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少年期 十三歳の晩春 十三

 これくらいかすり傷だ、とニヒルな笑みと共に傷を誇る演出は不朽の格好良さがあると思う。


 ただ、同じ事をやれと言われたら流石にしんどいけど。何より一人だし。


 一歩毎にしくしく痛む傷を抱えつつ、私は脱出のため水路を行く。控えめな魔法の光源で足下を照らし――単に魔力を燃料に光っているだけのシンプルな術式――比較的汚れが目立つ道を選んで歩いた。


 少しでも追っ手に痕跡を残さないためだ。汚れが激しいところなら、朝も夜もなく働き続ける勤勉な粘液体が近々掃除してくれるだろうし、彼等が仕事をしている道であればさしもの猟兵とて通れまい。


 とはいえ、うん、猟兵だからなぁ……あの距離で殺気も薄く、確実な一撃をぶち当ててくるぶっ壊れ共だからなぁ……普通に壁だの天井だの這って追跡してきそうだから、余裕ぶっこいてはいられないけど。


 「っと……またか」


 小路を曲がろうとすると、ぐにぐに不気味に蠢く粘液体が勤労奉仕中であった。分裂した個体の一つが水路の一画を埋め尽くしながら、壁に張り付いた汚れや水路に堆積した泥、ゴミ、害獣なんぞの処理をしている。


 半透明の体の中で鼠が藻掻いているのが見えて、胃がきゅっと絞まった。じわじわと強アルカリ性の体に溶かされていく様は、下手を踏んだ自分の未来だと暗示しているようで心臓に大変よろしくない。


 気を付ければ何てことはなくとも、下手すれば死ぬってのは公共インフラとしてどうなのだろう。なんにせよ、こんなとこさっさとおさらばするに限るな。


 「あ、でも参ったな……」


 この道が通れないと引き返すか、更に下に行く道しかない。近道できるからとこっちの道を選んだのだが、運が悪かったな。先週あたり餌を撒きに来た時、このルートは掃除し終わっていたから安心だと思っていたのだが。


 ぽりぽりと頭を数度掻いて苛立ちを誤魔化し、遠回りになるがやむないかと深層へ降りる道に入った。“手”を多重展開して足場を作って粘液体の上を渡ってもいいっちゃいいけど、万が一しくじった時のリスクがおっかないからな。ピエロみたいな面でコスプレした金持ちと喧嘩するのは趣味じゃない。


 「む……」


 道を曲がること数度、違和感を覚える。どうにも通りたい道通りたい道全部が都合悪く堰き止められているような気がしてならない。


 誰かに誘導されている? 誰が? いや、そも何故?


 捕らえようとしているのであれば、こんな面倒は必要なかろう。場所を掴んでいるなら近衛猟兵を嗾ければいいのだから。


 引き返そうと思って振り向けば、神経を不快に揺らす水音が反響する。ああ、この音は駄目だ。粘質な液体が流れるのではなくのたうつ音。


 かなり巨大な粘液体が水路の表面を“刮ぎ落とし”ながら這い回る音。


 うん、これは駄目なヤツ。


 絶望的なエネミーの描写を何度も聞いてきたが、この音はかなり気合い入ったGMの語りよりヤバイ。聞くだけで巨大な質量が脳裏に浮かび、絶望という文字が意味と形を変えて明滅する。


 いいか絶対喧嘩売るなよ、分かってんな? 絶対だぞ? そんな念を押す声が聞こえた気がした。


 ええ、嬉々としてそんなのに喧嘩売ったことはあるけどね。なんども。きっとその方が面白い、という悪ふざけ大好きなPL精神で。


 でもこれは無理だ。絶対に駄目だ。思考を介することなく私の足は動き、罠ではないかと疑い始めた道を進んでいた。 


 飛び込んだ先は広い玄室であった。何の用途で作られたかは知らないが――後で洪水クラスの大雨の水を受け止めるための場所だと知った――無数の柱が林立する広大な地下空間は、何の必要があってか等間隔に灯された魔法の明かりで不気味に照らし出されている。


 限りなく薄くした足音が伽藍に反響し共鳴する空間は、どういった意図か不明であるが不穏な紫紺の光のせいで怖ろしく胡乱な色に満ちていた。あまりの不気味さに一歩も先に進みたくなくなるが、最早退路はないので仕方がない。


 距離感を無くさぬように林の如く立ち並ぶ柱、そのすれ違った数を数えること三〇。柱と柱の間隔が五m近い事からして相当の距離を進んだ頃、柱の陰から一つの影が現れた。


 唐突に、しかしあくまで優美に。かつんと上質な仕立ての長靴が床を打ち、朗々と響き渡る詩歌の如く空間に染み渡る。


 不穏な紫紺の光も優美な空気の演出に変えるほどしなやかな立ち姿。黒絹の夜会服に身を包み、完璧な仕立ての服に欠片も劣らぬ、いや、これほどまでに似合うという表現が見合った者はそういないと実感させる風情の貴人がそこにいた。


