ヘンダーソンスケール 2.0
ヘンダーソンスケール2.0
メインシナリオの崩壊。キャンペーンの終了。
貴族の集まりというものは実に有機的なものであり、上下のみならず他の閥とのつながりによるものも多い。
ここでいう閥とは、魔導院の一身専属的な閥とは異なり、より流動的かつ広範的な性質を持つ。
たとえば現皇帝を支持する閥に属しているが、その中でも個人としての所属は選帝侯家の某に領地を与えられた貴族であり、さらに経済協力の繋がりによって他の選帝侯家閥における有力貴族の小規模閥にも出入りする……といった具合の混沌とした所属の貴族も少なくない。
そして、ちょっとしたお家騒動や政変の度、ただでさえ混沌としていた勢力図が入れ替わるため乱雑さはいや増していくばかり。休養中でも名代を送るなどしなければ、三日でおいていかれると言われる社交界の混迷は伊達ではない。
時に三重帝国成立から七〇〇年。先の皇帝崩御により近年では――といっても、数百年スパンで――三度目のエールストライヒ公の即位に伴い勢力図の大転換が巻き起こる中、とある選帝侯が主催する夜会に一組の参列者が現れた。
ドアに控える侍従が朗々と響き渡るバリトンの美声で彼の者の来臨を知らせると、優美な夜会曲が奏でられ、上品な笑いに満ちていたダンスホールがにわかにざわめいた。
珍しい人物が顔を出したからだけではない。彼の者がすさまじい権勢を誇るが故、ただやってくるだけで政治力学的な“圧”が発生するのだ。
夜会への参列は友誼、あるいは興味の表明。ひいては閥の主導者同士の同盟から、新規に閥へ参画することの意思表示となる。
故に今日、その伯爵の来臨は参列者にとっても、そして何となくで招待状を送っていた主催者にとっても意表を突くものであった。
いや、きっとやってきた伯爵は、意表を突くためだけにやってきたのかもしれない。ちょっとしたざわめきでさえ、政治を動かす切っ掛けとしては十分過ぎることもあるのだから。
城の正門を思わせる壮麗にして重厚な装飾の施されたドアが緩やかに開き、やってきた伯爵の姿を露わにする。
正確には、伯爵夫妻の姿を。
「おお、相変わらず美しい……」
「あの睦まじさ、相変わらずか」
「たしか卿はあのご夫婦の婚姻式に参列していたのだったか。あの頃から?」
「うむ、何も変わらぬとも」
悠然と絨毯の敷かれた道を征き、ホールの最奥で来賓を値踏みするように佇んでいた主催者へ歩み寄る夫婦を見て大勢の貴種が囁き声で言葉を交わし合う。ただ現れ、何事もないように歩むだけで話題を生む。それが真の権勢を誇る貴族の気配である。
腕を組み楚々と進む一組の夫婦は、確実に届いているであろう自分たちに纏わる会話を驟雨のごとく浴びせられてなお艶然と微笑み続ける。己の隣に相手がいる、それだけで幸福なのだと言わんばかりの柔らかな笑み。
数百年連れ添って褪せぬ愛情、彼の夫婦の家名を持って“仲睦まじき様”とするほど愛情深さが知れ渡ったカップルは、寄り添う者以外には決して聞こえぬような小声で呟いた。
「ねぇ、もう帰っちゃだめかしら?」
「ざっけんな、アンタが行くって言い出したんでしょうが」
互いに顔を寄せ合い、笑顔のまま囁き合う姿は愛情深き夫婦の様そのもの。会話の刺々しさをおくびにも出さず、夫婦は主催に挨拶するため貴種として相応しいゆっくりした歩調で歩む。
「しかし、あの愛情深さには驚かされたものだよ」
会場の視線を独占する夫婦を結婚当時から知る一人の貴種は酒を嗜みながら呟いた。
「なにせ本来不可能であると言われた、死後時間の経った“魂”の人格を保ちながら死霊に仕立てる大魔法を実現までさせたのだから」
さて、深紅の絨毯を踏みしめる夫婦の話をしよう。
奥さまの名前は“アグリッピナ”。そして旦那様の名前は“エーリヒ”。ごく普通の二人は、ごく当然の様に三重帝国においても“スタール伯爵”としての貴族位を与えられ、ごく普通の結婚をしました。
でも一つ違っていたのは、二人の種族は定命と非定命に別たれていたのです。
それから、定命であった旦那様はごくありふれた帰結として、寿命を果たして死んでしまいました。
一〇六歳というヒト種にしては希に見る大往生をした旦那様を惜しみ、奥さまは決して後夫を迎え入れませんでした。縁談の話を持ってこられても、私の連れ合いはあの人だけですので、と寂しげな笑みを浮かべて婚姻の指輪をそっと見せながら断って。
ただ、彼女は本当に諦めが悪かったのです。去ってしまった夫をもう一度、それだけを願って懇々と自分が持つ“魔導院教授”にしてライゼニッツ閥の筆頭教授という肩書きの全てを利用し、あらゆる方法を模索し尽くして。
そしてついに、夫の没後四〇年にして、奥さまは旦那様を死霊として甦らせることに成功したのです。ある意味において、自分と同じく非定命の存在として、永遠に一緒にいられるように。
悲恋にしてハッピーエンドの物語。聞く者は技術的な不可能を踏破した奥さまの情熱に驚くと共に涙しました。
