少年期 一三才の冬 二
酷く既視感を覚える光景を前にして、答えを捻り出すのに苦労したのは生まれ変わってから随分時間が経ってしまったからだろう。
昇降機を使ってやって来た実験スペースは、シューティングレンジを彷彿とさせる風情をしていた。
縦長に区切られた区画。仮標的を吊せるように作られた空間は、直射型の攻撃魔法や道具などの実験を念頭に置いて設計されたようだ。かなり奥行きがあり、戦闘魔導師志願と思しき若人が盛んに攻撃魔法を扱っていた。
気合いの入った聴講生が多いのは、年明けに技巧品評会なる催しがあるかららしい。要は年始の余興お披露目会みたいなものだが、ここで教授の目にとまれば発表や研究に関して助言を貰えたりするそうで、志が高い学生は皆必死で目立とうとするそうな。
そう思えば、学者としては優秀な――個人としてはあまり関わり合いになりたくなかった――二人から指導を直接受けられている私は、相当贅沢な身分なのだと感じ入る。いや、羨ましいなら是非とも誰か代わってほしいものだがね。
色とりどりの魔法が飛び交う様は見ていて面白いが、あまりジロジロ見てると偵察と勘違いされそうなので、さっさと予約してあるブースに向かうことにした。発表に備えて頑張っているのなら、術式の構成なんぞは見られたくないはずだろうし。
……おや、何やら場違いな御仁が一人いらっしゃるな。
廊下側の壁に背を預けて佇む姿は、月や華でさえ恥じ入るであろうケチの付けようがない美男であった。年の頃は二〇の頭から半ばといった所か。細すぎぬ長躯を飾るのは、位の高さを一目で窺わせる仕立ての良い紫紺のローブ。丁寧に髪油で撫でつけたプラチナブロンドは工芸品の如く整い、蒼白な顔は悪役専門の俳優といって通りそうなほど怜悧に鋭かった。
何より目を惹くのは銀色の瞳だ。種族の坩堝である帝都を歩けば豊かな色合いの目を拝むことができるが、銀色の瞳というのは初めて見た。一級の職人が心血を注いで磨き上げた銀器さえ霞むほどの艶がある目は、本当に銀で作った義眼だと言われても納得するほどの美しさ。真正面から見つめられたら、数秒心臓が止まってしまいそうなほどの圧があった。
なんか、魔導院に来てから人間離れした美形と妙に縁があるな。
暫く眺めていたい衝動に駆られるが、見るからに偉い人にガン付けて怒られても嫌なので欲求を抑えつけてブースに入った。きっとアレだろう、練習中にグラウンドにやって来て、有望な選手を探すスカウトみたいな人なんだろう。弟子の進退が教授や研究者の進退にも繋がると言うし、優秀な若人に唾を付けておきたい熱心な御仁が偵察に来ても不思議ではなかろう。
個別ブースの左右、人が入る部分は木材の枠組で区切られ、左右が覗き込めないようになっていたが、直接魔法をぶっ放すレーンの内部は半透明の障壁のみで区切られていた。
魔力を外部から蓄積すれば、自動で障壁を発生させる機構が組み込んであるらしく、御用板にここへ魔力を供給するバイトが募集されているのを見たことがある。魔力自慢が小遣い稼ぎをしたり、魔力を放散することで地力を上げようとするバトル漫画みたいな修行で利用されるそうな。
つまりは多少色々ぶっ放しても安心というわけだ。
私は準備してきた物をひっぱりだし、早速術式の用意にかかった。
取り出したのは閃光と轟音の術式に使うのと同じ、油紙で触媒を包んだ薬包だ。ただし、中身はドロマイト鉱石を粉末にしたものではなく、防火剤の一種と酸化銅を少量包んである。どちらも有り触れた品で、前者は工業用品店にて、後者は触媒を取り扱う工房で駄菓子くらいの気軽さで買える品。
複数の並列術式の第一段階は既に済んでいる。以前の洋館でアグリッピナ師に回収してもらった錬金術の一式で、防火剤からとある成分を<転変>と<現出>の魔法で純化・抽出・増量してあるのだ。
微々たる量のそれを<遷移>の術式で、本来なら大規模な工業設備でもなければ能わないレベルで混成させる。後は薬包自体を<見えざる手>で自分の手の中から吹っ飛ばし、目標を前に細やかな<発火>の術式で点火してやれば……。
焼夷テルミットの魔術術式が完成する。
「おわっ」
目が眩むほどの閃光、隔離障壁を張って尚も顔を灼く熱波が瞬間的に産まれ、ぶら下がっていた金属の仮標的が一瞬で溶解した。
「ひぇ……」
期待した以上に凄まじい威力に思わず声が漏れた。障壁を越えて目を眩ませる閃光に周辺がざわめくのが聞こえたが、別に私悪くないよな? これ、そういう魔法を使うための場所だもんな?
