少年期 一三才の秋・三
清々しく何処までも高い天を眺めていると、そのまま空の向こうにおっこちてしまいそうな感覚に襲われる。
しかし、それは恐怖を伴う物ではなく、あの美しい青に溺れられるのではと期待するような心地だ。秋口の数が少なく薄い雲は、抱きしめればどんな心地がするのだろう。
ああ、雲で思い出したが、先週マルギットから手紙が来た。帝都に行くという隊商を捕まえて、私宛に手紙を頼んでくれたのだ。内容からするに、私が到着する少し前に書かれた手紙が今になって届いたらしい。
近況報告が主としたそれは、なんと予想どおり、気が早いことにハインツ兄がミナ嬢の腹を膨らませたというものだった。細身だったために二月ほどで腹が目立ち、あっという間に懐妊の噂が荘に広がったそうな。兄は荘の中でも結婚から妊娠の期間がかなり短く、なんと現状では次点の素早さだったという。
まぁ、結婚から一月で孕ませた計算になる、以前に妖精のコインの話をしていた隣の爺様を抜くほどではなかったが。
どうやら私は叔父さんになったらしい。実にめでたい。前世でもあったが、やはり身内の慶事は何度あってもいいものである。
付け届けの一つも送ってやりたいものだが、そこまで余裕がないのでどうしたものやら。とりあえず、今回の儲けで返事を書く目処も立ったし、祝いの一言は届けられると思うのだが。
しかし、私は何だってこんなことを考えながら、友人の膝に頭を預けているのだろうか。
「具合は悪くないかな?」
そりゃ良い具合ですとも、と内心で思いながら、私は見下ろしてくるミカの美貌を妙な物を見るように観察した。
たしかに休もうと提案したのは私で、魔力不足と多重の高速処理による頭痛に悩まされて横になりたかったけれども、何をどうすれば膝を貸すという発想が出てくるのか。
それに甘えているお前は何なんだ、と言われたらぐぅの音も出ないが、自分の腕を枕にするよりも確実に具合が良さそうだったから、ついつい誘われるがままに頭を乗せてしまったのだ。
そして、実際具合がいいから困る。鍛錬を続けているおかげもあって、少しずつ堅くなってきた私の足と違って、ミカの足はちょうどよい弾力で実に居心地がよかった。おかしいな、彼も私と遠乗りに出たりして、足腰の筋肉が発達してきているはずなのだが。
「しかし、また伸びたね……やはり伸びるのが早い」
ああ、そういえば今生での初膝枕だなーなどと頭の悪いことを考えていると――マルギットには物理的に膝がなかったから、お願いできなかったのだ――彼は伸びてきた私の髪を取り、しげしげと眺めながら言った。
頭皮に感じる微かに引っ張られる感覚。ああ、これは……あれだな、おもちゃにされてるな。
「おい、何をしているんだい」
「いやなに、つい手持ち無沙汰でね。触り心地もよいからついつい」
なにやら頭が丁寧に編み込まれているらしい。確かにそろそろ毛先が首筋を超えてきて、前髪も後ろに流さねば鬱陶しいぐらいになったが、そんな女性のように整えられても反応に困るぞ。
って、こら、花を摘むな、絡めるな、飾るんじゃない。一体どういうセンスをしてるんだね君は。私をそんなお姫様スタイルに飾っても似合うまい。こういうのはエリザがやってこそ映えるというのに。私がやっても映えるのではなく、精々が草を生やされるのが限度だぞ。
「できた。後は起き上がってくれたら完成だ。ちょっと頭を上げてくれ」
膝を借りているという立場上あまり強く出ることもできず、命ぜられた通り腹筋の力で軽く頭を上げると、編まれた前髪の一部が後ろに回されるのが分かった。なんだっけか、カチューシャ編みとかいうやつか、たしか市井で流行っているらしく、そんな風に頭を飾ったご婦人方を見かけた気がするな。
いや、それを私にするって何の罰ゲームだよ。
「そんなに髪で遊びたいなら、ミカ、君も伸ばせばいいだろう」
「ん? ああ、僕はいいよ。これが似合ってる。それに短いうちはいいが、伸ばすとクセがひどくてね」
しれっと言い放ち、シロツメグサを増量してくる友人。私、なんか恨まれるようなことしたかね?
