少年期・一三才の秋・九
森と一口に言っても様々な種類が存在し、実際に行ってみたところでイメージからかけ離れた光景が広がっていることは珍しくない。地図上の記号だけで地形は読めても、土から上のことは基本ノータッチなのだから。
熊が出る程度の森と聞いて多少の覚悟をしていたが、ファイゲ卿の依頼で訪れた森はその覚悟を軽く超えていた。
「これは……森というより樹海なのでは?」
「奇遇だな友よ。私にもそうとしか見えない」
呆然と呟く友人に同意し、私は見上げていると首が痛くなるほどの木が、人を拒むように密生した森を見て軽く絶望する。
断じてこれは〝ちょっとした冒険〟とやらで踏み入って良い規模ではなかった。アレだ、森に住まう強大な魔女に挑むとか、万病を癒やす秘薬を作って貰う系の終盤クエストでやっとこ行く系の森だ。
ツガやモミ、ナラなどの針葉樹と落葉樹が混在する原生林は、帝都や荘にあった保護森林とは趣が全く違う。建材として優れたオークやイトスギがお行儀良く並ぶ保護林が有名進学校だとしたら、これは正しく地元のチンピラでさえ震え上がる場末の不良学校という佇まいである。
伸びたいように伸び、生えたい所に生えた木々は地面で雄大な根をのたくらせ、長い間降り積もった葉が絨毯の如く敷き詰められている。人が踏み入り、木を伐採することを前提とした森とはことなり、部外者を明確に拒む空気を帯びていた。
ちょっとした冒険一転、とんだ屋外ダンジョン踏破になってしまった。森歩きの知識がなかったら、安全のために速攻で引き返し野伏か斥候を雇いに行っているところだな。偵察役の居ないダンジョンハックは自殺と相違ない、というのはTRPG勢における常識だ。
軽く武装し、数日分の食料と水を背嚢に放り込んだ私たちは、しばし森の雄大さに心をぶん殴られながらも足を動かすことにした。
こういった地形であれば、普通は大変に足を取られ困難な道行きを強いられることだろうが、私とミカは違う。
ミカは造成魔術師志望の聴講生。土と石塊、そして木に親しむ魔道士だ。自然神や精霊を信仰する神官のごとく、“自然の方に”気を遣わせるような所業は能わずとも、森に敷き詰められた土をどうこうするのはお手の物だ。
「消耗を考えると、この程度しかできないけれど」
ミカが術式を組み、魔術を使えば――効果が切れると元に戻るという世界の性質から、造成魔道士は魔術の方に造詣が深い――地面の土が寄り集まり、独りでに圧縮されて道へと姿を変えた。のたうつ木の根や天然の傾斜を丁寧に埋めた一本道は、身を挺して道を遮る木々を縫うようにしてまっすぐ森の奥へと伸びてゆく。
「いやいや、大したものじゃないか」
土を固めた道の上は完璧に平坦で、肩幅ほどしかなくとも十分に歩きやすい。それに、まっすぐ伸ばしてくれているので、入り組んだ森特有の〝木を避ける度に方向感覚がズレる〟ことも防いでくれるからありがたかった。来た道がしっかり分かるなら、パンくずも方眼紙もお役御免だな。
「そうかい? まぁ、下手に地質をいじって森を痛めると怒られそうだからね……」
謙遜する友の肩を小突けば、彼は少し悩んでいつものように小突き返してくれた。そして、平素と変わらぬ距離に寄り添って森をゆく。
昼間でも薄暗く、木々に張り付いた地衣類のせいでおどろおどろしい雰囲気こそあれ、森の中は存外平和なものだった。サイコロの出目が良いのかイノシシやクマが突っ込んでくることもなければ、下卑た笑みの山賊が飛び出してくることもない。
うん、前者は兎も角、後者はこんな所に根城を作る理由がないか。火山だろうがダンジョンだろうが、呼ばれれば何処にでもポップする連中ほどのバイタリティは、この世界の人間にはなかったらしい。
人里離れた森に縄張りを作って、一体誰を襲って生計を立てるというのか。巡察吏から隠れて旅人を襲うにしても、もっと街道に近い森がいくらでもあるだろうし。
理不尽な遭遇に悩まされることもなく、のんびりしたペースで森を探索し、ついでに色々と仕入れておく。手つかずの森だけあって、ちょっとした小遣い稼ぎになる薬草がちらほら生えているのだ。地力を他の木々と取り合って尚も繁茂しているだけあって、質が良いものばかりなので、持って帰れば良い値がつきそうだった。
「ほら、エーリヒ、どんぐりだどんぐり」
土を蠢かせて大量に転がるどんぐりを集め、ミカはご機嫌そうに笑った。別に稚気あふれるどんぐり集めを楽しんでいる訳ではない。彼の故郷では立派な食料として親しまれているからだ。
「これをだね、秋の間に沢山集めて保存食にするんだ。粉にして水に晒せば、まぁまぁ悪くないんだよ」
うれしそうに袋に詰めていくミカは、持って帰って自分で調理するのだと言った。北方ではメジャーな食料であっても、帝都であっては貧乏食扱いであるし、なによりどんぐりは養豚の要であり人間の食べ物ではないので出回っていない。昨日の羊肉を食べたせいで、故郷の食い物を食べたい欲が収まらないようだった。