とりあえず、何をしたかと言えば化学反応を援用した低コストで高火力な魔法の実験として、何故か忘れずにいたテルミット反応を使ってみたのだ。
防火剤として使われる明礬にはアルミニウムが含有され――ボーキサイトとは比べるべくもない量だが――錬金術で抽出し、他の貧金属と混ぜ合わせ転化・増量させることが能う。それを酸化鉄と混ぜて着火すれば、酸化した金属の還元反応によって四千度以上の高温を瞬間的に発するのだ。
確かに魔法で鉄を溶断どころか溶解させるほどの出力を出すこともできるが、それは魔力の貯蔵量にも瞬間放出量にも優れた大魔導師の領分であり、残念ながら私が手を出そうとすれば相当の修練を必要とする。だが、物理現象を援用する魔術で触媒も使えばリーズナブルにいけるんじゃね? と思い至り、コンボとして完成させてみたのだ。
理屈の上で殆どの金属を融解させる高温は障壁を以てしても防護は難しく、並の熱に対する耐性を容易く抜くだろう。その上、これは還元反応によって熱を発しているので水をぶっかけようと酸素を断とうと遠慮なく燃え続け、消そうと思えば魔法で現象自体をなかったことにしなければ手の打ちようがない。
シンプル、低燃費、高火力、対策困難。人外のタフネスにも十分通用するコンボだぜ! と完成した時は小躍りしたが……いや、こわっ。
攻撃魔法の標的として十分耐える謎金属の標的が一瞬で溶け、液化した金属が石材の床で広がるのではなく溶かして沈んでいく様は怖ろしいの一言に尽きた。こんなもん人間どころか生き物相手に使って良いものじゃないな、跡形も残らんぞ。何より届く熱波や強烈な発光――強烈な紫外線――の副産物もあって要改良だし。下手に至近距離でぶっ放したら自分がダメージを受ける。
いやまぁ、攻撃魔法なんて元々相手を燃やしたり凍らせたり雷を落としたり、かなり暴力的で破壊的な物だと理解はしているが、これはちょっと“凄すぎる”気がした。二〇世紀の科学者が熱意を煮詰めた帰結、その一つを借用し魔術で法則をねじ曲げ無理矢理再現しているだけあって、破壊力は頭のネジが飛んだ規模だ。
これ、もっと触媒の量を増やしたらどうなってしまうのだろう。
ぼんやりと自分が作ったコンボのアレ具合に悩んでいると、ふと異変に気付く。
床が煮立ち、どんどんと溶けて……。
あっ、やっべ!? どうせなら熱が逃げて効果が落ちないようにって、料理を冷めないようにする<保温>の術式も組み込んでたんだった!? 下のフロア――あるかはしらんが――までブチ抜いたら怒られる!?
