少年期 一三才の秋 一一
追走してくる死者の数は5か6か。足音と枝葉をかき分ける音が増えることがあっても減ることがない。次々に増援が飛び出してきている。
クソ、これが古典的なロメロゾンビであれば容易いのに、ちょっと性質が悪すぎないか? 全力疾走系に数の暴力まで備えられると始末が悪い。一体一体なら手間なれど五体をバラして無力化できるが、そんな暇が何処にあるのか。
「わっ、ちょっ、エーリヒ、もう少し速度をゆるめては……」
「無理だ! 近い! 囲まれる!!」
半ば引き摺るようにして先導したミカが短杖で何とか姿勢を正しながら声を上げるが、ゆっくりする時間も気遣ってやる余裕もない。増える足音の位置が絶妙に嫌らしく、森の外に繋がる退路を断ちながら私達を包囲しつつあるからだ。
単なる追走ならばよかった。ミカに地面を泥濘に変えてもらい、昨日の野盗のように地面へ塗り固めて貰えば良かったから。ただ、追い立てられながら四方から来られると、自分たちの帰り道の都合を考えると難しい。
なにより……映画のように、塹壕を同胞で埋めて踏み越えてくるだけの数で来られたら、その瞬間に詰んでしまうからな。
迫る足音から逃げるように走るも、実はこれもあんまり意味がないと言えばない。
つい咄嗟に森の奥へ逃げてしまっているからだ。
反射的に気配に追い立てられて森の奥へ足を向けてしまったが、こっちに行っても何もないどころか、よりヤバい方向へ近づくしかないのだから、下策中の下策である。露骨に経験不足が響いた形となってしまった。
「うわぁ、出た!?」
自身の迂闊さに歯がみしていると、友が切羽詰まった声を上げ、同時に躱そうとしていた木立の影から死者が飛び出してきた。欠けた片足に枝をブチ込んで強引に直立する姿は、軽装なれど武装していることからして冒険者か傭兵だろうか。
だが、じっくり観察している暇はない。私は<見えざる手>二本がかりで掴んだ大きな石をヤツの顔面に叩き付けて迎撃し、後頭部から転倒したことで無防備に晒された腹へ木の枝を同じく“手”を使って叩き込んでやった。
はだけた鎧の合間を縫って枝が突き立ち、腐れて柔らかくなった肉を貫いて地面に体を縫い止める。これで暫くは動きが止まることだろう。
どれ程走り続けただろうか。死体を退けること二回、転びかけた友をフォローし、またされること一回ずつ。ついでに短杖を落っことした友をフォローして死体と切り結ぶこと一回。木の根にすっ転んで顔面を盛大に打ち、悶えていた所を友が作った壁で救われること一回。
随分と長いこと格闘しているようにも感じるし、森の中ということもあって時間の経過が分かりづらくあっと言う間だったようにも思える。
確かなのは確実に体力を消耗しつつあり、寄って来る足音は減らないということだけ。
ちょっと待て、おかしいだろう。ここは辺境、どうあったって死者が軍団をこさえるほど森に踏み込む人数は多くないはずだ。こいつら一体何処から湧いて……。
「ま、また来た!」
「ああ、もう!」
最初のサイコロが良すぎたのか、負債を回収しようとしているかの如くバッドラックが止まらない。畜生、なんだこれ、呪いか。せめて悪態を吐いたり、事態の異常さに突っ込むくらいの余裕はくれないか。
ミカが術式を練って――それでも焦りと急場のせいで構築が甘かった――薄い泥の海を作って後背の進路を妨げ、私は“手”を振るって前方を切り開きひたすらに這い寄る死を振り払う。
そして、逃げながら思い至る。
誘導されていないかと。
その考えに至るのは、少し遅かったのかもしれない。何故なら、木々の裂け目を飛び越えて、微かに日の差す空間に飛び出した私達を洞の如く口を開けた迷宮が出迎えたのだから。
それは、何かの前衛芸術を想起させる廃屋であった。木造の建物がブロックのように積み上がり、出来の悪い子供の絵のように無秩序に広がっている。よく観察したならば、その多くがコピー&ペーストしてきたように、一つの家を原型として積み上げられていることが分かっただろう。
