少年期 一三歳の秋・二
何が起こったのか、傭兵の頭には理解できなかった。
数多踏んだ戦場の地で、轟音を聞いたことは幾らでもある。耳を劈き、脳を冒し、意識を引っ掻くような音は幾らでも。
魔法使いがぶっ放す攻城術式が弾ける音や、最近は魔法がなくとも城壁を崩せるとして普及し始めた“火砲”だとかいう玩具もかなりの音を発する。
しかし、これは別物だった。
低く轟くのではなく、甲高く脳を“裂く”ような音は視界だけではなく、世界を揺さぶってきたのだ。己を取り巻く全てが激しく揺れ、あまつさえ地面が“起き上がって”顔を殴りつけてくる。
いや、これはそんな大仰なものではなく、倒れただけなのか? 彼は背中にのし掛かる別の重みを感じながら首を回そうとして、それさえも失敗した。
どのみち、この白く感光して役立たずになった目では、確認することもできまいが。
薄暗い部屋から昼間の太陽に晒された瞬間を何十倍にも酷くしたような視界は、何度瞬きしようとも消えてくれない。性質の悪い客として荘や他国の村に居座ったこともあるが、彼等はこんな心地だったのだろうかととりとめのない思考が頭の頭を染めた。
もう、それくらいしかできることがないから、脳が論理的な思考を放棄したのだろう。
世界が揺れる気味の悪さに胃が蠕動し、奪った略奪物を返却する。
それでも音と光の残響が彼を解放することはなかった。お前は命乞いを聞くような殊勝な男じゃなかっただろう? そう言わんばかりに。
耳鳴りの向こうで剣戟の音が聞こえる。まだ配下が抗っているのだろうか。だとしたら、この感覚を耐える、あるいは防ぐ方法を後で聞かねばなるまい。
それにしても妙だった。唯一まともに残った触覚さえもが、仕事を放棄し始めたのだ。
短い芝のような植物が生えた草原の壁――もとより彼が倒れただけだが――が緩み、泥濘と化し始めたのだ。雨が降り、何百人もの男達が行進したせいでぬかるんでしまった後のように。
顔が浸かって溺死するのを必死に避けながら藻掻く頭であったが、顔の間際に誰かが倒れてきて顔が泥で埋まった。そして、狙い澄ましたように親指に激痛が走り…………。
【Tips】親指は物を持つ起点であり、これを喪った際は行為判定に大きなマイナス修正を受ける。鋤、鍬の類いならば何とか扱えるだろうが、最早剣を振るうことは能わない。そして、魔導師や神官の扱う高度な再生施術は魔導院と聖堂の許可がなければ使えない、極めて高度にして政治的な施術である。
お遣いの最中に厄介ごとに出くわすのは、最早古来から決まったお約束なのだろうか。
天上にまします誰ぞかがサイコロを振り、またしても私の道中表はよくない結果をもたらした。誰もボスも大目的も設定されていない、単なるお遣いに“ミドル戦闘”なんて求めてないんだよ。この調子で“クライマックス戦闘”まで発生したらどうしてくれる。
「ほんと、たまには何事もなく行って帰って来たいもんだが」
私は血糊を振り払い“送り狼”を鞘へと収めた。それと同時に<見えざる手>を<多重併存思考>と<遠見>の術式を併用することで、剣を振るう一本の腕として扱う術式を霧散させる。
流石に自分の体と同時に六本の腕を扱うのは結構な無理があるのか、脳味噌の後ろ辺りがズキズキ痛む気がした。八本の腕――自前の二本を含む――に複雑な挙動をさせるという前提のせいで、体力と魔力の消耗が激しく、燃費もあまりよくないのだ。“手”に自前の手と同じだけの技量を持たせ、<艶麗繊巧>を乗せて<戦場刀法>を<妙技>の鋭さで全力可動させるのは五分が限界といった所だな。
これがもっと手加減して、単純な刺突や振り下ろしだけ、或いはざっぱ狙いで<短弓術>を使うだけなら、一時間でも二時間でも耐えられるのだが。
やはりコンボビルドの欠点は、継戦能力の低さという形で露骨に現れる。魔晶を砕いたら魔力が回復する仕様だったらよかったのに。
「エーリヒ、三〇人から斬り伏せておいて、ちょっとした回り道を強いられた程度の物言いをされると……なんだ、すまないが流石の僕もちょっとひくぞ」
