少年期 十三歳の晩春 十二
水没オチは生存フラグ。実際、これを上手く演出に盛り込んだシステムがあるんだから間違いない。ロールを頑張ったらポイントをくれる気前のいいシステムは、データの雑さに目を瞑れるくらいに楽しかったのをよく覚えている。
「ごぇっ、ぶはっ、ごっへ!!」
まぁ、クソ汚い咳をしながら、這々の体で下水道に這い上がっている様からして結果論に過ぎないが。
仕方ないだろ、人間は鎧着たまま泳げるようにできてないんだよ。しかも、左腕に矢が突き刺さったままで。
「さ、さくせんどおり……」
誰が見ているわけでもないが、飲んでしまった水に混ぜて負け惜しみを呟いた。
水を吸って重くなった体を<見えざる手>で引っ張り上げて壁際にもたれ掛かる。“手”で強引に自分を引っ張れなきゃ、今頃鎧の重みと失血で川床の石と仲良くする寸前だったのは想定外だった。被弾箇所があとちょっと拙ければ、魚や虫相手に滋養分を大盤振る舞いするとこだった。
「くそ、もうちょいで撃墜数三桁が見えてたのになぁ」
悪態を零し、傷を観察する。左腕の二の腕付近に突き立つ矢は上等な造りをしており、肉の中でじくじく痛みを伝えてくる鏃と共に嫌なクオリティを見せ付けてくれていた。
何度目かになる包囲に捕まっての乱戦、その最中に飛び込んできた致命の一矢。射手の姿は見えず、殺気は鈍くて薄かった。戦って限界まで研ぎ澄ましていた神経に着弾の寸前まで引っかからないほど。一応狙撃に気を遣った位置取りをしていたというのにこの為体……下手人は最初に避けた狙撃手かな。
なんとなく、そんな気がする。下手に避けたせいで本気にさせてしまったらしい。反応がほんの数瞬遅れていたら、二の腕ではなく肩口にブッ刺さって行動不能に陥っていた。
いやはや、それにしても層がぶ厚過ぎて恐すぎるぞ。どんな人材を抱えまくっているのだ三重帝国。節操なしに色々な人種を受け容れているのは嫌と言うほど実感しているが、ちょっと異常ではなかろうか。
「いっつ……」
確かめるように左手を握れば、きちんと動くし痛みもある。幸いなことに神経を傷つけてはいないし、筋も無事のようだ。位置が位置だけにぞっとしたが、悪運からは見放されていなかったようである。
さて、ここからどうするか。私は妙に小綺麗な下水の屋根を見上げながら、重い息を肺から追い出した。
目立つという目的はある程度達したと思う。逃げ回り暴れ回る大捕物は、水路際に追い詰められる頃には完全に日が沈んでいたので数時間はしっかり稼げたはず。欲を言えば夜陰に乗じてもう何時間か、あわよくば日の出までかき回してやりたかったが……まぁ、これはこれで良い撹乱になっただろうし、水没オチは想定していることでもあった。
帝都に張り巡らされた水路は下水にも通じているのだ。上がキツくなったら下に潜って追撃戦第二幕に移るのは、二分で練った当初予定にも盛り込まれている。上を駆け回るよりはどうしても地味ではあるが、捕まるよりはいい。
それに、この傷も見ようによってはメリットだな。矢傷を負って鎧まで着た男が水路に落ちたなら、溺れてお陀仏と見てドブさらいに移っただろうから、ここに捜索の手が伸びるには時間がかかるはず。泥と格闘してもらっている間に距離を稼げば暫く安泰だ。
なにはともあれ、まずは人の肉に入り込んできて嫌な主張をしている客人をどうにかするとしよう。環境もよくないし、感染症が普通に恐い。
抜いてみようと矢を掴むが、肉が締まって上手く抜けない。それに無駄に痛いので、鏃にカエシでもついているのか。
「あー……やだなー……でもなー……」
となると、無理に引っこ抜くと逆効果だな。位置からして太い血管は通ってないから大丈夫だろうけど、死なないのと痛くないのは別問題であって……。
さしもの私も、ノータイムで矢を貫通させて除去できるほどガンギまってる訳じゃないからなぁ。
「……南無三っ!!」
しばし呼吸を整え、服の端っこを噛み締めてから――反射で舌を噛まないようにするためと、歯を痛めないため――“手”で思い切り鏃を押し込んだ。流石に自分の体の中にまで“手”で干渉させることはできないから力業に訴えるしかない。
将来的に“その手”のアドオンか医療系のスキルを取ろう。私は硬く心に誓った。
「うぎっ……!?」
激痛に目の前が白く沸騰する。効率的に人体を破壊する構造の鏃が肉を残酷に裂きながら肉を突き破って姿を現し、苦痛によってかき混ぜられた脳髄から<見えざる手>の式が霧散する。
「はっ……ひゅっ……はひゅっ……」
痛みの剰り息が詰まり呼吸のリズムが乱れる。「ちょっと節約しないとなぁ」と<苦痛耐性>を初めとする特性群、その取得を滅多にない殊勝さをみせて見送った過去の自分に本気で殺意が湧く。
