少年期 一三歳の晩春 二
手垢がつく物には皆が手に取るだけの理由がある。
それと同じで、追われている女の子は女の子に非が無いものと相場が決まっている。まぁ、たまに盗人だったとかで事件に巻き込まれるような展開も珍しくはないが、それはそれで面白いシナリオに発展するのでよしとしよう。
ただ、一番の理由は付き合いが薄くとも知り合いを売ることに抵抗が大きかったからかもしれない。
「たったそれだけで、助けて下さったのですか? 名前を知らないこの身を?」
「十分雄弁に語り合ったと思いますが。指し筋から人となりは結構分かるものですよ」
臭い台詞ではあるが真実だと思う。ゲームには思っているより人間性が出るものだ。遊んでいれば如実に「らしい」プレイスタイルだなと思い知らされる場面が何度もある。
すると、彼女はきょとんとしてから、口元を隠して貴人らしいひそやかな笑みを零した。
「だとしたら、貴方は相当信用ならない殿方、ということになりますよ」
「あー……これは一本獲られましたね」
言われちゃったかー。確かにさんざ迂回戦術だの囮だの釣り野伏せだので大駒を潰してきた私には、何の反論もできない。皇帝を押し出すストロングスタイルな戦法を好む彼女とは真逆だからな、私の好きなやり口は。
「信用ならざる男としても……小銭と兵演棋友達の軽重くらいは見分けがつきます」
暫し笑い合ってから受け取った銀貨を取り出して見せた。すると彼女は一瞬口を噤み、何か言いづらそうな顔をした。
ん? ランペル大僧正記念銀貨……だっけ。禿頭のランペルというあだ名で有名な僧が何か偉大な論説を打ったのを記念して改鋳されたものだが、銀貨としての質は高い方なので大体一.二リブラくらいの価値はあったはず。
さて、彼女は何故銀貨を見て顔を曇らせたのか。目星でサイコロを振ってみたい所だが、まぁ難しい問題ではないか。
恐らく追っ手は彼女と縁深い者、間違いなく家中の誰ぞか。貴人の振るまいが身についた僧、そして貴族の護衛が追っ手とあらば展開は自ずと知れてくる。多分、節操も慎みもない探し方をしていることに気分を害したのだろう。
ここで、自分の情報を得るのにこんな安い値段を付けて! と頭にくる香ばしい人だったら、ある意味もっと雑に扱えるから楽なのだけれども。
「それで、なんで追われているのですか?」
「えっ? あー……その……」
唐突に切り出された本題に彼女は当惑し、暫く私と床の間で目線を行き来させる。しまった、ちょっと急に踏み込みすぎたか。浅い関係性で話題を急いてもいいことはないしな。
「……言いたくないなら構いませんよ。私はただ盤を挟んだ友人を助けてあげたかっただけですから」
反応を見て押すか引くかを図るのは難しいが、ここで手を抜いたら会話は一瞬で終わってしまう。言いにくそうにしているのなら、無理に語らせない方が得策だな。見る限り、聞いて貰う前振りで言いにくそうにしている訳ではなさそうだし。
「さて、ではここから離れましょうか。時間を稼いだとはいえ、探知術式を使える魔導師を引っ張って来られたら困りますし」
こういう時は話を自分からガンガン進めて主導権を握るに限る。お嬢様にありがちな、自分は進んで奉仕を受けるべきってな具合の思い込みをしていないようなら、むしろこっちから助けてあげたいものだしな。
「しかし、離れると言ってもどこへ。上は見張りがいるでしょうし、通りも直に……」
明らかに話の推移に追い付いていない彼女は、きっと漫画なら分厚いローブの上から湯気が登っているような描写でもされていることだろう。あれ程の早指であっても、珍妙な事態への耐性は高くないか。
だろうね、うん。いきなり現れた、ちょっと知ってる位の駒屋のガキが小器用に自分を助けた挙げ句、更なる助力を何の対価もナシに申し出てくるのだから。困惑するのは分かるよ。私だったら「あ、こいつ後半の致命的な所で裏切る仕込み要員だな」と疑ってかかるもの。
普通ありえないからな、ここまでお膳立てされたような人に会えることなんて。
だが、それは私からも言えることだが。
とりあえず、私は含み笑いと共に床を指さし、世間知らずのお嬢様を戸惑わせて悦に入るのであった…………。
【Tips】貨幣は即位や戦勝だけではなく、三重帝国において重要なイベントを記念して、または偉大なる業績を賞賛するために新造・改鋳されることがある。
「足下にこんな場所が……」
三重帝国のインフラは私が本で読んだ中世よりかなり進んだ、というよりもローマ的な色合いが残った優れものだ。その中でも最たる物が、地下に張り巡らされた広大な上下水道である。
「下水道の何処かに出ましたね。ああ、迷うと合流は難しいですから、離れないように」
