少年期 一三歳の春 二
自由な時間を得ても、敢えて労働する変わり者がいるらしい。
「王手」
「ぬ」
ま、これを労働と言うかは微妙なとこだが。
私は自分で作った歩卒の駒を進め、皇帝への進路を阻んでいた近衛の駒を蹴っ飛ばさせた。皇帝を真後ろのマスに背負う限り“他の駒に取られない”という特性があるのに、大駒を見て欲を掻いて飛び出してきた阿呆な近衛であった。
「ぬぬ、ちと、ちと待った」
私の対面に座る坑道人の老翁――いや、まだ若いのか? 揃いも揃ってひげもじゃのせいで、彼等の年齢はヒト種には分かりづらい――は豊かな髭を捻りながら呻いた。
「待ったはなし。ただし」
とんとん、と机の上に置いた看板を指し示せば、老翁は暫し悩んだ後に大判銅貨数枚を此方に寄越した。
「まいど」
慇懃に頭を下げ、ぐぬぬとの呻きを心地良く耳で楽しみつつ蹴っ飛ばされた近衛を元の位置に戻し、歩兵にも仕事を取り消させる。
さてはて、どうしたものやら。
暇になった私は一つの商売をしていた。熟練度稼ぎがてら、今もちまちまと作っていた兵演棋の駒を売りに出たのである。木製の駒に安い塗料で筆塗りしただけの簡素な品だが、熟練度稼ぎの内職は最早私のルーチンワークに組み込まれてしまっている。
帝都は商売をするにはよい所であった。青空市なる区画が下町の商業区画に設けられ、二十五アスで割り札を一日借りれば机一つ分のスペースで商売ができるのだ。荘みたいに代官の許可も要らず、同業者組合からアガリをとられない気楽な商売は小遣い稼ぎに丁度よい。いくらエリザの学費に余裕が出たとはいえ、手前の口を糊する金は幾らあってもいいからな。
私はそんな青空市で兵演棋の駒を十五アスから一リブラで売りに出した。将棋の歩の如く前にしか進めない歩卒――ただし三つ横並びになっている時は、駒を飛び越えて行ける駒でも飛び越えられなくなる――のような小駒はお安く、凝った造形の騎士――正面からは幾つかの手段以外にとられない――やらマストアイテムの皇帝や皇太子のような大駒はお高く設定した、これといって捻りのない商売。
ただ、ちょっとだけ遊び心を設けている。店主に勝ったらお好きな駒を一個プレゼント、という腕試しだ。
やっていることは私が金貨五枚で謀られた祭と一緒だが、こっちは公明正大にお好きな駒と明記しているのだから良心的だろう?
ただし、挑戦料は駒二個の購入としてある。そんでもって、待った一回を通すなら駒一個というおまけ付きだ。この老翁はさっきから軍団を一個組めそうなくらい駒を買いまくってくれてるからいいカ……お客さんだね。
私は暫し策を巡らし、本陣で暇を託っていた勅使――他の駒を取れないが、これをとった駒もとられてしまう――を前に出す。とりあえず遅滞戦術をとり、相手のミスを誘うとしよう。
これでいて私は結構な指し手である。<兵演棋知識>は熟達まで伸ばし、元々ボドゲも嗜んでいたこともあって造詣は深い方だ。大事なのは<兵演棋>そのものの熟練度ではなく、兵演棋の知識を高めているところ。
だって、流石に遊びまで権能で上手くなったら、それはそれでつまらないだろう?
