少年期 一三才の秋
豊かに麦穂が実り、黄金に輝くその身を温んだ風に揺らす頃、帝国は最も活気づく季節を迎えていた。豊穣神が豊かな金髪をいただく女神であるとされるのが納得のいく時節、刈り取りの時期である。
荘の農民達は一年の成果を誇るように働き、今年も穏やかな夏が去り、嵐とは縁遠い秋が来たことを言祝ぐ。辛い労働も今ばかりは後に待つ大きな喜びもあり、流す汗が甘露の如く感じられるだろう。
年貢として差し出される穀物を満載した馬車が街道を行き交い、季節の品を買い込んだ隊商が列を成す。春よりも活気づく街道には各地から警邏の巡察隊が頻繁に飛び交い、勇ましくも賑やかな馬蹄の響きが絶えることはない。
だが、そんな季節だからこそ、多少の無理を押しても仕事をしようと企む阿呆は尽きぬのであった。
帝都から伸びる主要街道の脇道、取り立ててこの先に何があるという訳でもない道を一つの集団が見張っていた。両脇をなだらかな丘陵に挟まれた浅い谷間は、微かな平地を縫うように走っていることもあって死角の多い難所だ。
そこを張る彼等は、傭兵の一団であった。
といっても、この時代は基本的に“バレねば何をしても良い”と考える人間は多く、殆どの場合は根切りにしてしまえば情報も伝わらないために傭兵業が転じて野盗業を兼ねることも珍しくはない。冬の間、越冬の飯の種にされて干上がった荘が春になってやっと代官に泣きつくも、巡察隊が訪れた頃にはもぬけの空になっていたなんてことは、毎年のように何処かで起こるありふれた悲劇なのである。
この三〇余名からなる歩卒で構成される傭兵団も、それと同じ手合いであった。
この道は小さくも、先に幾つかの荘と街がある。それ故に年貢を運ぶ馬車も少しは通るし、過疎地ならば却って需要は高かろうと奇をてらって大量の物資を抱えた――主に他地方の珍味や酒で、これが収穫祭向けによく売れる――隊商が通るのだ。
また、巡察隊はどうしても主要街道と重要な都市間の交易路に張り付けられ、このように発展途上、あるいは開発から置いて行かれて見捨てられた街道を訪れる機会は少ない。それ故、彼等はもう今秋で三回も仕事を成功させていた。
一つは年貢を運ぶ馬車の群れ。二つは小規模な隊商。たった四〇人足らずの腹を満たすには多すぎる獲物を平らげて尚、彼等は次の獲物を欲していた。
年貢はつまらないことにライ麦と飼料向けの烏麦を積載し、隊商が運んでいたのは南内海の干した魚の数々だが、彼等の口にはイマイチ合わなかった。最後の一隊は酒を運んでいたので彼等としては満足だが、多くが質の良くない酸味を帯び始めたエールだったために十分とは言い難かったのだ。
それに女がいないのもよくなかった。いるにはいたのだが、どれも魔法使いで死ぬまで抵抗し続けた為、“遊べる”状態で手に入らなかったのは痛恨である。
そして、そんな鬱屈した彼等の前を二人連れの旅人が行く。
簡素な旅装を身に纏った小柄な二人は、しかしてその身に反した立派な馬に跨がっていた。見惚れるような軍馬種の黒い馬で、爽やかな秋風の下で汗を流しながら征く姿は武人としては見惚れざるを得ない堂々とした出で立ち。どうみても子供としか思えない二人が乗るには“過ぎた”代物であった。
まぁ、かといって彼等に相応しいかと問うたところで、馬たち当人は不服そうに鼻を鳴らしただろうが。
浅ましい欲望に従って、彼等は慣れた布陣をとった。少数が後背から射かけて目標を追い立て、谷間の出口で半包囲陣を敷いた本隊へ誘い込むひねりもなにもない布陣。
だが、布陣は単純であれば単純であるほど強い。なにせ人類は発祥以来変わることなく、畢竟敵を囲むことに心血を注ぎ続けたのだから。
岩陰に伏せた八人は、二人連れが通り過ぎたのを見届けるとその無防備な背中に矢を射かけた。近くを掠めるように、しかし決して高価な馬には当てぬように気を付けて。
