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少年期 一三歳の初冬

 遅い遅いと思ってはいたが、やっぱり面白い拾い物は愉快なイベントをこなしてくれた。気まぐれに遣いに出し、思い切って〝使い魔〟もつけず、遠見の護符も与えずにいたが、よもやこんな十年に何度もないだろう事態に巻き込まれていようとは。秋に送り出し、初冬に帰って来るという遅参も笑顔で受け取れる土産こみなら満足だ。


 アグリッピナ・デュ・スタール男爵令嬢は感じ入りながら、くたくたに疲弊した丁稚を見て笑った。


 「笑い事ではありませんが」


 「逆に笑わないでどうしろってのよ」


 貴族の令嬢らしく口元こそ隠しているが、口の端を目一杯吊り上げた外連味たっぷりの笑みはその程度で隠しきれるものではなかった。魔力の一つも発散していないのに、見る者に真黒きオーラを背負っていると幻覚させる邪悪さは、むしろ流石の一言に尽きる。


 カウチに寝そべる主人、首からぐすぐす泣きじゃくる妹をぶら下げて椅子に座る従者。事情を知らぬ者が見れば当惑必至の光景はさておき、病み上がりに北部の早い雪に追われるようにして帝都へ帰ってきた丁稚は深い深いため息をこぼした。


 妹はよしとする。元々兄にべったりな子が一月以上も兄と離れ、しかも大怪我――完治したとは言え――して帰ってきたのだ。むしろ魔力を暴走させず、〝きちっと地に足をつけたまま〟縋っている様は成長さえ窺えた。


 問題は性根が発酵し尽くして糸を引いている外道にあった。


 真っ昼間なのに気楽な夜着のままカウチに横臥するアグリッピナは、丁稚から渡された貴人の手紙と彼の口から聞いた報告を脳内で咀嚼し、心底愉快そうにしている。話の合間合間でケタケタと笑う様は、最早喜劇を観劇しているかのようであった。


 酷い目に遭った本人を前にしていい面の皮をお持ちでと感心するばかりだ。


 元より彼女は、というよりも彼女の種族は総じて享楽主義者だ。永く尽きぬ寿命に倦まぬよう、楽しいことを求め、あるいは作り出さんと日々悪辣な思考をこねくり回すのがデフォだ。一時の享楽のため、世界レベルで迷惑をかけた長命種が歴史書に名を残しているあたり筋金入りである。


 それ故、今回のイベントに彼女は満足していた。元々暇に飽かして「この子のことだし、なんかやらかすだろ」と期待半分で遣いに出したのも事実。風の噂で耳に挟んだ、神々から追放され忘却された神の知識に興味がなかったといえば嘘になるが、それは目的の半分くらいでしかない。


 それがまぁ、見事な名馬が瓢箪からまろび出たものである。丁稚は気難しい複製師から目的の物を仕入れることに成功し、大きな土産話まで持ってきた。ファイゲ卿はエーリヒの不運を物語に仕立ててくれと言っていたが、アグリッピナが聞いていれば同じ要望を出しただろう。元々、彼女は無類の物語好きなのだから。


 「あー、笑った笑った……笑いすぎて喉が渇いたわね。一杯煎れてちょうだいな。いつものね」


 「……かしこまりました」


 口いっぱいに詰め込まれた苦虫をかみつぶし、それに色々言いたいことを混ぜ込んで嚥下したエーリヒは席を立った。どうせ何か言ったところで、また笑いに変換されてしまうだけなのだから。


 なら、大人しく雑用していたほうがいくらかマシという話であった。妹の足を地面に引きずらぬよう、彼女を横抱きに抱え直して厨房へ去って行く背には外見年齢には似合わぬ哀愁が滲む。


 「さてと……」


 気に入りの薬湯を啜り、喉を潤してからアグリッピナは渡された手紙の一枚を見せ付ける。彼女が求めていた“失名神祭祀韋編”の所有権をエーリヒに譲渡するという権利書だ。これを商人同業者組合に持ち込めば、手形と同じく厳重に防護された品が届くという寸法である。


 ただ、ここで問題が一つ。この本は元来エーリヒがアグリッピナから、丁稚として命ぜられて購入しに行ったものだ。旅費以外の経費をアグリッピナは支払っておらずとも、手段はどうあれ、言いつけのまま主人に渡すのが筋と言われれば身分的に否定も難しかろう。


 「普通の度量が小さい主人なら、ここで元から言いつけてたお遣いなんだからって本を取り上げる所でしょうけど、丁稚が自分の努力で仕入れた物をケチな金でむしり取るような真似はしないわ」


