少年期 一三才の秋 十七
目が覚めると発禁物の光景が広がっていた。
「お早いお目覚めね?」
角度によっては全く無防備な、髪だけで肢体を隠す何時のもスタイルでウルスラが突っ立っていたからだ。素足で、何の臆面もなく、人の顔を踏みつけにして。
「なにするかな」
「親切な隣人の警告を無視するからよ、愛しの君」
無礼な夜闇の妖精は翅を震わせて飛び上がると、そっと私の額に立ち位置を移す。そうじゃなくて、退いてくれまいか。
「……かなり寝てた?」
「いいえ? ぜんぜん? 癒者の睡眠薬で五日間ぽっちよ」
五日!? ファイゲ卿に昏倒させられてから、私は五日も眠り続けていたというのか!?
「隠れて聞いてたけど、結構拙いところまでいってたみたいよ愛しの君。体は筋も肉もぼろぼろ。痛みを誤魔化すためにおつむが無茶やったとかで、下手すると廃人一歩手前だったみたいだし」
恐い。問題が具体的にされると凄く恐い。なんだ、戦闘後のナチュラルハイで痛みを無視してきただけで、常時生命判定しながら歩いていたみたいな状態だったというのか。サイコロが判定基準値を下回った瞬間に死んでたかもしれないと言われると、途端に恐くなってくるから困る。
「まったく……わたくし達が出て行けない時に無茶しないのよ。何の為に唇をあげたと思っておいで? 定命は目を離すと簡単に終わってしまうんですもの」
土に埋められては、その綺麗な目が見られなくなってしまうじゃないの。そう不満そうに宣って、彼女は繊細に指先で瞼を捻ってくる。涙が零れる程痛いが、甘んじてお叱りを受け容れようじゃないか。あの時点で警告されても、クエストの途中だからと引き返す冒険者はいないだろと思いつつも。
しかし、あれから五日ということは新月が明けて間もないのによく出てこられたものだ。見てみれば、普段よりサイズが二回りほど小さいし、髪に纏った幻想的な光もかなり弱まっている。カーテンに覆われた窓を見るに時刻は夜、彼女の舞台であってこの存在感なら相当の無理をしているのではなかろうか。
「……ごめん、あと心配してくれてありがとう」
無理を押して病床を訪ねてきてくれた者に対し、言うべきは二つだろう。謝罪とお礼、疲弊していたとしてコレを欠き礼を失するほど墜ちたつもりはない。
彼女は愛らしい瞳をぱちくりと瞬かせ、暫くしてから言葉を飲み込めたのか鷹揚に頷いてみせた。
「言いたいことは幾らでもあるけど、その言葉が聞けたからよしとしましょう」
翅が瞬き、微かな燐光と共に彼女は膝の上に移った。頭がフリーになったので起き上がれば、五日寝ていた割に体が軽い。治癒魔法の効能だろうか。そして、着ている服や頭が不快でないのは誰かが気を回してくれたおかげに違いなかろう。<清払>の良い所は、寝間着を着たまま綺麗に保てるところだな。
「ミカは……」
気になって見回してみれば、天井が高く濃密な香が薫る部屋、その隣の寝台には穏やかに眠る友の姿もあった。呼吸は深く長く、魘されているような様子もなく穏やかに眠っていた。ちょっと髪が伸びたような気がするが、気のせいだろうか?