これほどに深い愛情など、この世にそうある物かと。
ですが、彼等は知りません。
旦那様の末期の言葉が、やっと終わった……であったことを…………。
【Tips】死霊化。強力な魔導師が強いこの世への心残りを残して果てる時、希に起こる現象であるが人為的に狙って引き起こすことは不可能だとされていた。
しかし、アグリッピナ・デュ・スタール伯爵夫人ともう一人の魔導院教授の共同著作論文にて、極めて限定的な条件ながら、過去に没した人間を死霊として甦らせる方法が発見され論壇に一大センセーションを巻き起こした。
「ああ~つっかれたぁ!」
風呂上がりのオッサンみたいな声を発しながら、諸悪の根源がカウチに身を投げ出した。そこにはさっきまで完璧に被っていた、華やかさで視線のタゲを集めきる美女としての装いは欠片もない。
この様を見て一体誰が信じようか。<見えざる手>でもって水差しを引き寄せ、コップに注ぐこともなく直接呷る女性が社交界の華であるアグリッピナ・デュ・スタール伯爵夫人であると。
まぁ、尤も信じられない……というより信じたくないのが、私が単なるケーニヒスシュトゥール荘のエーリヒではなく、エーリヒ・デュ・スタール伯爵とかいう意味不明な存在として人生を浪費した挙げ句、やっとこ終の眠りについてゆっくりできると思ったら、死霊として強引に蘇生されてしまったことだが。
「みっともないからやめなさい。皺になる」
「また細かいことを……貴族になって百ウン十年でしょ、良い加減服を使い潰すことになれなさいな」
なんでこうなったか、というのはぶっちゃけよく覚えていない。全てが激流の如く押し寄せ、あっと言う間に決まり、瞬きの間に全て終わっていたからだ。
気がつくと私は貴族になっていた。それでも私は荘に帰りたかった。だけど荘の人達は私に余所余所しいスタール伯爵という敬称を向ける。
いやほんと、何があってどうなったんだ。
それでも原因だけはハッキリしている。公爵に目ぇ付けられて、教授位の取得と三重帝国貴族位の獲得が確実化した外道は自分の将来を予見していたのだ。
魔導院の一大閥に所属していることと、外国の大貴族の娘でもあることに目を付けた貴族から死ぬほどの縁談が舞い込み、不幸を面白がったライゼニッツ卿から山ほど晩餐会などの誘いが投げつけられる将来を。
その面倒を一挙に解決する方法を、この腐れ外道は見つけやがったのだ。
丁度良い弾除けになる伴侶を迎え入れるという方法を。
そしてターゲットにされたのが、哀れな私というわけだ。
理由は知らん。多分既存の誰かを迎え入れると、最初から付帯する厄介な貴族関係がネックになるとか打算的な考えがあったに違いない。
家系図ロンダリング、汚い金、半ば脅迫染みた交渉……この世に存在するありとあらゆる横車を押し倒し、私はどーいう訳か昔に滅んだ貴族の末裔ということにされ、棚ぼた的に家の家族まで貴種にされてしまった。
筋書きとしては暗殺から逃れた祖父が何時か再興を夢見て田舎の荘に身を潜めていた、ということにされてしまったのだが、何やら家紋が刻まれていた“送り狼”が根拠の一端にされてしまったのはなんというかね、もうね……。
「それより、招待状の処理はすんだー?」
「今やってるよ」
まぁ、逃げずに旦那をやり遂げて、その後二周目も旦那をきちんとやっている私も私だけど。
うーん、なんだろうね、これ。いや、ほんと自分でも整理がつかないのだが、嫌いではないっていうのが不思議でならない。
情を交わしたからか、曲がりなりに子供まで作ったからか、あるいは何らかの精神疾患か。将来の夢を悉く潰されたのだし、憎みに憎みきってもおかしくないと精神の冷静な部分は考えているんだけども……。
だのに甲斐甲斐しく働いてしまう辺り、本当に病気だな。今度医者にかかろう。頭と精神の方の。
「ケッフェンバッハ侯から庭園茶会のお誘いが来てるよ。この間、下の子の成人祝いを貰っただろう。顔を出さない訳にはいくまい」
「ええ~? 北方まで顔だすの? 面倒ねぇ……」
「そんなに面倒なら私だけで行ってもいいが」
ただ、分からない事がある。
「そうもいかないでしょ、一緒に行くわよ。直接お礼言わせないとダメでしょうし、魔導院からあの子も引っ張って行くわよ。捕まえるの手伝って頂戴な」
妻は私を弾除けにしたかっただろうに、誰ぞかに挨拶したり礼を言いに行く時、基本的に同道するのだ。場合によっては、一体誰に似たのか落ち着きなく方々へ遊びに行きたがる娘達をとっ捕まえてまで。
勝手に人を死霊に仕立ててくれたことといい、この本来の目的から大いに外れる同道にしたところで彼女の本意がよく分からない。
愛情、なんて夢見がちなことはいうまいよ。そんなフワッとした砂糖菓子みたいな関係ではないし、腹立ち紛れにやった浮気を軽くスルーされた時点で分かりきっている。彼女がヒト種とは精神性が大いに異なる長命種であったとして、流石にここまでやられて怒らないのは変だろう?