私は自分の不始末を処理しようと試み、改めて水をかけても酸素を断っても消えない火の性質の悪さに悩まされ、結局<空間遷移障壁>で別次元へ放逐することで解決を図った。午後一杯を軽い偏頭痛に悩まされるのをコストとして…………。
【Tips】実験室等級。実験室にも維持費の問題で全てが同じ出力の障壁で守られている訳ではなく、階級分けが為されている。聴講生向が然程危険ではない魔法の練習をする区画、研究者や教授が前段階で危険だと分かった実験を行う区画、何があろうと外に漏れると拙い魔法を使う区画など複数の実験室など必要に応じた障壁が張られ、“仕様想定内出力”の魔法を使う限りは基本的に安全である。
銀色、見る者に強くその一色を印象づける紳士は、金髪碧眼の少年が顔を青くしながら退出したブースへと踏み込んだ。
見習の聴講生が発するとは思えない、障壁を抜くほどの閃光と熱波。入れば障壁が熱を受け止めきれず白濁しているブースの中は、金属が焼ける異臭に満ちていた。高く整った鼻梁を摘まみ、紳士は遠慮なく熱の余韻が残るレーンへと入り込む。
「……魔術だな」
熱によって産まれた気流で流麗なプラチナブロンドを靡かせる、真夏の風でさえ冬の空っ風の如く感じる熱波の残滓。元となる熱源が失せて尚も現場に立ち込める温度は、ここで行使されたのが魔術であることを雄弁に語る。
「純粋に魔力を燃した熱ではない。油の類いでもない」
既に魔導院において“熱に下限はあれど上限はない”という真理が見出されているが、同時に魔術や魔法における消費魔力と発揮できる熱量の相関関係も明らかにされており、金属が溶けるほどの炎を発するのは容易でないことも知られていた。
にも関わらず、耐熱素材を用い衝撃反発の術式を付与した仮標的が跡形もなく溶け去っているということは、相当の魔術を使ったというより、何か新しい術式を行使したと見るべきであろう。
しかし、彼の感覚は大規模な魔術の発露を否定していた。場に残る魔力の残滓があまりにささやかであったからだ。小さな魔法を連発したのと同じ程度の魔力しか、この場では行使されていなかった。欺瞞術式や魔力残滓の清払を行ったならまだしも、慌てて去った少年がやったとは考えがたい。
また、触媒として熱を上げるのに役立つ油が使われた形跡がないことも興味深かった。油脂系の触媒を用いたなら、その後の空気はもっとべたついているからだ。
紳士は普通であれば近づくのも嫌になる熱を帯びる溶け落ちた穴の縁に立つと、未だヒトの肉を溶かすに十分過ぎるほどの穴へ何の躊躇いもなく指を差し込んでみせた。
「ふむ」
皮膚が一瞬で焼け落ち、肉が燃え、細胞が蒸発する。炭の如くなった人指し指の骨を興味深そうに観察し、紳士は感嘆の吐息を零した。
常人であれば絶叫するほどの苦痛に苛まれている様子は欠片も見受けられない。まるで痛みを感じていないか、何でもないものと斬り捨てているかのように。
「戦略級術式の熱量に近いな」
範囲は比べるべくもないが、数人の戦闘魔導師が共同して行使する戦場を灼く業火。身に覚えのある熱量が穴には籠もっていた。
「実に興味深いではないか。破壊の痕跡に似合わぬ熱量、溶け落ちた石床の底面が水平になる隠滅痕、どれも尋常の術式ではない……新しい術式」
気になるなと呟いて紳士は踵を返す。懐に手を差し込み、新しい手袋を取り出した手は、火傷など最初からしなかったと言うように修復されていた。
今の時期、ここで練習するということは年始の技巧品評会に出るため、仕上がりを試しに来たに違いない。毎年誰かしら「おおっ」と思う俊英が現れ、財布の紐を緩めさせてくれるイベントを紳士は誰よりも楽しみにしていた。
今年も楽しい催しになるであろう。その時まで、今の興奮を冷めさせぬため紳士は敢えて床を溶かした下手人を調べぬことにした。
いつだって驚きは新鮮な方が良い。どれほど永くとも、ネタバレは人生で一度しか楽しめないのだから。
「面倒極まる帝都来訪であったが、良いこともあるものだ。やはり若人を見るのは実に楽しい」
心持ち愉快そうな足音を引き連れ、紳士は仕事を果たすべく帝城へ向かった…………。
【Tips】戦略級術式。儀式術法、あるいは大魔術とも。複数の魔法使いが共同して練り上げる、もしくは巨大な補助陣や長大な補助詠唱を用いる単一の術式。慮外の出力、尋常ならざる射程、単独での処理が極めて困難な術式の構築を解決するため考案された技術。ただし現状においては綿密な打ち合わせと繊細な魔力のコントロールが必要となるため、専門のチームでどうにかこうにか使える代物。
設計者「直射型の簡単な魔法の練習場だし、床は普通の耐熱石版でええやろ。コストカットしないと枢密院とか皇帝がブチギレるし」
少しずつ感想を返し始めました。とはいえ、まだ魔宮攻略前なのでまだまだ時間がかかりますが、更新と同じく長い目で見て頂けると幸いです。やはり何度読み返しても元気をいただけるので感想はありがたいものです。ベランダのプチトマトに水をやるようなもんだと思って、今後とも構ってやってください。