とりあえず頭痛も治まってきたし、ぼちぼち頭を解放してもらおうか。この様をそろそろやってくるらしい巡察隊の諸氏に見られたくは……。
「ああ、おいでなすったようだね」
ちくしょう、かみはしんだ…………。
【Tips】瀆神に対して神が直接裁きを下すことは少ない。精々が使徒を差し向けられる程度なので、ちょっとした罵倒やネタ扱いは日常茶飯である。なお、それを近くで聞いていた神職者とリアルファイトに突入することは神罰としては扱わないものとする。
「で、諸君らはお遣いの最中に彼らを見つけて捕縛しようと思った……と」
「ええ、そんなところです」
ヘンリク・フォン・リュニンゲン帝国騎士は叙勲から一六年間、三重帝国の通商路を警備し続けたベテランの巡察吏である。領地を持たない一代貴族――世襲権を持たない俸禄と名誉称号としての騎士――ながら忠に篤く、多くの戦いを街道の安全に捧げてきた。
が、これはちょっと人生で初めてのできごとであった。
七名の騎手を連れて通行量の多くない街道を進んでいた彼の下へ、足下に文をくくりつけた鴉が飛んできたのは実にありふれたことだ。魔法使いたちが使う、使い魔なる飼い慣らされた生物が救助や助力を求めて、手近な巡察隊に飛ばされるのは間々あることだから。
だが、今日もその類いの文かと思えば、記してあるのは「野盗を捕まえたので引き取ってくれ」というものであった。
これも珍しいといえば珍しいが、ない話ではない。魔法使い連れの冒険者だの、社会奉仕精神にあふれる魔導師が捕まえたはいいものの、自分たちより大勢の虜囚を抱えかねて助力を請うてくることが年に一回はあるからだ。
とはいえ、見るからに未成年の見目麗しい少年二人に呼び付けられるとは思ってもみなかったが。
片や性別が男性用の旅装からしか測れない美男子、片や花畑の姫君のように髪をシロツメクサで飾った白皙の少年とくれば、もうどう反応していいものやら。
これが泥棒がいたなんぞの可愛らしい通報であれば、遊んでいる最中に見つけたのだな感心感心と頭の一つでも撫でてやる所だが、野盗をとっ捕まえて無力化したと言われればどんな反応を示すのが大人としての対応なのか。近辺では歴戦の猛者として知られる彼にしても、ぱっと答えが頭に出てこなかった。
「あー……リュニンゲン卿、たしかに二四名が、そこで……えー、何かに塗り固められております。一応、全員生きているようですが」
「その、こちらには〝首から下が地面に埋められた〟者が八名……」
挙げ句の果てに虜囚が野盗だとしても若干哀れになる姿で晒されているとくればもう。明らかに常人の仕業ではない。魔法使いか魔導師か、さもなくば妖精の所業に違いない。
「私どもは魔導院の関係者でして、ささやかながら魔法が使えますので」
「はい、私は魔導院の聴講生。彼は魔法使いとして教授の下で丁稚をしておりますれば、腕に多少の覚えがございまして」
ささやか? 多少? 何をして彼らはいけしゃあしゃあとのたまっているのだろうか?
大の大人、それも装備が整った三〇余名を二人で捕縛したというのか。それも現場に残る痕跡からして〝真っ正面〟からぶつかり合ったとしか思えなかった。よく見れば、倒れてうめいている連中に親指がないのは、それを斬り飛ばして無力化したからとでも言うつもりか。
何もかもが異質だった。だが、頼んで見せてもらった彼らの割り符は正規のもので、確認用の割り符を添えればきちんと青く――偽物であれば赤く――光った。
「報告! 近場に野営地と思しき陣を発見! 略奪物らしき、帝国印を捺された馬車が一台見つかっております!」
「雑な埋葬の後も見られます。如何なさいましょう?」
自分と同じく困惑する部下を統率するため、リュニンゲン卿は目頭を軽く揉んでから意識を切り替えることにした。目の前の“コレ”は子供じゃない怖ろしい何かだと思えば、大人の対応をするのも容易い。
「……承知した。暫し待たれよ、検分の後に紹介状を書こう」
どのみち仕事はしなければならない。状況を改めて、人相書きから手配犯でないかを調べた上で人数をきちんと数えて紹介状の形に纏めねば、彼等は行政府から報奨金を受け取れないのだ。子供には過ぎた額だとか、未成年が無茶をするものではないと説教すべきではとの“常識的”な思考が脳裏を幾度か過ぎったが、彼はそれを無視して仕事にかかった。
あまり真面目に考えたって仕方がないこともある。世の中には初陣で鎧首を獲ってくる規格外だとか、一五でドラゴンスレイを成し遂げる怪物だって実際にいるのだから。
なら、一二~三で野盗を壊滅させたっていいじゃないか。
彼は自分の理性と感性を無理矢理に納得させた後、忠実な巡察吏らしくモルタルに塗り固められた阿呆共の面を拝みに向かった…………。
【Tips】野盗の報奨金は直ぐに支払われるわけではなく、十分な詮議の後に支払われるため、大体は一月ほど支給に間がかかる。
何やら様々な感情を嚥下しそこねた様相で、巡察達は縄を打った野盗共を引っ立ってていった。
ああ、まぁガキ二人があの数を無力化して、しかも片方はアホみたいな格好してたら自分の目とか脳味噌を疑いたくなるのも分かるよ。
