少年期 一三歳の初冬 二
難しい話というのは子供が寝静まってからするものと相場が決まっている。何時の時代でも、何処であっても。
「さてと」
エリザを寝台に寝かしつけた私が戻ってくると、アグリッピナ氏はいつの間にやら気軽な夜着からガウンに着替え片眼鏡を身につけていた。紺碧と薄柳の目の内、翠の瞳を覆う片眼鏡は普段使いの物ではなかった。
愛用の飾り気がない物から、金糸で細やかな紋様――いや、文字か?――が象眼された片眼鏡からは強い魔力を感じる。
「じゃ、見せて」
何をと指示される必要もなく、問い返す必要もない。私は本日何度目になるかも分からぬ溜息を零し、陰鬱な気持ちで喚んだ。
「来い」
たった一言の命令なれど、意志の篭められた言葉は意味を持つ。意味を持った言葉は魂を得て世界に染み込み、言葉に託された帰結をもたらす。
空間が滲み、世界がぼやける。劇的な演出もなく、ただ机から転げたコインが床に落ちるのと同じような“当たり前”という面をして、私の手には一本の剣が収まっていた。
重いが気持ち悪いほど手に馴染むそれは、あの日に憑いてきてしまった“渇望の剣”。案の定、万一に賭けて帰路で投げ捨ててみたものの、当然の権利の如く帰って来た呪いの人形の親類だ。終いには呼んだら来るようになったから笑えなさが凄い。
「へぇ……中々どうして。空間をねじ曲げるでもなく、歪めるでもなく、肉体に寄生するでもなく喚び声に応えるなんて」
アグリッピナ氏は渇望の剣が手の中に現れようと驚きすらせず、現れた原理の考察を早速始めていた。度し難い畜生であることに疑いの余地はないが、こうやっていると研究者としては本当に優秀なのだと再認識させられる。むしろ、優秀だからこそ斯様な工房なんだか昼寝部屋なんだか分からない部屋が、フィールドワークから二〇年帰ってこなくても維持されていたのだろうけども。
「今のは奇跡に近いわね」
「奇跡?」
毎夜毎夜「自分を使ってよ」と枕元で喧しい呪いのアイテムにしては煌びやかな形容……などというボケはおいておいて、ここで彼女が言う“奇跡”とは<信仰>カテゴリにおいて神々から授けられる秘蹟のことだろう。
神々は世界の管理者であり、剪定と修正の担い手である。文明と生き物が後退せぬよう、世界という巨大な織物の編み目を正しく飛ばす唯一の権利者達。彼等には彼等で領分と諍いがあるのだろうが、何はともあれ神聖で侵しがたい領域に存在していることだけは確かである。
「……この呪物がそんなものを扱っていると?」
ちょっと何言ってるかよく分かりませんね。呪詛とかじゃなくて? あと、抗議の電波で頭を締め付けるのはやめていただきたい。そろそろ精神防壁取っちゃおうかな。
「そうよ、奇跡よ。魔力の発散もなく、世界の歪みも生まず、法則を歪めた反発もない……空間を物が飛び越えるなんて“非常識”しでかしてるのに、それらが一切ないってことは、この現象は世界にとって“ごく自然な現象”ってことになるのよ」
分類するなら奇跡と呼ぶしかないわ、と外道は魔導師としての凛とした顔のまま言った。締まった表情、迷いのない語りからして毎度の如くからかわれている風情ではない。
「あと分かるのは、とてつもなく古いということと……別に精神を吸ったり魂をどうこうする性質はなさそうってことくらいかしら」
嘘だっ! と迫真の顔で叫びそうになるも、きらりと光る緑色の瞳が妙な説得力を醸し出していて否定することができなかった。少し魔力が見えるようになって分かった事だが、多分あの目、まともな目ではないような気がする……。
ただ、やっぱりホントかよという疑念だけは拭いきれずにじっと渇望の剣を眺めてしまう。黒々と輝く刀身は工房に差し込む明かりを反射し、その威圧感だけで研究者としては一流たる長命種の言に疑いを抱かせるのだから大した物ではないか。
ふと、衣擦れの音と共にアグリッピナ氏が指を伸ばした。そして、軽く柄に人指し指を触れさせ……。
「他は……大変身持ちが堅い、ってことかしら」
小さな血の花が咲いた。微かに触れただけの指先が爆ぜ、肉が裂け骨が露出しているのが分かった。
「ちょっ!?」
「いったー……久しぶりに血ぃ出たわねこれ。反発結界抜いてくるとかなんなのマジで」
結構な大怪我を逆むけしちゃったー、くらいの軽さで語ってアグリッピナ氏は裂けた人指し指を咥える。いや、それ絶対んな治療でよくなるものじゃないですから! というか、言葉尻から何となく察してたなら手前で触れて確かめる必要ないでしょ!?
