少年期 一三才の秋 十二
得がたい物、それは友人だと思う。本当に自分のことを想ってくれる友人。いざとなれば刃を抜き、自分の為に命を賭けてくれる本当の友人ほど得難い物なんてこの世にあるのだろうか。
「だらぁ、くそがぁ!」
普段なら絶対口にしないだろう言葉を吐いて、それでも美しいと感じ入る洗練された身のこなしで友が踊る。僕を友と遇し、友と呼ぶことを許してくれるケーニヒスシュトゥールのエーリヒは本当に美しかった。
振り下ろしの一刀が、先んじて振り下ろされた筈の剣戟を掻い潜って動死体の手首を跳ばす。返り血を浴びないように彼は首を軽く巡らせて、その動作の序でとばかりに手首を切り飛ばした死体に蹴りを見舞い、後背に迫った動死体の顎までも肘で跳ね上げた。
煮革と鋲で固められた肘に顎が砕かれ、後背から短刀でもって首を刺そうとしていた亡骸は蹈鞴を踏んで後退し、鳩尾に蹴りを貰った死体はどうと倒れ天を仰いだ。
僕は短杖を構え、普段は面倒だからと省略する詠唱式を口にした。魔法も魔術も、世界に違和感を覚えさせないよう幾重にも補助をかければ、多少は消耗がマシになるから。
“口語詠唱は大仰で格好悪い”という風潮がある三重帝国の魔導師だけど、友の為になるなら僕は何だってしよう。
「礎石と柱木、梁、横木、ただそれだけではまだ足りぬ。揺るがず見守る番人を」
魔力を捻り出して術式を構築し、口語の即興詠唱で魔力が世界をねじ曲げることを補助。後退して壁際に寄った死体を柱に“絡め取る”術式を構築する。
僕のような造成魔道師を志望する者は直接戦闘力に欠けると言われているが、やりようは幾らだってある。こと建材、柱や梁のような建物を構築する木の組成を歪め、意のままに操ることは僕らの十八番。室内において他人の足を引っ張らせたら、僕たちは中々のものだと思う。
「パイプを持たせ、茶を含ませ、閉じぬ眼で一晩中!」
口語詠唱によって、強制的に人柱に仕立て上げる概念を絡めることで拘束力を高める。そうすれば、元々“生きていない”こともあって魔法の抵抗に脆い不死者は見る間に柱に呑まれていった。
「助かる、ミカ!」
「ああ! 後ろは任せてくれ!」
体の過半を柱に飲まれ、まだ取り込まれようとしている亡骸の心配は要らないだろう。それよりも、こんなささやかな助力に喜んでくれる友の笑顔が眩しかった。
動死体が配置された玄室は、いま居る部屋で三つ目だ。最初の一つをエーリヒは危なげなく下し、次の部屋も動死体の数が三体に増えても然程苦労した様子もなく越えてみせた。攻撃をいなしながら、それを別の敵にぶつける器用さには舌を巻くほど美事だった。
今の部屋でも彼の剣は鈍らない。仮に亡骸の数が五つに増えて、かなり不利な包囲線を強いられても二体を既に片付けている。僕が彼を守るように柵を出して相対する数を減らし、上手く行けば拘束を試みる。小さな助力だが、それで僕に死者の腕が届かぬよう、盾として立ちはだかる彼を守れるのであれば……。
側頭部に走り始めた、魔力枯渇を報せる頭痛なんて大したものじゃないさ。
ほら、また彼がやった。槍を剣でいなすのはとても難しいことだというのに、彼はふわりと槍を弾くことなく受け止めたと思ったら、そのまま槍に剣を沿わせたまま前に走り込んだじゃないか。そして、相手が槍を返すことも退くこともできない内に、左手に握り込んだ短刀で脇を切りつけて筋を断つ。
本当に美事だ。踊るような流麗さで、一瞬も止まることなく対手を追い詰める。筋を断たれて動かなくなった右手から槍の柄が落ちて、今度は軽く引いた剣の切っ先で左の脇腹にも突き込んで筋を切って、完全に脱力した右手から“見えざる手”が槍を取り上げる。
生活用の取るに足らない魔法の筈なのに、彼が操るそれはどうだ。なんとも言えない美しさの式じゃないか。力強く擡げられた槍が一瞬蠕動し、さっきまで持ち主だったはずの首がない甲冑武者の胴体を突き出し、その勢いで壁へ磔に仕立て上げる。抜こうとして藻掻く死者に、無駄な抵抗だと言わんばかりに柄を直角にひん曲げて抜けなくする友の慎重さは味方にすると本当に頼もしい。
「ぷは……五丁……あがり……」
最後にようやっと起き上がって来た、さっき右手を斬られた上に蹴り倒して無力化された死体の五体を作業のように解体してこの部屋の戦いも終わった。
友の戦いは本当に堅実だ。流れは美しく、洗練されているように思うけれども一切の虚飾なく“殺し”に向けられている様は見ていて感嘆してしまうほどだ。
演劇や吟遊詩人の英雄譚に唄われるような、豪快な一刀で敵がバラバラになるなんてことはない。実直に、確実に振るわれた剣は我が身を護り敵を斃す。背に負う誰かの所に武器の切っ先が届かぬよう、ひたすらな真摯さを形にするようにして。
ああ、エーリヒ、我が友。君はなんていい奴なんだろう。
