ヘンダーソンスケール 1.0 Ver0.31
ヘンダーソンスケール1.0 致命的な脱線によりエンディングへの到達が不可能になる。
https://ncode.syosetu.com/n4811fg/67/ でやった漂泊卿ルートの小話になります。
弟子は激怒した。必ず、かの軽佻浮薄たる師匠を改心させねばならぬと決意した。
弟子には政治は分からぬ。彼女は漂泊卿の弟子である。木っ端貴族の末娘として、下手をしなくともそこらの商人の方が豊かに思える生活を送ってきた。彼女は書を読み、詩に親しみながら家を支えて生きてきた。
それ故、怠惰には人一番敏感であった。
今日未明、弟子は眠りこけているであろう師を強襲するべく寝床を這いだし、昇降機を越え、幾つかの探知術式を誤魔化して師の寝室へとやってきた。
すべて彼女を信用し、今度こそまともに教授会に連れ出してこいと任を与えてくれた、ライゼニッツ卿とスタール卿のためであった。
弟子には金と運はない。ただ確かな魔法の才と真面目さだけがあった。彼女は微かな自信だけを頼りにして、手足の指の数を足し、ついでに自乗して足るかどうかという敵を持つ師の罠を潜り抜けた。
そして遂に寝室へ至り、ちり紙一枚と同じ軽さで虚空へ逃げていく彼を捕まえんと会心の笑みを浮かべ……人型に整えられたクッションだけを捕まえた。
「ふぇ……?」
ぽんっと軽い音を立てて幾つもの細やかな花火が弾け――こと炸裂と紅蓮を用いた破壊を師ほど得手とするものはいないと彼女はよく知っていた――間抜けなファンファーレが響いた後、まるで馬鹿にするように一枚の紙が事態を咀嚼しかねて呆ける彼女の前に落ちる。
紙にはこう記してあった。
難題に答えがあるとは限らない。
単純な文章に何度か目と頭を滑らせながら、どうにかこうにか弟子は内容を理解し……。
「あのクソ師匠!!」
弟子は激怒した。
【Tips】教授会。文字通り教授位にあるものたちの会合。別名百鬼夜行、あるいはサバト。三重帝国の将来、あるいは破滅を占う場。予算の分配から、行き詰まってきた研究へ外からの刺激というカンフルを求めての発表などが行われるが、たまにとんでもない技術を開発する議案が提起され皇帝に報告書を出す書記の顔色が面白い事になる。
呆れた師だ、生かしておけぬ、という幻聴を聞いて放蕩教授は薄い笑みを浮かべた。
「どうかしたかい、エーリヒ」
「いやなに、可愛らしいのが罠にかかってね」
ここは帝都の一等地……などではなく、帝都よりはるか離れた辺境域。馬で二日も歩けば衛星諸国領域に達する、帝国の中でも最外縁の地であった。
帝都や栄えた領邦首都とは比べ物にならぬ細やかなる街、むしろ野営地と言った方が近い風情の都市で二人の教授、否、二人の冒険者は気楽に酒を呷っていた。
未明の酒場は閑散としつつもきちんと営業を続けており、夜型の人種がせこせこと給仕を続けていた。早朝から働くために食事をつまみに来た者、むしろ今からが自分たちにとっての夜だと寝酒を呷りに来た者など様々な客が入り乱れる中、壮麗なローブを放りだした二人の阿呆は安酒を美味そうに楽しむ。
「あの意地の悪いトラップ、まだ続けているのかい」
「一応、な。アホなら軽く、無害なら無害に、そして……」
「優秀なる敵には死を、ね。ほんと、どういった性根の歪み方をすれば、そんな発想がでてくるのやら」
現役の役者であっても隣に並べば陰るだろう柔和な美を纏ったシュポンハイム卿は、小さく指を鳴らして安酒のカップに氷を浮かべた。この友人が年を重ねる毎に師と似てくる――当人は頑なに否定しているが――ことを彼は面白いような、周りが不憫なような何とも言えない気持ちで長年眺め続けていた。
魔導師にとっての工房は、存在そのものが銀行の口座のごとく重要な品だ。彼等が時間という財を用いて築いた知識の城の重みは、目に見える金貨や財宝の山とは比較にならない。多くの魔導師なら、財と工房ならば両天秤にかけることさえ烏滸がましいと認識するだろう。
何故なら知は数多の金貨を産むが、金貨や財宝で知を産むことはできないのだから。
それ故、全ての工房は盗人への対策が個人の能力の及ぶ限り施されている。勿論、ミカも相応の防備を自身の工房に施しており、命より大事な都市部インフラストラクチャの設計構想図は十重二十重のトラップに護られているのだが……エーリヒのそれは、他と少し趣が違った。
一般的にセキュリティとは一目で「こりゃ手が出せん」と諦めさせるような構造を目指すものである。頑健な金庫にせよ、大勢の立哨に囲まれた建物にせよセキュリティを固めることで“諦めさせる”ことも防備の一環として成立させている。
