少年期 一三歳の晩春 四
一四〇km、数字でいえば実に単純であり、感覚としては「新幹線で昼飯食ってお茶一杯やってりゃ着くな」とか、「高速を二~三時間ほどかっ飛ばすのか。どこのSAでメシ食おうかなー」くらいの気軽さであろうが……残念ながら我々にとっては大した距離である。
三重帝国は非常に交通網が発展した国家であり、主要行政官区の州都間は“主要街道”と呼ばれる石畳で舗装された広大な街道が整備されている。ここから血管の如く細かな街道が延び、毛細血管が張り巡らされるかのように全ての街や荘が接続されているのだ。
全ては国防と経済のため、全ての時代で偏執的とまでいえる熱意によって道の整備が為された成果である。私が知る西欧の為政者達とは異なり、彼等は敵の進撃を助ける道など要らぬと開き直るのではなく、いざ必要とあらば全ての都市から迅速に戦力を抽出し、前線へ効率よく送り届けられるシステムを望んだのだ。
が、逆を返せばそれ以外の道は整っていないこととなる。
整った道ならばよいとも。徒歩でも点在する旅籠をアテにするなら、子供の我が身であっても日に三〇kmは問題なく歩けるし、カストルかポリュデウケスに乗れば倍は軽い。旅慣れていない貴族の子女を連れたとして、乗合馬車を捕まえられれば同じくらいは移動できるだろう。僻地に行くのと違って州都間を移動する隊商は多かろうし、相乗りさせて貰うことだって簡単だ。
ただし、身軽に動けて追っ手を放たれていない場合に限る。
そりゃー誰だってまずは移動しやすい所に目を付けるだろう。広域逃亡犯を捕まえるなら、高速の移動手段から潰していくのがセオリーだ。現に警察だって高速に検問を置き、電車のハブ駅で臨検をし、飛行機の搭乗口を固めるだろう? それと同じように放たれた追っ手達は帝都から伸びる全ての街道に目を光らせるはず。
全ての門に見張りが張り付き、荷にも検査が入り中を覗かれる。顔を隠しても駄目で、入出市の割り符チェックは等閑ではなく厳しくなる。猫の子一匹逃さぬ包囲が敷かれることは必定。
ついでとばかりに荒地を行くなら相応の装備と荷が必要となる。街道を行くなら旅籠が何軒か整備されていることもあり、最悪着の身着のままで水筒が一個と軽食一つもあれば凌げるようにできているが、旅籠が使えないなら数日分の水と食料、着替えに野営の備えまで引っ担いで行軍せにゃならん訳だ。
警備と追っ手の目を掻い潜り、整備されていない道を山ほどの荷を担いで女性連れで一四〇kmか……死ぬなぁ。
これが女性といってもマルギットのように草を寝床に、石を枕として眠れるバイタリティ溢れる女傑ならまだしも、聖堂暮らしの尼僧には荷が勝ちすぎる。屋根の上を飛び回る身体能力があったので望みがないとは言わないが、相当厳しいと言わざるをえなかった。
現代人からすれば短距離とも言える距離。しかれども、儚きこの二本の足には遠大すぎる距離に思わず低い呻きが唇より溢れてしまった。
「あっ、その、一つアテがあるのです! 流石に歩いていけないことくらいは分かっているつもりですので!」
「アテ、ですか」
私の戸惑いを感じ取ったのか彼女は慌てて話を進めた。曰く、帝都からリプツィまで大幅にショートカットできるアテがあるというのだ。
「まだ詳しくは申せません。ですが、三日後に必ず来ます。そして、失敗さえしなければ私達は一日の内にリプツィへ辿り着けることでしょう」
胸を張って言い切るに相応の自信がおありなのだろうが、ちょっと説明してくれないと不安ではある。
何より輝く瞳が言外に語っているのだ。その手段が彼女の感性をして“楽しい”ナニカだということを。
この人、ホント今の立場分かってんのかな。
ただまぁ、分の悪い遠足よりはマシか。
「……承知しました。では、三日時を稼げばいいのですね?」
「ええ。ただ、ここに匿っていただいたとしても……」
「精々保って一日というところでしょうね」
三日匿うだけと言えば難易度が高くないように思うだろうが、残念ながらこの世界にはピンポイントで探し人を見つけるための“魔法”が存在するのだ。ライゼニッツ卿の手紙鳥やアグリッピナ氏の折り紙の蝶が私を難なく見つけるように、個人を特定する“ピン”さえあれば探知術式が個人を特定するのは容易い。
彼女が今見つかっていないのは、偏に追っ手が僧会の関係者ばかりで魔導師の伝手が少なかったからだろう。相手に一角の魔導師が一人でもいたならば、我々はこんなにのんびりと茶をしばいてはいられまい。そもそも、出会うことさえ能わなかっただろう。
