少年期 一三歳の秋・四
目的地には夕刻を過ぎた頃に入ることができた。帝都のようなそびえ立つ市壁に囲まれた大都市ではなく、精々が三mほどの薄い防壁だけが囲う質素な街だ。都市計画だけは帝国の基準に沿っているようだが、少なくとも攻囲されたなら半月も保ちそうにない佇まいである。
とはいえ、帝都から早馬で二日ほどの距離なら、そこまで気合いを入れて守る必要も無いのだろう。それこそ、こんな辺鄙な田舎町が陥落するようなら、三重帝国は遷都するか乾坤一擲の会戦を試みる段階だろうし。
都市の防衛に似合いのおざなりな身分チェックを受け、入市税の――最初は面食らったが、まぁ高速道路代とでも思えば抵抗はなかった――五〇アスを支払って街に入った。目指すはクエストの達成……。
「さて、宿を探すか」
「そうだね」
ではなく、今日のお宿である。
飯時に訪ねていくのは常識的に考えて拙い。特にあの偏狭の極みにあるアグリッピナ氏が「偏屈だ」とコメントするあたり〝よっぽど〟だろうから、気をつけ過ぎるということもあるまい。最悪、扉を開けた瞬間に攻撃魔法が飛んでくるのを覚悟してしかるべき手合いだと見る方が、精神衛生上も身の安全上も好ましかろう。
だから、ちょっとしたお土産も用意しておいた。帝都産の銘菓をいくつか見繕っておいたのだ。多額の経費を持たせたということは、この辺にも気を遣えよと言いたかったのだろうし。
「もし、少しよろしいでしょうか」
「ん? どうした?」
ともあれ、本番は明日なので今日の宿を探そう。暇そうにしている衛兵を捕まえて、安い木賃宿でよい所はないかと訪ねてみたところ、一つ教えていただいたのでお礼として銅貨を少し握らせておいた。このあたりの感覚に慣れるのにも少し時間がかかったな。だって、地方公務員が当然のように〝お礼〟を受け取るのだから。
礼を言って家の間隔もまばらな市街を行く。街道は丁寧に石畳が敷き詰められていたが、市壁の内部は大通り以外は土を均しただけの簡素な道が広がっている。帝都のように街灯が立ち並ぶようなこともなく、まさしく牧歌的な田舎町という風情であった。
市壁の付近に位置する飯場街に私たちは木賃宿――部屋だけを借り、すべてを自炊で済ませる安宿のこと――の一室を一〇アスで借りた。微かに傾いだ建屋は時代を感じさせるが、中は存外きれいに整えられていたので、あの衛兵が宿から付け届けを貰って酷い宿を押しつけている訳ではなかったようだ。
この辺の宿屋すべてをカバーする一軒の厩にカストルとポリデュウケスを預ける。ここも随分と見た目はくたびれていたものの、馬丁の親子は誠実そうで私たちのような未成年も侮ることなく〝だんなさま〟と持てなしてくれたので、サービスに心配はなさそうだ。
ここでは馬一頭で水・飼い葉つき一日一五アス、二頭なら二五アスで預かってくれた。人間の宿よりお高いのはどうかと思うが、手間のかかる生き物なので仕方あるまい。なにより我々の大事な冒険の仲間なのだし、彼らにも良い宿で休んでもらえるのなら値段に文句はつけないさ。
たっぷり食べさせてやってほしいとチップで五アス握らせて、今度は我々の腹を満たすことと相成った。
「さて、何か食べたいものは?」
「ふむ、とはいえこの辺は屋台が少ないね」
言われて気づいたが、確かに屋台の数が少ない。いや、帝都のごとく辻という辻に何かしらの店や露店が建っている方がおかしいのだ。それこそ、私の荘なんて酒房も飯場も一個ずつしかなかったし、屋台なんて春と秋の隊商が出すものくらいだからな。
「しくじった、折角だし衛兵に尋ねた時に飯屋のことも聞いておくべきだった」
失策に気づいて頭を掻く。さっきの馬丁親子に聞いてもよかったものを。あの調子なら、この飯場街の食事事情だって快く教えてくれただろうに。
戻って聞こうかと思っていると、ミカが私の服を引っ張って一軒の酒房を指さした。
「あそこはどうだい、エーリヒ。人の出入りが結構ある。旨いんじゃないだろうか?」
促されて見た店は、これまたひなびた飯場に似合いの店構えであるが、たしかに旅装に身を包んだ客の出入りは多い。中には胸甲や腕甲だけで軽く身を覆った冒険者や傭兵らしい姿も見える。
ちなみに、ここも帝都と同じく衛兵と貴族、そしてその護衛以外は帯刀を禁止されているので表道具をぶら下げている人間はいなかった。帝国の都市では基本的に物騒な道具を持ち歩いてはならないのだろう。ちょっとした拍子で刃傷沙汰に及ばれると、都市としては非常に困るからな。