見るからにヤバい空間である。普通であれば、口を開けた玄関に飛び込むことはおろか、近くに立ち寄りすらすまい。むしろ、冒険者として落ち着いた状態で立っていたなら、ノータイムで火を放つ禍々しさである。
こんな厄そうな見た目の建物が普通の建物の筈がなかろう。逆にこれで普通に燃えたなら、防火構造とか不思議な結界を用意していないGMにこそ非があると断言できる風情であった……。
が、残念ながら窮した我々に選択肢はなかった。
「逃げるぞ!」
「ああ!」
我々が森から飛び出すと共に、もうぱっと数えるのが困難な数の動死体が飛び出してきたのだから。こいつらどうやって今まで気づかれずここに潜んでいやがったのか。
息も絶え絶えに玄関へ飛び込み、体当たりで扉を閉める。ミカが短杖の先端を扉に押し当てて何事かを呟いたかと思えば、なんと扉に“錠”が生えてきたではないか。二つ三つと錠が生え、更には閂まで幾つか生み出され、餓えに突き動かされた死者達の乱暴なノックで揺れるドアは完全に堰き止められた。
背をドアに預け、私達は全く同じタイミングでずるずると地面にへたり込んだ。そして、肩を上下させ、荒れた呼吸で空気を吸うというより呑むといった風情で取り込んで、暴れる心臓を宥める。
「しかし……」
「ああ……」
困った。揃って呟き、私達はそれぞれ困窮を表す仕草を見せた。私は大きく嘆息し、ミカは片手で額を押さえる。この期に及んで事態は良くなるどころか悪化したのだから。
「すまない、私のミスだ……森の入り口に向かって逃げていれば……」
「なに、君のせいじゃないさ、友よ……あの場合は仕方ない。なにより、これはきっと誘い込まれたんだろう。きっと、外に出る道に二陣三陣と控えていたはずさ」
謝罪の言葉は否定と共に差し出された革袋で堰き止められた。何も言わずに差し出された革袋から水を吸えば、全力疾走で乾ききった体が甦るようだった。
二度三度と革袋をやりとりして水分を取ると、少しだけ落ち着くことができた。
たしかに、ここまで誘導してくる手合いだ。簡単に突破できない数が待ち伏せていて、一陣を突破しても蓋をされ包囲されてたかもしれない。それにしても、どうやってあれだけの数を揃え、森の奥へ追い立てるように配置できたのだろうか。
謎は尽きないが、考察は後回し。ここからどうやってケツを捲るか。
「助けは……」
「まぁ、来るまいね」
救助は望み薄だな。頼みの綱の強キャラは遠方、最後の手段の妖精も数日は身動きが取れず、ファイゲ卿が異常に気付くにしても期日とした2~3日は後だろう。
言うまでもなくこの近辺にやってくるような物好きはおらず、居たとしても境遇は私達と似たようなもの。それが雇用主やネジの飛んだ死霊並の強キャラで、我々を拾い上げてくれる確率は数学的に切り捨てて良い次元で低かろう。
要するに手前で何とかせねばならぬということだ。
「フラグだったかぁ……」
「フラグ?」
がっくり項垂れ、思わず溢れた呟きに反応するミカに返す余裕もない。ついうっかり盗賊との戦闘をミドル戦闘なんて呼んでしまったせいで、本当にメインクエストとダンジョンが生えてきてしまった。セットでクライマックス戦闘がサービスされるのは明白……単なる思い込みだろうが、今後これはジンクスとして心に刻み、以後は触らないようにしよう。
ああ、そうだ、今後……今後のために頑張らねば。私には、ここでくたばっている余裕なんてないのだから。
起き上がり、体の各所を確かめる。疲労はあるが傷はない。ミカも同じだろう。
魔力の消耗もさしてないな。“手”しか使っていないし、それも複雑な動作はとらせていないのでほぼ万全。ただ、ミカは足止めで結構使ってしまっているので、如何に彼が優秀とはいえど無理はさせないほうがいいだろう。