「お友達はあなたよりずっと目覚めがよくってよ。貴方より二日も早く目覚めて、もう歩けるようになっているわ」
よかった。ミカは私より早く目が覚めたのか。私より重傷かと思ったのだが、魔力枯渇と体力枯渇のダブルパンチだった私の方が存外酷かったのだろうか。なにはともあれ、寝床から出て許されるほど回復しているのだったら何よりだ。
「目が覚めたなら、ある程度は自分で責任とってちょうだいな」
「責任?」
安堵している私へ唐突に投げかけられる責任という言葉。不思議に思って問えば、ウルスラはやれやれと首を横に振り、寝台の傍らを指さした。
そして、そこには……。
「………………!?」
思わずここが病院だということも忘れて大声を上げてしまったが、何故か私の悲鳴は大気を揺らさなかった。多分、アホだなぁとでも言いたげな顔をしたウルスラが気を利かせてくれたのだろう。
私が伏せっていた寝床、そのベッドサイドに“二本”の剣が立てかけてあった。一本はお馴染みの“送り狼”。丁寧に鞘に帯皮を巻いて安置された愛剣はいつも通りだ。
問題は、その傍らに転がっている、見覚えのある剣。
あの“魔宮”にて対峙した魔剣が、さも当たり前といわんばかりに佇んでいる。
「厄介なのに惚れられたわね。寝てる間に悪さしないよう釘刺すのに苦労したわ」
指を差し、鯉のようにぱくぱく口を開け閉めして説明を求めると、彼女は困った同級生を窘めるような調子で嘆息する。いや、これそんな次元の話じゃないから。
なんでこれがここにあるのか。虚無の彼方に葬った筈だぞ。
「詳しい事は存じ上げなくってよ。これ、わたくしより長生きですもの。下手すると、この世に存在している大抵のものよりも」
ぞっとする枕をおいて、彼女は淡々と解説してくれた。この意志持つ厄の固まりと、妖精である彼女はある程度の意思疎通ができるそうなのだ。私達ヒト、というより現世に肉を持って存在している生物には、単純な感情しか伝えられないそうだが……いや通訳がいたところで、こんなはた迷惑な代物は絶対に欲しくないのだが。
曰く、この魔剣は主を求めてあの魔宮を生み出したという。自分に相応しい、前の主と同等かそれ以上の力量を以て振るってくれる新しい主人を欲するが故の暴挙。性質の悪い魔剣そのもののムーブに開いた口が塞がらない。
「この子、愛して欲しいのよ。愛し愛されたがって……定命にとってはた迷惑な求愛行動をしてたそうよ」
不意に頭に響く悲鳴は、恐らく否定と不快を伝えるものだろう。発信源? 言うまでもなく分類不能の危険物だ。
「迷惑かけてないっていわれてもね。わたくしたちより世間離れしてるわねぇ」
なんでも動死体を作り出すのは魔剣の権能ではなく、彼女を抱えたままなくなった冒険者の未練によるものだったとか。剣は担い手を求めて魔宮へ“人を誘う”要素を持たせ、担い手の強力な未練が魔宮に凝った魔素へ方向性を与え、討ち果たされた担い手候補を更なる試練へと仕立て上げていった。
それがあの魔宮の真相。
そういえば軽く目を通した手記に、この剣に次代の担い手を探してやれなかったことを悔いる一文が最後の方にあったが……。
似合いのカップルか! 勝手に余所で永遠にやってろ!!