かっぽかっぽと蹄の音を鳴らしながら、私が飛び降りた後で安全圏に避難したポリデュウケスを拾ってきたミカがカストルに跨がってやってきた。その凛々しくも愛らしい、毎度の如く性別不詳の美貌は困ったように歪めても様になるのだから不思議である。
「いや、それは地面を<転変>と<遷移>の複合術式で“モルタル”に作り替えて、ねずみ取りにしてみせた君が言っても同じだぞ」
ただ、その物言いには一つ抗議させていただきたい。このミドル戦闘には君も関わっただろうに。
そもそも、最近使い魔を作ったのだと嬉しそうに渡り鴉を飛ばして野盗共を見つけ出したのは君だし、何ならば成敗してやろうじゃないかと調子に乗ったのも君だろう。別に私は道なき道を行ってもよかったのだ。
いやまぁ、TRPG的には野盗を倒して小遣い稼ぎ、もとい善行を為すのは冒険者的思考でいうと当然のムーブだが。
意外と血の気が多かったのか、はたまた一四才前後で発症する例の病気を患ったのか、乗り気だったのはミカだった。そして、鴉の目で陣形を偵察してくれた彼の情報を使って、戦略を立て二人で上手いこと野盗を全員生け捕りにしたのが私の所業である。
とりあえず、親指を断って戦闘能力を奪い、モルタルの泥濘も魔法で速乾させたので大丈夫だろう。最初にとっ捕まえた八人は、首まで地面に埋めて身動きできないようにしてもらったから、抜け出すことはできないだろう。
造成魔導師の面目躍如といった所か。
本来は建物を作り、街道を整備し、下水を通す公共事業の担い手も、そのベクトルを闘争に向けた瞬間にコレだ。強力な魔導師を官僚として召し抱え、貴族位まで投げつけて国に縛ろうとする理由も頷ける。
さて、ではさっさと使い魔を飛ばして貰って巡察隊でも呼ぼうかと思っていると、<聞き耳>で小さな音が耳朶に飛び込んできた。特徴的な金属音は、何かの留め具を外した音かと思われる。
音源、立ち位置、その他諸々を勘案し、私は反射的に魔法を練っていた。
弓弦が離れる音、空気を裂く音、そして……空間が開く異音。
「なっ!?」
私は振り向きざまに“手”を伸ばし、手近な男の腰元から短刀を奪い取ると、クロスボウをこちらに向けていた男の掌に叩き込んだ。中手骨の合間を縫った刃が、ささやかな反撃を成した手を窘めるが如く地に叩き付ける。
「危なかったな、ミカ」
「あ、ああ……すまないエーリヒ」
胸元に開いた“空間のひずみ”を見やりながら、ミカは自分の胸を本当に無事か確かめるかのようにぺたぺたと撫でている。
これが私の成長の回答、<空間遷移>の取得である。
あの夜、アグリッピナ氏は私にこれの術式を寄越したのだ。それも一般的には“禁忌”とされ、半ばロストテクノロジーと化したそれを。そんなモン紙で寄越すなとキレそうになり、実際に翌日に抗議したら、どうせ殆ど誰も理解できないんだしいいじゃないとクッソ適当な言葉が返ってきたので、私はもう諦めた。
しかし、習得してみて<空間遷移>がロストテクノロジー化しつつある理由はよく分かった。私をして教えて貰って尚もコストが馬鹿みたいに重い。それこそ完全に習得しようと思えば、幾つかのスキルと能力を<神域>や<寵児>まで持って行ける要求量だ。
その理由は<空間遷移>の起こりである、“空間のひずみ”を作るまででも結構な熟練度が必要なのに――実際、これを<手習>でとるだけで貯蓄の三分の二が吹っ飛んだ――座標の指定だの通過物の指定だの膨大なアドオンを用意して、やっとこ“生物の通行”に適した<空間遷移>が完成する。
その上、ひずみの大きさや持続時間は<空間遷移>そのものの位階に依るのだから、何をか言わんやである。
そりゃあ空間をほつれさせて、何処とも知れぬ所へ繋げるだけでは技術としては片手落ち極まるわな。この技術の目的は、それこそ遠方へ人を一瞬で運ぶ魔法なのだし。
ただし、視点を考えればこれはこれで役に立つ。たとえば、強力な攻撃を問答無用で空間の彼方へ受け流す盾として運用するとか。私もこのほつれがどこに繋がっているかは、全く分からないのだ。
将来的な発展性を見据えつつ、私はライゼニッツ教授から見せていただいた光景を参考に“ひとまずの完成形”を定めた。