が、何を思ったかこの男、工房入り口への立入権限を“フリーパス”にしていた。当人はレポートを提出しに来た学生が不在でも困らないように、などと尤もらしい理屈を嘯いているが、付き合いが長い友人は確実に嘘だと見抜いていた。
さもなくば、相手の力量に応じて被害が変動するようなトラップを用意するまい。この物狂いは、なんとも性質が悪いことに刺客を追い返すことを娯楽の一つにしていやがるのであった。
簡単なパズルがあったとしよう。解法が複数あるが幾つも引っかけがあり、未熟者が引っかかりやすい誤答を為したならトラップは水をかける、あるいは塗料をぶっかける程度の軽い罰則と、教訓を書いたメモを降らせる程度に留める。
だが、ガチの専門家でもなければしないようなニアピンをした場合、戦闘魔導師として名を馳せる漂泊卿謹製の炎熱術式がカッ飛んでくることになる。斯様な者がトラップに挑むということは、大抵ぶち殺しにかかってくるか、研究成果を横取りしようとしているかのどちらかなのだから。
幻想種研究というのは実に難しい。幻想種そのものが強大な戦闘能力を有しているのみならず、個としての完成度が極めて高い傾向にあるせいで繁殖欲が薄く、個体数が然程多くないため遭遇難易度自体がエクストリームなのだ。
されど幻想種の多くは珍しさに見合う特異な性質を持ち、その血肉はあまりに魅力的過ぎる。呑めば若返る血液や、高位の魔導師が張る物理障壁と同等の衝撃反発能力を持つ鱗、移植すれば数瞬先を見通させる眼球など、見る者が見れば家人を質にしても欲するであろう強大な権能を秘める。
漂泊卿はあくまで研究目的で生態を解明し――たまにどういうわけか仲良くなって帰って来る珍ムーブもみせるが――サンプルも標本用の最低限しか獲らず「え? 使う用? なんで?」とさも当然のごとく権力者からの要望にシカトをかますアナーキストである。
それ故、彼が研究用資料として確保しているごく微量のサンプルを欲するものは絶えない。交渉を諦め、無法に走ろうとも。
まぁ、斯様な連中がどんな目に遭ってきたかは、今も彼が元気で研究していることから明白であろうが。
「どんな性根もなにも、私ほど紳士的で常識に満ちた教授は君を除けばそうそうおるまいよ」
聞く人が聞けば「やろうぶっ殺してやる!」と秒で杖だの剣だのを持ち出しかねない発言に対し、柔和な笑みで受け流してやるだけの優しさがシュポンハイム卿にはあった。一体どういう理屈で脳内をねじ曲げたのかは分からないが、彼は自分を常識人だと思い込んでいるどうしようもないサイコであった。
「よぉ、美人のねぇちゃんふたり! おしゃくしとくれよ!!」
微妙な空気になりかけた時、二人の冒険者の間にガタンと割り込んでくる酔漢が一人。寝酒を呷りすぎたのか、ぐでんぐでんによっぱらった吸血種の男であった。粗雑な革鎧や大外套を纏っているところを見るに同業者であろう。時にヒトから転じ、習慣が抜けきらぬ吸血種は好んで飲食をするというが、これは正しくヒトであった経験の弊害であろう。
「私が女に見えてるあたり、酒を召しすぎたようだぞ貴公」
「おぉん? あー? おとこー? えー? なげーきんぱつで……?」
「うーん、末期だねぇ……僕も今は中性なんだけども」
ぐだぐだに酔っている吸血種だが、身に纏う装具の年季からして素人ではないようだし、なにより“吸血種特有の不死性”に頼ってゴリ押す阿呆でもなさそうだ。なればと漂泊卿は笑みを作り、懐から錫製のフラスクを取り出した。
「まぁいいとも貴公、ここで出会ったのも縁だ。秘蔵の酒を一杯馳走しよう」
「おっ、わるいねぇ、でもあんたほんとにおとこ……? めちゃくちゃいいにおいすんだけど……」
「妹君謹製の香袋のせいだね。さすがは“かおりたかきエリザ”か」
「オッサンから良い匂いがしても仕方ないとは思うが、持たされたならおいて行くわけにもいかんからな」
持ち込んだ酒を饗することに鼠人の店主は一瞬眉を潜めたが、まぁ酔っ払いを穏当にあしらってくれるならよいかと目を瞑った。世の中にはたまにいるのだ。絡まれた側は絡んだ側になにをしてもいいと勘違いする阿呆が。
「さぁさぁ一献。有名な醸造所ではないが、私のお気に入りでな」
「おお? 火酒かぁ、いいねぇだんな、さいこうだねぇ! かぁっ、こののどがやけるかんかく! 俺、生きてるぅ!!」
「不死者が言うとなんだか微妙な気分になるね」