「ほら、実践って大事じゃない? 気になったら試さないと後でもやもやするし」
長命種という種族が強力な割に、個体数が少ない理由が分かった気がする。いたなぁ、好奇心のせいで滅茶苦茶命が軽い連中。ただでさえ繁殖本能が低い上、研究者がみんなこのムーブ見せてたらそりゃ増えんわ。
「まぁ、便利そうだし使えばいいんじゃなくって? 持ち歩く必要ないから嵩張らないし、喚んだら戻ってくるなら遠慮なくぶん投げたらいいじゃない」
「いや、それは私も思ったからやってみたんですが、剣に対する使い方じゃないからやめろと苦情がきまして」
「なにそれ面倒くさい」
こればっかりは同意せざるを得ない感想を零し、彼女が咥えていた指先を口から離せば盛大に裂けていた傷の血は既に止まっていた。それでも、予想していた抜いたらもう治ってたという展開でなかったのは意外だが。
「何考えてるかは大体分かるけど、私アレなのよ、体に触る系の術式ってそこまで得意じゃないわよ。一時期暇に飽かして神経系触る技術には手ぇ伸ばしてたけど」
“暇だから”で脳味噌の中身いじくれるメンタルは、やっぱりヒトとは大分違うんだなぁと感じ入るばかり。ナチュラルに脳味噌が感覚の中枢であると認識し、外的に刺激することで反射を得ようとする研究の存在には最早何もいうまいよ。
「てかアレね、騙して握らせたら相手を酷い目に遭わせるとか、トラップとしても優秀なんじゃない?」
投げるだけで文句が出るんですから、きっとその使い方をしたら私も酷い目に遭うような気がするんですがそれは。
身持ちが堅いのは武器としてはいいのかもしれないが、何処まで貞淑なのかは調べとかないと拙いかもしれない。戦闘の途中で落っことして、仲間が気を利かせて拾ったら手が爆ぜました、なんざ酒場での馬鹿話にもならん。
しかし、危険物に触る時の結界――無駄に高度なゴム手袋だ――を抜いてくるあたり、渇望の剣そのものは魔法の干渉を撥ね除ける性質も持っているのだろうか。この剣そのものを対象とした魔法には反発し、打ち消しをかけてくるとなると最後の盾として使えるかもしれない。
ああ、いや、でもミカが戦闘の最後でかけた蜘蛛の糸をワイヤーに変えて剣を絡め取った術式は無効化できてなかったしな。安易に頼るのはよくないか。
こういう時、気軽に実験できないから厄い代物は扱いに困る。四六時中身につけろとうるさいが、持ち歩くことがリスクになり得る呪いのアイテムとか本当になんとかならんかね。奇跡を使ってくるとなれば、聖堂に投げ込んだ所で苦にもならんのだろうしなぁ。
「だめね、やっぱ思ったより痛いわ。ちょっと癒者の所行ってくるから、後よろしく」
暫し自分の傷とにらめっこして頑張っていたアグリッピナ氏だったが、面倒臭くなったのか立ち上がって工房を出て行った。珍しく手前の両足で移動している辺り、痛いのは本当のようだった。空間遷移のような繊細な術式は、集中を欠くと失敗しやすいからな。
あの化け物も完全無欠ではないと。そこまで打たれ強くないのがせめてもの救いだな。
ナチュラルに討伐する敵と同じ考察をしてしまっているが、私の中ではどっちかっていうとコネクションキャラクターじゃなくてエネミー系のアーカイブに載ってる扱いになっているからOKなのだ。
