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少年期 一三歳の春

 手に持つ重さは何の重さか。鋼の、木の、剣の、あるいは誰かの命か、家族の将来か、はたまた自分そのものか。


 難しい命題を投げつけられると深く考えこんでしまうのは、もう私の癖になっていた。


 もとよりGMから投げつけられる無理難題を物理で――無論理系の力ではない――ねじ伏せるか、小狡く裏手から刺し殺してきた人種だ。目の前の難事に思索を巡らせ、どれだけ効率よく、ないしはGMが「えぇ……」と困惑して暫くルールブックとにらめっこするような手を探し出すことを至上の喜びとしてきたのだから、最早習性といってもいいかもしれない。


 戦う事は善か、はたまた悪か。人類が発祥より延々とこねくり回してきた哲学であるが、結局一冬まるっと考えても答えはでなかった。


 そりゃそうだ、ウン千年ばかし私よりご立派な連中が数万の書籍を積み重ね、数億の金言をまき散らして答えがでないものを個人でどうやって解決しろというのか。


 本当に難しい問題だった。


 たとえば私が人を一人斬ったとしよう。捻るまでもなく殺人は悪と断ぜられよう。


 だが、私が斬った者が希代の大野盗で数十の手下を束ね、途方もない数の隊商や旅人を殺していたとすれば?


 いやいや、そんな大それた悪人でなくてもいい。一人を何かの弾みで殺してしまった逃亡犯でもいいし、ちょっとした盗人でもいい。もしくは通りかかっただけの見知らぬ誰かでもいいし、はたまた喜捨を習慣とした慈善の心を持った人物でもいい。


 ただ斬るという行為一つでもくっついてくる帰結が違う。その上、斬った連中の身の上や、もし斬らずにいたら何が起こるかを勘案すれば、人を殺さないという至極当然の倫理でさえ悪に墜ちる可能性を想定すれば本当にキリがない。


 まっこと難しい話だ。戦うにせよ、殺すにせよ、なんにせよ。どうして人はこんな解決不能な葛藤や命題を頭蓋の内側に蓄えて産まれてしまうのか。誰だっただろうか、地獄というものは、とどのつまりぺらい骨の内側に詰まっているのだと言ったのは。


 この問題を解決できるのは、正しく神だけなのだろう。それこそ万能のパラドックスなんていう、ヒト如きが考えつく矮小な言葉遊びさえ踏破する神だけが。そう、絶対に持ち上げられない石を、持ち上げられないという前提を覆さぬまま持ち上げられるような、“この世界の内側”に居る神様より高次元の神格ならば、あるいは……。


 何やらぞわりとする感覚に一瞬襲われた。マルギットの視線のような、ある種の心地よさを孕むものではない。


 理解できぬ何か。それに覗き込まれ、目が合った時のような。嫌な感じでサイコロが転がる時のような……。


 形容し難い怖気は一瞬で失せ、精神の乱れも一瞬で済んだ。そして、私は自分の力量に感嘆する。


 <妙技>を越え<達人>に至った<戦場刀法>、そして上には残すところ<寵児>のみとなった<最良>の<器用>が<艶麗繊巧>と噛み合えば、たとえ上の空であろうと剣の上でカップを踊らせることができるのだから。


 「ふう……」


 温んだ朝の空気を吐き出して、私は“送り狼”を跳ね上げ、剣先に乗せていた木製のカップを弾き飛ばした。そして、手元に飛んで来たそれを受け取り、半ばまで満たしていた水で喉を潤す。


 できるかと思ったら本当にできてしまったなぁ。刃の面にカップを乗せたお手玉。最早記憶が薄れつつある漫画か何かで読んだのは確かだが、当時は「いやねーよ」と半ば笑っていたものなのに。


 善悪を考えて人を斬るのは難しいが、ただ物を斬るなら簡単だ。そして、物を上手に斬れるなら、斬らないことだってできる。


 というのも、剣が物を斬るメカニズムを語ると長いから省略するが、きちんと刃筋を立てないと物は切れないからだ。ひいては敢えて刃筋を立てぬことで、刃でぶん殴っても物を斬らないことだってできる。


 うむ、我が剣、秘奥の一端を見たり……ってところか。


 薄いが絶えることのない鬱陶しい雪の絨毯が去り、温んだ空気が豊穣神の祝福に乗って届く春が来た。今頃はどの荘でも冬が明けた言祝ぎと農繁期の訪れに駆けずり回り、街道は血流のごとく盛んに隊商が行き来していることであろう。荘が秋に次いで活気づく、楽しい春祭りの時期だ。


 ああ、私とエリザが麗しのケーニヒスシュトゥール荘を離れ、もう一年が経とうとしているのか。時間とはまこと速いものであるなぁ。


 なにはともあれ、訪れた新しい季節を迎えて私は一つの決断をしていた。


 居直ってやることにしたのだ。


 エリザは私に「どうして恐いことを進んでするの?」と問うた。武器を持つ意味をガラになく一冬も悶々と考えてしまったものだ。


 だが、一冬考えた結果気付いたのだ。結局、今のところ私に殴りかかってきた連中に言葉が通じたのかと。そして、剣の腕がなければ、私はそんな贅沢な思考をすることもできず、とっくに土に還っていた。