ちょっくらタイムマシンを探しに行きたくなった。
「うー……くぅ……」
前の魔宮でも酷い目に遭ったが、魔力切れで脳味噌を捻り倒されるような苦痛とは別種の苦痛に涙が溢れた。ついでに鼻水で鼻腔がつまり、情けない声が意志に反して絞り出される。農家の倅を伊達にやっていた訳ではないので色々と怪我もしてきたが、これはちょっと別格だな。
矢柄を適当な所でへし折り、異物が肉のトンネルを通っていく最悪な感覚にボロ泣きしながら引っこ抜く。容赦なく装甲点をブチぬいて実体ダメージを与えてくれた忌々しい鏃を腹立ち紛れに下水へ放り込んだ。
「くそう、心折れて冒険者辞めちまうNPCの気持ちがよく分かる」
滅茶苦茶痛い。語彙が貧相に成り果てるくらい痛い。これブッ刺さったまま戦うとか正気を疑う。ガチ前衛は何発かこれをカバーリングで受け止めながら戦うのが普通だったが、今更ながら尊敬するわ。柔らかい後衛の前に立ちはだかるタンク達は、本当に偉大であったのだ。
念のためポーチに入れている消毒用蒸留酒などを取り出して傷の手当てを始める。折角稼いだ時間なので、いつまでもベソベソやってないで効率的に使わねば。傷が悪化して切り落とすようなことになったら泣くに泣けん。
しかし、船がでるまでどれくらいかかるのだろう。出航さえしてしまえば安心できて、後はどうにかこうにかアグリッピナ氏の工房に引きこもれれば、ツェツィーリア嬢がお家騒動を伯母様の権力で豪腕解決してくれるのを待つだけだけど。
お披露目会、ということは早々には出航しない可能性もあるんだよなぁ。きっと、有力貴族を乗せて遊覧飛行とかもやるんだろうし。
やっぱり見通しが甘すぎたかな、と反省する私の前を白い物が通り過ぎていった。
蛾だ。ふわふわしたデザインで、真っ暗な下水の中でさえ目立つほどの白い蛾。
下水なら蛾くらい居るか、と痛みと疲労で濁った頭は軽くスルーしてしまうが、私はもうちょっと慎重になるべきだった。特にこんな、お粗末とはいえ魔導戦を展開している時には。
蟲なんて、魔導師が玩具にして色々なツールに仕立てる格好の道具なんだから…………。
【Tips】使い魔。三重帝国においては魔法・魔術的に強化改造が施された使役生物のことを指し、主として伝令や探索などの補助を行う。三重帝国成立以前に中央大陸西部にて発祥した技術。
ただし、生き物という不確定要素を孕んだ技術は近年の論壇においてスマートではないとみなされるようになったため廃れつつあるが、確かな技術を持った旧い魔導師達が操る使い魔達は凄まじい有用性を秘めている。
ごとごとと揺さぶられながら、一人の僧は早鐘を打つ心臓を中々止められずにいた。
本来なら貞淑にしていなければいけない夜陰神の僧は、一時その矜持を擲って行李の中に身を潜めている。空を飛んできた船に乗り込む僧会関係者、彼の荷物の一つにわんぱくな子供のように紛れ込んでいるのである。
元々は船旅に備えた着替えが詰まった行李――スペースの確保のため結構な量を引っ張り出してしまった――の中で膝を抱える彼女は、こうも上手く行くのかと興奮と緊張で高鳴る胸を止められずにいる。
この揺れは、人足が船に荷を運び込んでいる揺れだからだ。
高貴な人物の荷とはいえ、一応のチェックは入る。荷が申告された通りのものであるか、妙な物が混ざっていないかなど何重もの点検を荷物は受けていく。誰の物であろうと、一つの例外もなく。
だが、その全てを彼が付けてくれた“見えない協力者”が誤魔化してくれた。
服が入っている行李にしては重すぎることは、不思議と重さを感じなくさせられ、開けられた時にはどういう理屈か衛兵は中身を普通の服が整然と畳まれているだけだと認識し、最終的に彼女は船の倉庫へ収められた。
「上手くいってしまいましたね」
彼女もちょっと思っていたのだ。まさかこんな子供の悪戯みたいな方法で入り込めるはずもなかろうと。
実際、普通に行李に隠れただけではアッサリ見つかっていた。推定でも推察でもなく、こればかりは確実である。
彼女は気付いていないが、最高機密である航空艦だけあって、運び込まれる荷は目視のみならず、魔導師がもれなく探査術式で精査しているからだ。
思念波を手繰って生物を探し、害意の有無まで判別する高位の魔導師さえも妖精は眩ませた。生きている概念であり、本質的に“現象”に近しい妖精は自身の本分を果たしている際は無類の強さを発揮する。
妖精は子供を迷わせるものだが、時には導くこともあるのだから。