それでも効果は十分に期待できる。人類は往々にして痛がりで、驚いた時は一目散に逃げるか、愚直にその場に留まろうとするかの二択が殆どだから。仮に護衛として傭兵や冒険者を引き連れた隊商であっても、真っ向から斬り合って得をしない連中は得てして撤退戦を選択し、攻撃の始点から遠ざかることを好む。
もし仮にそれを罠だと判断されても抜かりはない。馬車というのは旋回半径が大きく、緩やかとはいえど丘陵のせいで転進することも容易ではない。転進を試みたなら試みたで、縄に木の杭を括り付けた即席の馬防柵を展開して足止めするだけの時間は余裕であるし、のろしを上げれば後背を叩くよう取り決めてあるので直ぐに本隊が駆けつけてくる。
後はトロトロ尻を向けようとする獲物に喰らい付くだけ。ともすれば、こっちの方がずっと楽でさえあった。
なんと単純でやりやすいことか。今日もまた矢が狙い通り、脅威を感じるが決して当たらぬ位置へ飛んだことに傭兵達は会心の笑みを浮かべた……。
が、いつも通りなのはそこまでであった。
何があったのかは知らないが、矢が虚空で止まったのだ。四本はまるで“何かに捕まれた”かのようにその場で静止し、四本は目に見えない壁に阻まれて明後日の方向へ弾かれた。
舌打ちが溢れる。たまにあるのだ、めざとい隊商の魔法使いが見えない壁――彼等は堅苦しい障壁という呼び方を使わない――を張って、初撃を防がれることが。それと同じく、あの子供二人もどちらかが魔法使いなのだろう。奇跡的に察知されたかもしれないが、所詮はそこまで、子供ならば臆して罠へ飛び込んでいくはず。
だが、彼等の楽観はあっさりと裏切られ、二人は馬首を巡らせて街道から外れたではないか。
しかも、一頭は雄大な体をうねらせて、丘陵を一気に駆け上がってきた。一方は辿々しく後方へ逃げていくばかりだが、腰を浮かせる奇妙な体勢で馬を奔らせる騎手は、間違いなく彼等に照準を合わせているのが分かる。
二度舌打ち。八人の内、指揮を預かっている副長格の男は苛立たしげにつばを吐けど、好都合だとばかりに配下に号令を出した。獲物が近づいてくるなら却って好都合、欲しいのは馬だけなので、乗っている余計な物はたたき落としてしまえばいい。
勇ましくも無謀に突っ込んでくる騎手へ号令一発、七本の矢が驟雨の如く降り注ぐ。空気を裂いて飛ぶそれを、リネンの旅装とフード付きの外套だけで止められるはずもなく、魔法障壁であっても囲むように投ぜられた七本の矢を一息で払うことは並の魔法使いには能わない。
それが並の魔法使いであったなら。
影の腰元から銀色の光が迸り、三本の矢が容易く切り払われ、残った矢は空中に止まって即座に投げ返された。如何なる技法によって成されたか、彼等には想像も付かぬまま、残った四本の矢が四肢の何処かに刺さって四人が継戦不能に陥る。
瞬く間の出来事に、反応できたものがどれ程いただろうか。
舞い散る血液と共に生まれた間隙を縫い、騎手は中腰の姿勢から鐙を外して鞍上より身を躍らせる。そして、本来起こりえない“中空での更なる跳躍”を経て、一番手近な部下に斬りかかったではないか。
起こりと残心の間が読めぬ一刀が、惰性で握られていた弓諸共に親指を叩き落とす。これでまた一人が無力化され、残るは三人。
あまりに現実的ではない光景を受けて、尚も剣を抜けた二人の傭兵は末代まで讃えられて然るべきだろう。さすがは準専業軍人であり、戦闘に長じぬ魔法使いならばわけなく屠る殺しの輩。
されども、その牙も騎手――今やしっかりと二本の足に頼っているが――の前では無力であった。
複雑な軌道を辿る、しかし直線の組み合わせではない有機的な剣戟が剣を宙へと弾き上げる。悲鳴が張り上げられ、空を舞う剣を追うようにそれぞれの“親指”が同じ軌跡を描いて穏やかな青空を剣呑に彩った。
残るは副長格の男が一人。彼の中にあったのは、部下七人をあっと言う間に屠られた驚きでもなく、ただ恐怖であった。
俺は一体何に喧嘩を売ったのだ?