 が、邪悪の権化は全く似合わない真っ当なことを宣って権利書を左右に振った。別に度量の大きさを示そうとしているのではない。


 “きっとこうした方が面白い”という魔導師……むしろ払暁派の魔導師全般に言える愉快犯的気質を全開で拗らせに行っているだけであった。


 「で、これに関して私から提案できる報酬は三つ」


 三本の指が立てられ、空中に三つの光が浮かび上がった。魔力の流れを操って紡がれる光が滲み、文字へと姿を変えて行く。


 「一つはエリザの三年分の学費と生活費……ま、大体75ドラクマ相当として買い取ること」


 泣きじゃくる妹の頭を撫でていた丁稚の手が止まった。相も変わらず分かりやすい子、とクライアントの顔が笑みに歪み、それを見た丁稚は抱かれた感想を即座に察知して手の動きを再開させる。どうあっても小市民の彼は、多額の金銭に弱かった。


 その内、とんでもない贅沢をさせて慣らしてやろうかしら、などと勝手な予定を立てつつ邪悪な令嬢は二つ目の光の玉を文字に変えた。


 「二つは、貴方の身分を丁稚からエリザと同じく弟子に引き上げる……つまり、雑務より解放されて本気で魔法の研究ができて、将来的な身分を得られるようになる」


 再度、多額の金銭が露骨に動く提案に手が止まりかけたが、今度は意志が金銭のプレッシャーに勝ったからか動きが止まることはなかった。


 これは実際、かなりの額が動くことになる。聴講生を迎え入れるためには様々な手続きが必要であり、その上今回は一研究員が二人目の弟子を取る上、丁稚から引き上げるという横紙破り寸前の挙動なのだ。当然、とんでもないパワープレイを要求されることとなり、根回しに必要な手間と金銭は選択肢1を軽く上回る。


 なにより彼は目を付けられているのだ。学閥の長である、性質の悪い生命礼賛主義者に。


 じゃあ私が弟子にとりましょう! と動きを察知されて名乗りが上がったなら目も当てられない大事故なので、早急にことを片付けるのならば投ぜられる資金と手間は壮絶な規模となるだろう。


 幾多の問題を呑み込めば、これはかなり美味しい提案といえる。今まで片手間に必要な分をつまみ食いしていた魔術を専門的に修められることは、地力の大幅な強化に繋がるからだ。のみならず、閥に所属することによって多方面から受けられる便宜の恩恵は果てしなく巨大で、魔導師という肩書きをぶら下げられる社会的なパワーも無視できない。


 「最後は現金で50ドラクマの値を提示すること」


 三つ目の光が50の数字を描く。今までの提案と比べればインパクトは些か劣るが、これはこれでかなり大きい。フリーハンドで自由に使える50ドラクマは、考えようによってはその何倍にも膨れあがる巨大な種になるのだから。


 投資をするもよし、金を元手に代理人を立てて商売をするもよし、実家に送金して農家の規模を膨らませ学費を稼いで貰うもよし。ぱっと考えるだけで、かつて商社に務め金儲けに数多関わってきた社会人としてのカンが大きくざわめいた。


 問題は先の二つと異なり、手前で負うべき巨大なリスクがある点か。儲けを出すも損失を計上するも、金を受け取った後は諸々ひっくるめて手前が被らねばならぬのだから。何者も、支払った以上の物を受け取ろうとするのであれば、相応の危険を呑み込まねばならないのが世の摂理である。


 「ま、別に一日二日で結論を出せとは言わないわ。じっくり考えなさいな」


 幾らヒト種の寿命が短いとはいえ、それくらいの余裕はあるでしょう? 最早外道という言葉さえも温く感じる、ゲスな笑みを浮かべる若き長命種に儚きヒト種は何か言い返す気力さえ湧かなかった…………。












【Tips】貴族が持つ権力は絶大であるが、上には上がおり、横の繋がりも群れれば圧倒されることもあり、絶妙な均衡によって奔放な振る舞いは封じられる。その中で横車を押すならば、相応のパワーと金が必要となり、両者を併せ持つものが覇者として政界に名を轟かせるのである。












 拝啓ご両親、冬支度に忙しいであろう時節、ご壮健にお過ごしでしょうか。帰って早々ですが、僕は胃が痛くてもう一回癒者の世話になりそうです。


 冗談はさておき、イベントを洪水の如くわっと浴びせかけるのはやめてくれまいか。


 エリザはいいとも、可愛い妹に心配をかけた私が悪い。あと、色々余力がなかったのと――ヴストローに見るべきところがなかったのもあるが――土産が調達できなかった無力な兄なのだから、抱き枕くらい何日だって謹んでこなすとも。お姫様だっこしたまま足にされるのだって歓迎だ。


 ただ、この悩ましい三つの報酬をどうすべきか。


 エリザの学費が三年分も貯まるなら、今年一年分を差っ引いても二年余裕ができて、上手く行けばエリザも魔導師として自立してくれるかもしれない。ミカ曰く、魔導師が自立するまでの平均は五年ほどらしいので、家の子は天才に違いないから三年あれば十分なのではなかろうか。