「熟達した魔導師なら数万人の人混みからでも目的の人間を見つけるのに然程の時間は要しません。髪の毛や爪の欠片などがあれば術式で辿る標には十分過ぎます」
探知術式が探るのは、世界という織物に残された個人の痕跡。いわば布の皺や汚れとして残された痕跡であり、どれだけ暗い所に隠れようと本質的に無意味だ。迫害から逃れた宗教家を匿うような小スペースや、地下のカタコンベに逃れようとも思念を手繰る術式から逃れる術はない。
相手がプライドを捨てきるまでどれ程の時間が必要かは分からないが、楽観しても一日、賢く実を取りに来る相手と見れば今夜が限度といったところか。そして、貴種が雇うに値する魔導師は、ここが帝都である以上は石を投ずる必要もなかろうて。
ならばさっさと動かねばな。
「ご安心を。魔導師がやることは多少知っているつもりです」
私は魔導師ではないけれど。単なる丁稚だとしても、私はデータマンチ。
“自分がされたら嫌な事”は“相手がされても嫌な事”であることは重々承知の上である。だから私は常々“されたら困る”ことへの対策を怠らない。自分がやりたいことはするが、相手がしたいことをさせないのは、あらゆるゲームで強い動きなのだから。
それが兵演棋であれ、TRPGであれ、ヒトを駒にした政治のゲームであれ…………。
【Tips】探知術式。魔法・魔術によって痕跡を探る技法であり、様々な方式が存在する。単純に臭いの粒子を拾う魔術や、魔法的なマーキングを手繰るのが一般的であり、次いで縁が深い物を媒介として所有者を見つける物がポピュラー。
しかし、真に優れた探知術者は、対象そのものが“世界に存在した痕跡”から逆探知してきたり、“思念を辿って”追いかけてくるため並の方法で出し抜くことはできない。
自信満々でやってきた魔導師に対し、侍従服を隙無く着込んだ美女は汚い物を見るような視線を叩き付けた。
現れた時の大言、そして呼びつけるのに要した金貨の枚数に反し、糞の役にも立たなかったからである。
「いえ、違うのです! これは技術的な問題ではなく、妨害を受けたせいでありまして!」
「では、一体誰が妨害するというのですか! この帝都において、寄る辺も無き神の子が一人!!」
妖しげな香炉を前にあたふたと弁解の言を積み重ねようとする魔導師を一言で切って捨て、彼女は不快な香りを立てる炉に水をかけた。探知に用いるというから、主人の寝所に入り込むという不敬までしでかし、抜け落ちた毛を拾い集めてきたというのにこの為体。
魔法のまの字も知らない尼僧が一人、行使される術式の高等さを“半時間もかけて”語る必要があるほどの魔法をどうすればかいくぐれるというのか。当然のことを考えるだけで彼女の礼節を保ちながらも嫌味を決して絶やさない、舌という名の刃は滑らかさをいや増してゆく。
魔導師の言が正しければ、香から漂った煙が目標の下へ向かっていくはずだった。香炉は専用の希少な金属を用い、内に納めた灰までを含めて厳選した極めて格の高い魔道具だとご高説を垂れるにしては地味な効果だと女は思ったものだ。
だが、その格の高い魔道具がしたことといえば、香の臭いと人毛が焼ける不快な臭いを混淆させたばかり。煙は親を見失って戸惑う子供のようにあっちへふらふら、こっちへふらふらしたと思えば、今し方ついに諦めたかの如く霧散したではないか。
挙げ句の果てに先刻の言い訳である。彼女はもう怒りを通り越し、呆れた目で魔導師の責任を追及するため口舌の刃を存分に振るった。
「それともなんですか? 貴方方魔導師は意味も無く、見も知りもしない少女の探索を妨害する奇行を為す趣味があるとでも?」
「で、ですが違うのですよ! これは本当に妨害を受けた時の反応です! 術式自体は完璧に成立していてですね!!」
呆れた話である。手術は成功したが体力が保たなかったので患者は死にました、と同義の言い訳は聞く者に怒りしか励起させぬ。専門家の言う成功とは、術式そのものが成立することであり、決して望み通りの結果を引き出すことではないのかもしれないが、世間一般において彼等の理屈が通用するかは実に疑わしい。
というより、通る訳もないのだ。特に相手が強権を振り回せる貴種ともなれば。
ただ、別に彼女は強権を振りかざして失敗した無能を詰って楽しんでいるわけではない。どちらかといえば、このような言動は“むいている”と言われるからこそ仕事としてできるように身につけはしたが、性質から言えばはっきり好まざるもの。
