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※幼年期 九歳の夏

 この世界に来て九回目の、体感で四度目の夏が来た。


 夏は農家にとって小休止のような時期だ。冷涼な気候の三重帝国南方は過ごしやすい気候で雨も適度に降り、異常気象(神々の癇癪)に襲われることも豊穣神様のご加護により殆どない。万一あっても川からの取水路もあるから、怖いのはどうしようもない程の冷夏だけだ。


 その合間にやることといえば、青々と茂る作物を守るため害鳥や害虫と戦ったり、農道を整備したりと時間に余裕を持って挑めることばかりだ。


 男衆は冬場に備えて薪を集めたり、近場に口があれば出稼ぎに出る者もいる。女衆は日々の仕事の合間に保存食作りに手を出し始め、夏のからっとした気持ちいい暑さの下で――温帯の日本とは違い、湿度が低いのだ――干し肉棚に吊されて空を泳ぐ肉が幾つも見られた。


 私塾もこの時期に集まる機会が増え、通っている子供達は忙しそうだ。課題の詩作だの書き取りだのを前にして、あーでもないこーでもないと微笑ましく頭を捻っている。


 夏は私にとって楽しみな時期だ。


 日が長く野良仕事が少ないので内職に時間を幾らでも割けるし、自警団の訓練も専らこの時期だ。運動のために子供達と遊び回って掻く汗も清々しく、その後に頂く冷たい井戸水で冷やした果物は最高だ。


 ああ、魔法を使った氷菓を隊商が売りに来たりもするのも外せないな。高価なのでお腹一杯とは言わないが、必ず一夏に一回は食べさせて貰えるのが心待ちだった。


 幼き日の夏休み。九州の田舎で過ごした休暇を思い出す。テレビもチャンネルが二つしかなく、電池を売っている店も近場にないから携帯ゲーム機も――最近の子は知らないだろうが、昔は単三とか単四電池で動いていたのだ――ろくに使えない田舎。近所の子供に誘われて、こんな生活を楽しんだものだ。


 だが、夏場で何より楽しみなのは……安息日に荘の浴場が開放されることだ。


 割と意外なことに帝国人は風呂好きで有名な国民性らしい。どこの荘にも浴場があり、数千人規模の都市で公衆浴場がない都市は存在しないほど、我々は温浴に親しんでいる。


 ぶっちゃけ私が想像する中世は、ファンタジーの風呂も水道もある温い文化か、教養として学んだペストに怯えて顔すら洗わない暗黒時代という極端な二択なのだが、清潔な日本に育った身としては前者であって本当によかった。


 因みに風呂が人気な原因は、建国にあたって重要な働きをした小国、つまりは現在の選帝侯家の一つが風呂好きだったかららしい。煮沸した水は病を介さないとか、ただ同じ湯に浸かっただけで移る病などない――厳密には血液などが溶けると危ないが――と力説し、自ら湯に浸かることで安全性を体現しつつ、同時に清潔さの重要性をゴリ押しして今に至るとか。


 深読みだが、その人はもしかして私の同郷なのではなかろうか。なかなかの風呂狂い民族っぷりに「さては同郷だなオメー」とマルギットから歴史の講釈を受けた時に思ってしまったぞ。


 何となく親近感を感じる歴史を背景に持つ浴場は、村の外れを流れる小川の近くに建てられていた。


 「よーし、次は子供の時間だー。仲良く入れよー」


 大人しくみんなで風呂の支度をして待っていると、大人の男衆がほこほこと湯気を立てながら浴場からぞろぞろ出て来た。大人達といっても、大体一〇歳を過ぎたら向こうに混ざるようになるのだが。


 私か? 私は……。


 「いきましょうか、エーリヒ?」


 優しく握られているはずなのに、どうしてか振りほどける気がしない感覚が握られた手にあった。見下ろせば、着替えを持ったマルギットが笑顔で私を見上げている。


 うん、何故かまだこっちなんだ。九歳といえばギリギリで、遅ければ一二歳くらいまでは子供だと男女一緒にぶちこまれるのだ。


 まぁ、嵩が小さいのをまとめて一遍に済ませた方が経済的だからだろう。日本でも性差もその認識も薄い子供の内はそんなもんだし、小学生でも低学年の間は同じ教室で着替えたものだ。論法としておかしな所はなにもない。


 一つケチを付けるなら、当方の精神性が既にアラフォーの領域に踏み込んでいることだが。その割に若々しい発想が出て来たり、無邪気に遊びで楽しめるのは“体に引っ張られている”からなのかもしれないな。


 などと現実逃避していても、ぐいぐい引っ張って行く手は止まってくれなかった。こやつ、私が恥じらいを覚えていることくらい分かっているだろうに、ほんと容赦がないな。


 浴場には脱衣所のように贅沢な空間はなく、我々は青空の下で脱いで入ることになる。服を置いておくスペースこそ冬場に備えてあるにはあるのだが、基本的にはドアを開けると即風呂場だ。


