少年期 一三才の秋 十四
早く動けるだけのことに何の価値があるのか、と何度も卓を囲んだ友人が鼻で嗤う光景が脳裏を過ぎった。
私と同じ経験をして、彼が行動値を軽んじられるか見物だな。
手元で金属同士がぶつかり合う断末魔が響き、火花が散って薄暗い闘技場を鮮烈に照らし出す。押し出されて後背に流される視界の中、凄まじい質量の大剣を小枝のように振るった動死体が見事な残心をとっていた。
ちょっと勘弁して欲しかった。
行動値、とは多くのシステムに実装される数値であるが、その本質は“誰から動くか”に尽きる。
そして、余程アレなシステムか相当の高レベルでなくば、キャラクターは1ターンに1回だけ動くものであり、適正レベルであれば一発ぶん殴った程度では死なないため軽視されることもままある数値だった。
ああ、確かヤツは高レベル卓にはあまり顔を出さないか、復活システムがあるプロレス的なシステムを好んでいたっけな。
対して、今みたいな先に致命の一撃を一度でも放り込まれれば終わる中、速度というのはそれだけで脅威であった。
気合いの怒号の直後、動死体は即座に私へ斬りかかってきた。何の変哲もない踏み込みからの逆袈裟、その一撃で私は軽々と吹き飛ばされてしまう。
技の起こりが見えなんだ。それほど敵は早く、一撃は重い。
防げたのは偶然、ではない。ビリビリと隠しようもない殺意が背筋を撫で、死の濃密な気配が斬撃の予感となって肌を舐めるからだ。きっと、あの見るからに厄く、持っていると碌なコトがなさそうな剣が原因だろう。
なればこそ、私はまともに一撃を止めるのではなく、後ろに跳んで一撃の重さを空中で霧散させることで凌げていた。今少し反応が遅れれば、或いは“送り狼”がなまくらの剣であったなら、私は上下で泣き別れて臓物を床にぶちまけていたことだろう。下手に自分から跳んだせいで、部屋全体に派手に転がりながらのおまけつきで。
しかし、最初の持ち主が敗れて奪われた後、存分に担い手を守るとは皮肉な剣だな君も。
<見えざる手>を多重起動し、肉体を柔らかく受け止めて着地。入り身に剣を構えながら、いよいよ以て出し惜しみしている余裕など無いと悟った私は全力で術式を練った。
“手”のアドオンを総動員、使える限りの魔力を捻り出し限界の底を椀で擦る暴挙に出る。目の前が鈍い赤に明滅し、前頭葉が締め付けられるような錯覚を覚え、後頭部に強烈な蹴りを想起させる鈍痛が走る。
考えるまでもなく、脳が魔力の使いすぎに文句を言ってるのだ。体は無理して壊れないよう、苦痛によって頭蓋の内側に詰め込んだ柔らかな自我をコントロールする。堪え性のない私達は、何時だってそれに抗えない。メシを食って美味いのも、催した物を出して気持ちがいいのも全部こいつのせいだ。
だが、それは今必要なものじゃない。
苦痛を意志でねじ伏せ、無茶すんなという本能にもすっ込んでろと罵声を浴びせて術式が完成。七つの腕が主を討ち果たされて転がっていた武器を掴み上げ、<戦場刀法>によって各々最適な構えをとった。
剣が、大剣が、槍が、短刀が、曲剣が、先ほどまで供回りとして付き従っていた大将に牙を突きつける光景は、どこか皮肉に塗れていておかしみを感じてしまった。
だって、彼等は死体に握られていたのだ。そこから更に甦り、死者に牙を剥くなんて。過労死ラインを越えてるぞと訴えられても文句は言えんな。
槍はどうしても手を二本使う必要があったが、それでも手数は七倍になった。かなり有利になったと並の相手なら笑っていられるが……泰然と残心から即座に次手へ移った死体相手に暢気はしていられないな。
床が爆ぜるほどの蹴り足、そして陥没するほどの踏み込みで死体が奔る。殴れば折れそうな木乃伊の痩躯からは想像も出来ぬほどの斬撃が、七本の剣先を一撃で払い、こじ開けた空間に体をねじ込んで私を狙う。
見るからに重く扱い難そうな両手剣は、嵐のような速度で振るわれた。袈裟懸けから体を一回転させて切り上げに繋げ、そこから更なる円運動に連携する動作は揺るがぬ“業”の鋭さが滲む。四方から突き込まれる切っ先を弾き、具足で受け、動作で躱す様は練り上げられた武がありありと示されている。
武器の重量、それを弱点とせず遠心力でもって十全に使いこなす、正しくこの武器のためだけに鍛え上げた業であった。名のある冒険者、とはきっと彼のことだったに違いない。軍勢の中で戦う技術ではなく、個として個や多数を圧倒することを前提に作った業を繰るのは、酔狂者揃いの冒険者以外にあり得まい。
よもや、こんな地獄の最奥で先達から指導を受けることになろうとは!