言い訳を続ける魔導師を詰るのは、偏にお前では話にならんから上のヤツを連れてこいと言いたいだけなのだ。ただ、僧会と魔導院の筆舌に尽くしがたい難しい関係性を考慮し「オメーんとこの魔導師、まったく使えねーんだけど!?」とカチ込むのではなく、失敗した魔導師から別の優秀な魔導師を引っ張らせたかったのである。
ああ、この無駄な言い訳を聞くだけで、どれほど時間という血が流れるのだろうか。考えるだけで暗澹とする心を忠義でどうにか奮い立たせ、女は尚も言い訳を重ねる無能に斬り掛かるのであった…………。
【Tips】魔法の発動に成功したからといって、望みの現象が起こるとは限らない。水中で発火の術式を練っても即座に鎮火するのは当たり前であり、言うなれば抵抗されてしまえば魔法も魔術もないのと同じである。
チャフやフレアというミサイルを回避する装備が戦闘機に装備されていることをフワッと覚えている。チャフは追尾するための電波を発するミサイルに対し、電波を乱反射するデコイをばらまくことで的を見失わせる防御兵装であり、フレアは赤外線を追いかけるミサイルを烟に巻くため、何らかの熱源をばらまく欺瞞装備である。
とすると、とある探知魔術の大家が残した魔導戦知識の一つは、正しく魔導的なチャフとフレアといえよう。
「はぁー……見事なものですね」
子供が二人並んでかじりつきで私の手元に目線を注いでいる。<見えざる手>を総動員して空中で木片が刻まれ、刻一刻と形を変えていく様は見ていて楽しいのだろう。
工場見学でガラスに張り付く小学生さながらの妹と僧を横目に、私は幾つ目かになる魔導的なデコイを仕立てた。
言っても大した品ではない。兵演棋の駒と同じく、大雑把にツェツィーリア嬢を象った――本当に大雑把で、売り物と違ってディティールに凝っていない――小さな木像。
勿論、これだけだと出来の悪いフィギアでしかないので、仕上げが必要だ。
一つは内側に本人から貰った“髪の毛”を納めること。これで木像には、彼女の姿に似せ、ツェツィーリアという同じ名が与えられ、そして肉体の一部を持つという三つの要素が加わった。
これによって、単なる木像が魔導的には本人かな……? 本人かも……? くらいの目くらまし的な存在になったという訳だ。肉眼では一目でコレジャナイと分かる品でも、ミサイルのシーカーポッドを一瞬欺せる位のクオリティがあれば上等なフレアと同じく、自分が考えて動いている訳ではない魔法を欺すのには十分という寸法だ。
「はい、よろしく」
「ええ、ええ、よろしくってよ。他ならぬ愛しの君のお願いだし、使いっ走りくらい幾らでもしてあげるわよ」
「はぁい。じゃあつぎは~どこにおいてこよ~かな~」
そして、これを市街各所にばらまければ探知術式で見つかる心配もないって訳だ。ばらまくのを自分の足でやると、広範囲に持っていくのが手間だから、貰った“唇”で呼びつけた妖精コンビのお仕事だ。不承不承を表情で表現するウルスラと、これも一種の“いたずら”として楽しんでいるシャルロッテが木像を抱えて姿を消した。
きっと今頃、探知した魔導師が困惑するような所に放り込んでいるのだろう。
「魔法というのは凄いのですね。こんな風にして木像が作れるとは」
「頭を捻れば何にでも使える、というのが強みですから」
虚空で踊る彫刻刀とナイフにヤスリを眺め僧は楽しそうに感想を零し、あらぬ所へ忙しなく目線を動かす妹は私の“術式”その物を見ているようだった。悪目立ちするのは好きではないが、やはりこうやって純粋に賞賛の目線を浴びるのは心地良いものだな。
なにはともあれ、これで魔導師が探索に加わっても探知術式を誤魔化すことができる。
まぁ、残念ながら暫くは、と注釈しなければならないのだけども。
さて、こんな調子であと三日か。
三日後に来てくれるらしいアテとやらが、この苦労に見合うものであればよいのだが…………。
【Tips】魔導戦。魔法をぶつけ合う戦闘。直接的な破壊と暴力のみならず、諜報、謀略まで実際の概念は幅広い。戦争が戦場によってのみ行われるのではないように、魔導戦も広い領域において展開される。
また、この概念においては奇跡の行使も一種の魔導戦に含むものとする。
シティーものの動いているようで実際はさして動けていない状態が好きだったりします。
文章にしてみて「あれ、めっさ地味……」という感想はさておき。
感想、誤字報告ありがとうございます。なるほど、と思ったり相変わらず減らない誤字が消えることで作品のクオリティがあがるのは皆様のおかげでございます。ぼちぼちよりシティ物らしい展開に移れると思いますので、次回もお付き合い願えれば幸いです。