「渋抜きしたものをパンやクッキーの嵩ましに使ったり、よく煎ってお茶にするんだ。炊いて煮こごりみたいにして食べたりもするんだが、これが結構おいしいんだ。南じゃ全然食べないようだけどね」
そんな寄り道をしつつ森を行き、薬草や木の実で背嚢が重くなり始めた頃、ふと腰のポーチがぶるりと震えた。
ウルスラの薔薇が入っているポーチだった。
「どうしたんだい?」
急に歩みを止めた私をいぶかるミカに少し待つように頼み、薔薇を取り出してみる。微かに震えるそれからは、確かなウルスラの気配を感じるものの以前のように花がほころんで彼女が姿を現すことはなかった。
ふと思い出す。そういえば、今日は満月の日だ。
妖精は隠の月が勢いを増し、真の月が衰えるにつれて力を増す。当然、真の月が満ちて、その影である隠の月が力を喪えば世界に干渉する力が衰える。隠の月が真円を描いた時にヒトと変わらぬ大きさで出てきたということは、月が隠れれば姿を現すことさえ難しいというのか。
つまり、私は今妖精のご加護を喪っているに違いない。
……よかった、変に妖精関係に熟練度振らないで。私個人にメタ張って、隠の月が新月時に殴りかかられたら戦力が半減するところだった。
冗談はさておき、今のウルスラは私の声が届いても、彼女から声を届けるだけの力は無いようだ。だからこうして、震えることで微かな警告を送ってきているに違いない。
ただ、一体何を警告してきているのかは分からなかった。肝心な所は教えてくれないというのは、なんかこう、実にイベントらしくて困る。よもや本当にクライマックス戦闘が生えてきた訳ではなかろうな? 私からすれば、昨日のミカとの語らいでかなりクライマックス感があったのだが。
「ここからは警戒しつつ進もう。少し……いやな予感がする」
「予感、か……いいだろう友よ」
突拍子のない言葉を疑いもせず、ミカは愛用の短杖を一振りすると地面に大きな穴を穿った。
「身軽な方が良いだろう? 荷物はここに隠していこう」
魔術で空けられた穴の内側には、獣が掘り進んでこないように石が丁寧に敷き詰められていた。石畳を構築し、整備する造成魔術師必携術式を応用したようだ。今日は実に器用だと感心させられてばかりだな。隊商が随行魔法使いを心底ありがたがるのがよく分かった。
最低限の水を残して身軽になった私たちは、隠密の心得が少しだけある私が先行して進んだ。密集すると伏撃を受けたときに一網打尽にされる可能性があるからだ。無論、後衛である柔らかい魔道士がバックアタックを受ける危険性はあるが、ミカには視界の共有ができる使い魔が居る。私より視界が広いなら、背後の心配はまだ少ないはずだ。
不意に吹いた生ぬるい風、それが運んでくる臭いが鼻腔を刺した。
知っている臭いだった。実に不快で、嗅ぎたくないのに嗅いだことがあり、慣れたくないのに少しだけ慣れた臭い。
肉が腐る甘い匂いに混じる、不快な糞尿の臭い……死臭だ。
この世界で死は実に身近である。ヒト種がびっくりするほど簡単に死ぬというのもあるが、見せしめ刑が当然の如く各地で行われているからだ。
荘では殆どないが、中規模の都市であれば公開処刑は年に何回も行われているし、その屍を城壁や城門にクリスマスみたいな気軽さで飾りやがる。その上、街道では戒めとして盗賊なんぞの下っ端が、ぶら下がり健康法を強制されているのだから、そりゃあ嫌でも慣れようというもの。
極悪人ともなれば、処刑した後に蜜蝋漬けにした首を各地に晒して回るなんて全国ツアーまで開催されるからな。鳥や獣を捌く云々以前に強制でグロ耐性がつけられる。
そして、これはそんなイベントが開催される度に嗅いだ臭いだった。
あらかじめ決めておいたハンドサイン、握った拳を掲げる〝止まれ〟の指示を出して、私は気配を殺し先行する。臭いの元は、ミカの道より外れた方向から吹いてくる。
枝の一本、葉の一枚すら散らさぬよう気を遣い――隠密を上げてしまおうかと即物的な発想を必死に追い払いつつ――臭いの元を探る。
その源は存外すぐに見つかった。ふらりと無警戒に森の中に突っ立つ、薄汚れた風体の後ろ姿。薄汚れた衣服、乱れに乱れた髪、土気色の肌、そして〝脱落した右腕〟という隠しようも無い欠損……。
不死者である。
文献で言及がいくらかあったが、あのタイプは初めて見たな。
さて、この魂の存在が確約され、死後が実存する世界には不死者と呼ばれるモノがいくつかある。幽霊や死霊が存在しているのに、動死体はいないなんて片手落ちにもほどがあろう。その点、この世界を構築した面々はしっかりとホラー系の存在にもリソースを割り振ってくれている。