地頭を回して駒を操り、二度の待ったを引き出した後、私はお情けで投了し自分の皇帝を指で突っついて倒した。三度はひっくり返せる場面があったが、流石にここで勝ったら大人げないからな。
商売人としてもどうかと思うし。もう大駒一個無料でくれてやってもおつりが出るくらいカ……ご贔屓にしてもらったんだから、サービスだって必要さ。
なにより連戦OKにしてるせいで、ムキになってもう一回やられたら困る。次の客もいるのだから。
「ふむぅ……まぁ、今日はこのへんにしとくか」
「毎度どうも。お持ちになる駒はお決まりで?」
イマイチ納得しかねているらしい坑道人は結構気合いを入れて彫った騎士の駒を取り、椅子――普通の椅子が彼等にとっては脚立みたいなスケールだ――から飛び降りて帰っていった。あの方向ってことは、多分どっかの職工が息抜きに来たって所か。
「よっしゃ、次は俺だな」
「はい毎度、駒二つは何を?」
次に椅子に座ったのは腕まくりした巨鬼の男性だった。銅色の肌と赤銅の髪が特徴的な彼は、ここよりもっと南方の部族なのだろう。短刀の鞘を腰帯にぶら下げている――無論、帝都なので本体は収まっていない――ところからして、戦士階級のお付きが暇を潰しに来ってところか。
「んー……この女皇いろっぺぇなぁ。値が張るがこいつと、あとそこン竜騎をくれ。なぁ兄ちゃん、巨鬼を象った戦士と従士を今度作ってくれよ。俺ぁあと四日はいるからよぉ、きっとだぜ?」
こうやって安駒を買わずに気に入った駒を買い、賞品は気に入った物があればくらいに思って挑戦してくれる客もいるので面白い。単に得しようと思わず、リクエストまでしてくれると作った甲斐があるもんだね。
「じゃあ、明後日には作っておきますよ」
最近、暇なんでねと内心で呟いて駒を並べにかかった。今回は凝ったルールではなく、一番ベーシックな互いに一個ずつ駒を置いて陣形を作る即興陣の遊び方。他には前もって用意した陣形図を使う遊びもあるが、コレの方が頭を使うから面白いんだよな。
かつんこつんと間を開けず駒を置く音の応酬。即興陣では一〇数えるまでに駒を置かねばならない。
さて、それにしてもアグリッピナ氏に何があったのやら。
エリザの世話だけは私がやっているが、エリザも自習ばかりで「お師匠、お部屋に戻っていらっしゃらないの」と言っていた。あの怠惰を極め、殆ど工房から出ない雇用主が長期外出するとは何があったのやら。
まぁ、そのおかげでお勤めが緩くなり、こうやって小遣い稼ぎに精を出したり、エリザと帝都観光を楽しんだりできているのだが。
ただ、かれこれ三日目となると、あのぶっ壊れ性能の長命種だとしても些か心配にはなるが。
どんなPCだろうと、デザイナーの正気を疑うようなエネミーだろうと死ぬ時は死ぬからなぁ。
なにはともあれ、今度は勝った。重厚な陣を敷く割には衝撃力を重視した用兵をする巨鬼は、一回も待ったをかけず潔く皇帝を倒し帰っていった。いろっぺぇ戦士を期待してるぜ、と参考にした肖像画より七割増しで巨乳に作った女皇を嬉しそうに持って。
ふむ、やっぱりエロフィギアの需要は何時の時代でもあるんだな。真面目腐った顔で並ぶ裸婦像だって、あれはあれで……。
邪念が過ぎったが、露骨なエロをやると怒られるのはこの世界でも変わらないから自重自重。薄布の再現に狂気レベルで拘るのも正気度が下がりそうだし止めておこう。
のんびり兵演棋で稼ぎつつ駒を捌いていると、あっと言う間に夕刻になった。さて、ぼちぼち終い支度をしてからひとっ風呂浴びて、エリザと夕飯でも食べに飯場街へ繰り出すかな。リッチな暮らしに慣れつつあっても、やっぱり庶民出の我が妹は市井の飯屋の方が落ち着くようだし。
首をこきりと鳴らし、店じまいしようかと思っているとテーブルの前に一人の客がやってきた。
「もし、もう店じまいでしょうか?」
涼やかで平坦な声は喧噪の中でもよく響いた。うだるような夏の日、ふと吹き抜けて行く風を形にしたような声だった。