僕のような者を友と呼び、僕に君を友と呼ばせてくれ、ましてや命まで賭けて僕と生還するために戦ってくれる。こんな足手纏いになりつつある僕なのに……。
「ミカ、少し顔色が悪いぞ。ほら、水を飲んでくれ」
「でもエーリヒ、革袋にはもうほとんど……」
「構わないさ。最悪、大気から幾らか抽出できる。飲んでくれ、君が倒れるのに比べたら安いものだ」
自分こそ疲れているだろうに。ずっと戦い続けで、軽くないだろう鎧を着込んで剣を振っているから、疲れていないはずも喉が渇かないはずもない。
だというのに君は……。
僕は彼の好意に甘え、一口だけ水を啜ったが、目線でもっと飲めと促されて二口目を啜ると止まらなくなってしまった。気がつけば三口、四口と続いて理性が戻る頃には軽くなっていた革袋がより一層軽くなっている。
やってしまった。僕のこれは単なる魔力の枯渇、肉体的な損耗は大してないはずなのに……。
「なんだ、残してくれたのか。ありがとう」
たった一口か二口ほどしか残らなかった革袋を受け取って、それなのに彼は文句の一つも言わないで残りを呷る。そして、それが当たり前のように空になった革袋に魔法をかけて、大気に混じる水気から追加を作ってくれた。先がどれほどか分からない今、金貨より貴重な魔力を使ってまで。
なら、僕も頑張らないと。まだ頭痛は軽い方、水を飲んで少しマシになった。口語詠唱による術式補助があれば、まだまだやれるはず。
君が僕のために命をかけてくれるなら、僕も君のために命を賭けよう。
それが友達というものだと思うから…………。
【Tips】魔力枯渇に伴う症状は五段階に分けられる。一つ、軽いめまい。二つ、締め付けるような偏頭痛。三つ、重篤な頭痛、或いは昏倒。四つ、耳、あるいは鼻よりの出血。そして五つ、確実な“脳の機能不全”。
何やらダンジョンの踏破を始めてから友の目が熱っぽい気がする。
気のせいかもしれないが、私の背を守ってくれているミカの視線がいつもと違うような気がしたのだ。具体的にそれがどういう変化なのかは言葉にできないのだが、普段通りでないことだけは確かなはず。
あれだろうか、私が頭に血が上って口が汚くなるのと同じで――親には聞かせられないような罵倒がついポロッと……――彼も戦闘の熱にうかされているのだろうか。
まぁ分からないでもない。戦うとテンションが上がるのは、本格的に命を賭けて切り結んだ回数が片手で足りる私でさえ実感しているのだ。初のダンジョン踏破、そして近接戦闘ともなれば尚更だろう。
「さて、次に行こうか」
「そうだね、エーリヒ。さぁ、お次はどんなだ?」
ノリノリで若干フラグみたいな台詞を口にする友――はて、映画だっただろうか、小説だっただろうか――に促され、私は新しいドアを潜った。
「うわぁ……」
そして、思わず呻き声が溢れてしまった。
数個の部屋の壁を取り払い、コピペして拡張したような空間には“七体”もの動死体が居並んでいたからだ。もうお腹一杯だよ。
これがトループ、いわゆるモブ一纏めで一体扱いの雑魚ならよかった。基本トループモブは後列を抜かれないようにする足止め、あるいは大ボスをサポートする肉壁に過ぎないから火力は低く簡単に吹っ飛ばせるような構造になっている。
だが、この魔宮に現れる動死体共は大分毛色が違う。
一体一体がしっかり強力で、到底雑魚と切って捨てられない実力を持っているのだ。バランス調整しっかりしろDM。こっちは二人だぞ。
居並ぶ彼等を見てみれば、その全てがきちんと武装していた。四肢のいずれか、あるいは頭部含めて幾つかなくなってはいるのだが、欠けた四肢に何かを継ぎ足してバランスをとっていやがる。
その上、持っている得物も着込む具足も悪くないときた。そして部屋が進むに連れて数が増え、技量も増してくるとくれば趣旨は嫌でも分かってくる。
ここは闘技場なのだろう。
誰が何の為に、などというのは分からない。だが、趣旨としては挑む者の技量を見定め、段々と上がる難易度に何処まで耐えられるかを観察されているのは間違いあるまい。今はこれが、実験動物が何時死ぬかを淡々と見守る“あがり”のない双六でないことを祈るばかりだ。
攻略不能のゲームを用意するGMはクソだ。脳内あてをしてテレパスでもなければクリアできないようなシナリオだけは用意すまいと心がけ、今まで色々なシステムを遊んできたが……残念ながら、この世界にまでその理屈は通用しない。
普通に相手が殺しに掛かってくるのだから。
我々GMの仕事は基本的に“格好良く負ける”ことであり、立ち位置としては某あんパンフェイスの敵役に近い。
追い詰めるのはいい、悩ませるのはいい、時にマジで勝つのもいいが最終的には吹っ飛ばされて叫びながら消えるのが仕事と言える。なにせGMは無限のリソースを持っているのだから、そりゃ勝とうと思えば幾らでも勝てるのだが、それに何の意味があるのか?