念のために吊しておいたカンテラを取りだし、魔法で火種を出して明かりを作る。ご丁寧に照明がなく、壊れた屋根の穴や拉げた壁の隙間から差し込む光だけで先に進むわけにはいかないからな。<猫の目>のおかげで大分マシだったとしても、完全な暗視が欲しい……。
「さて……進めるかい?」
「問題ないよ。明かりは任せてくれ」
カンテラをミカに託し、ダンジョン踏破に乗り出した。もうこうなったら自棄だ、行くところまで行って血路を切り開く他なかろうよ。レベルデザインなんざ知ったことかな世界だが、まだ完全に詰んだと決まった訳でもなし、五体がくっついている内は諦めるには早すぎる。
体重移動に気を遣って尚も軋む廊下を進み、幾つかのドアに遭遇したがよく観察すると作りが全部同じだ。ようよう観察すれば、廊下の継ぎ目を観察すると同じ模様が連続しているのが分かる。手抜きの同人ゲーみたいなテクスチャに囲まれていると、距離感が狂いまくって困る。
「しかし……これが魔宮というやつかな」
幾つ目かのドアを開け――尚、ドアだけで開けた向こうは壁だった――目印代わりにバツ印を表面に刻んでいると、ミカが思い出したかのように口を開いた。
「魔宮?」
「僕も何かの文献で目にしただけだからうろ覚えなんだけど」
そう前置きして、ミカは魔宮とやらの存在を語ってくれた。
曰く、魔素や魔的要素が凝った密度の高い霊地や忌み地、その行き着く先だという。世界の歪みとも言える魔素の集合が空間や法則さえねじ曲げ、その地に一種の迷宮を作り出す現象。
それをして“魔宮化”といい、産み落とされた異形の迷宮を“魔宮”と呼ぶ。
つまりは忌まわしいナニカが凝り過ぎて、現世からちょっとズレてしまった場所なのだろう。天然のダンジョンや人為の迷宮とは違い、魔素によって煮詰められた悪意や憎悪、あるいはもっと別の形容し難いモノの完成形。
なるほど、そんな厄い代物が鎮座していたなら、地方の樹海が死者の園に成り果てていてもおかしくないわな。
ただ、そんな物にちょっとした冒険の末にぶつかる私のリアルラックって一体。運勢の項目はステータスにないのだけれど、マスクデータとして存在しているなら相当の低空飛行なのだろう。我ながら人生で何かある度に碌な目に遭ってなさ過ぎる。
普通、こんな大仰な代物、冒険者としてかなり慣れてきた時に発生するイベントだろうに。
前世から続く運の乏しさに打ちのめされつつ、ドアを開くと鼻を突く臭いに冷や汗が滲んだ。さっきまで嫌と言うほど嗅がされた臭い……ヒトが終わった時の臭い。
「エーリヒ……」
「ああ……いくぞ」
玄室の向こう側には敵がいる。そんなもの、灰まみれの青春を送った私にとっては当たり前のこと。石ころのように硬くなってしまった唾を飲み下し、私達は部屋に踏み込んだ。
家具が壊れて散らばり、腐った肉と木の臭いが混じり合った部屋には動死体が一体だけ佇んでいた。血で真っ黒に汚れ果てた旅装と大外套を纏った姿は、生前は旅慣れた旅人であったのだろうと窺わせる出で立ち。
ただ、旅を通して数多の記憶を積み上げただろう頭だけが彼からは喪われていた。
右手にぶら下げているのは異国の直剣。根元は細く、先端に行くほど幅広になるそれはファルシオンと呼ばれる片刃の片手剣だ。鉈のように振るえることから扱いに易く、手に馴染みやすいため庶民に親しまれる武器とも生活用具ともとれぬ器具。
しかしながら、死体の手にぶら下がるそれは、紛れもなく剣呑な痕跡に塗れていた。
「ミカ、君は消耗が激しいだろう」
私は友を庇うように前に出て、慣れた構えをとった。
亡骸が一体だけ立ち尽くす部屋。四方数メートルの余裕を持ち、十分に切り結べる空間。そして、私達を追いかけ回してきた亡骸は、全て体の一部を喪っていた。
なんともなしにだが、この魔宮の趣旨が分かってきた気がする。
