ヘンダーソンスケール 0.1 ver1
ヘンダーソンスケール 0.1
話の本筋から逸れたちょっとした脱線。TRPGのお約束。
秋祭りの喧噪の中、一塊になった女衆が酒を呑みながら管を巻いていた。
彼女らは皆、未婚の少女達であった。農家の次女三女で嫁入りの優先度が低い者、家人の病などで家を出るに出られぬ娘など、様々な理由で嫁に行けていない者達が花嫁を眺めながらやっかんでいる。
言葉尻だけを捉えれば薄ら暗い集まりに思えるやもしれないが、彼女達のそれは先に彼氏ができたクラスメートを煽るのに近い風情であった。別段遅い早いの差はあれど、近頃大きな戦乱もないため荘には男が幾らでもいるのだ。ちょっと待てば順番が回ってくるようなことで、周囲から孤立するほど荒れる理由はなかった。
それでも荒れるものは荒れる。同じ年頃の乙女が真っ白で可愛らしい衣装に身を包み、相手はともあれ旦那様に抱かれて幸せそうにしているのだ。これに羨望の念を抱かずして、一体どうして乙女を名乗れよう。
日頃美容のためと――脂は避け、野菜を取るのが一番と三重帝国では昔から宗教のように言われ続けている――節制している普段の自制心は肥溜めにでも捨ててこられたのか、彼女達は幸福に踊るカップルを横目に祭の料理を貪った。
丁度良く浸かった豚肉の塩漬け、たっぷりの団子が浮いた牛乳煮込み、さっくり焼き上げられた衣つきの豚肉、絶対に欠かせない山盛りの腸詰めへ挑むようにフォークを叩き付けて行く。
新鮮で美容の味方と言われる野菜は欠片もない。精々箸休めと薬味のために持ち込まれた玉菜の塩漬けが申し訳なさそうに佇んでいる程度のもの。
「なんともまぁ……」
そんな饗宴の中、一人身というだけで巻き込まれた、御年一五歳とは到底思えない愛らしさの女が溜息を零した。ゴザの上に料理を広げ、車座になった乙女達の間で異質な姿は、しかして荘内ではきちんと成熟した女性として扱われているのだから不思議なものである。
彼女の名はマルギット。荘における猟師の一族であり、今年成人を迎えたばかりの蜘蛛人であった。直立してもヒト種の腰元程度の上背、童女と見まごう愛らしい容姿の彼女はその実怖ろしく優秀な狩人であるのだが、見た目から事実を想起することは難しい。
蜂蜜と水でたっぷり割った葡萄酒を舐めるように嗜み、彼女は荒れる同郷人達を眇に見やった。醜いとまでは言わないが、よくもまぁここまで嫉妬という感情を薪にして盛り上がれるものである。新郎の家格がどうのこうの、顔付きの好みがうんたらで会話の種が尽きる様子はない。
「なに他人事みたいにいってんのよ!」
「そうよそうよ! あんただってせいじんしたのにいきおくれたじゃないの!」
同輩を見て呆れた嘆息を漏らす彼女に二人の少女が絡んできた。隣にどかっと腰を降ろしたヒト種の少女はヒルダ。後ろから首に手を回し――反射的に手首をへし折ろうとするのを制御するのにマルギットは苦労していた――肩口に顎を乗せてきたのは矮人のアリシア。
彼女と同じく今年成人したものの、未だ御相手がいない二人であった。如何に男性の数がいようと、役所に書類を提出して同居すれば結婚が成立する現代と違い、この時代の結婚というのは兎角色々面倒臭いため凸凹の数が合っていた所で即座にカップル成立とはいかない。
そんなもどかしい状態で人の幸せを見ている二人も、日頃のガス抜きで大放出される酒をしこたま愉しんでへべれけに酔っていた。
そして、世界が変われど酔っ払いは集団の中で冷静な人間に絡みに行く生き物であることに違いはなかったらしい。
「私はいいのよ」
ふんと鼻を一つ鳴らし、余裕たっぷりにマルギットは笑みを作った。同性であっても一瞬ぞくっとくる、幼さに似合わぬ笑みに気圧されかけた二人であるが……そこは酔っ払い。危機感も何もアルコールに浸って死んでいるからこそ、継戦を選び再度食ってかかることができる。
「エーリヒがいるからって余裕こいちゃって」
「ほんとーにけっこんしたってわけじゃないんだしね~」
彼女が余裕でいられる理由を二人は、というよりも荘内で知らぬ者はいなかった。ヨハネスの家の四男坊、才子として近所では有名であったエーリヒとマルギットが懇意にしており、深い間柄になるまでは時間の問題であることは誰もが知るところだったのだから。
荘内において珍しいセンセーショナルな事件で帝都へ出稼ぎに行ってしまった彼と、マルギットが何らかの約束を交わし一つのピアスを分かち合ったことは狭い荘内においてあっと言う間に広まっている。娯楽が少ない田舎において、人間関係の推移を見守るのがある意味最大の娯楽ともいえるのだから。
悪趣味というなかれ。本当に他に娯楽がないのだ。たまに来る吟遊詩人と盤上遊戯、あとは取っ組み合いでもするか酒をカッ喰らうか、さもなくば麦畑の中で仲良くするくらいしかないのだから。