私も宿に〝送り狼〟と戦利品の剣、そして鎧櫃の一式は預けてある。武装らしい武装は旅装の首に巻いた涙型の首甲と手甲、それと袖に仕込んだ妖精のナイフに魔法の触媒だけだ。とはいえ、焦点具の指輪もしているので、基本的にやろうと思えば〝なんだってできる〟ことに変わりはないのだが。
ひょっとしてアレだろうか、この指輪型の焦点具が廃れたのは収束倍率重視の風潮だけじゃなくて、国の施策で廃れるような噂が流されたとかじゃないだろうか。今更ながら希少な素材を使ってるとはいえ、性質が悪すぎるぞ。指輪一個つけてるだけで、短刀よりよっぽどエグい暗殺道具が色々な所に持ち込めるとか恐ろしすぎる。
おっかない想像もそこそこに、私達は飯場に足を踏み入れた。
ドアの向こうには広いはずなのに客足と目一杯詰め込んだテーブルのせいで酷く手狭なホールがあった。噎せ返るような酒精と濃密なヒトの臭いがあふれかえり、食べ物の匂いと混じって最高の混沌を生み出している。
打ち鳴らされる酒杯、下品な笑い声、カードや盤上遊戯に興じる者の悲喜交々混じる歓声。まさしく地の果ての酒場、といった風情であった。
そうそう、これだよこれ、こういうのでいいんだよ。どうにも私の周囲にはイロモノな展開ばかりだから、こういった純正のファンタジーな光景は大変よろしい。
とはいえ、別に子供二人で連れ立って入ったからと行って「ママのミルクでものんでな!」という展開はなかった。普通に隊商に丁稚としてくっついているだろう、私とあまり変わらない年頃の客もいるからだ。
「はーい、ちょっと待ってね! 混んでるけど一応空いてるから!」
胸元が大きく空いた、北方の方で着られているらしい民族衣装を纏った給仕が元気よく叫んだ。暗い金髪を太い三つ編みに束ね、そばかすを散らした顔を太陽のような明るい笑顔で染めた姿は正しく田舎の看板娘といったところか。
私達は彼女に導かれ、隅っこの方に空いたカウンターに連れて行かれた。隣では男達がカードに興じており、銅貨と銀貨がたまに景気良く飛び交っている。
情報収集といえば酒場ではあるが、流石に客に話しかける気にはなれなかった。そも、宿屋の近くの飯場ということは、ここで屯している面々は旅人や隊商だろうし、ファイゲ卿の話が聞けるとは思えないからな。
「さ、何にするお若いお二人さん。今日は羊捌いたから、煮込みが美味しいよ」
羊肉? 珍しいな、この辺は豚肉がメインで放牧しなければならない羊はあんまり食べないのに。いや、家畜を越冬させるのが難しい北方だからこそ、寒気に強い羊を飼っているのだろうか。
「ああ、懐かしいな。じゃあ、僕はそれでお願いします」
そういえば君は北方の出身だと言っていたか。なら、馴染みの味だろうし失敗はなかろう。私もミカの尻馬に乗って同じ物を頼んだ。
「いや、久しぶりに食べられるのか。嬉しいな。帝都だと殆ど出ないからなぁ」
三重帝国は基本的に森が多い国で、どうしても牧草地は少ない。むしろ牧草地にできるようななだらかな地形は、単位面積ごとの収穫が大きい耕作地にするため、牛や羊はあまり育てず、森でどんぐりなんぞを食わせれば十分な豚の需要が高いのだ。
それもあって、ミカは故郷の味に餓えているのだろう。
……そういえば、私ももう長いこと米を食べてないな。三重帝国人としてパンと豚肉主体の食事に慣れきっているが、やはり精神と魂にこびり付いたあの味が少し懐かしい。それと味噌汁も飲みたい……もう随分と飲んでいないが、やはりあの味は忘れがたい物がある。
南方の南内海の方だと米も食うと聞いたが、それは私が馴染んだ何世代にも渡って品種改良が施されたジャポニカ米とはほど遠いできなのだろう。それはそれで美味いかもしれないが、故郷の味は遠くなってしまったなぁ……。
「よかったな……! 腹一杯食ってくれ……!」
私には満たせそうにない郷愁を慰める友の肩を掴み、ついつい熱く語ってしまった。何だコイツ? みたいな目で見られても気にしない。それくらい思い入れが深い物なのだから。
因みに暫くして出てきた一人あたり八アスの羊肉煮込みは、ミカ曰く地元の味ではなかったそうだ。ショウガが利きすぎている、とのこと。
味は普通に美味かったけどね。欲を言えば胡椒か山椒が欲しい味だった。
ちょっと異国の味を堪能してから、私達は一旦別れることにした。ミカはちょっと違うが故郷の味に近い幸せな食事をしたから、今寝たらきっと良い夢が見られると言って宿屋に引っ込むことにし、私はここ数日分の垢を流しに公衆浴場に行くのだ。
