表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

83/299

少年期 一三才の晩春 九

 聖堂街は帝都の北方、正確には北北西に位置し聖堂が林立する街区であり、他は僧が住まう住居だけが集まった信仰の街だ。


 シックな色合いの焼成煉瓦のみならず大理石や花崗岩、石灰岩(ライムストーン)などで荘厳に飾り立てられた聖堂がひしめく姿は荘厳なれど威圧感はなく、ただただ静かな空気で満たされていた。そびえ立つ尖塔もなければ、無駄な金細工や巨大な立像とは無縁で簡素な造りが多いが、そのシンプルさが逆に清廉さと高潔さを醸し出すのだから設計者の腕前の凄さを感じ入るばかり。


 もしも現代であったなら、スマホ片手の異邦人達がパシャパシャと記念撮影に勤しんでいることだろう。


 時刻は既に夕方。ひっそりと点検口の蓋を跳ね上げ、半分だけ顔を出して覗く聖堂街は怖ろしいほど美しかった。各種の聖堂特有の建築美を見せ付けながら、決して派手すぎない落ち着いた美の中では何人であっても厳粛にせざるを得ない雰囲気が満ち満ちている。


 神の意を受ける場所。本質を良い意味で全面に押し出した街区であった。


 親しんだ魔導区の良い意味でも悪い意味でも活気と発展がある場所とは違う。纏う空気までもが、魔導師と神職は逆位相であった。


 「やっと辿り着きましたね」


 彼女を引っ張り上げ、<清払>で下水の匂いを追い払って一段落……とはいかなかった。


 「ただ、これはちょっと予想外ですが」


 聖堂街に屯する衛兵の数が想像以上だったのだ。


 軽装の鎧で身を守った何時もの衛兵から、衛兵服に剣をぶら下げた軽装の者。そして、嫌と言うほど見た黒衣の近衛までブラついているとか聞いてない。


 いや、うん、冷静になったら普通ではあるんだけどね。古巣の辺りを固めるのは当然だし、世間知らずのお嬢様が三日も大量の追っ手を単独であしらえるなんてあり得ないのだから、身内に協力者でも居るのだろうと警戒してしかるべきか。


 さてどうすんべ、と考えながら一旦路地へ逃げ込む……と思ったら路地にもしっかり衛兵が居やがる。ちょっとした隙間まで遠慮無く潰してくるとか気合い入りすぎだろ、イジメか。


 壁を縦横に這い回るフードの暗殺者でもキツそうな包囲の隙間を何とか探して潜り込み、どうしたものかと頭を捻る。なんでコイツら一片の遊びもなくガチで潰しにかかってくるのだろう。


 はい、現実だからですね、すみません。攻略されること前提の潜入ゲームとは訳が違うのだと改めて思い知らされた。もうね、向こうがガチで殺しにかかってくるなんて、洋館と魔宮で嫌ってほど思い知っていただろうに。


 自分の学習能力にちょっと嫌気を覚えながら、現実逃避していても話は進まないので相談しながら思考を練る。


 「流石にこれだけ警備が厳しいと……」


 「ええ……夜陰神の聖堂はあそこなのですが……」


 ツェツィーリア嬢が指さす方を見てみれば、聖堂に付きものの鐘楼の上に蹲る影があった。落日の夕日に浮かび上がるシルエットは、背中から伸びた雄大なる羽が目立つ有翼人(ジレーネ)のそれ。


 有翼人は亜人種とも魔種ともつかない、実に特異な人種だ。同人種の中でも差異が激しく、全身が羽毛に覆われた者から、顔の一部が露出した者も居たと思えば、嘴を持つ者からヒトと同じ唇しかないものまで居るなど実に混沌としている。


 その上、一部の幻想種と同じく“生理的”に一種の魔法を扱っているらしく、その翼からは抗重力術式と空力推進術式が発され、人類の範疇にありながら単身で空を飛ぶ。


 にもかかわらず、肉体のいずこにも魔晶を持たぬため、人類の中で異端児扱いされることもある彼等が帝国に定着したのは当然というべきか、感傷に浸るなら運命と呼ぶべきなのかもしれない。


 ただ、肉体の頑強性は空を飛ぶという無茶に合わせて喪われており、単純な膂力とタフネスでは我らヒト種にさえ劣る。それ故に空の覇権を争うのではなく、専ら高所からの滑空襲撃を得手とする一撃離脱の襲撃者でもある。


