少年期 一三才の秋 一〇
ファンタジーの動死体とパニックホラーのゾンビの違いは何か?
動いている原理である。
「おああああ!?」
くっそ情けない声を上げ、私は靴に噛み付こうとしていた首をあらん限りの力で蹴っ飛ばした。いっそ爽快な位の勢いで首はすっとんでいき、森の中に消える。
パニックホラーのゾンビは往々にしてウイルスだの寄生虫だの脳変異だので動いていて、大抵は頭を吹っ飛ばせば止まるし、物によっては心臓の破壊でも十分に殺せたりする。
何をしても殺せないとかいう例外が何個かあったのを除けば、基本は頭にクリティカルを叩き込めばおしまいにできる安心と実績の弱点があるのだ。
では何故頭を潰せば止まるのかといえば、それは頭に中枢があり、そこですべての指示を出しているからだ。神経系に巣くった寄生虫、ウイルスで変異した脳幹と小脳、理性を全て剥ぎ取られて狂った脳髄。兎角、そんなブツが頭蓋の内側に収まり、死体や狂った人間の体を動かしている。
逆を返せば、指示中枢がそこになければ首を撥ねられようと、スラッグ弾で木っ端みじんにされようと、たかがメインカメラ――あるいはメインウェポン――を喪っただけだ! とばかりに動ける。
ちょうどこんな具合に。
不器用な挙動なれど片腕だけで起き上がった体がつかみかかってくる。私は長剣である〝送り狼〟を持て余すようなことはせず、柄を逆手に持ち替え、手甲に守られた左手でしっかと剣先を握りしめる。そして、手を掻い潜って躱せば、その無防備な腹に渾身の力を込めて柄を叩き込んだ。
骨が軋み、肉が潰れる感覚が手に伝うも、死体はふらつくばかりで転倒にまでは至らなかった。これが普通の人間であれば、腹部への強打で呼吸困難に陥り、嘔吐しながら転げ回ることだろうが、さして堪えた様子もない。
それもそうだ。彼は頭部がなくても動いている時点で明白なように、最早呼吸も鼓動も必要としていないのだから。肺が潰れようが、横隔膜を押し上げられようが、気持ち悪いと感じる機能中枢がないのだ。
ダメ押しで手近な石を〝手〟で掴みあげて追撃の打擲を見舞う。人類が人類として、おそらく一番最初に使ったであろうメレーウェポンはふらつく死体を吹き飛ばすのに十分な威力を発揮した。
これがこの世界の死者の恐ろしさであった。魔的、あるいは霊的な要素で動く動死体には、破壊すればおしまいの中枢もなければ生理的な反応も望めない。噛み付かれたり引っかかれたりして“移る”危険性こそないが、掴まれればヒトの五体を軽くバラせる膂力は備わっているとくれば、それが慰みになるかは果てしなく微妙であった。
人ならば切りつければ痛みに怯み、閃光と轟音の魔法で無力化され、腹を殴られれば生理的な苦痛に負けて体を折る。あるいは子供である私の矮躯を見てあなどり、時には敵ではないとして剣を降ろすこともあろう。力量の高低によって結果は変われど、まだ人間は私にとって与しやすい相手だ。
だが、死体にはそんな弱点はない。非感覚的知覚で敵を捉える感覚には五感を妨げる魔法は役に立たず、苦痛など物ともせずに前進できる。高い達成値を出し、クリティカルを放り込んでダメージを稼ぐ私の天敵……。
いや、今後の課題が姿を成して襲いかかってきたようなものである。
「さって、どうするかな」
蠢く亡骸を見下ろし、とりあえず“手”を総動員して押さえ込むが、動死体として動き出したときに強化された膂力を御しきれない。背中を押さえ、手を払い、膝を倒させて起き上がらせてはいないが、出力強化アドオンでも隠しきれない元々の出力の低さが悩ましい。
これが成長して尚殺しきれなかった私の弱点。
極端なタフネスの持ち主、ひいては人外のサイズに対する弱さである。
私の剣技は元の純度とコンボも相まって中々に凶悪な仕上がりになったと思うが、残念ながら所詮は剣。物打ち――剣の先端付近、よく斬れる部分――の幅で物を断つのが限界であり、残念ながら天を突くほどのリーチも海を裂くほどの当たり判定もない。
これは魔法があるこの世界でも同じなのだが、残念ながらこの世界は人間以外の生き物にも強者が多く、不死者のように人間の術理から大きく外れて動いてくる輩も珍しくないときた。
なれば、戦場で人を斬ることに重きを置いた術だけで対応する限界がいずれやって来る。
剣戟が飛ぶとか、妙に伸びるなんぞのスキルがあればいいのだが、残念ながらこの世界は週刊少年誌的な価値観ではなく、月刊青年誌のハードさなので中々に難しい。
別に私の剣が通じないとは言わない。刃はキチンと斬り込み、装甲や鱗を断つだろう。クリティカルで敵の弱い部分を叩けば、ジャイアントキリングは十二分に成し遂げられる。