私が逃走経路に選んだのは、倉庫に設けられた点検口から侵入できる下水道だ。逃げ込んだ倉庫は商店の倉庫ではなく、都市が管理する備蓄物資倉庫であり――だから路地の扉が閂だけでガッチリ留まっていたのだろう――この手の建物にはインフラの点検設備が付きものだ。
まさか普通のお宅に点検口を作らせた上、都度都度上がり込んで騒がしく出入りする訳にもいくまいし、道々の点検口以外にもこういった点検口が都市各地に設けられている。作ったら作りっぱなしではなくメンテのことも繊細に考慮されているあたり、ミカが目指す進路は本当に有能でなくばなれない狭き門なのだなと改めて思い知らされた。
「下水道、ですか。その割には……」
「臭くない?」
「ええ、流れている水も綺麗ですし……虫もいませんね」
僧は臆することもなく珍しそうに水路を覗き込み、煉瓦で組まれた壁や床を興味深そうに観察している。普通なら私が作った魔法の光源があったとしても結構ホラーな雰囲気なので萎縮するか、下水道という聞くからにして汚らしい所に嫌悪を露わにするものだと思うのだが。
初めて訪れた場所を興味深そうに見回す姿は、むしろ楽しくて仕方がないとはしゃいでいるように見えた。
「壁にも綺麗な装飾が沢山。あら、何でしょうかこれ、何か刻んでありますね……古い文法ですけど。えーと、現場監督のアホ……? 賃金あげろ……?」
目に付く知らない物全部に突っ込んで行く姿は……なんというかアレだ、遠足に来た小学生みたいな風情である。見た目は私と同い年――肉体年齢的な意味で――くらいなのだが、メンタルとの乖離が若干あるのはお嬢様育ちのせいだろうか。
「ここは上水との分配管に繋がってるんですよ。流れてきた水が飲用浄水槽に流れていって、もう一度上水管に戻っていくので、既に何度か濾過された水が流れているから綺麗なんです」
「そうなのですか? 強制労働の刑罰で下水道の清掃送りがあると聞いたので、それはそれは怖ろしい所なのだとばかり……」
産業革命期イギリスの下水並みだったなら、そらーもう怖ろしいだろうさ。だけども、この世には不思議も魔法も存在し、ついでもって斯様な世界に作られた見栄の都だ。洒落たマンホールからであろうと、饐えた臭いが立ち上っては格好がつくまいし、インフラ構築の完成度は最早執念に近い何かを感じるほどハイレベルだ。
「鼠やらはでるので、病気が恐いので安全な仕事ではないですけどね。ですが、帝都の下水はきちんと整備が行き届いている方ですから、ご心配なく」
「それにしても、随分とお詳しいのですね。あら、あのレリーフはなんでしょうか」
おっと、本当に子供みたいに気になったもの全部に突っ込んで行くな。即死することはないけれど……。
「ちょっと失敬」
「きゃあっ!?」
私は水滴模様のレリーフが入り口に彫られた通路へ足を向ける彼女の腕を引っ掴んで、その好奇心に素直すぎる歩みを止めさせた。口からこぼれ落ちた悲鳴は、私が雑に引っ張ったからではない。
足を踏み込もうとした僧に反応し、半透明の物体が通路からはみ出してきたからだ。
はいはい、住処へお帰りっと。私は<見えざる手>でプルプルと柔らかそうな半固体を通路へ押し込める。ぬるっとした手触りは、御用板の仕事で何度も触れた物。
「い……いまのは……」
「下水の主ですよ。私達が出した汚れを食み、綺麗な水に戻す地下の主宰というところでしょうか」
魔導院謹製の人造魔導生命、汚物を分解し、抽出した水分を濾過する粘液体だ。三重帝国の下水で飼われているごく無害な生命体であり、汚物を浄化し、穢れに惹かれる病の媒介者を喰らうためだけに生み出された錬金術師の傑作である。
粘液体、と聞いた諸兄らが期待するような機能は持ち合わせていないので座って結構だ。別に服や金属だけ器用に溶かすこともないし、繁殖のために生物を襲うこともない。落ちて来たものを食べるという反射に従い、手を出してきただけに過ぎない。
R元服的ゲームとは違う意味で大活躍する彼等のおかげで、三重帝国の上下水インフラは極めて質が高い。
諸外国において“三重帝国では生水が飲める”と――無論、帝都などの大都市に限る――冗談の如く囁かれる話題が真実となるほどに。ただ、純粋な地下井戸ではなく、市街各所の貯水槽に送られた水を桶で汲み出す名ばかりの井戸という様式をとっているせいで夏場は温く、冬場は死ぬほど冷たいという欠点があるのだが。
「魔導院が管理していて、専用の“餌”を蒔いてやる仕事がありましてね。そのおかげで少しばかり詳しいのですよ」
私が下水に関する知識を持っていたのは、魔導院の不人気バイトとしてよく余っている都合からだった。
というのも粘液体の主食は汚物と汚水であり、それを体内で発酵、分解してエネルギーを得ているのだが、消化活動には魔力を使っている。故に魔力を浸透させた石を餌として与えると長持ちするということで、メンテのため月に何度か餌やりの依頼が張り出されるのだ。