 ただ、細く上品な顔立ちを豪奢な仮面で覆った姿は紛うこと無き変態。何か見たことあるぞ、朝の再放送アニメで。


 変態貴族、と呼びたくなる奇人もとい貴人は、仮面さえなければ実に絵になる流麗な所作で腰を折った。見事な貴族の一礼を見せ付けた後、指が一つ打ち鳴らされる。


 するとどうだ、先ほどまで無手であった絹の手袋が覆う手に、一本の長杖が握られているではないか。


 貴種が文化的に持つ杖ではない。先端に禍々しいまでに赤い宝珠を戴いた杖を一体どうして見紛うことがあろうか。


 あれは確実に魔法の焦点具。それも、教授クラスの金と権力どっちも持った変態が使う、強大な魔法の行使を助けるような品だった。


 本能と経験が即座に沸騰し、最大レベルでの警鐘を打ち鳴らす。私は練った所で空回りするしかない思考を即座に投げ捨て、柱の陰に飛び込んだ。


 同時、あるいは微かに遅れて私が立っていた空間が爆ぜる。爆発的に揺れた大気が虚空の我が身を弾き飛ばし、着地点を見誤って激しく吹き飛ばされた。


 何だ今の!? 炎熱系の術式ではないし、爆発でもないぞ!? 感覚的には“空間そのものが圧壊した”みたいな印象を受けたが何事ぞ!?


 手前の頭では何が起こったかも判明できない攻撃に一瞬混乱しかけたが、単純に魔法知識が足りなくて判別判定にミスっただけだと開き直って思考を再整理。受け身を取りながら転がって衝撃を殺し、一度大きく跳ね上がった所で<見えざる手>を多重展開する。


 まず複数の手で自分の体をお手玉にするイメージで体を弾き、柱にぶつかるのを防ぎながら少しずつ減速させる。一気にやると目を回すし、反動で内臓がエグいことになるので手抜きはできない。


 十分に減速した後に<巨人の掌>で拡大した“手”で体をふわりと受け止めさせ、次いで間髪入れず虚空に足場となる“手”を連続展開。手を踏み砕く勢いで跳躍し、柱五本を挟んだ距離を一呼吸の合間に踏破する。


 「ほぉ」


 感嘆の声を無視し、私は空の両手を振り上げた。ナイフが届く間合いではなく、間違いなく雑に振る舞っていても何らかの恒常防御障壁が張り巡らされているに違いない。


 故に私は喚んだ。あの忌々しき剣の名を。


 「~~~~~~~~~~!!!!」


 空間が軋むような悲鳴は歓喜の絶叫。金属同士が砕け散りながら擦れあうような歔欷の歌声を轟かせ、手の中に確かな感触が産まれる。


 毎夜毎夜寝床で騒がしく、ことある毎に愛を詠う名状しがたき邪剣。渇望の剣が私の呼び声に空間を飛び越えて顕現した。


 剣は空を切る音を狂喜の歌声に変えて奔る。跳躍より繋げて大上段から振り下ろす渾身の唐竹割りは、ともすれば無闇に力を込めて振り下ろしているように見えるかもしれない。しかし、全身の動きを連動させた肉が産む衝撃は剣先まで遺漏無く伝わり、頂点よりの落下と合わされば凄まじい剣戟を産む。


 普通に当たれば存外に硬く、同時に柔らかいため断ちづらい人の肉体であろうと心中線から真っ二つにできる会心の手応え。中々にない快い一撃は、しかして虚空で火花を散らした。


 「っ!?」


 酷く硬い物を断ち切る感覚が一つ、二つ、三つ、四つと続き、五つ目の途中で剣と私は虚空に縫い止められる。


 「ふむ、七重の物理障壁の過半を抜くか」


 今すぐにでも歌劇場でやっていけそうな美声がなんか信じられない数字を上げたが、深く考えている暇はない。一秒でも止まったら反撃を喰らう。


 故に私は再び術式を練った。シンプルで使い慣れた<見えざる手>は、なにも移動や防御だけにしか応用できない訳ではない。


 「おおっ!?」


 最大に展開した六本の手は、拳を形作って渾身の一撃を連続で叩き込む。


 障壁に食い込み、止まってしまった渇望の剣へと。


 やっていることは単純だ。カボチャに食い込んだ出刃の背に体重をかけて割っていることと同じ。それを気合いを入れれば人を殴り倒せる拳と、長大な魔剣でやっているだけの話である。


 慌てて避けようとするがもう遅い。脳天から入る刃が首筋から入る程度の違いだ。


 そして、悪いが“どうあろうと死ぬ”レベルの攻撃を出会い頭に叩き込んでくる変態に遠慮してやるほど私は人間ができていないんだ!