送り狼だけでは受けきれぬ雷刀の――渾身の垂直斬り――一撃を大剣と剣の三本がかりで受け止め、本来ならば隙だらけの筈の胴へ槍と曲剣を繰り出すも、噛み合わさったまま支点のみを引いた剣の腹で斬撃は二つとも止められてしまった。その上、地を這うような軌道で足首を狙っていた短刀は、震脚と見まごう踏み下ろしで飴細工のようにたたき折られた。
怪物にもほどがあるだろう! 何度必殺の一撃を躱してくれるのか!
一瞬武器を握る手を解き、六本全ての腕で胸を突き飛ばすことで後退させて仕切り直しを図る。担い手を喪って落ち行く剣を拾い上げ、再度目の前に剣の壁を作る。
対し、弾かれた死体は悠々と着地して剣を払った。表面についた、鋭さで負けて剥がされた我が方の剣、その刃を為していた残滓が飛び散り幻想的に輝く。
みれば、何度となく我が身を守ってくれた剣の群れは、その多くが刃を毀れさせてノコギリのような惨状を晒していたではないか。
重く、鋭く、毀れない、スペックだけ見れば羨ましい剣である。まぁ、ドロップしたとして絶対に欲しくないのだが。あの手の剣はどれだけ強かろうとデメリットがデカすぎるものと相場が決まっている。どっかの皇子の如く、毎度毎度思い合った女性や友人を剣に殺されてはたまったものではない。
まぁ、それもこれも、全ては生き延びてこその心配であるが。
激しい斬り合いで上がった息を整え、送り狼を握る手に力を込める。頭痛は酷くなる一方で、深く息を吸っても肩は上がり、味がしないはずの空気は乾きのあまりに滲んだ血のような味がした。
しかし、対手の死体のなんと落ち着いたことか。息は上がらず、体幹は揺るがず、ただ剣を振るうべく冷厳と立ちはだかる。
「いやいや……狡いよまったく……」
ヒトにはどれだけ頑張っても取得できぬ<疲労無効>系のスキルがなにより羨ましい。
さぁ、来るぞ。体力に限界のない怪物が、そのスペックで哀れな定命を押し潰すべく。
円運動の連続によって生み出される、高回転の斬撃が雨のように襲いかかる。振り下ろしの一撃、剣の腹を薙いで回避。切り上げ、盾のように掲げた槍の柄で受け止めて虚空に流す。渾身の袈裟懸け、束ねた剣を盾にして身を逃がす。
命はある。まだなんとかという程度だが。
危うい一撃、危険な斬撃、息切れの刹那に投げ込まれる致命の切っ先、あらゆる切片で皮膚と肉が薄く裂けて血が滲む。そんな様で、浅く裂けた頬から唇に伝った血の水気が何故か有り難かった。
そうだ、水を飲もう。こいつをノしたら、しこたまに水を飲もう。ふらふらの体で飲む水は美味いから、死にかけで飲む水はきっとなにより美味いはず。
槍が駄目になった。無数に入った切れ込みに耐えかねて、突き出した瞬間に使い終わった楊枝のようになってしまった。
大剣が壊れた。大きさを活かして何度も盾にしたせいで、ジグザグに拉げれば最早まともに扱うことは適わない。
曲剣がへし折れた。短刀が砕け散った。酷使した剣が断ち切れた。
魔力を費やして操った、頼もしき剣の群は全て斬り伏せられてしまった。
やはりというべきか、最後に残るは孤剣あるのみ。痺れに憑かれた手では、満足に握れているかは怪しいが、私にはもうこれしかない。
もうどれだけ踊ったのやら分からない。私だって頑張った方だろう。小傷だらけで、どこから出血しているかも分からない様になりながら、何度か斬撃を浴びせることにも成功した。とはいえ、深く届いた一撃はなく、精々が纏った襤褸布と鎧に傷を付けるくらいときた。
いやぁ、やっぱりボスとタイマンなんてするもんじゃないな。
ゆるりと、見せ付けるかのようなゆったりした動作で動死体が剣を構えた。幾度となく見た、お得意と思しき袈裟懸けの一刀を繰り出すための構え。肩に剣を担い、遠心力で剣を振るう独特の構えと共に冷たい怖気が肩口から腰に抜けた。