 つまり斥候うって付け種族の一つであり、あの装束から見るに……。


 「まーた近衛猟兵か……」


 ガチもガチのハイレベルエネミーだ。後ろ姿でも分かる翼の形状からして、猛禽の血を引く有翼人だろうから探知能力はそれこそ人類の中でもトップクラス。さっきからこんなのばかりぶつけられてるんだが、私のサイコロはやはり変な所に鉛でも仕込まれているのではなかろうか。


 「これは、ご友人を頼るのは難しそうですね」


 しっかり協力者になりそうな面子を固めていやがるな。となると頑張って夜陰神の聖堂に忍び込んだところで、接触して入れ替わらせてもらうのは難しかろう。


 「ど、どうしましょう? 流石に人足に紛れるのは危険ですよね……」


 「まぁまず無理でしょう。私達では大柄な水夫に紛れるのは不可能ですし、そもそも日雇いの水夫を一日幾らで使いはしますまい」


 帝都に一度寄るということは補給も兼ねるのだろうが、水夫のコスプレをして潜り込むのは不可能だと思う。国家事業で建造し、国威高揚のため引っ張り出してくる品に適当な人間を関わらせはすまい。


 「……夜陰神の聖堂から派遣されるのは何人です?」


 となると、後考えられるのは……伝統的な密航方法、積み荷に紛れるだな。


 聖堂から僧を派遣するということは、相応の人数を送り込むのだろうし、当然私物も結構な量になるに違いない。中世の生臭坊主よろしく一人で御殿に移り住むむたいな大量の荷を持ち込むことはなかろうが、コトがコトだけに相応の位階の僧が送り込まれるなら、荷の何処かに紛れ込むくらいなんとかなるだろう。


 「え? 人数ですか? たしか三人ですね。帝都聖堂の主席大司教様と助祭が二人赴く予定です。あとは、その世話役で僧が何人か随行する形です」


 おっと? 少人数の派遣と聞いていたが三人? なら他の面子が多い聖堂ともなればそれ以上の人数だろうし、僧会関係者だけでもかなりの大所帯になるのか。


 そうなってくると、空飛ぶ船は私が想像しているよりかなり大型になるのか?


 幻想小説の創作によくでてくる、空飛ぶガレアス船みたいなのをふわっと想像をしていたのだが、収容人数を考えるともっと大勢乗れるような大型の船かもしれないな。貴人や高位の魔導師、僧が乗り込むことを考えるなら粗末な部屋に入れるわけにもいくまいて、それほどの部屋数を用意するならば、相応の巨船にしなければならないのだし。


 何だか私が考えている、古き良きファンタジーの船とは趣が違いそうだな。


 「……聖堂のどの辺りに旅支度がしてあるかは分かりますか?」


 問うてみると、彼女は顎に手を添えて考え込んだ後に「多分」と自信なさげに答えた。


 さて、ここからはちょっと神経を使う作業になる。幸いもうじき日が暮れて、怖ろしい猛禽の目もあまり利かなくなってくる。目の構造がヒトよりも鳥寄りなので、彼等は総じて酷い夜盲なのだ。


 ではじっくり日が暮れるまで耐えて……って、いや、まて、なんだあれ。


 有翼人の動向を観察しようとしていると、北の空にぽつんと浮かぶ点が見えた。緋色に染まった空の中、嫌に目立つ白い染みは次第に大きさを増してゆく。


 小さく見えた染みは見る間に巨大なシルエットとなり、ついには肉眼ではっきりと形を確認できるほどの大きさになる。空の高いところに浮いているだろうにも関わらず、あれ程巨大に見えると言うことは想像を絶する巨大さということ。


 白亜の巨船は緋色の空を滑るように現れた。街区を呑み込むほど巨大な笹の葉型の船は、大気を切り裂いて純白の装甲を誇るように輝かせながら空に浮いている。


 「でっけ……」


 静かにしていなければいけないのに、思わず声がでた。でも、多分みんな私と似たような反応してると思うんだよ。帝都中で空を見上げている人間が全員。


 笹の葉型の船体は薄く――割合にしてだ――真正面から見れば鋭い菱形を描いており、今見ている側を船首とするなら、船尾に向かうにつれて太くなる構造を取っている。空気抵抗を軽減することを考えられた船体は研ぎ澄まされた槍のような優美さで空を舞い、両脇から伸びる三枚二対の翅は……可視化するほど膨大な魔力を秘めた術式陣だな。