街の外れ、市壁の外に排水を流す河の近くに公衆浴場は建っていた。都市と同じくこぢんまりとした佇まいだが、長年市民に愛されてきたのか古くさくとも手入れは行き届いており、客足もまぁまぁ悪くない。
入湯料を支払って中に入ると、外の印象を裏切らない簡素ながらしっかりした作りの浴場だった。水風呂に温めの浴槽、それと熱めの浴槽……お、うれしいな、蒸し風呂もあるじゃないか。
「よし、久しぶりに蒸し風呂だな」
独り言ちて、私は久しぶりの蒸し風呂を堪能することにした。何か帝都の無料浴場にある蒸し風呂はアレだ、温度が物足りないのだ。都会育ちと田舎坊主では、温度に対する拘りも違うようだし、ここは熱くしてくれたら有り難いのだが……。
「おっ、貸し切りか、嬉しいね」
期待通りに蒸し風呂の薪ストーブはカンッカンに暖められていた。湯をかければ景気良く蒸気があがり、懐かしい匂いと感覚が蘇る。いいね、荘で安息日に皆と入ったのを思い出す。順当にあそこにいたなら、流石に今年はマルギットから誘われても男衆と入っていただろうな。というか、みんな見た目の幼さから素で流していたが、子供に混じってたのは結構アウトだったのではなかろうか。
一人でのんびり堪能していると、客がやってきた。折角の貸し切りがと無粋なことは言うまい。誰かと楽しむのも良いことである。
湯気をかき分けてやって来た客は、少し間を空けて私の隣に腰を降ろした。とりあえず礼儀として頭を下げると、湯気のせいでシルエットしか見えない角張った顔が此方を見るのが分かった。
「……見なれねぁ顔だな?」
少し訛りのある帝国語だ。北方系の訛りだろうか。帝都には綺麗な宮廷語を話す人が多いので、あまり聞く機会がないのだが、何とか聞き取ることができた。
「はい、少しお遣いでこっちに来てまして」
「ほん? 若ぇのに大変だ。おめ、いぐづだ?」
「この秋で一三になりました」
「どごがら来だ? 一人け?」
軋むような喋りは、年経た老人の渋みを帯びた声でなされている。かなりお年を召した地元の人なのだろう。
ああ、こういう人に聞けばいいな。地元に住んでいるのなら、私が訪ねるべきファイゲ卿の人となりを聞けるかも知れないし。
「いえ、友人と二人できました。一人で野営は心細いので」
「ん、そん方がよが、こん時期んもっけが一人はあんぶね」
賢いなと言って湯気の向こうから伸びてきた手が私の頭を優しく撫でた。だが、この感覚は両親やたまにアグリッピナ氏が撫でてくれる時の感覚とは大きく違う。このざらざらして節くれ立った心地は肉ではないな。
木、それも年経て水分が抜けてきた古木の手触りだ。
「あの、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「なんね?」
さて、私もトータルでアラフィフの領域に突っ込みつつあるが、伊達に長生きはしておらず社会人経験もあるため下準備の大切さは重々分かっている。それこそ殴りかかる魔物の種類を知らずに攻撃して、おいこいつ刃物通んねーぞ! とスケルトン相手に文句を言う愚を何度も――逆説的に一回はしてしまった訳だが――犯しはしない。
帝都を発つ前に訪ねるべきファイゲ卿のことは下調べしている。複製師として優れた写本を作ること。甘い物が好きなこと。作業を邪魔されると烈火の如くいかること。訪ねた人間が口をそろえて偏屈だという変わり者だと言うこと。
そして……。
「ファイゲ卿とお見受けいたしますが、如何に?」
年経た樹人だということを私は事前に知っていた。そして、蒸し風呂で私の隣に座るのは、まごう事なき古き樹人である。節くれ立ち、複雑に絡み合った枝葉の手足、その中でコガネムシのように輝く目が、払われた湯気の中で目立っていた。
彼はしばし驚いたように目を見開き――樹人の表情がヒトと同じ感情を表すならだが――私を上から下まで観察した後、鷹揚に頷いて、今まで使っていた北方訛りの帝国語を丁寧な宮廷語に改めた。
「如何にも。して、小さき者、この枯れ木にいかなる用向きかな?」
【Tips】樹人。生命としての〝相〟が人類よりも精霊に近い人類。総じて高い魔力を誇り、自然と親しみそれを力に変える。
繁忙期と新しい仕事になれることで若干ふらついております。
変わらぬ多大なご支持と、くっそ情けない文章をなんとか読める形にしてくださる誤字報告の雄志たちに感謝を。
感想を聞いて色々触りたいところが出てきたり、調整したい所もあるのですが難しいですね。
時間をなんとかとりたいものです。
次回は2019/2/26の19;00更新を予定しております。