たしかにギリギリのバランスの末に勝敗を決してこそ、負けても楽しかったといえるのだろうが、それはPLだけが口にしていい感想だと私は思う。だからGMは打倒されるためにあるのだ。PLをシナリオで楽しませ、PLにロールで楽しませて貰うために我々はシナリオをこねくり回す。
が、この世界のエネミー共はどいつもこいつもエンタメの欠片も理解していないガチ共ばかりときた。最初に戦った魔物の館も、私が結構なチートを授かっていなければ二分と保たない物量があったし、先だって戦った野盗共も護衛付きの隊商を食らえるガチ勢ばかり。
ああ、そうだ、彼等はGMに操られるNPCではない。いわば一人一人がPC1であると自覚するPLなのだ。そりゃー遠慮なく殺しに来るさ。
その理屈は、この魔宮を生み出した誰か、もしくは何かにも間違いなく適用される。
「はは……これは中々……豪勢だね?」
「ああ、そうだな……ちょっと心が折れそうだよ」
広い部屋に陣取る七体の動死体。最奥に佇む一体への道を飾るように、三体ずつの二列縦隊が剣を掲げて並んでいた。男女の性差、着込む鎧の差、担う剣の種、その多くが異なれど立ち姿からして一目で“できる”と分かる死体共。
その最奥、一本の剣を抱きかかえるようにして崩れかかった椅子に座る、枯れ枝のような亡骸こそが件の冒険者であろうか。乾いて樹木のようになった表皮を張り付かせた彼は、灰色の豊かな髭と髪を湛えた男性であった。
その身に帯びる襤褸の服に反し、纏う小札鎧は使い込まれていれど質がいいものだと一目で分かった。そして何より、抱える剣が“ヤバイ”。
切っ先を座面に埋めさせ、宝物でも抱えるように抱きかかえた一本の剣。闇の中で尚も声高に存在を主張するそれは、黒いのに光っているように映る矛盾したナニカ。刀身だけで1mを優に越えるそれは、ツヴァイヘンダーと呼べばいいのだろうか。
もう今更、それって16世紀頃の代物では? などと問うまい。きっと数多の先人が好き放題やったであろうこの世界、物の登場年代なんぞ考えたって然したる意味もないのだから。
なにより重要なのは、その剣の異質さだ。真っ黒な光沢のある刀身、樋に刻まれた掠れた紋様、ただ存在しているだけで胃が絞まるような圧迫感。
見るからに厄い代物じゃないか。昨日見せられた、あの本と比べて「どっちを手に取る?」と問われたら甲乙付けがたいレベルで。
「あれが核……だろうね」
絞り出すようにミカは分かりきった推察を口にする。私に教えるというより、アレで最後だからと自分に言い聞かせているようであった。空間と法則を歪め、迷宮を生み出すに足る特級の呪物だと言われれば、納得せざるを得ない存在感の代物が端役やモブであってたまるかという話である。
「あれ以上があるとは考えたくないな……ないとは言い切れないけども」
まぁ時折、各地のボスがランダムエンカウントのモブとしてポップするラスダンなんかもあるから、一概には言い切れないのだけれど。
「悲観主義も大概にしてくれたまえよ君」
「ゴールが見えたと気を抜くのも危ないぞ、友よ」
最後の軽口を叩いて踏み出せば、主君を守る馬廻衆の如く控えていた六体の動死体が一様に此方を向き、それぞれの得物を構えだした。
さぁ、クライマックス戦闘だ。気合いを入れようじゃないか。三枚目のキャラ紙は、きっと貰えないのだから…………。
【Tips】魔宮を踏破するには、一般的には核となったものを破壊、あるいは奪取する必要があるとされる。