外套のフードの下で、碧い何かが鈍く光るのが見え、背筋が震え上がる。そして彼の本能は、戦場で彼を生かして来た最善の手段を無意識にトレースした。
腰からぶら下げておいた、いつでも発射できる状態のクロスボウを手に取ったのだ。
頼りになる重さが、手の中で武威を誇るかの如くずしりと伝わる。戦場において“騎士殺し”として知られる貫徹力は、魔法使いの見えない壁にも十分有効である。剣や矢を止めるに足る壁であっても、同じだけの防御力を誇る甲冑を薄紙のように抜くボルトの前では頼りないものだ。
慣れた感覚と本能に従って目当てがつけられ、機構が跳ねる。ただの弓とは比べ物にならぬ初速を誇るボルトは、殆ど一投足の間合いにある状態で回避は不可能である。人の反射が間に合ったとして、その体が鳥より素早く飛翔するボルトに追い付く道理がない。
しかし、倒れていなければおかしいはずの騎手は何事もなかったかのように刃を振るい、剣の峰で副長の側頭部を強かに打ち付けた。
激痛と衝撃で白む視界の中、彼は数秒前の自分が見た光景を錯覚だと思い込んだ。
虚空に産まれた黒い“ほつれ”にボルトが呑まれ、消えていったなどと…………。
【Tips】三重帝国法においては貴種の責務に基づいて、貴種の監督下にあるはずの年貢が“略奪”された場合、その者の不徳として年貢は“正当に支払われた”と見做され、荘への追加課税は固く禁じられている。
それ故、収穫期に活動する野盗においては、平時にはないボーナスを課すこともある。
のろしも上がらず誰もやってこない事態に焦れ、傭兵団の頭は自らが率いる二〇余名の手勢を連れて街道を進んでいた。待ち伏せ地点に来ても誰もおらず、ただ鼻腔に感じるのは血の残り香ばかり。
殺られたのか? と懸念が過ぎるが、可能性は低いはずだ。
追い込み役は八名と寡兵ながら、その欠点を補うために腕利きを集めているし、彼が信頼する副長は兜首を五つ積み上げた実力をもつだけではなく、目端も利く猛者だ。こんな田舎にふらっとやってくる獲物、それも見るからに子供としか思えないカモに負けることがどうしてあろうか。
だが、事実がどれだけ認めがたくも配下は姿を現さない。これは何かあったと見てかかるべきかと嫌な思考を巡らせた瞬間……一団の先頭に矢が降り注いだ。
山なりの軌道で飛ぶそれは、多くが兜の丸みや装甲の厚みで弾かれる。絵巻物や英雄譚に語られる絵面と違い、実戦用の甲冑や兜は重力を味方に付けた矢さえもきちんと弾くのだ。さもなくば、こんな重たい物を担いで態々戦場まで行く者は早々に絶えただろう。あってもなくても刺さるなら、身軽な方がずっと気軽なのだから。
悲鳴を上げるのは、運悪く鎧下だけで守られた部分や、装甲の隙間に鏃が飛び込んだ者ばかり。
数名の被害が出たが、頭は迷わずに防御姿勢を取ることを命じた。射点を読んで盾を掲げ、密集することで流れ矢の被害もカットする。何が起こったかを悩むのはいいが、まずは体に染み込んだ防御姿勢こそが重要だった。生きていなければ、奇襲を仕掛けていた自分たちが奇襲を受けたことに対する疑問を解決することもできないのだから。
頭は驚くほど冷静であった。彼は歴戦の傭兵であり、戦場では全てが流動的であるが故に奇襲を仕掛けていたと思っていたら、奇襲を仕掛けられていたなんてことは幾らでもあったからだ。
彼はまず、見つけた美味しい獲物が釣り餌だったのではないかと疑った。
どうやら少し派手にやり過ぎたらしい。昔どこかで聞いたことがあるのだ。大規模な巡察隊に引っかかりづらい野盗を吊り上げるため、あえて弱々しい疑似餌を放ち、それに食いつくのを待って襲いかかってくることがあると。
巡察隊は馬鹿正直な連中が多いが、そういった悪辣な方面には頭が回る。こと捜索とあぶり出しに関しては正規兵以上の鋭さとさえ言えるだろう。年がら年中寝ても起きても野盗狩りを考えているのだから当たり前かもしれないが、追われる側からしてはたまったものではなかった。
とすると、今度は……。
挟撃に備えよとの号令を受け、頭を背後に残った配下は密集陣を敷いた。敵を一所に足止めしたなら、次にすることなど同じ戦う者にとってお見通しである。
これで出鼻を挫ける。そうしたら後は隙を突き、包囲を脱する他あるまいと覚悟を決めた頭であるが、彼の期待はまたしても裏切られた。
なにせ、突っ込んで来たのは“美味しい獲物”から変わっていなかったからだ。
だが、目に映った光景はあまりに異質であった。光の反射を捉えた脳が、それを疑ってしまうほどに。
なにせ、剣を担ぐように構えて疾駆する彼の周囲には、誰もいないというのに“六本の剣”が虚空に浮かんでいたのだから。
孤影の群は滑るような足取りで肉薄する。まるで、担い手のいない剣の一本一本に虚ろな剣士が伴っているかのような、謎の威圧感があった。
あれは伊達や酔狂で浮いているのではなく、きちんと此方を“斬り殺せる”存在なのだと、血の臭いが染みついた場所で生きる男達にはありありと感じられる。
異様な光景に意表を突かれながらも、既に迎撃の準備を整えていた傭兵達は盾を密に並べ、槍の穂先を揃えてそれを迎え撃たんとした。
たしかに謎の恐ろしい威圧感こそあれ、所詮は“剣”だ。それを七人の剣士と見たところで高が知れている。一体どうして単なる武人が、槍衾という数千年続いて尚も揺るがぬ戦術を打ち破れるのか。
しかし、穂先があと数歩で突き立つという段に至って、孤影の剣士は空手の左を前に突き出す。それは、無防備な体を穂先から遠ざけようとする、滑稽にして無謀な試みとして彼等の目に映ったが、実際は異なる。
そして、次の瞬間、世界は雷光を想起させる圧倒的な光に塗りつぶされ、脳髄を劈く轟音で世界が割れた…………。
【Tips】魔法は物理法則を援用しながらも無視をするため“完全な指向性”を現象へ付与することが能う。それが熱であれ振動であれ、光でさえも。