何時かぎゃふんと言わせてやると、何時ぞや誓ったことを忘れていない。人生の目標として、その内どうにかしよう。
私は渇望の剣をカウチに立てかけ、主人が居なくなったのだからと遠慮なく寝転がってみる。やっぱり良い物使ってるな、実家の寝床よりずっと柔らかくて心地いい。ううむ、ブルジョワジー……。
悩ましい報酬の提示を受け、これからの進路が更にスパゲッティなことになってきた。やりたいことが出来るようになることが私が授かった福音なれど、目的へ至るための階が何本も用意されると実に難しい。俗に言う嬉しい悲鳴というやつだが、結局一つを選び取らねばならないのはしんどいな。
「まぁ、あとはこっちか……」
呟いて権能を起こし、スキルツリーを呼び出した。インターフェースはかなりユーザーフレンドリーにできているが、複雑過ぎるこれを戦闘中に引っ張りだし、きちんと調べて取得することは難しかったので、魔宮踏破中は確認することができなかった。
ストックされた熟練度に目をやれば、こちらも実に悩ましい数値となっていた。実に膨大、ファーストブラッド補正でもかかっていたらしい初陣以上とはいかぬものの、それに届く程の熟練度が溜まっている。
連戦に次ぐ連戦と大ボスまでいたダンジョンアタックになってしまったから、これくらいならと納得できる量ではある。これくらいあれば、かなり色々と悪さの算段が出来て楽しいものだ。
ただ……これも先を考えると軽々に手を付けられなくなるから困る。仮に魔導師をやるのなら、勉学に役立つスキルが多く必要とされるだろう。不思議とスキルがなくとも前世で当然の様にやっていたことなら支障はないが、残念ながら普通の文系大学卒に魔法の勉強がスラスラできるわけもない。
専修的にやることを考えれば宮廷語のアプグレは勿論、アドオンで色々ととらないといけないのだろう。下層階級向けの発声ではなく、上流階級向けの発音やらイントネーション、あと文法なんぞの要る物が幾らでも出てくる。
となると筆記だの読文とかも必要だし、欲を出せば<直感的読解力>とか<速読法>なんぞにも食指が伸び、ざっと試算するだけで貯蓄の過半が吹っ飛んでいく結果となった。効率的に勉学をするなら<記憶力>だのなんだのも鍛えたかったし、<魔力貯蔵量>の上限引き上げは必須レベルだからな。
……いや、まぁ、お高いけどお安いな。普通の人間なら、これらのスキルや特性を習得するため数年がかりで挑むのだから。それを命がけの経験を糧にとはいえ、ボタン一個で習得できるのはやはり狡い気もする。死力を尽くして勉強する時間の価値に対して、数秒で生死が決まる戦いのやりとりのそれが大体等価かそれ以上というのも世知辛いシステムだな。
なんだろうか、この微妙な気持ち。ああ、思い出した、あれだよあれ、ボーナス入ってきてるのに冬の生命保険料だの年末年始の行事だので大量に金が要るのが分かってるから、生活費以外手を付けるに付けられない銀行口座を前にしたのと同じ気分だ。
ぐああ、もどかしい、実にもどかしく腸がよじれそうな気分だ。ちょこっと魔導師という肩書きに憧れを感じないでもないんだよなぁ。だってマギアだぞマギア、在野で適当に魔法使ってる今と違って“先生”の肩書きが手に入るのだ。「先生、お願いします」とか言われてみたいじゃないか!
