミットで駄目になる実験ブースなら“確実に大惨事になる”と分かっていたからだ。
たった一つだけを使う機会もあるまいが。というかコレ使う事態になったら流石に笑うなぁ、と頭の悪い発想をしながら持ちだしてきた切り札を投擲する。見た目は布に幾重にも覆われたガラクタにしか見えないだろうが、私が“雑魚散らし”として頭を捻った最悪に悪辣な品が内側に納められている。
蛾の群れの中に放り込まれた切り札は、触覚を持つ<見えざる手>の中で蟲の濁流に呑まれて粉々に圧壊してくのが分かる。ああ、此奴ら単なる自爆特攻要員じゃないのね……。
ただ、それは元々組み込まれていたプロセスの一つを彼等が肩代わりしてくれたに過ぎないので問題ない。むしろ予定調和、最初から“手”で外殻を砕くことで第一セーフティーが解除される仕組みなのだ。
信管代わり兼安全装置の外殻が破れ、内側に封入されていた触媒に術式が誘発し半自動的に魔術が練られていく。簡単な<遷移>と<転変>の魔術によって内容物が変化し、同時に今まで身を守っていた物と同じ<隔離障壁>が起動し、術式の効果範囲を限定すべく世界の方式を歪めて行く。
そして、最後の後押しをするのが私だ。
反応を終えた触媒を蓄える最終外殻を開放、気化した触媒が限定空間内へ圧倒的速度で漏れ出し、同時に閉じ込められてゆき……。
「散れ、雛菊の花!!」
“大仰だ”として三重帝国の魔導師界隈では好かれない――私もちょっと恥ずかしい――術式補助の起動ワードと共に正しい力を発揮する。
刹那、世界が爆ぜた。
<隔離障壁>によって限定空間内に閉じ込められて尚、威力を殺しきれず漏れ出した爆風に吹き飛ばされた。これが発生から消滅まできちんと制御された魔法であれば斯様な無様を晒さずに済んだが、殆どを低燃費で済む魔術で行ったせいでこの様だ。
焼けるような熱波が障壁内を吹き荒れ、爆燃によって伝播する強烈な衝撃が形無き鉄槌と化して暴れ回る。まき散らされた“液化酸素”が瞬間的に膨張、炸裂することで発生する爆裂は正しく空間そのものが爆ぜ散るが如し。
たった一つのちっぽけな火花。細やかなる起爆点を軸として、噴霧された液化酸素が連鎖的に燃え上がり、瞬間的に二千度近い熱を巻き上げながら空間そのものを爆砕、連続して打擲する。
爆発という現象がもたらす危害半径は、見た目よりずっと狭いらしい。それこそ派手な爆炎に巻かれても爆心地間際でなければ――無論重傷は負うが――死なないほど衝撃波による殺傷範囲は狭い。なればこそ、手榴弾だのフレシェット弾だの、鉄片を効率よく撒いて危害半径を増やす工夫が凝らされる。
これは、衝撃波が伝播する距離が伸びることで威力を減衰させてしまうのであれば、散布した可燃物を一纏めに爆発させれば吹っ飛ばしたい所まるごと威力が減衰しない衝撃波で掃除できるんじゃね!? という賢いんだか蛮族なんだか良く分からん発想をした兵器の借用だ。
名を燃料気化爆弾という。
複雑な燃料の合成は私にできなかった。頭を捻り、錬金術具をこねくり回し、時にアグリッピナ氏からのアドバイスを受けてやっとこ用意できたのが初期の気化爆弾に使われていたという液体酸素。これでも酸素の沸点を下回らせるのには相当苦労したし、失敗で何度か器具を壊しもした。
半笑いで手助けしてくれたアグリッピナ氏の助けがなければ、完成にこぎ着けるのに相当の熟練度を追加する必要があったであろう切り札。
それがまぁ、本来であれば見なくていい日の目を見てしまったのは喜ぶべきか、悲しむべきか。
ともあれ、威力は十分。障壁によって隔離された一〇m半径が爆心地と化し、通常であれば一瞬で過ぎ去る爆風が数秒間にわたって発生し続ける威力は絶大だ。同時に訪れる減圧による内臓へのダメージ、衝撃による無気肺、副産物として大量に発生する一酸化炭素が同時に訪れるのだから“呼吸している全ての生物”にとっては悪夢のような攻撃だろう。
そう、地球基準の生物共であれば…………。
【Tips】術式阻害。相手の術式に干渉し、式を霧散、あるいは狂わせる高度な魔導技術。即ち思念に割り込んで術式を書き換えることであり、魔導妨害における極点の一つ。
イメージとしては算数の数式に勝手な記号や数字を書き加えることに近い。かけ算をして金額を算出したいのに、勝手に品物の値段や倍数、果てはかけ算という前提を割り算にひっくり返されれば計算の意味は霧散し、時には損害すら引き起こす。
予約投稿で編集前のデータをブチ込んでおりました。誠に申し訳御座いません。
疲れた頭で偏執するものではないですね。
尚、起爆コードの雛菊の花は「燃料気化爆弾って確かデイジーなんちゃら……?」というエーリヒの知識のフワッとした部分によって導き出された物で、デイジーカッターは燃料気化爆弾ではありません。
またより厳密に言うなら「この理屈でこうしたらこうなる」という一種の思い込みも魔法には大事なので、フワッとした知識でも熱意で色々形になったという所でしょうか。とはいえ、実際に使われているものよりは大分威力は落ちますが。