魂からの慟哭は届くことなく、無情に解説は続けられる。
この魔剣そのものは単純に剣として自我を持っている以外に特異な権能を持たないという。
ただ必ず担い手の下に帰って来るだけのことを除いて。
まるで前世の神話群に嫌と言うほど登場する神剣、名剣の類いではないか。それが一体どうしてあれ程に厄いオーラを放つに至ったのかは全く想像が及ばない。大丈夫? 嘘ついてない? これ持ってたら精神削られる系だろ絶対。
次元の彼方に放逐したにもかかわらず、当然の権利のようにヒトの寝台に寄り添っている厄物が戻ってきたのは、持ち主の下に帰って来るという機能を全力で果たしたからだとウルスラは言うが……いやいや、勝手に持ち主認定しないでくれ、いらん、絶対にいらんから。
「でも、こういうのって地の果てまで着いてくる……というより憑いてくる代物よ? 小遣い稼ぎとばかりに何度も売り払ったりしちゃいけなくってよ?」
そんな透明のナイフを延々売りさばくようなマネしません。むしろ、この見るからにヤバ気な代物を買い取る変人がいるか? 少なくともどんな所以があるにせよ、希少にして強力だったところで金貰っても欲しくないわ。
「こういうのもなんだけど、諦めって肝心だと思うわ」
ヒト種、百歩譲っても寿命を持つ種族から言われるならまだしも、不死の概念生命に言われたら喧嘩売られているようにしか思えないんだが。
たしかに色々諦めて生きてきたとも。金髪碧眼なのは私のせいじゃないし、それで妖精に絡まれるのには慣れてきた。何も悪いことばかりじゃなかったしな。
だとしても、この厄の固まりは話が違うだろ。そりゃーロールプレイでデメリット付魔剣のデメリットを悪用し、さんざぶっ壊れ火力のキャラを作ってきたとも。その魔剣に悩まされるロールも身内を巻き込んで――なんやかんやノリがいい連中ばかりだった――楽しんだが、ガチでやれと言われたら絶対に嫌だ。
そもそも、なんなんだ。剣なのに愛し愛されたいって。どういう意味だ。抱きかかえて寝ろと? 手入れの度に舐めろと?
「えー? なんか愛の話になると、この子妙に早口になって気持ち悪いんだけど……」
きぃんと脳に響く不快な思念が届くが、きちんと伝わらないのは早口のせいか。誰しも好きな物を語るときは早口になるというが、ちょっと度を超してるだろう。感情とか諸々を高周波に圧縮して垂れ流すのはやめてくれ。
ウルスラが毒電波を頼んでもいないのに翻訳してくれた。辿々しい解説は、それだけで精神を削る破壊力を秘めている。やめて、きかせないで、もう大人しく寝かせて。
どんなに嫌でも耳を塞いだ所で声は入ってくるから仕方ない。指を突っ込んだくらいでは、完全な静寂は得られないのだ。誰でもいいから耳栓を差し入れて欲しい。
曰く、剣の愛とは剣として十全のスペックを示すこと。折れず、毀れず、曲がらず、常に全盛の切れ味を誇る。
剣が持つ要素はそれだけだ。素晴らしい切れ味、不壊の性質、担い手の下に帰って来る特性……アスカロンやフラガラッハに通じる素晴らしいスペックなのに、自分で持つと考えると全然惹かれないから困る。やってることは同じなのに、どうしてここまで差がついた。
愛することが秀でることであれば、愛されることが何かといえば、剣に注がれる愛とは勿論“剣として”使われること。そして、愛の深さとは腕前に他ならない。技量の高さは、寝食を忘れ全てを捧げた末、ようやくほころぶ儚き華なのだ。
剣は武器。奪うだの救うだの守るだのの副次的な目的はどうあれ、これはシンプルに目の前に立ちはだかる“敵”を殺すために作られた。人類が殺意という概念を煮詰め、突き詰めていった結果の産物に過ぎない。
つまるところ、剣の仕事とはお飾りとして貴人の腰にぶら下がることでもなければ、平穏の象徴として鞘にブチ込まれて暖炉の上に飾られることでもない。
要するに手前で色々ぶった切れといいたいらしい。やっぱりサイコじゃないか。
きんきん喧しいのは何かと思えば、とりあえず持ってみろと騒いでいるからだそうだ。何事もやってみないで否定するのはよくないとはいうけど……。