 ここでファーストブラッド(人殺し)の実績を取得することになっても構わない。割と人生かかった状態でちょっかいかけてくる変態が一番悪いし、なにより魔法使いってのは「首だけになっても安心するな」と詠われるような存在。親指飛ばせば無力化できる、私みたいな剣士と同じ土台で語っちゃいかん。


 肉を掻き分け骨の間を刃が泳ぐ怖気を感じるような手応えと共に、仮面の貴人の肩から入り込んだ渇望の剣は股下へと何の抵抗もなく抜けた。


 会心の一撃、間違いなくサイコロを余分に二回くらい振った心地の一撃を床にぶち当てないよう止めるのには中々難儀する。


 攻撃後の隙を潰すために背後に飛べば、下から掬い上げるように杖の石突きが襲いかかってきた。鼻頭に熱を残し、数本前髪を引きちぎっていく杖の威力は一瞬股間が縮み上がるほど。貰っていたら暫くは麦粥を啜る生活を強いられていたに違いない。


 「ふむふむ……中々どうして」


 しかして、仮面の貴人は何事もなかったかのように片足で立っていた。断たれた左半身、支えがなく崩れ落ちた肉体など何事もなかったかのように。


 「期待していた形とは大いに違うが、存外悪くない。術式構築の手順は実に素晴らしい。評価Aをあげよう。ただ、式が些か実直に過ぎるな。効率の為というのは分かるのだが、どうにも遊びがなさ過ぎて美しさに欠ける。これでは簡単に妨害式を挟まれてしまうぞ少年。こちらに関しては残念ながら私の授業だとCプラス止まりだ」


 何か教師みたいなことを宣いながら淡々と評価してくる変態……。


 ちくしょう、やっぱり私がエンカウントする連中はこんなばっかか。変態とぶっ壊れのハイブリッドはもう間に合ってるんだよ。頼むから増殖してくれるな。


 断たれた半身が片足片腕で器用に立ち上がり、断面が触れあったかと思えば至極当然の権利であると言わんばかりにくっついたから嫌んなる。


 まーた不死者ですか、そうですか。


 ついでの如く夜会服まできれいに修繕されて理不尽さがいや増してくるな。こっちは無茶する度に繕ったりたたき直したりしてるってのに。


 「では講義をつづけよう」


 がつんと杖の石突きが地面を叩いたかと思えば、貴人の両脇の柱より二つの影が這いだしてくる。


 魔法の光を反射して濡れたような艶を帯びた体毛。その下で解放の瞬間を待って躍動する肉はヒトでは到底出せない瞬発力を秘めて隆起し、猛々しくもしなやかなフォルムを形作る。


 そして、怖ろしく整った体から伸びる“三つの獣頭”は、餓えた獣ではなく紛れもなく調教を受けた知性あるそれ。


 何度も市街で見かけた三頭猟犬。その中でも一際立派な体躯の二頭は、通常であれば大型犬サイズであるところを大きく上回り獅子の如き巨体を誇る。


 尋常ならざる怪物を従え、紳士は再び慇懃に腰を折った。


 「これは私の自慢の子達でね。どうだい、良い毛艶だろう? 愛嬌もたっぷりだとご近所でも評判だ」


 一呑みにされる、とまではいかないが四肢程度であれば一口でぱくりといけそうな巨犬を、可愛いワンコみたいに紹介されても……なんだ、その、困る。一体どんな胆力のご近所さんと暮らしていやがる。


 というか何なんだアンタは本当に。何がしたくて出てきたのか分からなすぎて頭が変になりそうだ。捕縛しに来た感じは薄いし、普通に殺しにかかってくるし、妙に演出過多だしで謎すぎる。指針が行方不明過ぎる様は、如何に面白いかにだけ要点をおく厄介な同胞のようではないか。


 「では気を張りたまえよ少年」


 ああ、もう! 勝手に演出だけして納得してるんじゃねぇ! 吟遊が過ぎるGMに延々付き合わされる気分になってきた!!


 私は無理に剣を振ったせいで痛み始めた傷を庇いながら、飛びかかってくる三頭猟犬共を躱すため<多重併存思考>を全力で回し始めた…………。












【Tips】三頭猟犬。三重帝国が誇る主力軍用獣の一画である魔導生命体。極めて知性が高く、きちんと調教された個体は喋れこそしないが人語を解し命令をよく守る。警邏や警備を初めとして市街で広く運用される他、斥候の補助兵装として調教されることもある。


 純然たる魔法によって人為的に生産された生命体であるため、雌雄の別があっても魔導師の手を介さずして増えることができない彼等は、言わば使い魔の末裔ともいえる。

台風が大したことなくて一安心した私ですが、以前タップ強制は続く模様。

おかしい、アンタップ・フェイスは1ターンに一回来るはず。

もしかして仕事がエターナルブルーだった……?

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