丁寧に問いかけてきた彼女は深々とローブを被った僧だった。質素な亜麻を黒に染めた僧衣、銀盤に紐を通した飾りをぶら下げた姿は“夜陰神”の信徒の証。月の神格を司る女神が担うのは、安寧、癒やし、そして警戒であったか。夜闇に休む者を癒やし安らかな眠りを与え、自らに紛れて不義を為す不埒者を正す神とし、豊穣神ほどではないが三重帝国において信仰を集めている女神だ。
信徒は主として夜警に立つことが多い衛兵や兵士、騎士にもやや多く、夜間労働や夜行性種族にも信仰されていたっけ。私の知り合いだと熱心ではないものの、自警団のランベルト氏が主神として仰いでいたはず。
「ああ、いえ、大丈夫ですよ。駒を買われますか? それとも一局?」
フードのせいで表情はあまり窺えないが――夕暮れというのもあるが、内側が不自然に暗いのは顔を隠す加護か何かがかかっているのだろう――彼女は何も言わずに席に着いた。そして、銀貨を一枚取りだし、最初から目を付けていたと思しき夜警と旗手の駒を手に取った。
夜警は最初に置いたマスから動かない限り取られない癖の強い駒で、不寝番として椅子に座り槍を抱きかかえた老年の兵士をモチーフに作った。旗手は一ゲームで一度だけ両隣の駒を引き連れて前進できるこれまたアクの強い駒であり、ここぞという場面で輝かせればゲームを決める威力があるため巧者に使われると恐い駒だ。
センスが渋いな。どっちも上手いプレイヤーに大暴れさせられると酷い目に遭うからきつい。あと一歩を夜警に阻まれたり、上手く組んだ陣形を旗手に叩きつぶされて悶えたことが何度あったか。田舎は暇潰しの手段が少ないから、集会場にはプロ棋士もかくやの錬磨時間を費やした達人がぼちぼちいるんだよなぁ。
陣形を整え、互いに様子を見ながら組んだのは、どうにもぼやけた形の見えない戦陣。私は最初から陣形を決めて戦う決め打ち型ではないので、彼女の展開をみながら序盤の構築で何とでもできる形に組んだが、どうやら向こうも柔軟に戦法を変える気質らしい。
ただし、私が皇帝と皇太子を分散させた――皇太子は皇帝が自ら盤上より退くことで皇帝となれる――受け身の構成であるが、彼女は女皇――皇帝に騎士と同じ移動能力と特性を持たせる難物――の支援を受けた皇帝が前方でデンと構え、後方でひっそり皇太子が控える押せ押せ型の構築。
うーん、なんだろう、一六世紀VS八世紀くらいって感じがする。個体スペックでゴリ押しする、寿命を持たない連中が支配者としてのさばっていた頃の戦争みたいな構図であるなぁ。
サイコロ二つを振って手番を決めれば――幸先がわるいことにピンゾロだった――ほぼノータイムで歩卒が前進する。えらく手が早いな。
かつこつ、かつこつ、テンポ良く謡うように駒が盤を叩く音が夕焼けに染まった青空市に響き渡る。店じまいを済ませた商人、雑踏に響く小気味良い音に引かれた通行人、たまたま通りがかった兵演棋フリーク、暇な面々が盤面を囲って行く。
凄まじい早指し。序盤から終盤にかけて、ほぼノータイムで返って来る手。<多重併存思考>の全てを演算に差し向け、手の先を読む私でもやっとの速度は流石としか言いようがなかった。
早指ルールでもないのに付き合うのは、もう殆ど意地だ。そら一〇人近くに囲まれてやってんだし、ここでイモ引いたらかっこ悪いだろ。いつ悪手やらかすか不安でしょうがないが、もうこうなったらとことん行くしかないわな。
ただ、この感じ長命種の指し手ではないな。時折、手慰みに駒をつまむアグリッピナ氏の相手をすることがあるのだが、それと比べると幾分か手が荒い。明確な悪手こそないものの、後に響きそうな手が二~三見受けられた。
最後の攻勢、旗手に導かれた両脇の騎兵と皇帝が栄光の中を突っ込んでゆき、私が並べた歩卒の壁が貫かれる。後に残るは近衛と皇帝、厚く作った陣が抜かれる様は戦の終わりを想起させるが……残念、早指しの弊害が出てきた。