「……なんか病気しそうでやだ」
「そこは呪われるくらいにしときなさいよ」
いじけた電波が脳を虐めてくるので諦めて寝台から這い出し――意外なまでに体が軽かったのは、寝てても体が弱らないような術がかかっていたらしい――物は試しと恐る恐る握ってみれば……。
何とも悔しい事に、まこと見事な剣であることは確かだった。
手に吸い付くようでいて、取り回しが実に易い柄。重心も素晴らしく中心よりでありながら、きちんと先端にも重みがありコツを掴めば凄まじい速度で振り回せるだろう。艶やかな黒い刀身は、秋の冷えた夜気さえも切り裂くほど冴え冴えと輝いておりビジュアル面でも威圧感に目を瞑れば文句の付けようはない。
「ん……?」
何か文句をつけてやれる所はないかとジロジロ見ていると、樋に金色の文字で何事か書き付けてあるのが分かった。旧い文字は殆ど掠れて読めないが、帝国語に近い、あるいはその源流となる古語で刻まれているため一部だけだが判別が付いた。
渇望、曖昧な文字列が意味する言葉は餓えるほどに待ち望む意志。希求し、庶幾い、切望することを銘として刻まれているから、これほどにマッドなのか。
とりあえず、これを“渇望の剣”と呼ぶことにするか。
いや、もう何かどうしようもないぞ。次元の彼方にかっ飛ばしても帰って来られたら、どうしたもんか全く分からん。これがゴミ捨て場に捨てて帰って来たってレベルなら「おっしゃぁとことんやったらぁ!」と努力する気にもなるが……。
少なくとも独力でどうこうできる話ではなくなってしまった。このレベルの品物となると、もうアグリッピナ氏かライゼニッツ卿、あるいはファイゲ卿を頼るほかあるまいよ。
帰って来る度に昼寝くらいじゃ回復しきらない消耗の空間障壁に捨てる訳にもいくまいし、それなら暫く我慢するほかないわな。
私は絶望しながら剣を放りだし――何やら文句の思念が飛んで来たが知ったものか――寝床に潜り込んだ。
「あら、まだ寝るの? 愛しの君」
「精神的にどっと疲れた……どうせなら子守歌の一つでも謡っておくれよ」
やけくそで言った冗談は何故か叶えられてしまった。ウルスラはくすりと一つ笑い、ふわっと枕に顔を埋めた私の後頭部に座り込むと夜風のような声で歌い始める。
「はかなき、いとしご、よにねむれ。まどろみ、だかれ、ほぐれるように。まぶたの、やみは、やさしいいろよ。ゆられ、とけて、ゆめだけのこる」
優しい声だった。例えるなら、残業明けに煙草を咥え、ぼぅっと月を見上げた時の何とも言えない心地。じっとこちらを見守る月と、疲れて汗ばんだ体を撫でてゆく温んだ夜風を思い出した。
あれは疲れて疲れてしんどい中、報われたような気がする一瞬だったな。
「ほほを、なでるは、よかぜのゆびよ。やみは、やさしい、そなたのはは。うもれ、だかれ、わすれなさい。ゆめの、ほうよう、なやみはうせて……」
厄介極まる物を押しつけられた中、これはまぁ報酬にカウントしていいのだろうか。
うん、していいだろうな。さんざ寝倒したはずなのに、気持ちよく眠れそうだから。
ああ、そうだ、熟練度の貯まり具合を確かめるのが今から楽しみだ。
「おやすみなさい、愛しの君。今度はきちんと頼ってくださいましね?」
でも、もう明日でいいな。明日で…………。
【Tips】意志持つ器物というのは希少であるが、実在する物として知れ渡っている。中には人語を操り親しみを持たれる物もあるが、その精神性がヒトに近しい物であるとは限らない。なにせ、彼等は動物とも精霊ともつかず、ましてや人間でもないのだから。
厄過ぎてエンディングで帰って来たシナリオボス件報酬。尚、似たようなシナリオを構築し、次回以降PL達が本気で火山に投げ込みに行くシナリオに変更になった模様。
感想と誤字報告、それとTwitterでのRT&フォローありがとうございます。今回も大変励みになりました。繁忙期が済んで余裕ができたと思った途端、退職者が出て死にそうになりました。その上漏水&漏水&エアコン故障……勘弁しておくれ。
明日2019年6月15日土曜日も更新できるかと思います。よろしければお付き合いください。