ともあれ、未婚のまま成人しても焦っていない理由を二人は読んでいた。代官許しの猟師家系で長女に産まれ、教育を受け仕事をしているのに婿をとれていないなら普通は相当焦るはず。だのに他人の狂奔を見て酒を舐めるだけの余裕は、遠く離れた幼なじみがいるからに違いなかろうと。
「でもねぇ、帝都でしょ? きっとお洒落な人が沢山いるんでしょうね」
「ねー。それにほら、エーリヒってかわいいおかおしてたしぃ? あのままヨハネスさんとかハインツにになきゃ~ハンナさんにのすらっとしたびせーねんになりそーだから~、とかいのびじんさんにとられちゃうかも!」
だから二人は普段なら口にしない――或いは恐くて口にできない――意地悪を言った。それは周囲でまき散らされるやっかみと同質の感情、荘内で希少な優良物件を確保していた幼なじみへの羨望が抑えきれず噴出したが故。
ただ、これは考え得る予想でもあった。
実に有り触れた話だ。都会へ出稼ぎに出た男が、ちょっと垢抜けた都会の女性に骨抜きにされ、結婚の約束も忘れて帰って来なくなるなんて。頻繁にではないが、ケーニヒスシュトゥールにおいても何年かに一回は約束を反故にされた女、たまに男が悲嘆に暮れて膝を折る光景が見られるほどに。
手に職を持ち幼い時分から金を稼ぐことができたエーリヒなら、取って食われる危険性は十分以上にあった。都会に住んでいようと田舎に住んでいようと、金を稼げる男というのはどうあろうと人気がでるものなのだから。
普通、ここで乙女ならば不安の一つも抱くところ。心とは揺れ動くもので、たとえ硬く信じていたとしても外から揺さぶられれば、一分のもしもがよぎるだろう。心が弱いなら涙を流して不安に身をよじり、強ければ空の一つも見上げて思い人の顔を思い出して不安を追い出す。
が、この狩人はそんな可愛らしく殊勝な乙女ではなかった。
「あらそう、それが?」
いや、それがって……。さも当然のように言い放つ彼女に、絡んでいた二人は二の句を継ぐことができなかった。
「いいじゃない、惚れた子がモテるのって素敵なことよ? だって、それほど価値がある相手を見初めたってことなんですもの」
何言ってんだコイツという視線を無視して蜘蛛人の少女は薄い葡萄酒を煽り、酒精の香りを帯びた吐息を吐きながら気炎を上げる。薄めたとは言え、蜘蛛人の弱いアルコール分解能力では脳味噌を蕩かすには十分であったようだ。
「狩りと同じよ。灰色の王の逸話をご存じ? 一〇〇ドラクマの懸賞金をかけられた群狼の頭目、数百の狩人が挑み、半数が逆に餌となった竜と同等……それ以上の脅威と見做された怪物」
彼女が語ったのは三重帝国南部では語り草の大怪物、今より随分昔であれど、目の当たりにした者が尽きぬほどには最近の出来事。とてつもなく賢い群狼の話だった。
誰もが知る怪物は一〇年に渡って帝国南部を荒らし尽くし、多くの荘の家畜を殺しきって戦争以上に酷い爪痕を各地に残したという。最初は代官が懸賞金を出して狩人を募ったが、誰も帰ってこず、最終的には皇統家が重大な経済的損失として金貨百枚もの懸賞金をかけるに至ったとか。
毒餌にかからず、罠にクソを垂れ、待ち伏せする狩人を背後から襲い、包囲する軍勢を逆に包囲し返す群狼は最終的には冒険者の一党に討たれたが、その脅威は民謡や寝物語に残り続ける強大さ。
偉大なる狼の王の威光は時を経ても衰えることはなく、南部を治める皇統家当主が彼の毛皮を大外套として纏い続ける限り永遠に威名を遺し続けるであろう。
「別にいいわよ、ちょっと遊んだり遊ばれたりするくらい。そうやって強くて恐くて、他の狩人からも欲しがられるような獲物を獲るから人生は楽しいの」
断っておくと三重帝国における貞操観は、種族的な文化を除けば一夫一妻を尊び貞淑をよしとするものである。
が、斯様な価値観にしてもモテる男が競争してまで求められるのも事実である。単に表に出さぬのを美徳とするだけの自制心が備わっているだけで、結局人間である以上は本能に早々逆らえないよう作られている。
「どうあれ最後に私の手に収まってれば、それでいいのよ」
彼女は、魔種に近しいとされる亜人種の彼女は、自身の欲求に素直に従っているだけに過ぎなかった。
「だって、恋愛ってそういうものでしょう?」
にっこり笑って空の酒杯を差し出し、言外に「注げ」と命じる幼なじみに対し、二人の乙女は「それは絶対に違うと思います」とは言えず、引きつった笑みで酒と肴を差し出すのであった…………。
【Tips】三重帝国は原則として一夫一妻を重んじるが、有力な家の当主であれば男女問わず妾や愛人を囲うことは珍しくもなんともない。そして、人間が生きている以上、恋愛や結婚を発端とする悲喜交々が絶えることはなく、どの地においても表題のない物語として紡がれている。
時系列的にはエーリヒが「やべぇ、北部ってもう雪降んの!?」と慌てて帝都に帰ろうとしているころのお話。やはり幼なじみは格が違った。