敗着となる前に皇帝の駒を倒して譲位、返しで皇太子を狙って突き進む皇帝が役割を仕果たせず棒立ちになった近衛を獲るも、皇太子の間には勅使が控えている。が、残念ながら皇帝は勅使を殺しても殺られないルールがあるから一見無意味。
でも一手遅らせれば結構十分だったりもする。皇太子の逃げ道がまだ生きているので、後ろに下げれば皇帝は追わざるを得ず、一緒に突っ込んで来た騎士や他の供回りから孤立する。後は残った自陣の駒で押し包めばおしまい。
「あっ」
涼やかな声で驚きが溢れた。今まで触らずにいた、数手先に皇太子が辿り着く逃げ道でひっそり待っていた城塞――触れあった皇帝と位置を入れ替えられる。勿論、譲位した皇太子とも――に気付いたのだろう。序盤は皇帝の横に佇んでいたが、戦況の推移に合わせて放置された駒なので注意があまりいっていなかったように思える。
これで皇太子が一手長く生き延び、他の駒を間に差し込む隙ができ、皇帝を殺される訳にもいかないので追走を止めざるを得ない。無論、この一手が直接王手をかける訳では無いのだが……。
「……敗着、ですね」
まぁそんなもんだと思う。追走を諦めて譲位しても、攻め手によって崩れた陣形の再構築は手間だし、そもそも悠長なことはさせない。譲位せず無理押ししようにも無視して皇太子を追ったせいで残った駒が諸所で利いているので、最後はこれまた一手足らずで取れる形なので詰みだ。
皇帝と皇太子の存在はゲームを妙に長引かせるように思えるが、結局苦し紛れの譲位は敗着を認めるようなものなので、案外そうでもないのがこのゲームの“妙”と言えるだろう。後継者の存在に胡座を掻くな、と指し手を戒めているかのようでもあった。
「いいゲームでした」
繊細な指先が皇帝の頭を押し、逃げ惑う皇太子と自らを的にした皇帝の奸計に嵌まった勇士として地に臥せさせた。ま、英雄英傑の最期なんてぇのは、得てしてこういうものか。周りの観客は幕切れに疎らな拍手を送りながら、早速趣味人らしく各々勝手に感想戦をはじめていた。
「いつもここで?」
彼女は買った駒を仕舞うと、問い掛けながら立ち上がる。感想戦をやっている観客の駒が足んなくなる! という抗議を飄々と全てを聞き流して。
「まぁ、暇な時は。明日もいるとは限りませんが、暫くはやっているかと」
「そうですか。では、またいずれ再戦を」
感想戦のために代わりの駒を置いて観客を宥め、去って行く彼女の道を空けさせた。
……しかし、疲れたな。流石に一手に五秒もかけない早指しは神経が削れる。たまに長考を挟む――その度に致死の一撃が飛んでくるのだが――アグリッピナ氏との対局の方がまだ疲れないぞ。
あ、いや、まてよ。私は思い立って権能を起こし、ステータスを確認する。
わぉ、結構熟練度溜まったな。軽い特性一個取れるくらい。
多義的に利率がいいバイトになってしまった事実に内心で小躍りしながら、私は感想戦が何時終わるのだろうかと目の前で忙しなく行き交う手をぼんやりとながめるのであった…………。
【Tips】兵演棋の人気。簡易な板の駒が用意できれば誰でも遊べるため、現代と比べて娯楽に乏しい時代なので愛好家は大変多く、三重帝国の臣民であれば過半以上が遊べる人気遊戯。ケチればイニシャルコストが大変安く、ランニングコストもかからないため時間つぶしには最適である。
また、趣味が高じて人生を蕩尽する非定命の種族もままあり、そんな道楽者が強者を求めて報奨金をぶら下げて対戦相手を募ることがあり、時にその報奨金で生計を立てる“プロ”も存在する。中には専属の相手として囲われ、多額の契約金を得る者も……。
大分前に設定だけ書き散らした遊びを掘り下げてみました。凝った駒を全部集めるのは辛そうですね。お安い駒は将棋のように駒の役割だけ書いたものになります。
感想・評価いつもありがとうございます。大変やる気がでるし、元気になれます。
久しぶりにレビューまで戴いてしまって嬉しい限りです。
今週もあと2回くらい更新できたらよいのですが。




