少年期 一三才の秋 十八
夏休み明けにガラッと雰囲気が変わった女の子にときめいたことのない者だけが私に石を投げよ。
「やぁ、友よ……なんだ、その、恥ずかしいからあまりじっくり見ないでくれ」
夜が明けて対面したミカは、なんというか見違えるという言葉が安っぽいレベルで変わっていた。
大本は変わっていないのだ。艶やかな黒髪は陽光に照らされて光の円環を湛え、バランスが整った端正な顔立ちに陰りはない。
ただ、鼻が微かに丸みを帯び、唇は厚く瑞々しさを増し、膝頭や肩などが女性的なフォルムに変じて腰がシャープにくびれた姿は年頃の少女以外の何者でもなかった。
「あ、ああ……すまない。いや、だけどまぁ、なんとも……」
「僕はそう変わったつもりはないんだけどね」
はにかみながら、彼は……いまは彼女か? ともかく、彼女は少し伸びて癖が弱くなった髪を弄んだ。
これで変わってないと言われたら世の女性から色々投げつけられても文句を言えないぞ。
中性だった頃はどっちか完全に分からないが故の妖しい美があったが、今は完璧に少女らしい可愛らしさを纏っている。中性時と違ってぱっと少女だと分かるボーイッシュさは、いつもの道を過たせようとするような――これも失礼な物言いだが――愛らしさではなく健全に可愛いから困る。
私は暫し変わっていないが変わってしまった友にどぎまぎしつつ、彼女が運んできてくれた朝食を受け取った。癒者から渡されたというそれは、何ともそっけのない麦粥と魚醤の小瓶が添えられた簡素なラインナップ。正直物足りないのだが……。
「不満そうにしてもダメだよ、エーリヒ。君は六日寝てたんだ。急に物を入れると胃がびっくりして戻してしまうそうだ」
癒者からの受け売りを語り、不服そうにする私に彼女は無理矢理お盆を押しつけた。あー、某ハゲ鼠氏がやっちゃったってアレか。長期間臥しても床ずれや筋肉が萎えるのを防げても、胃の退化までは防げないとは便利なようで不便な世界だなぁ。
「僕でさえ、堅い物を噛めるのは今朝からようやくなんだ。我慢だよ、我慢」
性別が変わると同時に変声期も来たのだろうか。ボーイソプラノの澄んだ音声は、より高い声音の少女らしい声になっている。何となく、性別がシフトしてもどっちつかずな見た目になるのではと想像していたのだが。
これは男性になった時も見物だな。さぞご婦人の目を惹く美少年となることだろう。ますますライゼニッツ卿に引き合わせてはいけなくなってしまった。あの御仁の欲望を一気に二つ――場合によっては新規開拓して追加で一つ――満たせるとなったら、下手すると学閥紛争もありうるな。
「……友よ、僕を見ていても粥は減らないぞ」
「え? うん、そうだな……」
じろじろ見過ぎだと言外に指摘され、慌てて匙を手に取った。粥の味は出来以前によく分からなかったが、我が友の変容に驚いてばかりもいられないな。再来月にもインパクトが一個あるんだし、今後も付き合っていくことなのだから。
それに言ったのは私だろうに。どうあれミカはミカだと。
味気ない朝食はあっという間に終わらせた。因みに、彼女が目覚める前に厄い剣は寝台の下に放り込んで――思念が頭痛と混じって酷かったが黙殺した――隠してあるので、再会早々ミカの正気度が削られるイベントは回避だ回避。
「さて、僕らはあと十日はここで大人しくしていないといけないらしい」
朝食を片付けた後、ミカは隣の寝台に腰掛けてそう言った。なんでも起き上がれたら表面上良くなったように思えるが、その実、体は「動けないと死ぬ」と判断して無理に稼働状態に入ることが珍しくないそうだ。これは人間がもっと原始的な生き物だった時の名残であり、その時代は病床に伏す≒死なので、考えてみれば理解に易かった。
「この抹香臭い病室で十日か……中々にげんなりする話だ」
「仕方ないじゃないか、この香だって僕らの為に焚いてくれてるんだ。肺腑を直すための薬らしい」
「これ薬なのか?」
「ああ。喉や気管に薬は塗れないだろう? だから空気に混ぜて吸わせることで少しずつ取り込ませる魔法薬なんだってさ」
てっきり魔法っぽい雰囲気の演出とばかり思っていた。魔導師も魔法使いも、その手の演出で住処を飾るのは大好きだからな。あのアグリッピナ氏でさえ、何の意味があるのか分からん庭園みたいなギミックを幾つも工房に仕込むくらいなのだから。
それにしても、また値の張りそうな話である。ファイゲ卿は一体どれだけお大尽してくれたのだろうか。請求書を後から叩き付けてくるようなみみっちい御仁ではなかろうが、総計で幾らかと考えるとヒヤッとするどころではない。
後でお礼を言いに行かないとなぁ……。
「そうだ、君に手紙を預かっていたんだった」