また彼女に害意が全くなく、夜陰神の加護を受けていることも潜入を助けていた。一説では反面的に“狂気”を発散させるという月の神格は、精神に深く結びつく精神防壁の加護を信徒に授けることがある。
幾つかの力添えと少しの幸福で船に潜り込めた彼女は、これからどうするかで頭を捻った。一時的に運び込まれた船倉は非常に大きく、隠れる所は幾らでもあるから、ここで三日間息を潜めることは容易かろう。
吸血種である彼女には飲食も排泄も必要にはならないため、三日間瞑想でもしながら動かなければいいだけだ。その後は出て行って身分を明かせば、きちんと目的の人物に引き合わせてくれるはず。
ただ、彼女の脳裏で掻き立てられる不安が一つ。あの心優しい少年はどうなったのだろうか。
上手く立ち回り安全に逃げおおせてお茶の一杯でも楽しんでいる、などと楽観的に考える事はできない。彼女は良い兵演棋の指し手達が皆そうであるように、常に最悪の事態も想定して先を考えているから。
彼は自分たちと違う定命だ。骨を折れば癒えるのに数ヶ月を要し、首を断てば繋げることは能わず、内臓が爆ぜれば虫のようにのたうちながら命が尽きる。
そして、どれほど能力が高かろうと衛兵隊全部を相手に三日間戦える個は、余程の例外を除いて存在しない。確かに彼は有能ではあったが、そこまで“壊れて”しまってはいなかった。
幾つもの悲惨な行く末が彼女の脳裏を過ぎった。首に縄を打たれる彼の姿や、衛兵に滅多刺しにされて倒れる姿、手傷を負ったまま逃げて何処かで誰にも看取られることなく倒れ臥す姿。
最後に、晒される首を想像した瞬間、彼女は総毛立つような怖気を覚えた。
どれも現実に起こりうる可能性。僧は震える体を抱きしめ、ただ一心に思った。この悪い想像、何かの間違いが起こらずとも起こりうる悪夢を現実の物にしてはならないと。
あれほど真摯に自分を助けてくれた相手に頼りっぱなしでいいのか。それで今後、自分は胸を張って神に信仰を捧げられるのか。
論ずるまでもないことだった。
他の誰に知られることは無いだろうし、仮に知られても平民を使い捨てた程度で誹りなど受けようもなかろうと、ただ偏に彼女が彼女自身を赦すことができない。
斯様な様で一体どうして信仰を口にできようか。それほどの不実を為して何が慈母を崇める信徒か。
自分を擲つ覚悟で助けてくれた定命の少年を見捨てて無様に聖堂に残るくらいなら、いっそ不完全な不死など返上し塵に還った方がマシだ。払暁の刻に外套を脱ぎ捨て、加護を拒んで命を神々に返上する方がずっとずっとマシ……いや、信仰を抱く者として、人として真っ当だと胸を張って言える。
むしろ、その方が天上にて神にも申し開きが利こう。
ツェツィーリアはうんうんと呻りつつ必死で考えた。どうすれば彼の助けになるか。自分にできることは少ないが、最悪姿を晒して助命をするところまで思考が行ったところで漸く一つ思い至る。
彼女の乏しい魔法に関する知識の中で、遠方の人間とやりとりする方法が一つあったと。
そして、これほど大規模な船であり、国としても重要な代物であるなら、その品もきっと積み込まれているに違いない。
「手伝ってくれますか」
祈るような、神に捧げるのと同じような真剣な言葉に燐光が舞った。
彼女は聖印を握りしめ、数多伝えられる箴言の中で最も尊いと信ずる聖句を口にした。
「与うるものよ、心得よ。与える時は全て与えよ。与えられるものよ、心得よ。与えられるときは一つのみとせよ」
言い聞かせるように。確認のように。そして、覚悟するように。
漫然と与えられてはいけない。人が人の間を巡る世界で一番大事な箴言だと硬く信じるものを彼女は頼りとし、質素な僧衣が詰まる行李の中から飛び出した。服が足りなくなる上役には大変申し訳ないが、これも信仰のためと思って我慢していただこう。
なぁに人間一日二日着替えが足りなくても死にはしない。どうせ船には航海魔道師も乗っているだろうから、頼めば<清払>の魔法で綺麗にしてくれるはず。
行李に蓋をしながら上役に小さく詫びて、僧は広大な船内へと踏み込んだ…………。
【Tips】三重帝国近辺で信仰される神群において自死・自裁は罪ではなく、様態によって担当する神が変わる。時には最高の献身として自身が崇める主神によって迎え入れられることもあれば、強制された自裁ややむなく自死するしかなかった魂を慰める厭世神なる神格によって魂の慰めを受ける事もある。
どうやら完全にマナフラッドを起こしているらしく一向にクリーチャーが積もれない我が職場。
今月末も酷い目に遭いそうです。
そして、この台風は全ての不動産管理業者に対するFサイン……。
ああ、直撃したら一体何枚の窓ガラスとパーテーション、そして屋根が飛ぶのだろう……。