ジョークなのか本気なのか分かりかねる歓声にミカは表情を歪めた。際どいジョークは上流階級のお約束ではあるものの、田舎育ちで今も帰省した時は田舎の旦那様みたいに振る舞っている彼のセンスには馴染まないのだろう。
「それでだ貴公、結構この辺りで鳴らしているように思うのだが、酒代としてちょっと教えて欲しいことがあるのだが」
「おー、いいぞいいぞ、なんでもきいてくれぇ」
「少し行った所の森に珍しい地栗鼠がいるときいてな。なんでも光の当たり具合によっては透明にみえるとか……」
しかし、際どいジョークどころか性的な揶揄も酒場の野次で慣れっこのエーリヒはあっさりスルーし本題を切り出した。単に僻地の酒場で管を巻き、如何にも場末の冒険者ムーブがしたくて脱走したわけではないのだ。
全ての予定をブッチし、現代実用建築講演会でのゲストスピーチが決まっていたミカを引っ張り出して最辺境までやってきた理由。それは彼が帝都の珍品市で手に入れた魔道具にあった。“ばかにはみえないてぶくろ”という、何かのトンチか教訓話みたいな代物を入手したのだ。
しかし、市で胡散臭そうな商人が扱う手袋は確かに肉眼では見えなかった。優れた魔法を見る“目”でなくば観測できない手袋は、嵌めた手を肉眼に映らないようにする作用を持つ正しく馬鹿には見えない手袋であったのだ。
商人に出所を聞いた所、おとぎ話のような地栗鼠の話を聞き、そんな珍しい生物がいるなら是非実在を確認せねば! といてもたってもおられず、とりあえず捕まえられた友人だけを引っ張ってここまで来た次第であった。
実にクソ迷惑な話である。
「あー、それなー、それ光の具合とかじゃねーんだ、マジでみえねんだわ」
「ほほう? それでそれで? もう一献いきたまえよ貴公」
「おっ、こりゃかたじけねぇ……いやね、ありゃきけんをかんじるとほんとうにすきとおってだな」
「ふむふむ、実に興味深い……ああ、ミカ、ちょっと投網作ってくれないか? 軽量のワイヤーで、視認性が高いようにしてほしいんだが」
「生け捕りにしてどうするんだい? ま、構わないけどね」
さて、彼がここに教授会の予定だの何だのを放り投げてやってきた理由は大したものではない。
例の手袋のごとき品が何かの間違いで量産されたら世界が混乱するからという使命感に駆られた訳でもなく、沢山確保して隠れ蓑に仕立て上げれば自分の冒険が楽になるからという欲望が沸き上がったのでもなく、況してや研究して透明化のメカニズムを解明すれば論壇で勇名になれるという出世欲を抱いた訳でもない。
単に「自分が知らないレアな生き物が居る? みたい!」という小学三年生レベルの好奇心に突き動かされたに過ぎない。彼にとって興味深いできごとに首を突っ込むのは、坑道人が酒を嗜むのと同じくらい必須のこととなっていた。
この世界には面白い事がまだまだ山のように積み上がっている。なら、教授という学徒の元締めについたのだし、研究するのが自分の使命だと思い込んでいるに違いない。
ミカは友が楽しそうにしているので、よく目立つ塗料を纏わり付かせた投網を縒り上げてやった。付き合いが長いから分かるのだ、言って聞くようならそもそも自分はここまで連れてこられていないと。
「……いや、僕も同類かな」
よくよく考えてみたら、最悪物理的に抵抗しても良いのに呆れた溜息一つで着いてきた自分も自分であった。もう開き直る他なかろう、友人が楽しそうで何よりですと。
なにはともあれ、自分にできる仕事は一つであった。興が乗りすぎた友人が地栗鼠の消える理屈を解明し、また命を狙う刺客が増えないよう見張ることである…………。
【Tips】教授クラスの魔導師が握る情報は国家戦略に響くものが多く、中には基盤そのものを揺るがすようなものも存在する。特に漂泊卿は破壊面においては“戦略術式に近い火力を単身にて実現する秘匿術式”を複数操る上、前述の希少極まる有用な幻想種のサンプルを幾つも抱え、乱獲して絶滅されたらたまらないからと生息域の詳細を公にしないため、個人的な利益のみならず国家的な利益を見込んで刺客が差し向けられることがある。
要望が多かったので、お休みをいただいたので即興で仕上げました。如何でしたでしょうか?
このNPCの性質が悪いところは、自分から動いてPCに投げられるような仕事を量産し、あるいは現場に残して行くことでしょう。きっとサプリに詳細データがあったら、最終的にコイツをぶっ殺すことを目的としたジョークセッションを立てるGMが現れてくれるに違いないですね。
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