ふと思い出したのか、彼はベッドサイドから封筒を取り出した。豪奢な箔押しの飾りと金箔の模様が描かれたそれは蝋印で留められており、丁寧にケーニヒスシュトゥール荘のエーリヒ殿へと達筆な速記体で宛名書きがされていた。
この見るからに几帳面そうな書体、そして封筒一つで出稼ぎ労働者の日当が軽く吹っ飛びそうな品を寄越す人物に覚えは一人だけだ。蝋を飾るシルバーリーフの紋章は、貴種の由縁を報せる不可侵の証明。
ファイゲ卿からのご褒美に相違あるまい。
私はいそいそとナイフで封を開くと、ぱちっと空気が弾ける音がした。何やら魔法の残滓が一瞬見えたので、本人以外が開いたら酷い目に遭う呪いでも篭められていたのだろうか。
「また随分と楽しそうに開く。恋文……ではなさそうだけど」
「ともすれば、それより心躍る瞬間さ。友よ、君も他人事ではないぞ? あの冒険の報酬なんだから」
一緒に見ようと寝台を叩いて誘えば、彼女もなんやかやで気になっていたのか小走りでやってきた。腰を落ち着けたとき、触れた肩が以前より柔らかく、微かに薫る彼女自身の匂いが変質しているのが分かった。
前から良い匂いをさせていたけど、これは……。
いや、落ち着け私、そうじゃないから。性別がシフトしたら合法とかそうじゃないから冷静になろう。ミカだ、友人だから。
「どうかしたかい?」
一瞬固まった私を訝って顔を覗き込む彼女に何でもないと告げ――まぁ、あからさますぎて普通にバレていそうだが――私は封筒から中身を取り出した。
……とてもなんかいだ!!
「うわ、本朝式の宮廷語だね」
友が言うとおり、手紙は本朝式と呼ばれる極めて格式高い、帝室にでも宛てるような宮廷語の極みにある繊細にして複雑、迂遠であり難解な文章で記されていた。手紙で用いる文法や単語の質によって敬意を示す文化が三重帝国のハイソサエティにあると知らなければ、何かの嫌がらせとしか思えない内容だな。読むだけでかなりの行為判定を強いられるとか何事だよ。
これをスラスラと読めて、さっと書けなければ貴族になれないってんなら、私は一生平民でいいわ。脳味噌が縺れること縺れること。
「えーと、ここの用法は……あれ?」
「ん……ここの修辞がどうかかってるか分からないな。多分、前後の文脈から判断すると……」
「いや、違うんじゃないかミカ。ほら、そうすると主格にそぐわないことに」
「うー、そうか、いやじゃあ前段から続く内容がだね」
二人で額を付き合わせながら、あーでもないこーでもないと文章の解読に力を入れて読み進める。さっきまでドギマギしていたのが嘘のようにいつも通りの空気だ。ああ、やっぱり友人として過ごした時間は、そうそう変わる物ではないのだな。
半時間以上二人で脳味噌を最大限捻り、田舎者の子供二人にしては意味の通る文章をどうにかこうにかでっちあげることに成功した。
尚、そこまで頑張った手紙の一枚目は時候の挨拶、そして軽い自己紹介、その上で今回の経緯を説明しただけのものであった。ふざけろ、あと何枚あんだこれ。
「あん?」
「おや……これは……」
げんなりしながら手紙を捲った私達の視界に映ったのは、普通の平易な帝国語の文章であった。宮廷語ですらない簡素な手紙は、先の内容から余計な修辞を切り取り、今更必要なさそうな自己紹介を省いたもの。続く文章は私たちの怪我へのねぎらいや治療費の心配は無用である旨、そして今回の事件を領主に報告したところ、領邦首都に出向かねばならなくなり見舞いにいけなくなってしまったとの謝罪であった。
最後にこう追伸があった。
本朝式の手紙は、自分の主や教授に仕果たした偉業の証拠として提出するがよいと。ついでに読みづらいだろうから、口語に平易な帝国語に崩した内容を挟んでおくから、忘れず抜き取っておくように。
二人して顔を見合わせ、再び目線は文面に。さらに数秒見つめ合い、何も言わず視線は揃って天井へ向かい……。
「「こっちを一枚目にしろ!!」」
私達は一言一句違わず、同じ怒声を張り上げた…………。
【Tips】宮廷語が複雑極まる発展を遂げた理由の一つに、外様の間諜をあぶり出す意図が含まれているという学説がある。不慣れであれば一目で分かり、不適切な単語を口にしようものならばハイソサエティの人間は容易く見抜く。仮に外見が完璧な変装をした所で、言葉まで真似るのは簡単ではないのだから。
二人で一頻りクソ面倒臭い宮廷語の存在価値を問う罵倒を口にしてストレス解消し、どうにか溜飲を下げることに成功した。これが存在することで得してるヤツが居るのか甚だ疑問である。こんな調子で口開かないと生きていけないとか、三重帝国の貴族って実は罰ゲームなのでは?