 え、ちょっとまって、ほんとあれどんだけデカイんだ? 距離感からして本当に高い所に浮いてるっぽいんだけど、大きさがえげつないから遠近感が狂う狂う。街一つとは言わないが、確実に街区一個分の面積はあるぞ。


 なんだろう、凄いのは凄いんだけどコレジャナイ感が……。


 私が見たかったのって、本当に幻想物語に出てくる古典的な空飛ぶ船だったんだよね。


 でもなにアレ。微妙にSF感があるというか、侵略兵器っぽさがあるっていうか。


 なんかこう、思ってたんと違う!! 責任者出てこい!!


 ぼやっと見上げていること暫し、ふと気がつく。今なら全員の注意があっちに行っているのではなかろうかと。みれば、鐘楼の上の有翼人が「なんじゃあれ」って感じで棒立ちで見入っているし、他の衛兵も突如現れた巨船に当惑している。


 多分、というかほぼ確実に全員が私と同じショックを受けているんじゃなかろうか。衛兵も大体この時間に空飛ぶ船が来ると前もって通達は受けているだろうが、普通の人間の想像力で“空飛ぶ船”つってアレを捻り出してくることはないだろう。


 ……あ、ひょっとして今って大チャンスなのでは。衛兵の目は空に釘付けだし、多少の物音も気付かれないくらいのショックだろうから。


 私は同じように空に現れた船に驚くお嬢様の肩を揺らし、何とか正気を取り戻させようとするのであった…………。












【Tips】術式陣。魔法や魔術が世界に干渉することを補助する技巧の一種であり、主として塗料で床に描かれるか、空間に投影する発光術式で描かれる。三重帝国の魔導師においては補助詠唱と同じく「大仰過ぎてダサい」という風潮があり好まれないが、ブームが関係無い市井の魔法使い達は何度も使う術式の補助として入れ墨を刻むこともある。












 ここ数ヶ月で何度となく繰り返した「どうしてこうなった」という感情を押し込めながら、アグリッピナ・デュ・スタール男爵令嬢は楚々とした笑みを作る行為判定に難なく成功した。


 長い銀髪を丁寧に編み上げて冠のように仕立て、薄く長い紅の夜会服で身を飾り立てた姿は夕刻のテラスで輝く絶佳の華。年頃の男性はたった一瞥くれただけで心を奪われ、帝国社交界に殆ど顔を出さなかった一輪の華――実態は酷い毒花だが――の香りを嗅がんと周囲に群がっていく。


 アグリッピナは社交界が大嫌いだ。別にマナーや立ち振る舞い、場の空気を読むことが下手なわけではない。社交的な会話や振る舞いはセーヌ王国の貴種として父に同伴していた百年ほどで完璧に仕上がり、五〇年以上遠ざかっていたとして錆の欠片も浮いていない。


 単にハイソで迂遠な会話がクッソ面倒臭くて仕方がなく、興味の欠片もない遠乗りだの庭園散歩だのに煩わされる人付き合いに反吐が出るだけである。


 歯が浮きそうな会話を繰り返しつつダンスの誘いを軽く蹴飛ばし、内心で聞くに堪えない罵倒をばらまきながら外道は大いに恨んだ。教授会に推薦する前にお目見えせねばな! と嬉々としてこの場に引き摺り出してきたマルティン公を。


 最初、彼の侍従から差し入れられた手紙を面倒臭そうに開いた彼が「もうそんな時間であったか」といって立ち上がった時は歓喜したものだ。この居心地が悪く最悪な催しがやっと終わると。後々のことは何一つ解決していないが、疲弊した精神をやっと休ませられると喜んだのもつかの間。


 気がつけばあっと言う間にめかし込まされ、こんな所まで引っ張り出されてしまった。


 挙げ句の果てに面白い物が見られるからと言って連れ出したにも関わらず、何やら急用とかいって諸悪の根源が姿を消す始末。せめて()の公爵が隣にいたならば、有象無象も遠慮して下らない質問の雨を止ませたであろうに。


 アグリッピナは許されるなら泣き喚きたかった。


 一体何が悲しくて帝城の北大テラス、通称“星毯庭”で“皇帝臨席”の懇親会なんぞに参加せねばならぬのか。


 どうでもいい次から次へと寄って来る男性の名前を適当に覚え、幼年期に培った心底興味が無い話題をさも楽しそうに聞き流す手法をこれでもかと活用してアグリッピナは耐え忍ぶ。この手の懇親会はあって数時間、長い人生を生きてきた自分にたった数時間が耐えられない理由があろうか?