 この時代は安全保障だの基本的人権なんていう二〇世紀的な肌触りの良い観念も制度も存在せず、倫理観だって「見られなきゃええやろ」のふわっとしたもの。神の実在により幾分マシだが、どうあったってマッポーでヴァイオレンスな空気は拭いがたい。


 ならば、某協会の台詞に肖るなら「武装した悪人に対抗できるのは、武装した善人だけなのだ」という理屈は一つの真理となる。


 二一世紀的価値観でいえば、改めて酷い話だな。TRPGにおいて、冒険者の一党が存在する基本原理ともいえるのだが。


 エリザは無垢だ。良くも悪くも世の中の悪意を知らない。彼女に襲いかかる悪意は全て私達家族がカットしてきたのだから。今年で九つになる幼子なのだから、至極当然の話だろう? 九つの頃には軍隊や暴力が存在する意義なんて、誰も深く考えはするまいて。彼女は童女として至極当然の思考をしたまでに過ぎない。


 だからエリザは、人間が本当に救われるに値する生物だったなら成り立つ論法で私に問うたのだ。そして、私は大人として――もう直こっちでも成人だし――人間が救いがたい生物であるという論法で備え、待ってやらねばならない。


 彼女が大人になり、人間の悪い意味での多様性と、護ることの意味を知るまで。


 それまで私は彼女を護る優しい壁になるため、色々悩んだ結果、魔宮に挑んで溜まった熟練度を<戦場刀法>と<器用>を一段階ずつ上げることに費やした。


 なぁに大丈夫だ。別に劇的なイベントなんてなくったって人は成長する。殴り合いなんて前世では一度も経験していない私でさえ、殴りかかって来る奴を現場で止めるには殴り返すか蹴り倒すしかないという理屈は分かっていたのだから。


 そんな命を賭けた、それこそキャンペーンが組めるようなイベントがなければ個人が成長できないのなら、とっくに人類なんて滅んでいるとも。


 だから大丈夫だ。きっと大丈夫。


 私は朝のお勤め前、日課となっている運動の汗を拭った。あれ、もしかして要らんフラグ立てたかな、とかふんわり考えつつ。


 不意に魔力の波長が届いた。何事かと目線をやれば、虚空が解れて穴が空く。見慣れてしまったアグリッピナ氏の空間遷移術式だ。飛び出してきたのは折り紙の蝶。


 はて、帝都内なら中継用の護符もあるので思念が届くはずだが、態々朝から手紙とはなんだろうか。


 「……今朝のお勤めはなし。魔導院に近づかないように?」


 ただ一文だけの走り書き。インクは乾ききっておらず、筆致は流麗さよりも最低限読めれば良いといった代物。相当焦って書いたことが窺える。


 ……なんか本当に要らんフラグを踏んだのだろうか…………。












【Tips】フラグ。あるいはお約束とも。状況に付随した台詞を口にすれば、極めて高確率で決まった現象が発生するテンプレート。戦場で子供が生まれるだの帰ったら結婚すると嘯いたら高確率で矢玉は心臓を射貫き、「回避しないと死ぬ! 期待値なんだから頼む!」と祈りを篭めて振った2D6は五か六を叩き出す。












 アグリッピナ・デュ・スタール男爵令嬢は一五〇年に渡る生において、大凡順風な旅路を歩んできた。


 計上しきれぬ富と数多の荘園を従える父に恵まれ、全盛から老いる事のない長命種という生まれながらの強者として生まれ落ち、その身に膨大な魔力と同種の中でも秀でた“瞳”を授けられた。


 正に神から依怙贔屓されたとしか思えない出自、そして“手前が楽をする”ためなら手間を厭わぬ気質が与えられた二物、三物を倍にもそれ以上にもしてみせた。


 長命種は生きた年数でマウントを取ることのない珍しい種だ。一種の指標として年月を語ることはあれ、決して彼等は「我は○○年生きたのだ」と自慢げに語ることはない。精々自らの経験則を語り、定命に説得力を持たせるために持ち出す程度か。


 それもこれも、全盛より衰えぬ肉体があっさりと限界を示してしまうからだ。それ故、秀でた者は若い頃から秀で、種の強大さを勘案してなお凡愚は凡愚であった。たしかに積み上がる経験は大きかろうが、最終的に長命種同士で命を取り合う場合は思考の演算速度によって決着が付くことが殆どなのだから。