とりあえず普通の文面の手紙と宮廷語の手紙をより分けると、その途中で小さな封筒が二つ見つかる。極東の入れ子細工みたいな真似をする。
「若き勇敢なる剣士殿へ?」
「こっちには有望なる魔導師志望殿へとあるね」
互いに封筒を見比べ、一応当てはまるだろう割り当てをして――勇気もへったくれもなく、ただ死にたくなかっただけなのだが――封を開けば、現れたのは一枚の箔押しの短冊であった。
「なんだこれ」
「手形じゃないかな……? 教授のお遣いで何度か見たことがあるよ。発行は商人同業者組合か、手堅いね」
なるほど、為替手形か。発行者が支払いを第三者に委託する、現金の代わりとなるクラシカルな有価証券だな。
受領者、この場合は手形を受け取った私が商人同業者組合にこいつを持ち込めば現金化ができ、後に彼等がファイゲ卿より預かった金銭を受領、あるいは預金から天引して清算する形となる。
我々の金銭は硬貨が一般的であり、大量の流通には不向きだ。重いし嵩張るし、奪われてしまえば後からその金を本来自分の物だと証明するのが難しいから。なんか前世で死ぬ前にそんなCMあったな。
それ故、個人にしか両替できず、紙一枚で数万枚の金貨にもなり得る為替手形というのは道中の安全が確約されぬ現在は大活躍なのだという。巡察吏がこんだけ気合い入っている三重帝国でも野盗は出るのだし、非常に納得のいく話であった。
つまりファイゲ卿は私達にお小遣いをくれたのだろう。豪儀な話だ、やっぱ金持ってる貴族は違うな。
「えーと、金額は……10……」
ん? 何か妙な単語が見えた気がする。
「なぁ、友よ」
「何かな友よ。僕は今、ちょっと目薬を貰いに行こうか真剣に悩んでいるところなんだ」
奇遇だな、やっぱり友人らしく気が合うようだ。
冗談と現実逃避はさておき、手形に記された通貨単位は間違ってないだろうか。アスでもリブラでもなく、ドラクマと書いてある気がするのだが。
ドラクマ、金貨である。この国における最高通貨単位であり、以前私が一杯食わされた試し切りの露店と違って“金貨10枚”みたいなお為ごかしではなく本当に10ドラクマの価値がある金貨10枚分ということだ。
凄まじい金額に興奮するでもわくわくするでもなく血の気が引いた。
考えても見て欲しい、比較的裕福だった我が家の年収約二年分だ。つまり、平均的なリーマン家庭に置換すれば400万円から800万円近い計算になる。
そりゃー小遣いが多くて嬉しいに超したことはないさ。でもね、お年玉の封筒に札束ねじ込まれてたら困惑するだろ普通。爺さんが調子乗って若いのに小遣い握らせるにしても、これはやり過ぎなのでは? 普通に冒険者になっても、ここまでの実入りの仕事ってあるのか疑問だぞ。なんだ、私はついでに竜の……いや、龍の首でもとってこいと?
同じ額面を叩き付けられた貧乏苦学生の友人は頭を抱え、色々と発散しがたい感情を沸騰させながら首をかしげていた。かしげて、というよりも最早捻っている。脳味噌と思考の縺れっぷりを反映するかの如く捻れている彼女の内心は、察してあまりあるものであった。
私だって小市民なのだ。金貨なんてあの祭以来手前で直接触ったことはないし、アグリッピナ氏から約束されていた1ドラクマだって生活費か貯蓄行きの予定だったのだ。それがいきなり10倍……?
マシになった筈なのに頭がクラクラしてきた。六日寝てた人間になんてもん叩き付けやがる。嬉しいけど困惑が勝って如何とも感情を処理しかねる。
「よし、寝るか」
「……そうだね、お昼寝だね」
頭が沸騰して死ぬ前に私達は完璧な現実逃避を決め込むことにした。これはもうちょっと精神が落ち着いたら処理しよう。お礼状とかもそれからだ。そんで、1ドラクマを将来の貯蓄にとっといて、後はエリザの学費に充てるんだ。
私達はもう面倒になったので同じ寝床に潜り込み昼寝を決め込んだ。
そして、後で手紙の文面を漁り、また私一人で卒倒することになる。
なんでまたファイゲ卿はクライアントではなく、私に“例の本”の所有権を譲渡するなんて面倒臭い真似をしてくれたかな…………。
【Tips】この時代、貧富の差は現代が比べ物にならないほど激しいものである。ファイゲ卿は一冊の写本で数十ドラクマの稿料をせしめ、アグリッピナは本を買いあさるのに年間百ドラクマ以上を投じ、ライゼニッツ卿はエーリヒとエリザにコスプレさせる予算で二百ドラクマを蕩尽している。
次回で報酬パートが終了し、ぼちぼち今回の成果を確かめながらの成長へ入ります。
エンディングで「これだけが報酬」「「おおー」」で済むのをきちんとロールすると長くなるのはよくあること。2~3人くたばるのもよくあること。
感想と誤字報告ありがとうございます。
貯まっていた誤字報告を少しずつ反映させていっております。ほんとこいつ誤字と誤変換減らないな……なんで恥ずかしげも無く公共の場に投稿できてるんだ?(判定:自己暗示)