が、その太い四肢、雄大な首、聳える巨躯を両断することは決して能わない。弧剣に依って立つ剣士の限界は、そんなものである。勝てるには勝てるが、仲間を薙ぎ払おうとする尾を切り飛ばしてカバー、なんて派手派手しい真似とは縁遠いのである。
急所が物理的に存在しない相手ともなると、その弱点は如実に表れる。如何ともし難い問題に悩んでいると、不意に後ろで術式が起動する気配があった。
同時に宙を舞い飛来する灰色の泥。一塊のそれは、藻掻く死者に振りかったかと思えば俄に粘度をまして固まりはじめたではないか。
「大丈夫かい!?」
それは友の。造成魔導師が魔術で作り出したセメントの泥だった。魔術によって組成を変性され、こね上げられたコンクリートは沙漠のスポンジよりも早く乾いて硬化する。さしもの死者もコンクリートの剛性を振り切れるほどではなく、微かにはみ出した手足が力なく藻掻くだけとなった。
「ミカ……助かった。戦いあぐねていたんだ」
心配そうに駆け寄ってくる友の肩を掴み、礼を言えば私が無事だと改めて認識したのかこわばっていた表情がほぐれた。どうやらさっきの情けない悲鳴を聞いて、すわ何事かと駆けつけてくれたのだろう。
「君にも対処しかねる敵がいたのか。意外だね、剣を取った姿は、恐れるものなど何もないといわんばかりの凜々しさなのに」
奇声を上げる無様の後で褒め殺しをされると、なんだ、その、情けなさが自乗されて死にたくなるぞ友よ。あと、私だって恐い物はあるし、ソロだと勝てない敵の方がまだ多いはずだ。それこそアグリッピナ氏の命取ってこいって言われても、寝込みを襲ったとして乳を揉むのが限界だろうし――言うまでもなく直後に殺されるだろうが――ライゼニッツ卿辺りは何をどうすれば死ぬのかも分からんときた。
うわっ……私の周り、怪物すぎ……?
いや、特別な力を持ってテングになり、調子乗った次の瞬間に死ぬなんて展開を防いでくれると思えば、うん、そうだね、幸運かもしれないね。謙虚であるのって、存外難しいものだからな。
「剣一本でできることの方が少ないのは、それこそ魔導師である君の方が良く知っているだろう。これで出来ることなんて、精々人殺しくらいだ」
だからこそ、人じゃない物を殺すのに手間取った訳だが。やっぱり首を落としたら死んでくれる存在というのは、分かり易くて有り難いものだと実感する。
「なるほどね。なら、尚更僕がいた甲斐があったというものだ」
誇らしげに胸を張る友。コンクリートは最早完全に乾ききり、ひび割れも気泡もなく丁寧に――たぶん職業病だろう――均されていた。
……そうか、彼は不死者への回答の一つだったか。
実体を持つ不死者は、不死と形容されるに相応の再生能力とタフネスを持つ。それこそ、この旅人の死体が動いてただけの動死体でさえ、斬撃を何十と見舞ってバラバラにせねば動き続け、突き刺すだけでは矢と槍でハリネズミに成り果てても前進する。タンクとして前に置くには実に理想的な頑強さだ。
しかし、こうやって行動不能のデバフを叩き付けられた瞬間、不死者は無力となる。あれだ、吸血種を石棺に放り込んで聖水のプールに突っ込んで監禁するのと理屈は同じである。
そうか、殺せないのか。じゃあ相手せんわ。
これができるミカは不死者の天敵と言えよう。こうやってコンクリをぶちまけても良し、深い穴に落としても良し、その上で“封印”として生コンを注いでも良し。演出で殺してくる系の中でも、かなり悪辣な技術の持ち主ではないか。
「しかし……動死体なんて滅多に出ないものが、どうしてこんな所に」
改めて我が友がデバッファーとして大変優秀であることに感服していると、彼はしゃがみ込んで僅かにはみ出した動死体の四肢を観察しはじめた。
「豚皮のブーツ、被服は亜麻かな? ブーツのこれは……」
「拍車の跡だな。多分、木の根か何かに引っかけて外れたんだろ」
拍車は乗馬靴の踵に装着する金属の器具で、馬に発進を促す道具だ。我々が馬を奔らせる時、腹を足で挟むような仕草は、これで馬の腹を突っつき「進んでくれ」と指示しているのである。
大抵は着脱式で、邪魔にならないようベルトで留める構造をしており取り外せるようになっている。言うまでもなく隠密の邪魔なので、私もきちんと外しているが、この動死体は外さず森を彷徨ったせいで壊してしまったようだ。
となると、彼は馬を使って旅が出来る程度には裕福な身分であったらしい。いよいよもって、こんな森の奥で動死体と化していることが謎である。
さっき頭を蹴っ飛ばしてしまったが、後で探してきちんと弔わねば。
ただ……これ、どうやって根本的に弔えばいいのだろう?