 無心で入ったそこは、先客達が残した熱気に満ちあふれていた。


 すなわち大量の湯気だ。三重帝国の下層階級が使う浴場とは、蒸し風呂のことであった。


 それもそのはず。この時代、水は川から取水できるからいいとして、燃料代は現代と比べ物にならないほど高い。ガス代と水道代合わせて一回風呂を沸かして百円もしない現代と違い、巨大な浴槽に張った何百リットルという水を湧かそうとすれば、ローマ式のボイラーがあっても大変な量の薪が必要になる。


 それに対して蒸し風呂のなんと経済的なことか。部屋の中央に置いた専用の薪ストーブ、二段構造の上面にはカンッカンに暖められた石が入っているので、そこに水を入れるだけで大量の蒸気が噴き出してくる。


 後は熱気でふやけた体を白樺の枝を纏めたブラシで叩いたり、ストーブから拝借した湯を使ってタオルで拭くのだ。三十分も汗を流せば、今度は川に飛び込むか、片隅にある流し場の水を頭から引っ被れば綺麗になる。髪を気にするご婦人だと、石鹸を使うこともあるな。


 「じゃあエーリヒ、今日も洗ってくださる?」


 「ん……ああ……」


 丁度こんな具合に。


 半時間ほどそこいらにタオルを敷いてホカホカ温まってから、マルギットが私の手を引いて洗い場へと導いた。何故だか知らないが、前世でいわゆる大人の遊びをした時と似た風情を感じるのは何故だろうか。


 二つ括りの髪を解いた彼女は、どう考えても幼いはずなのに艶っぽさを感じる。大人としての自制心と、未だ体ができあがっていない状態が有り難かった。変に反応したら一生いじられるネタにされるだろうから。


 「やさしくお願いね?」


 彼女の後ろに座ると、マルギットは振り返って笑みと共に石鹸を手渡してくれた。


 獣脂で作った石鹸は三重帝国だと有り触れた品だが、これはマルギット曰く彼女の家での手作りらしい。牛脂やラードではなく、狩猟した獣の脂を集めて薬草から抽出した香料を使っており、さっぱりとした甘い匂いがする。


 棒状に成形されたそれをお湯につけ、泡立ててから彼女の頭に優しく塗りつけた。


 「ん……」


 気持ちよさそう、というより、悩ましい、と感じた私はそろそろ死んだ方がいい気がしてきた。おかしいな、本当にロリ属性はなかった筈なのだが。


 無心で、しかし優しい手付きを意識して丁寧に髪を洗ってゆく。湯気が馴染んで柔らかくなった髪をキューティクルに沿って撫でるように洗い、石鹸だというのに全くギシギシした感じがしないことに感動する。同じ石鹸を借りても私ならギシギシするから、これも蜘蛛人の髪質が為せる業なのだろうか。


 髪を洗った後は丁寧に頭皮をマッサージする。髪から余分な油を取るのは大事だが、一番丁寧にやるべきはここだ。余分な皮脂が毛根に詰まると、抜けたり質が悪くなったりすると馴染みの美容院で教えて貰った事がある。


 ……はて、何でこんなことを覚えているのだろうか。最早両親の声も顔も曖昧だというのに、なんでこんな頭を洗って貰っている間の雑談で得た内容を思い出せるのだ?


 この間なんて、姪っ子(前世の姉の子)の名前を思い出せなくて、小一時間悩んだというのに。


 私の記憶に何が起こっているのか。妙に“技術的(スキル的)”な記憶は残っている気がしても、エピソード的な記憶は普通に薄れていっているように思える。ああ、そうだ、今やあれだけ楽しみにしていて、完結を見ずに死んだ小説や漫画のタイトルさえも出てこない。


 これは一体……?


 「エーリヒィ?」


 「あ、ああ、ごめん……今流すよ」


 考え事をしていて、マルギットをほったらかしにしてしまった。石鹸が乾いてしまうと始末が悪いのだ。私はお湯が熱すぎないことを確認して、彼女の頭へ少しずつかけて石鹸を洗い流した。


 「ふぅ、良い気持ちでしたわ」


 「ああ、どういたしまして」


 丁寧に何度もかけて石鹸を落としきると、採光窓から入り込む光りで彼女の髪に天使の輪がかかる。濡れた乱れ髪をはりつかせ、柔らかな笑みを作る姿は恐ろしく美しかった。


 凄まじく美しいという意味ではない。美しくて、恐ろしかったのだ。


 その異形の下体と乙女の上体、二つのアンバランスが本能的な何かを擽ってくる。ちょうど、尾骨のあたりから頭の芯に届くような、そんな痺れに形を変えて。


 「じゃあ、背中もお願いしますわね?」


 にっこりと恐ろしく美しい笑顔を浮かべ、彼女は石鹸片手に嬉しいような怖いような分からない提案をした。


 さて、ぬるま湯で湿らせたタオルで背中を丁寧に洗ってやるのだが、実はこれ必要ないのではと気付き始めた。


 というのも、蜘蛛人の上体はヒトと殆ど変わらない外見だが、その内骨格構造は大きく異なっていることに気がついたからだ。関節の可動域がヒトよりもかなり広く、楽々と下腿全てに届くようになっているのだから、当然私達より自然に背中を洗うことができる。