高名な冒険者とやらも、随分と厄いネタを最後に抱え込んでくれたもんである。
「一対一なら私の領分だ」
宣言すると同時、死んでいるとは全く思えない鋭い斬撃が飛んできた。コンパクトな振りながらも、しっかりと刃先に遠心力を乗せた一撃は鉈状の剣を十全に生かしたもの。確かな技量を感じさせる攻撃を弾き、返しの一撃を叩き込もうと前進するも、私が進むのに合わせて死体も後退する。
そして、弾かれる衝撃を器用に手首の動きで殺し、隙無く構え直してくるではないか。
……できるな、この死体。
感心しつつも体は止めず、前進の勢いを刺突に変えて切っ先を送り出す。踏み込みと同時に腕を突き出し、体重と肉のしなりを一点に集中させた突きは生半可な防御を貫く鋭さを秘めている。
しかし、動死体はそれを軽やかな後退で躱し、伸びきった剣の腹を得物で払ってきたではないか。
完璧に理知ある一撃。受けるに難く、流すに足りぬ武器の特性を完全に掴みきっている。防御が難しいなら、刺突が伸びきって勢いが尽きた所を払うなど、戦いに慣れた“人間”しか絶対に見せない思考と挙動。
彼は剣を払われて空いた隙へ一撃を叩き込むべく、鋭く踏み込みながらファルシオンを振りかぶった。狙いは頭ではなく肩口か。トップヘヴィの重量を生かした斬撃をまともに受けたなら、如何に鎧と帷子の防備があろうと骨の2~3本は覚悟するべきだろう。
とはいえ、私もそれをまともに貰ってやるほど甘くも未熟でもないが。
剣が払われると同時、指を繊細に動かして右手を順手から逆手に。同時に左手を柄から離して滑るように剣の中程を掴む。私もただ弾かれたのではない、丁度持ち替えやすくなるよう工夫して“弾かれてやった”のだ。
柄と鍔の交点で剣を受け止めれば、頭に響く鋼の鋭い音がした。ファルシオンの刃は柄の拵えに幾らか食い込んでいるが、茎で確実に止められている。
受け止めた衝撃で震える手を強引に押さえ込み、私は押し切ろうとする敵刃を支点として剣を押し上げた。両手ともに柄と刃を掬い上げるように保持して剣を回せば、拵えに食い込んでいたファルシオンは柄を滑って虚空へ逃げ、持ち上げられた刃は右の脇へ入り込む。
勿論、刃を押し当てただけでモノは斬れぬが、私は相手の体重と“送り狼”の鋭さに任せて剣を押し上げ圧し斬りにかかる。
剣を抜かれて泳ぐ体とかかる体重、そして持ち上げる力に刃の鋭さが加わって動死体の右腕が斬り飛んだ。剣を持ったままの手が宙を舞い、置いていかれた肉体が無残に倒れ臥す。
一瞬の交錯、そして数手の読み合いの結果が全ての明暗を分ける。
ああ、これだから剣はいいのだ。実に複雑なのにどこまでも“わかりやすい”のだから。
惰性で溢れる血を浴びながら、私は倒れた亡骸の左肩に剣を突き降ろした。鋭い切っ先が旅装を裂いて肩関節を砕き、左腕にも右腕の後を追わせる。次いで右足、左足と関節の柔い部分を抉るように断ってしまえば、後に残るのは藻掻くだけの無害な肉の塊だ。
微かに荒れた息を整え、私は“送り狼”を切り払って血糊を飛ばした。四肢を強引に断つ蛮用にも実用重視の刀身は十分に耐えてくれるが、流石に絡みつく死血ばかりは如何ともし難い。
床に散った黒い血は、ともすれば私のまだ温かい血だったかもしれない。
この不死者は強かった。たった数合のやりとりだが、その全てが致命なのだ。これだけの一撃を過たず放ち、戦術を組み立てる剣の冴えは滅多にない。感覚だが熟練度の度合いで言えば<熟達>は確い。自警団の面々でもタイマンであれば殆どが苦戦か斬り死にするだろう腕前であった。
一息吐くと共に木が軋む音が一つ。見れば、入ってきたのとは対角のドアが独りでに開いていた。
ははぁん、なるほどやっぱりこういう趣向か…………。
【Tips】動死体を操る術式の精度、あるいは取り付いた幽霊の強度によっては生前の技術を完全に遺した物も存在する。