……いや、ちょっと違う? まぁいいか。
ただ、やはり<器用>を寵児に引き上げるか、<戦場刀法>を<神域>までギリギリ持って行ける量なのもあって、成長ベクトルを決めた時の努力目標を一部満たせると思うと手が伸びそうにもなる。確かに孤剣の限界を分かったつもりではいても、今までヤットウをぶら下げて頑張ってきたのだから、個人的な拘りが芽生えてしまったのだ。
いかん、剣のコトを考えていたら、足下の問題児が「ねぇねぇ、使ってくれるの? もっと愛してくれるの?」と言わんばかりに毒電波を垂れ流しはじめた。誰もお前を今からぶん回すなんて言ってないだろ。習熟は片手剣の方にアドオン振ってるから、両手長剣は正直持て余すんだよ。
頭を振って思念を追い出していると、澄んだ音を立てて左のピアスが揺れた。ちりんと可愛らしい音は、耳元で幼なじみが囁いている懐かしい感覚を喚起し、ふと、する筈もない懐かしい香りを嗅いだような錯覚を引き起こす。
同時にいつも感じていた、尾骶骨から抜けて行くような震えが背中を伝って脳髄をゆっくりと撫で上げていった。
「……ま、そうだよな」
五年ほどで丁稚を上がる、と幼なじみには告げて私は此処に来た。兄として妹に格好を付け、彼女を守るためにやってきた。
だとしたら、貫徹すべきは初志なのだ。前世で耽溺し、今尚熱衰えぬ冒険への意欲は萎えていないのだし。あれ程しんどくて、あれ程死ぬ思いをしても憧れと熱は潰えなかったことから明白であろう。
休憩中に魔物から受けた襲撃、初めて死の危険を覚えるほどの強者である廃館の巨鬼。友と肩を並べて必死で生き残った魔宮。
どいつもこいつもトラウマクラスのできごとで、正直終わった直後は命のやりとりから離れたいと考えたものだ。
だけど、廃館でシャルロッテを助け、ここぞと言うときに輝く妖精のナイフを手に入れたこと。野盗共を蹴散らして懸賞金の話題でミカと盛り上がったこと。そして、全身に切り傷を負いながらも強敵を打ち負かし、クエストを達成したこと。
その全てが得難い喜びをもたらしてくれた。
懐かしく愛おしい同輩達と歩んだ紙の上での冒険と似ているようで全く違う喜びは、拭いがたい血錆の臭いがする。しかし、忘れがたいという点では、紙とサイコロを引っ掻き混ぜ、阿呆みたいに笑いながらこなしてきた思い出と同じ旅路。
別にスリルが欲しいなんて、直情的で頭の悪いことは言わないさ。平穏な暮らしが価値のないものだなんて頭の悪い発想もしない。穏やかに流れる時間の貴さは、前世と今世の両親や家族からたっぷり教わった。
「だけど……やめらんないよな、冒険も」
楽しかったのだ、終わってみれば。死ぬ思いをしたイベントが。まだたった二回だ。どっちもセッションにすれば一回で終わるような内容でも、馬鹿なことに心底楽しかったと回想してしまう。
食卓を穏やかに囲むのも、酒宴で楽しく騒ぐのも、肩を並べて静かに語るのも尊く価値ある時間だ。
だけども、それと同じくらい冒険の熱は私の中に染み入っている。
どうしてこうも終わった後に燃え上がるのだろうか。魔宮なんて逃げだそうと探索している時は、誰だこのクソバランスを構築したアホGMは二度とやるか、と心底嫌だったのに。
焦がれるという感情は、懐かしいようでいて実に身に馴染んだものだった。すとんと胸に落ちるような納得は、きっとあれなのだろう。セッションが終わったあと、駄弁りながら駅まで群れて歩いたのと同じ味がするからだろう。
終わってしまったけど次が。終わってしまったからこそ次が。
多分私は、ずっと文句を言いながら命を賭けて、終わってから尊い出来事のように感じてしまう阿呆なのだ。冒険という羅紗板に放り投げる、この命というチップは軽くもないというのに。
それでも、きっと新しいボードが広げられたなら、私は放り投げてしまうに違いない。
「なんだ、結局私も結構アレな生き物なんだなぁ」
都合六〇ドラクマも手に入るなら、流石に一生は遊べなくても生活をどう安定させるかとか、思い切ってちょっとだけ贅沢しちゃうか! とか考える所をフツーに妹の進路と冒険者のことだけ考えてる時点で分かりきったこったわな。アグリッピナ氏やライゼニッツ卿をあんまりなじれまい。
なら、骨の髄まで冒険者をやるとしましょうか。
なに、肩書きが欲しいなら冒険者として稼いでからでもできるさ。ライゼニッツ卿だって、いい歳こいたオッサンが聴講生としてやってきたとかぼやいてたんだし年齢に制限もあるまいし。
さてと、そうと決まったら、やるとしますか。
「何を伸ばそっかなっと」
私はインターフェースを覗き込み、自分の世界に潜っていった…………。
【Tips】権能によって付与された特性に本人の人格を大きく変質させるものはない。
誰かのせいでこうなったのではない。もとからこうだったのだ。