半日下水を彷徨いて一リブラというバイトは言うまでもなく不人気で、食い詰めた聴講生でも不気味だからといって好まない。最後まで掲示板に余りがちな依頼を、居候の如くそっと選んでいる私であっても遠慮せず取れるから数をこなしただけのこと。
裏を返せばそれほどに人がやって来ることがなく、貴人であれば発想さえ抱かないということで追っ手を撒きやすい逃げ道だ。道は殆ど覚えているので、服や髪が多少湿気るのにさえ目を瞑れば、市街の何処へでも邪魔されずアクセスできる便利な通路だな。
ただ、ちょっと踏み込む場所には注意が必要だけども。さしもの錬金術師共も、あの原始的な生物に“喰っていいもの”と“だめなもの”の判別をさせられるオツムは授けられなかったのだし。
「はぁっ……はぁっ……だからっ……わたしがっ……許可しないほうに行くなとあれほど……」
「えっと、その、すみません。つい楽しそうで……」
暫くないくらい疲れた。放置して固まったチューブから捻り出すようにしか息ができず、怒鳴りそうになるのを抑えて吐き出す言葉には、粘膜が乾いたせいで血のような味が滲んでいた。
粘液体に襲われかかったにも関わらず、小学生ムーブを止める気が無い彼女を助けること数度、魔導区画に辿り着くのにどれ程の時間を浪費したか。あっちの通路へちょろちょろ、こっちの通路は何かしらとふらっと足を向けるのはやめていただきたい。追われているという自覚がおありなのだろうか。
しかし、これが掛けることの三〇……前世の教職の辛さが偲ばれる。少なくとも私には無理だな。
「ほんっとうに……ここからは……きをつけてください……あぶない……ですから」
ただ、この辺りはガチで危険なので、最悪ふん縛ってでも大人しくしてもらわねば。魔法使い達が屯する区画では、何度注意されても不精して下水に試薬だの試作品だのを捨てる阿呆が絶えないのだから。
毒性が強いヘドロだろうが何だろうが食んで生きる粘液体が発狂死する薬品が垂れ流されることもあり、ちょっと気を抜くと生命抵抗でサイコロを振るような目に遭いかねない地獄を歩くのに警戒してしたりないことはない。
「ええ、すみません、駒売りさん……ただ、危険だというなら尚更この身が」
「いいですから、もう……ほんと、前にでないで……ください……じゃあ、行きますから……」
臭いを嗅ぐ。刺激臭なし、オーケー。楽な仕事だなーとブラついている時に気化したヤベー薬を吸引し、鼻粘膜がでろでろになったのは今でも悪夢に見るトラウマ。揮発するとヤバイ物は付近になし。
流れている汚水の色。無色透明、浮かぶ気泡は洗剤などが溶けた物のみ、オーケー。無色透明、検知不能な毒を作り出そうとする錬金術師の数は、それこそ車の設計者が速い車を作ろうとするのと同じくらいいるので、見た目がセーフでも全く油断できないが。
“手”を四方に伸ばして手当たり次第に触れてみる。石の冷たい感覚のみ、オーケー。産みの親の管理から逃れた魔導生物が野生化していることもあり、二回目の仕事で壁に擬態した巨大な蛞蝓――私二人分くらいの巨大さ――にのし掛かられた時はリアルに死を覚悟した。妖精のナイフを持っていなかったら詰んでたぞ。だが、今危険な生物は近所にいないようだ。
数インチ先を小突いて回る慎重さで下水を抜け、やっと地上にでる点検口へやってきた。今日は倫理観を脳味噌から揮発させ、鼻の穴から排気したアホが居ない日だったらしい。よかったよかった、此処まで来たら次は白くて巨大なワニがワンダリングしてても不思議じゃないからな。
先導して梯子を登り、重いマンホールをずらせば我が家に面した小さな通りに出るはずだ。そうすれば何とか一服……。
「……兄様?」
ずずっと蓋をずらして頭を出した私を出迎えたのは、よそ行きの服でめかし込み、我が家の前の石段に腰掛けた愛しい愛しい妹であった…………。
【Tips】下水道。三重帝国の都市に必ず整備されたインフラ。都市によって整備の方針が異なり、冒険者や日雇い労働者に任せるところもあれば、働き口として専従の清掃機関を持つ都市もある。帝都においては粘液体の実験施設を兼ねており、定期的にヌシと呼ばれる巨大な粘液体を“刮ぎ落とす”ように下水全域で泳がせることで点検されており、その性質上不法居住者は存在していない。
多忙故に更新が遅くなり申し訳ございません。諸事情で部署の人手がたりていないのです。
しかし、そんな中でも感想やTwitterを見ると元気が湧きますね。おかげでなんとか更新できました。
来週は月末ということだけあって忙しく、どうなるか分かりませんが頑張って参りますので、お付き合い願えればなによりです。