 つまり、これは“そういうこと”なんだろうなぁ……。


 肩口や腰の辺りを洗ってやっている時、そっと指先に彼女が触れてくると大変微妙な気分になる。私はまだ<性徴>が始まっておらず、潜在値のままなので冷静でいられるが、体に精神が引っ張られ始めると自制が実に大変そうだと今から震撼した。


 なんというか、男性の機微を擽るのが上手すぎるのだ。これは下手な男なら二秒でコロッとやられてしまうだろう。


 「はい、おしまい」


 「ありがとう。さっぱりしましたわ」


 雑念を払って清掃を終えると、彼女は振り返って礼を言った。当然の如く、前は隠していない。いや、風呂場で遊んでいる子供全員隠してないし――私は一応タオルで腰を隠している――不自然ではないのだが。


 「じゃ、交代いたしましょ?」


 そして、毎度の如くぞわぞわする囁き声と一緒に、悩ましい提案がなされた…………。








【Tips】ライン三重帝国は衛生観念においては周辺諸国に比して抜きん出ている。平均的な荘園の農民は夏場で週に一回、冬場だと二~三週に一回は浴場を開く。何らかの理由でそれができない時も、各家庭の洗い場で体の清掃をするのは文化的慣習として身についている。












 目の前で瞑目する細面の少年を前にして、アラクネの乙女は細い笑みを形作った。


 こうして裸で座っていられると、まるで丁寧に用意された晩餐のような印象を受けたからだ。


 自分より二つ年下の肉体は、微かな成熟の気配を帯び始めている。それもこれも、あの自警団の訓練に同年代でただ一人参加し続けているせいだろう。


 最初の洗礼で他の子供達が一度ひっぱたかれて戦意喪失したのに対し、何と彼はトータルで七回ひっぱたかれても立ち上がり、最後には拾った石で刃を弾きさえしたという。あのランベルト氏が気に入るのも当然だ。


 少年の体には幾つかの痛々しい打ち身の後が残り、暫く前まで親しんでいた子供特有の丸っぽい構造から脱しつつある。軟らかかった肉が締まっていき、子供特有のぽこんとした腹がすっきりしてきていた。


 彼もその内、荘の大人達のような野良仕事で鍛え上げられた、逞しい体つきになってしまうのだろうか。そう思うと乙女、マルギットは胸が高鳴るのを確かに感じていた。


 心拍数の上昇に合わせ、彼女は戯れに打ち身の傷に触れてみた。鈍い青に染まったそれは、刃引きされた剣で殴られた割に薄いもの。ただ、いつまで経っても始まらない洗髪を訝っていた少年を驚かせるには十分な痛みを与えた。


 「いった!? ちょっ、なに!?」


 これだ。この反応が良いのだ。無垢に驚いてみせる様が、彼女の狩猟者としての本能を大いに擽った。


 しかしこれは大物だ。逃げ回る穴兎ではなく、鋭い牙を誇る猪の力と、狐の敏捷性を見せる怪物の幼体。幼い頃でこれなら、彼の体が“自分と同じく”成熟したならどうなるかを考え、彼女の心はざわつきにも似た期待で打ち震える。


 狙う獲物は、強靱であればあるほど滾るのだから。


 「ごめんなさい、痛そうだと思うとつい……」


 「思って尚触るのはおかしくない!?」


 目まぐるしく色を変えるキトンブルーの瞳は変わっていない。非難がましく見ているのに、可愛らしいその瞳は更に彼女の感性を擽るものだった。


 だからこそ、彼女は感性に従って行動する。


 「本当にごめんなさいね? だから……」


 「ちょ、マルギット!?」


 彼女は胡座を組んで座る彼の膝に乗り上げた。そうすれば、昔から差があった目の高さが一緒になる。それでも、この高さも直に違うものになってしまうと考えれば、この一瞬がひどく愛おしく思えてくる。


 「丁寧にあらってさしあげるわ」


 慌てる獲物を捕らえる蜘蛛の如く、彼女は少年の首に手を回して艶然と微笑んだ…………。






【Tips】蜘蛛人の関節可動域は人類種よりも大きく、清掃のため自身の下腿全体へ手が届くほどである。

1巻口絵(続きは製品版にて)

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
えっちだ…
[気になる点] 携帯ゲームで単三単四? ゲームウォッチだったらボタン電池だったし…、単四使ってるならそれ以降、だよな…? わからん。
[一言] エラー この画像は存在しません 泣いた
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