なるほど、次の狙いはここか。止めねば普通に死ぬなぁ。
小技は絶え、絡め手は尽きた。妙に頭が冴えている気がする。既に体は限界が近く、魔力枯渇で鼻血が出ているのに視界だけはなんとかクリアだ。残り滓みたいな魔力を使った“手”で、顔を拭ったからかもしれないけれど。
今まで出てくれなかったのだから、せめて奇跡の一つも起こってくれ。愛おしい六つの目をみせておくれ。
さもなくば、ここで終わってしまうのかもしれないのだから。
サイコロが転がる音がしたが、きっと幻聴だろう。誰かが外でサイコロを転がしているなんて、考えるだけで怖気が走る。うるせぇ、今判定をやっているのは私なんだ、黙って見ていろ。
失敗も成功も私次第だ、だからクリティカルは、クリティカルくらい……。
…………あ、ダメだな、これは死ぬな。
何とも滑稽なことに、クリティカルを期待した私が見たのは二つの六ではなく、真っ赤な点が二つばかり。
不運、私は私が流した血で踏み込みを誤った。靴が滑り、下段からの切り上げで後の先を取り、動死体の手首を切り飛ばさんとする乾坤一擲の試みは行動に移す前に頓挫した。
立て直すことはできるだろうが、瞬きほどの間があれば、大剣が私の体を切り分けるのには十分過ぎる。さて、アレに斬られたらどうなるのだろうか。見た目もそうだし、持った者の末路からしても斬られたら碌な目には遭わないのだろう。
ああ、くそ、ご都合主義と詰られようとなんだっていい、奇跡が起こって助からないだろうか。
いや、ここぞという場面でファンブルを引き当てた、運のない男が期待するものではないな。結局、私のサイコロは良く無い出目で終わったのだから。
「友よ……僕は君を守るよ」
諦めて目を閉じようかと思った瞬間、友の声が聞こえた。
圧倒的な、空気さえ斬る刃の振りがあまりに遅い。微かな光源に反射する、剣に絡みついた幾筋ものきらめきは一体何だろう。
いや、気にしている余裕はない。剣の速度が遅くなれば、死は生にひっくり変える。
私は下段から切り上げに入りかけていた腕、その速力を落とさぬままに送り狼を逆手に持ち替えた。切り上げるのではなく、斜に掲げる形になった刃に減速した敵刃がぶつかって地面へ流れてゆく。
ほんの一瞬の勝機を逃すまいと、私は衝撃と血のスリップで泳ぐ体で必死に踏み込み、逆手に握った妖精のナイフを亡骸の右脇へと突き込んだ。
物質的な干渉を断つナイフは、新月下で色褪せようと切れ味がなまりはしない。筋を断ち、骨を刻み、枯れ枝のように朽ちた肩口の機構を完膚なきまでに破壊する。両断せずともよいのだ。知覚にヒトの機構を用いぬ動死体なれど、肉の動きは全て骨と筋に支えられているのだから。
自らが放った斬撃、その負荷によって筋を断たれた腕が欠け失せる。そして、不気味な光を放つ剣は派手に転がり、地に打ち棄てられた。
「み……ゴ……と…………」
枯れ枝の束が折れるような、ガラス同士が擦れるような声で動死体が啼いた…………。
【Tips】ファンブル。絶対失敗。システムの判定における不条理。2D6であれば2が。1D100であれば95~100が。低い確率で不運を起こす出目が貴方を覗き込めば、どれほど容易い行動であっても失敗する。読み慣れた詩集を諳んじることでも、1m先のゴミ箱にティッシュを投げ入れることでも、時には呼吸することさえも。ひいては、逆の奇跡に通じることも…………。
週末にといっておいて一週間のびてすみません。ブラックなのではありません、ただちょっと業務量が私のキャパを越えているだけなのです。おちんぎんのためにやむを得ぬこともあるのです。
次回でダンジョンを踏破、エンディング処理とデブリーフィングに入ります。
チケットをもらい、その使い道を考えている時間が一番楽しい。