それが喜ばしいことかは、私の渋面を見れば察していただけるだろうが。
不死者達の例であるが、一つは寿命を持たぬ種族であり、人類種の長命種や魔種の吸血種をはじめとする連中が分類されるが、往々にして殺す方法は存在するため不死者と呼ばれることは希で、多くはその再生能力を畏怖してついた異名だ。むしろ、当人達が名前負けするからやめて欲しい、そう愚痴っていたと書き記す文献さえ存在している。
二つは死を剥奪された、あるいは喪った存在を指す。神学の本で読み囓る限り、途方もない罪に対して神々が下す刑罰の一つに、生き物が当然に持つ権利の剥奪が含まれるそうな。それは眠ることであったり、寿命の限り餓え続けることであったり、感情の一部であったりもするが、最も重いモノの一つに〝死〟があるという。
そんな死を奪われた、あるいはライゼニッツ卿の如く投げ捨てて返り咲いた者も不死者と呼ばれるのだが……あれはそんな上等なものではなさそうだった。
あれは、その三つ目、使役された、あるいは乗っ取られた亡骸だろう。
魔法は世界の法則をゆがめる。ゆがんだ法則を死者にぶち込んで動かすくらい、手段としてはいくらでもある方だ。私も最初、不死者を作り使役する独覚系の魔法スキルツリーを見つけて「これ強いな」と思ったが、速効で迫害案件であると察せたために選択肢から除外したのを覚えている。
私が考える〝強い〟というのは、ロール面に大きな瑕疵をもたらさないことも要素として含まれているので当然だった。そんなシティ物が始まった瞬間、城門の外でぶらぶらしてなきゃいけないようなキャラ、いくら数値が強くても使い物になるまいて。
あの立ち尽くす影は、きっと私が諦めた手法か、うち捨てられた亡骸に幽霊、あるいは魔素がしみこんでしまったが故に動き出した意思なき屍だと思われる。ライゼニッツ卿のように理知ある存在にしては挙動がお粗末すぎ……。
ふいに、ぐるんと死者の首があり得ざる挙動で私へ向けられた。左の眼球は脱落して萎びた物が神経索に惰性でぶら下がり、右の眼窩には目の代わりに泥が詰まっていた。歯は餓えを示すようにガチガチと噛みならされ、瞳無き視界でしかと私を見咎めている。
濃密な死の気配に体が固まり、無意識に吸い込んだ呼気が「ひゅっ」と情けのない音を立てた。ちょっとまて、あの様でなんで私が分かって……。
あっ、待てよ、そういえば死者は〝魂〟の臭いとやらを嗅ぐ〝非感覚的知覚〟を持つんだっけか。妖精とか、その類いと同じように。
彼は動死体と聞いて想像するのとは全く異なる機敏さで振り向き、ヒトが走るのと遜色ない挙動で駆け寄ってくる。残った右手を差し出し、歯をカスタネットのように打ち鳴らしながら疾走する様は、そのまんまホラー映画としてスクリーンに映し出せる迫力。
死者らしくない襲撃を私は真正面から受け止め……はせず、半歩前に踏み出しながら、用心で既に抜いていた〝送り狼〟の一撃で首を飛ばすことで対抗した。確かに動死体だと暢気にしていれば面食らう素早さだが、覚悟が決まっていればなんてことはない。むしろ、意志がない分素直で対処しやすい方だ。
それにほら、下手な生者よりアグレッシヴな死者なんて、前世の娯楽作品じゃ結構普通だったしな。四人組で全力疾走する感染者と殴り合うゲームにサークルの面子と一時期ハマったものだ。
死者は駆け抜けていく勢いのまま転倒し、跳ね飛ばした首は木にぶつかって足下に転がってくる。うむ、我ながら美事な一撃だ。確実に致命の一撃が入ったな。
これで私がうぇーいと鳴くジョックだったら特攻ダメージがぶっささって、判定のサイコロも振らせてもらえず演出で死んでる所だ。
とはいえ、これはよくないな。どんな理由であれ、不死者が発生するなんて普通ではない。森の奥でよからぬことを企む魔法使いがいるにせよ、死体がよみがえるほどの魔素がたまっているところがあるにせよ尋常では……。
ん? 足に違和感があった。何かに触れられているような気がして見下ろせば、ばっちり目が合ってしまった。
空腹を訴えるように歯を打ち鳴らす、たった今斬り飛ばしたはずの首と。
ついで、背後で枝を踏み折りながら何かが立ち上がる音と気配……。
「おふぁぁぁっ!?」
あまりに情けない悲鳴を挙げながら、私は一つ思い出す。
そうだよ、この手のエネミーには刃のついた武器ではダメージが通らなくて、クリティカルはそもそも発生しないものだと…………。
ちょっとした冒険、で依頼を持ちかけられて、本当にちょっとした冒険で終わったことがないのがTRPGの序盤。よくやられたし、よくやったので皆様も馴染みがある事かと。
土日出勤と四月一日以降、ちょっと立て込んでいるので予定が現在不明瞭です。
また暫くお時間を戴くことになるかと存じます。
今暫し、体力のない筆者に御寛恕いただければと思います。