メインウェポンは勿論剣術を据えるので<円熟>から<妙技>まで持っていき、元々考えていた武器さえあれば同時に七本の武器を扱えるという技術を対多数の制圧用スキルとして運用。そして、生半可な障壁では防げない魔法への回答として、この<空間遷移>を選び取った。将来的には私も人を移動させられるくらいには持っていきたいものだな。
「とりあえず、念のためにもう一発ブチ込んでおくか」
これらの間隙を埋める小技が、これだ。
左手から指向性を持たせた約七五〇〇〇カンデラの強力な光と一五〇デシベルの轟音が轟き、倒れた野盗共が苦悶に身を藻掻かせる。二回目なので鼓膜が残念なことになったかもしれないが、どうせ警邏に引っ立てられたら、それ以上の“酷い目”に遭わされるのだし誤差だよ誤差。薄い本程度で済むとは思うなよ。
原理は単純だ。単なる<転変>の魔法で油紙に包んだドロマイト鉱石の粉末とアンモニア塩――どれも帝都の魔導師が営む工房で買える――をマグネシウムと過酸化アンモニアに変性させて発火起爆するだけという、スタングレネードに使われている元素を魔法で作り出しただけに過ぎない。
それに音響を収束させ、光を前方にだけ届けるという――私には発光さえ観測できない――補助術式を組み込んで、限定的な非致死魔法に仕立て上げたのである。
着想は勿論前世の映画やゲームだ。あれは実に素晴らしいもので、人質救出から敵の制圧まで何でもござれで物も壊さないときた。ちょっと実力不足で出力が前世のそれとは劣るものの実用レベルではあるし、誤射誤爆の心配がないと来たら何処にケチをつければいいのかと。あまつさえ、使っている魔法原理は単純故にワンアクションで撃てて低燃費とくりゃあもう、考えたの私なのに、天才じゃね? と自画自賛してしまったね。
まぁ、記憶の中で見た魔導師のパクリと言われたら何も文句は言えないが、アップグレードしてるからよしとしよう。自分を褒めてあげるのも大事だ。
「さて、じゃあ巡察隊を探そうか。この時期なら主要街道の方に立哨も出てるだろうし」
ミカは懐から紙を取り出して何かを書き始める。きっと使い魔の足に括り付けて、伝書鳩代わりに手紙を届けさせるのだろう。
これで一体幾らの儲けになるか。この時期の野盗は三下でも結構良い値になると聞くしなぁ。たしか、この間とっ捕まったのが見せしめに吊されていたが、一人頭一リブラの懸賞金が支払われて、しかも生け捕りの頭領は五ドラクマもしたと聞いたな。
ついでに野盗からは略奪しても怒られないし――無論、残った略奪品は返納の義務があるが――小銭くらいは持っているだろう。装備も割ときっちりしているし、買い取って貰えばかなりの額になるのでは? 持って帰るのは骨だが、どうせ連中も荷車の一つは持ってるだろうし、カストルとポリデュウケスに括れば十分持って行けるか。
あっ、そういえば生け捕りボーナスというのがあると聞いたな。それなら三〇うん人を生け捕りしたのだから、かなりの儲けになるのでは? 山分けしたとしても、今までの稼ぎも含めて、ぼちぼち今年分くらいはエリザの学費を支払えるかもしれない。
重畳重畳、世はこともなし、神は今日もいと高き天にいましってことだ。悪は倒され、冒険者は成果を持って微笑むと。今日のヘンダーソンスケールは良い具合に低いようだった。
ただ、アレだな、流石に二連戦の上に滅茶苦茶消耗する<空間遷移>障壁を使うと魔力がからっけつだ。頭痛が少し強まってきたし、虚脱感も大きい。
「時に我が友」
「ん? どうしたんだいエーリヒ、そんな改まった物言いをして」
この幼い体は未だに燃費が悪い。再充填こそ早いが、やはり底が浅いのが問題か。いや、むしろこの年齢にしてはよくやっている方だよな、私。だよな?
「ちょっと疲れた、一休みしないか?」
だから、丘の上で一休みとしゃれ込んでもバチはあたらんだろう…………。
【Tips】巡察隊の巡回により街道上の安全は他国と比して圧倒的に高いが、極めて運が悪いとこういったのに出くわすことはある。
ということで成長結果のお披露目とあいなりました。
帰宅がギリギリになって、まぁいけるやろと思いながらも慌てて打鍵しております。
明日2019/2/23は19;00頃の更新を予定しております。