「さて、決済してもらえるのが楽しみだね?」
紹介状を受け取ったミカは、私が必死こいて“手”で花を髪から引っぺがしている様を見て何も思わないのかね。編み込み自体は丁寧にやってもらったし、むしろ鬱陶しかった髪がちょっと邪魔じゃなくなったので、今後もやってみようかと思うくらいの出来映えではあったけど。
「これで生活が楽になる。しかし、本当にいいのかい? 山分けで」
「いいに決まっているじゃないか。別に何もしなかったわけでもなし」
ひらひらと紹介状を楽しそうに振っていたミカだが、不意に表情を曇らせて問うてきた。
山分けを提案したのは私からである。正面から戦ったのは私一人だろうが、野盗を見つけて奇襲を防いだのは彼だし――背後からの攻撃は最初から気付いていたから、あそこまで上手く躱せたのだ――乱戦時に地面をモルタルの泥濘に変貌させて支援もしてくれた。今まで一人で頑張っていた私にとって、敵にデバフを蒔いてくれる後衛が何と有り難かったことか。
倒した後に何よりも骨折りである捕縛をまとめてやってくれたのも大きい。私では、ああはいかないからな。括ろうにもそんなに沢山ロープは持ってないし、逃げられないよう延々とスタンさせ続けるのも魔力が保つまい。かといって、足の腱を斬って回るのも……。
兎角、私にとって彼の助力は大変有り難かったのだ。何も戦うというのは前線でヤットウをぶん回すだけのことを指すのではない。
「それとも、膝枕の代金としては不服かい?」
「……まったく、君というやつは」
本心から思い悩んでいたようなので、気にするなと茶化せば何時もの笑みが帰って来た。ああ、やはり彼は笑っている方が映えるな。
「さ、行こう。日が暮れる前についておきたい。もう三日も野営で節約しているからな。もう風呂が恋しくてしかたないよ」
「分かった、じゃあ急ごう」
私達は馬に跨がり、ささやかな戦利品を担いで寄り道から本筋へと戻っていった。
ちなみに剣は一本だけ頂戴して、後は全部巡察隊に引き取って貰った。いや、その場で使うにはいいけど、トータルで七本なんてとても持ち歩けないから。流石に重すぎるし、ポリデュウケスに括り付けたって積載できる容量を食いすぎだ。
だから、傭兵の頭が持っていた質の良さそうな物だけを失敬しておいたのだ。もっと軽いか、別の持ち運び方があれば確保しておきたいのも数本あったのだが。
さて、今回のお遣いは何を隠そうアグリッピナ氏から直接承ったご依頼である。報償は何と一ドラクマと中々にお大尽な額を提示していただいており――冒険者になった時、金銭感覚が狂いそうだ――経費も一〇リブラと潤沢にいただいてしまった。その上、経費は余ったら貰っていいというボーナス付きとくればね、もうね、ちょっと色々ケチっちゃうよね。
二人で野営をしつつやってきたのは、帝都の北西に地位する帝国のほぼ最北方地域に位置するヴストローという小規模な街だ。代官の城館を中心として発達し、周辺の荘を治め、物資を集積する有り触れた地方都市である。
しかし、ここにはアグリッピナ氏曰く著名な“複製師”なる複製本を作る達人が住んでいるそうなのだ。かつては帝都に居を構えていたそうだが、年齢から人混みと華美な本ばかり作る依頼に疲れ、生まれ故郷であるこの地に引っ込んだとか。
魔法を使った本の複製は非常に高度な手法らしく、専ら金のない学生――中には食い詰めた研究者、果ては教授も――が目を真っ赤にしながら手書きでやる物らしい。その上、製本や装丁自体は専門家に依頼してやっと仕上がるとなれば、希少性は言うまでもない。
しかし、複製師はそれぞれ異なる手法で魔力を作り、精度と質の高い複製本を作るという。特に今回私が訪ねていくマリウス・フォン・ファイゲ卿は、本物とうり二つの写本を作るという、人の名前を覚える気が全くない、あのアグリッピナ氏が一発でフルネームを口にするほどの高評価を与えている人物である。
かなーり偏屈だと聞かされたので覚悟は必要だが、お遣いとしては報酬も含めて悪くない話だと思うし、じつに“らしい”ではないか。
なので、秋期の税収計上作業に監督として教授が狩り出されたせいで――三重帝国の魔導師が“官僚”だと改めて思い知らさせられた――時間に余裕があったミカを誘って出て来たのである。
その旅路も目的地は目前だ。ちょっとしたイベントもあったけれど、此処まで来たら終わったも同然だろう。
さ、エリザの学費のため気張るとしよう。ああ、お土産は何がいいかなぁ…………。
【Tips】写本。羊皮紙の本を手書きで写し、街の同業者組合で装丁を依頼して仕上げる。魔導書の中には魔力を込めた手書きでなければ意味がない物も割合多いため、写本であるからといって価値が低い訳ではなく、内容によっては爵位に等しいとされる稀覯本も世の中には存在する。
少し遅れて済みませんでした。朝盛大に寝坊して、予約投稿を忘れて仕事に出てしまい、慌てて投稿した次第です。
初のクエストらしいクエスト。お遣いはよくあることですよね、そこから長期キャンペーンに発展することと同じくらい……。
次回は明日2019/2/25の19:00頃を予定しております。