 いや、あるはずがない。


 やけくそ気味に饗される上質な葡萄酒を呷り、毒にも薬にもならない社交辞令な会話を重ねて暫し。夕焼けの色合いが深みを増し、直に鮮烈な朱から重厚な濃紺に装いを変えるだろう空を見上げて小さなざわめきが沸き上がる。


 釣られて目線をやれば、アグリッピナの類い希なる魔法を見抜く目が焼けるような痛みを訴えた。


 一瞬で膨大な術式を見過ぎたために生じた過負荷で神経が悲鳴を上げたのだ。


 「つっ……」


 夕焼けを裂いて飛ぶ一隻の船は、正しく魔導の結晶であった。そこかしこで魔法が張り巡らされ、魔術が巡り、数えきれぬ術式が煌々と煌めく。


 その巨大すぎる船体を支えるために素材の結合を高める魔術が走り、上から覆い隠すように剛性を高める魔法が張り巡らされて巨体を支えている。ここまでやらねば、即座に空中で四散するほどの無茶な質量を抱えてあの船は飛んでいるのだ。


 六枚の可視化するほど濃密に描かれた術式陣は、抗重力術式と斥力障壁、そして吹き抜ける空気を結界の隙間を通すことによって推進力に変えるという、精緻極まる術式の結晶体だ。空前の大魔力を湯水の様に使いながら飛ぶそれは、例え一切魔法を見る才能がない者にもぼんやりとした光として捉えられるほど世界を侵す。


 なるほど、あの新しい物フェチで魔導狂いの公爵が“凄い物”と称するだけある。


 見ればあまりの威容に参加者のほとんどが口をポカンと開くか、何じゃあれはと酒を噴き出して驚いていた。中には世界の終わりが来たとか呟いてカップを取り落とす来賓もある。多分、彼が信仰している異国の神群がそういう預言でもしているのだろう。


 たしかこの集まりには諸外国の大使も参加していたはず。だとしたら外交上のパフォーマンスとしての威力は十分以上であっただろう。周りの惨状からして与えた打撃はあまりに大きく、むしろそのインパクトから国元の人間に信じさせる方が困難やもしれない。


 「うわ……凄いの仕込んでるわね」


 落ち着きを取り戻したアグリッピナは呆けて立ち尽くす給仕の盆から勝手に発泡性の葡萄酒を取り上げ、船の下部が開いてそこから騎竜が飛び立つ姿を見て呟いた。一体どれだけのビックリとギミックを見せ付ければ気が済むのだろうか。


 一旦落ち着き、冷静になってみれば良い出し物だ。実に派手で、見ていて目に楽しく飽きることがない。次々飛び出す騎竜が煙幕を垂れ流し、曲芸飛行を始めたので益々見世物染みてきた。


 しかし、これほど楽しげな出し物になるのなら、楽しみにしていたであろう公は何処へ姿を消したのか…………。












【Tips】帝城は三つの小ダンスホールと一つの大ダンスホールを備えている上、歓待用のパーティーホールが都合七部屋、小規模な宴席用の広間が六つ、会議室においては大小合わせて二五を抱える正しく宴会と会議の城である。その中でも四方の大テラスは屋外夜会用に整備されており、恒常的に貼られた結界で適温に保たれた場は夜会の場として好評を博している。 

読み応えなどを加味して一話五,〇〇〇文字前後で抑えるのがベストかと思って調整しているのですが、前は一話一万文字前後でやっていたので伸びるとどこまでも伸びてしまうのが何とも。


そして謝辞ですが、話前で編集前のデータをアップしておりツェツィーリア嬢の容姿描写に一部誤りがございましたので訂正しておきました。感想でのご指摘ありがとうございます。

一体何の為にデータの区分けしてるんだかコイツは。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=219242288&s
― 新着の感想 ―
[良い点] 飛行船じゃなくて帆船が空を飛んでいるのを見たかったってことかな?
[気になる点]  さて、ここからはちょっと神経を使う作業になる。幸いもうじき日が暮れて、怖ろしい猛禽の目もあまり利かなくなってくる。目の構造がヒトよりも鳥寄りなので、彼等は総じて酷い夜盲なのだ。 人…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