普通、愛しているなら私か相手がどうこうされてしまっていただろうに。
「ねぇ、座ったら? ウロウロ手紙を読みながら飛ばれると落ち着かないんだけど」
家宰を通じて最低限これだけは御裁可頂きたくとの一筆を添えて寄越された招待状の処理をしていると、急に妻がそういって起き上がった。
隣に座れという無言の誘いに乗って、大人しくカウチに腰を落とす。ここ百ウン十年で、こういう迂遠な“お誘い”にもすっかりと受け慣れてしまった。
カウチに座り、丁度良い腰の落ち着きを見出すと同時に彼女は私の膝に上体を凭れさせてきた。もう三百歳近いというのに長命種特有の均整が取れた肉体に衰えはなく、初めて肌に触れた時と同じ魅惑的な感触が膝に伝う。
彼女は本当に変わらない。私は老いて死に、何故か若い姿で死霊になって還ってきてしまったというのに。
「ふぅー……おちつく……」
「このまま寝ないでくれよ。シュファーフェンベルグ男爵夫人から観劇のお誘いが君宛に来てるが、どうする?」
ダラダラと人の膝を枕にしてくれる妻らしき物体をあしらいながら、私が居ても居なくてもいい招待の話をする。このご婦人、観劇好きなのはいいのだが、一人で見るのは寂しいとか言ってしょっちゅう誘いをかけてくるのだ。
「観劇? どこかしら。シュファーフェンベルグ男爵夫人ということは、帝都の幻燈座かしら。あそこの首座、最近変わったせいで演技の質が好みじゃなくなっちゃったのよねぇ」
代替わりして二〇年も経つというのに、まだ最近扱いされる首座が哀れだった。ここは一〇〇年前に移り住んでもつい最近きた余所の人扱いされる京都か何かか。
「まぁいいわ、演目は?」
「えーと……げっ……」
書かれている演目を目にして、思わず貴族らしからぬ呻きが出てしまった。気を付けないとな、普段していることはついつい人前でも出てしまいがちなのだし。
「どうしたの。演目は?」
「……永久鳴る愛を だってさ」
「うげぇ……」
私の呻きに合わせ、彼女も反吐でも吐きそうな呻きを零した。
というのも、この歌劇のモチーフは私達なのだ。
妻を喪った長命種の夫が、冥府に降りていって妻を取り戻そうとするという約束されしバッドエンドな話の筋なのだが、永遠の愛を形にした鐘だけを頼りに冥府へ向かう夫に胸を打たれた神々が目こぼししてくれるという、砂糖菓子を通り越してサッカリンの塊みたいな筋をしたゲロ甘恋愛歌劇である。
男女を逆にしたのは脚本の都合なのだろうが、何でもこの度は首座が改稿した妻が冥府から夫を救いに行く脚本に変わっているらしく、是非とも一緒に見に行きたいというお誘いなのだ。
モチーフにされた本人に誘いかけるとか、何考えてんだこのおばちゃん。頭どっかおかしいんじゃないの?
「……断っといて」
「ああ」
“手”を伸ばして手近な文机で並列して書いていた何枚もの返信に、この断りも紛れ込ませる。
永久なる愛、なんてガラじゃないだろ。ねぇ?
認めないよ私は。この外道が膝に顔を埋めているのが、照れ隠しだとかそんなのは。きっと、この断りを利用して腹黒いこと考えてんだよ。
きっと、きっとね…………。
【Tips】永久鳴る愛を。主人公が喪った伴侶を取り戻そうと、深い情愛が形になった“鐘”だけを頼りに冥府を冒険する感動巨編であり、多くのバリエーションが作られる。特に帝都幻燈座脚本の<永久鳴る愛を 男爵令嬢の愛慕>というバリエーションが人気となり、以後千数百年に渡って各地で演じられるロングラン脚本となるだけではなく、遠い未来では映画とか小説とか漫画にもなった。
尚、関係者諸氏は微妙な顔でコメントを差し控えている。
頭に浮かんだ突拍子のない妄想。アグリッピナ氏の真意や如何に。
余談ながら、エーリヒ存命の八〇年そこらで一男三女を産む長命種としては破格の子沢山であった模様。