 それはさておき、三年あれば私が成人して一年も猶予があり、その間に丁稚ではなく普通に冒険者をやって金を稼ぐことができる。つまりはマルギットとの約束を果たせることにも繋がるのだ。


 ただ、二つ目も魅力的っちゃ魅力的なんだよな。特に孤剣の限界を知った今では。


 一対一でなら私は早々負けない腕前になったと自負している。


 上には最早<達人>と<神域>しか存在しない<妙技>に至った<戦場刀法>の腕前と厳選した補助特性群。


 多数の<見えざる手>を縺れさせず操る<多重併存思考>、そして生き物であれば抗いがたい<転変>の魔法によって引き起こされる閃光と轟音の無力化術式。最後に理不尽な絶対防御を引き起こす<空間遷移障壁>のラインナップは自分をして「こいつ殺すの面倒くせぇな……」とルルブに載っていたら感嘆する域だ。


 が、そこまでいっても今回は優秀なデバッファーと二人で命を振り絞って死ぬ一歩……いや、半歩手前であったし、眼前の外道を筆頭とするぶっ壊れ勢には未だ遠い。


 それもこれも“先鋭的な知識の不足”と“ダメージソースが物理偏重している”二点がボトルネックになっているからだ。


 そこで魔導を研究するというのは、よいボトルネックの解消になり得るように思えた。


 直接火力を叩き付ける魔法をサブウェポン的に覚えてもいいし、<転変>系統の魔法を修めて剣を物理的に伸ばすだのして弱点を潰すこともできるだろう。或いは魔法的・魔術的な切り札を作ることで当初予定の魔法剣士から軸をずらしながらもパワーアップを図ることも能おう。


 ……まぁ、懸念があるとすれば、私の地頭が研究者として評価されるレベルに至れるかだが。


 “この手のサブカル”において魔法学園とやらに入学した場合、理論を全く説明できなくても“なんかすごいまほう”が使えればチヤホヤされるパターンは王道である。


 が、残念ながら魔導院は学術機関であり“何か知らんができた”とか“理屈は分からんけど何かでた”が一切通らない場所である。中世ファンタジーのような装いをしながら、この辺りは妙に現代的なのは暴れ回った先人達と、アブラハム系の宗教が台頭していないからだろう。


 要するに立派な魔導師になろうとするなら、きちんと論文を出して評価されなければならない訳だ。ミカがちょこちょこメモに書き溜めている複雑怪奇な覚書は、ちょっと真似出来るような気もしないのだが、そこまでしてやっとこ魔導師を志すスタートといえるのかもしれない。


 おまけに勉強しながら論文を認めて冒険者になる準備をする……さて、一体どれ程の時間と熟練度が必要になるのやら。横道に逸れた技能――少なくとも論壇に登るなら宮廷語のアップグレードは不可欠であろう――が死ぬほど必要な上、最大のネックが解消されていない。


 アグリッピナ氏は聴講生にしてやるとは言ったものの、学費を出してやるとは一言も仰っていないのである。


 いやほんと性根が悪い。学費より数倍金がかかりそうな根回しはするのに、学費は今と同じく自分持ちとかもうね。一体どんな苦学生生活を送れというのか。生活費を自弁しながら科挙を受けようとする貧民か私は。さては金欠で喘ぐ私を酒の肴かなんかにしようとしておるな。


 「はぁ……エリザを寝床に寝かせてきても?」


 「構わないわよ。首をやっちゃう前に寝かせてきなさいな」


 金のことを考えるのは後にしよう。受け取るのも支払うのも。頭がぐでぐでになっている時にかき回した思考は、得てして碌でもない結果に落ち着くからな。何より泣き疲れて寝入ったエリザをずっとぶら下げているのは、私の首にも可愛い妹の体にもよろしくない。


 私は自分も寝入りたい欲求を何とか抑え、妹を柔らかな寝台へと横たえた…………。












【Tips】魔導院は大学と制度が似通っており、教授会によって昇格が認められなければ何年経っても聴講生のままである。二年で聴講生から研究者になる才子もいれば、自分の息子ほどの年齢の後輩に追い抜かれ心折れる者もいる。魔導院は先鋭的なマッドの園だけではなく、才能の悲喜交々が咲き乱れる混沌の坩堝なのである。

つまらない水道、壊れないエアコン、立て付けが悪くならない玄関ドアをください。


報酬その2。貰えるはずの者が悩ましくて半ば拷問になっているという雇用主からの嫌がらせ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 熟練度的にも難しい方が貯まるでしょう? 中途半端なゲーム脳!
[気になる点] なんでや ボトルネックになってるのは明らかに魔力量の不足でしょう 毎回魔力量カツカツにさせてギリギリの戦い描きたいだけちゃうんかと
[一言] えっげつな……
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