 如何にドライビングテクニックに優れようが、軽自動車に乗ってスポーツカーに勝てるはずもなし。本当に頭が良い者は、経験なんぞ積まずとも予測と想像で難事をねじ伏せる。


 故に一五〇年を生きた彼女は自分の年月を殊更に誇ることはないが――丁稚を煽るために使うことこそあれ――失敗した経験に乏しく、窮地に立たされた機会も少ない。精々、二〇年前にライゼニッツ卿にガチギレされ、フィールドワークに出るか“遠慮無用”の決闘をするか選ばされた時くらいであろう。


 彼女は今まで上手くやってきた。だが、全て“自分の行為”が“自分に影響”を及ぼす範囲においてである。


 今の彼女は一人ではない。情緒不安定な弟子とほっといたら何しでかすか分からない不確定要素の塊みたいな丁稚を擁している。そして、彼女は“きっとその方が面白い”という短絡的な理由で色々とぶん投げてきた。


 正にこの瞬間、楽しんだ分だけのツケを支払わされようとしている。人は支払った以上の物を受け取ってはならぬ、世界がそう叫ぶかのように。


 「ああ、よく参った。なに、そう硬くなることはなかろう? 我は単なる閥に属さぬ一教授故にな」


 アグリッピナは目の前に座す一個の強大な存在を前にして、一体どうしてこうなったのかと本日何度目かの思考を空回りさせた。


 目の前に座す存在、その重みは計り知れない。政治という盤上遊戯を嗜みながら、経済という盤そのものの手入れを担う吸血種。かつて皇帝の称号を帯び、今は教授を自称するマルティン・ウェルナー・フォン・エールストライヒ公爵との邂逅は彼女にとって全く慮外の出来事であった。


 「さぁ、座りたまえ。一応、この場においては我が主賓ということになるし、卿は研究者故に身分的には我が遇するものとなる」


 「えー、この催しは一体……」


 「かけたまえよ、卿」


 アッハイ、と平素からは想像もできぬ堅さの返事をし、アグリッピナは上質なソファーへ腰を降ろした。ただ柔らかいだけではなく座った時のバランスと心地よさを偏執的なまでに計算された座面は、常ならば素晴らしい座り心地を提供してくれるのだろうが、この時ばかりは鋼の鋲が無数に埋まった拷問椅子とどっこいの心地だ。


 なんだって魔導院の中でもアンタッチャブル、皇帝直々に「学閥だけで一杯一杯なのに、その中に政治闘争までねじ込まないでくれ」と死にそうな顔で頼まれる核地雷から声をかけられねばならぬのか。


 エールストライヒ公は魔法の研究者として熱心に論文を認めるのみならず、論壇に高い関心を持ち気に入った学者には“心付け”を与える篤志家としても名高い。だが、学閥からは距離を置いて研究と発展そのものを愛する御仁であった。


 なんだって普通に気持ちよく始まるはずだった一日で、そんなレアキャラをぶつけられねばならぬのだろうか。数多の理不尽と好き勝手を振りまいてきた令嬢は、ほとんど初めて理不尽にぶん殴られる側に回ろうとしていた。


 「まぁ本題に入る間に軽く話でもどうかね。卿のことを知ってから幾つか論文を読んでみたのだが、実に素晴らしい内容揃いだ。これが論壇で議題に上がらぬのが何かの冗談ではないかと記憶を疑ったものだ」


 「えーと、それは……」


 当たり前である。最低限の義務として書いてきただけで、積極的に議論の場に放り出したり、意見を求めたりしたことなどなかったのだから。 自身の本意は深く深く溜めて、ここぞと言う所で発表する予定なのだから。


 「とりあえず、これなのだが」


 用意された論文の写しを見て、これは長期戦になるなとアグリッピナは覚悟した。非定命が拘ることに挑む時、寝食を忘れ相手の事情を放り投げてのめり込むことくらい、長命種の彼女には分かりきったことなのだから。


 そして、曲がりなりに王制国家に生まれた淑女のポケットには、皇帝であった人間の語りに口を挟む勇気なんてものは収まっていなかった…………。












【Tips】ごく希にだが閥に属さず、閥を持たない教授も存在する。一人で研究するのが性根に合っている者、没落して誰も寄りつかなくなった者、気難しさから人が寄りつかぬ者など理由は数多ある。また、存在そのものが特異過ぎて、閥と関わる事自体がパワーバランスを崩すことに繋がる者も存在する。

新規キャンペーンのオープニングです。主従揃って受難の図。


感想とフォローありがとうございます。露骨なことに褒められると疲れているとついついキーを叩いてしまいます。人間とは俗な物ですね。

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― 新着の感想 ―
[一言] 頑張れ師匠…
[一言] 外なる神の可能性を導きかけた時になにかしら外部から干渉を受けたとしか思えない突然の思考変更。 これはなにかしら重大な伏線になりそう……?
[一言] ・少年期 一三歳の春 ふうむ、殺人の善悪問題ですか。 これはまた難しく、そして重大な問題ですね。 これが「戦うこと」だけであれば、孫子の言うようにロールプレイや戦略だけで戦闘回避出来るの…
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