不死者、特に魔素が浸透した物や幽霊が取り憑いた物は自然の摂理に反しながら、肉を得ているせいで世界の弾力性への耐性を持っている。それ故、魔法による変異や異常と違い、放っておいたら魔力切れ以外で止まることがない。
これが術式で動いているのならまだよかった。他の魔法の変異や異常のように、蓄えた魔力が尽きるまで放っておけばいいのだから。ただ、幽霊が取り憑いているだとか、魔素が染み込んでいるとかだと、延々動き続けるので性質が悪い。
その上、残念ながら門外漢二人では、これが“何故動いているか”分からず、どうしようもないのである。
いや、知識はあるんだ。ただ、それでも素人がふわっとした知識でよく似た毒キノコと可食キノコが存在していると知っていても、正確に見分けられないのと同じで、ない頭を捻っても「どっちでもありうるぞ……」という困惑しか出てこないのである。
不浄な存在であり、世界の法則を無視する不死者は神の奇跡で浄化することができる。ないしは、その解れた法則は妖精や精霊のような、より概念に近い存在の助けを借りれば正しい形に戻すこともできるだろう。
が、残念ながら私達はそのどっちもできないのである。やっぱりパーティーに神官を一人は入れとけというのは至言だったな。
以前、場所的な問題で人間の信仰する神がアウトということで、神官不在の縛りプレイをしたことがあったが、あのキャンペーンは本当に地獄だった。小傷が中々癒えずに死を覚悟し、レンジャーが用意した薬湯を啜って微かな回復に賭けるみたいな道中は、近世初期の戦争っぽさがあって実にエグかった。
それとは違うベクトルで神官不在の不自由さに嘆く我々は、顔を見合わせて頷いた。
よし帰ろう。これは絶対にあかんやつや。
我々が冒険者かつ編成を考えたフルメンバーであったなら、喜んで「おっしゃ未踏のダンジョンとかがあるな!」と毎度の如く押し込み強盗に向かうところだが、残念ながら二人きりの丁稚と学生だ。語るまでもなく戦力も準備も足りていない。
この先が如何様な地獄かは知らぬが、少なくとも動死体が発生するような状態など“まとも”とはほど遠く、ちょっとした冒険で踏み入る場所でないことは確実である。
ならば、動死体が発生したという報告だけ携えて戻り、後は本職に頼めばいい。蛮勇だして突っ込むのは結構だが“コインいっこ”も持ち合わせぬ我々には身に余るシチュエーションだ。ファイゲ卿も自分の趣味を理解しない人間には偏屈な人間に思われても、この状況にケチをつけるような非常識人ではないので別の課題をくれるだろうさ。
無理はダメ絶対。我々には新しいシートを用意してもらうことはできないのだ。
何より、私も“三枚目”は勘弁だし、そも確約されぬ“三枚目”を期待して無茶はしたくないからな。
何か証拠になるもの……と思い、コンクリートからはみ出してジタバタする片手を見て気付く。不死者の腕を持ち帰れば、その痕跡から本職なら何か分かるに違いない。これが何処まで動き続けるかしらないが、見る者が見れば異常な死体であることは察して貰えるはず。
これならば、子供の悪戯とあしらわれることもあるま……。
「……ねぇ、エーリヒ、今何か動かなかったかい?」
今後の算段を練っていると、何やらミカが不穏なことを言い出した。思考に熱中していたせいで聴覚がおろそかになっていたが、改めて耳を澄ませて見ても何も聞こえない。
「気のせいじゃ」
言い終える間もなく、南側、つまりやって来た方で草が揺れる音が。
押し黙って、首を巡らせれば、また音が一つ。いや、二つ、そして三つ……。
「ええと、友よ、これは……」
「ミカ、靴紐を確認しておいてくれ」
言って、自分もブーツの紐を確認し、慎重に送り狼を鞘に戻す。
多分、走るときには邪魔になるから。
「え? ああ……」
疑いも質問も挟まず律儀に紐を結んでくれる友に感謝しつつ、私は妖精のナイフを抜き――これも、普段より心なしか色褪せているように思えた――サブウェポンとして使うために<見えざる手>を練り、手近な石や手頃な枝を掴み上げる。
ああ、分かっていただろうに。あの手の怪物は個であれば恐くないものだ。
だから……。
「ひっ!?」
藪が蠢き、木立が揺れ、枝に阻まれて勢いを減じた光の下へ死者が這いだして来た。二つ、三つ、四つ。群を作る彼等の姿形はバラバラなれど、一つとして尋常な姿のものは存在しない。
同じくしていることは一つ。
不死者が抱える本質的な“餓え”に苛まれ、我々を狙っていることだけ。
「走れ!」
そうとも、何時だって徒党で襲いかかってくるのがお約束だ。大体50年前、まだ映画が白黒だった時代から変わらないお約束。
私は友の手を取り、死者から逃れるべく駆けだした…………。
【Tips】神の奇跡を賜った神職にもできることとできないことがある。戦や武を司る神々が癒やしの奇跡を授けず、生産を司る神が武威を示すことはなく、安寧を守る神々は流血を嫌って破壊をもたらさない。
だが、世界の管理者たる全ての神が、歪んだ法則を正す奇跡だけは等しく与える。必要であれば誰にでも。どのような強度であっても。




