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少年期 一二才の盛夏・五

 種を最後まで明かさないからこそ、魔法は魔法なのである。


 あの気にくわない隠者気どりの“黎明派”の中で、アグリッピナが唯一認める大家の言葉は、改めて真実なのだなと実感していた。


 目の前を色々な物が飛び交っていく。食器、雑貨、換えの蝋燭、果ては本。しかしながら、それは一見無秩序に放り投げられているように見えれど、全てが“規則正しい混沌”の絵図を描いて飛び交っているのであった。


 先ほどまで茶が入っていたカップは玄関口へとカッ飛んでいったかと思えば、鋭角に軌道を変えて工房脇の簡素な洗い場へと消えていく。弟子が途中で癇癪を起こしたが故に本棚から散乱した本も、凄まじい速度なれど軟らかく受け止められて本棚へと規則正しく帰っていった。


 現象を客観的に見れば何処かの幽霊が暴れているのでは、と錯覚する光景なれど、事実はより単純である。


 「あの子も、もうちょっと腹芸覚えさせないと駄目ねぇ。頭は悪くないのに…」


 彼女の丁稚たるエーリヒが大遅刻に慌てて、今日のお勤めを“スペックの限り”を尽くして片付けているのであった。


 たしかに彼女はエーリヒのスペックを知っていた。三ヶ月前の魔物狩りから、先だっての旅程で間々あったゴタゴタまで含めて全て見ていたからだ。自分がイラっときて本気で遊んでやろうと思ったチンピラを一瞬で畳んだところは、彼女をして評価するに足る働きであった。


 しかし、今の挙動は以前をまして、いや比べ物にならぬほど洗練されていた。


 彼女の長命種として培ってきた魔力の迸りを捕らえる目ならば分かる。以前よりもエーリヒの<見えざる手>は数を増し、正確性が高まっている。その上、増えた手をきちんと処理できる思考領域を一体どうやって稼いできたのか。


 要領のいい子供だということは分かっていたが、やはり彼は異常であった。普通の人間は、こんな長命種じみたことはできない。時折“天才”とでも呼ぶしかない、ヒト種の領域を大きく逸脱した者があらわれることはあれど、それをして長命種が感嘆する業を成すことは稀なのである。


 だが、それをこうも堂々と晒すのは大きく減点だった。たとえそれが雇用主や妹の前であっても。


 魔法使いや魔導師は、基本的に初見殺しを得手とする職業なのだから。


 魔法と魔術は対処が難しい技術であり、知識がないまま立ち向かったなら、歴戦の兵士でも目覚めたての魔法使いを前にして屍を晒すことが普通に起こりえるものだ。


 しかしながら、それは対処不能を意味しない。絶対的な正義や悪という概念が存在しないことと同じく、完全無欠の魔導師もまた存在しないが故。


 たとえば魔法の深奥に触れた、概念レベルの炎すら操って物理的に燃えない物であっても“燃やす”達人がいたとしよう。


 普通ならば優秀な戦闘魔導師をして「いや、これどうやって殺すんだよ。闇討ちしていいの?」と戦略レベルでの対処を考えるところであるが、やはり切り札や戦闘スタイルが割れたら人は何かしらの対処を思いつくものである。


 それこそ牽制レベルの魔術であれば燃素を消し去って鎮火してしまえばいいし、普通の魔法も逆位相の魔法を叩き付ければ対消滅し、必殺の炎という概念そのものも魔法障壁の相性如何によってはきちんと無力化ができる。


 これらは全て、凡百の魔導師でも相当数が束になって術式を練れば、えっちらおっちらやれなくもない戦法だ。後は手数の多さと体力比べの泥仕合が待っているだけで、そこには最早技巧が絡む余地は殆どない。


 つまり、種の割れてしまった魔導師というのは相対的に弱体化するのだ。


 だからアグリッピナは本気を出さないし、専攻を声高に喧伝することはなく、論文でさえも言葉を濁し、本旨を躱させ、真意に嘘を滲ませる。


 これは彼女に限ったことではなく、魔導師全てに言えることだ。彼等はもしもに備え、全員が悪辣な“分からん殺し”や“初見殺し”を抱えている。何時の日か、研究を続ける上で一番重要な“己”というパーツを保全するために。


 誰一人として、この魔導院で本当の意味で自分を晒している研究者や教授はいるまいて。それに比べれば、アグリッピナでさえまだ“清純”な方なのである。


 親の葬式に呼ばれようと魔導師はそうそう本気を出さない。が、丁稚の慌てぶりは筋金入りの魔導師である彼女をして滑稽に過ぎた。たかがそれくらいで本気を出さなくとも、まー次からよろしく、の一言ですませてやったというのに。


 エーリヒの“手”は悪くない。初見殺しとして十分通用し、もう少し捻れば見せ札としても使え、そこまで晒した上で理解させぬまま殺す“分からん殺し”にだって昇華させられる素養がある。


 だのに、こうやって堂々と晒しては台無しであった。


 それもこれも魔導師としての教育を施していないからであろう。本当に彼は良きにせよ悪しきにせよ、ただの子供で魔法使いに過ぎない。


 さて、そんな子供にどんな隠し種を握らせればいいのか、アグリッピナは久方ぶりに愉快ささえ覚える悩みを抱いた。


 これは彼女からして、想像と言うよりもちょっとした予言なのだが、魔導師としての戦い方を教えたら、きっとアレは中々に“手が付けられない”存在と化すだろう…………。








【Tips】真の意味で魔導師が著した論文を読むのは、人生を賭す必要があるほどの難事である。彼等が真意を隠しながら執筆した論文は、決して嘘は書かないため却って難解な存在に成り果てる。複雑な文章に真意を滲ませるのは、一種の自己顕示欲に依る物であろうか。












 魔導院の地下深く、岩盤をくりぬいて作り出された“大書庫”の威容は見惚れるを通り越して、理解を超えるほどの偉大さに信仰さえ抱かせるものであった。


 いかなる手段をとれば、これほど広大な空間を地下に用意できたのかと、ただただ感心するばかりの書架では本棚が一つの山脈を築き上げている。


 古紙と木や金属が入り乱れる色彩豊かな山脈は、あまりのスケールに眺めていると遠近感が狂ってくる。


 いや、実際にヒトと変わらぬほど巨大な本を収めた本棚や、掌に乗る大きさの本棚が無秩序に散らばっているため、そのスケールにもまして目を惑わしてくるのだ。慣れた司書のガイドなく彷徨けば、餓死体として帰郷することになるという噂が与太話として笑えない魔境であるに違いない。


 山脈を彩る一つ一つの棚が空気を遮断する青い膜で守られながら、微睡むように揺蕩っている姿は“知識”という巨人が微睡みの内に横たわっているかのようでもある。


 あらゆる本好き、そして幻想的な風景を愛する者を魅了する光景であった。


 まぁ……アホみたいな格好で訪れることを強いられねば、私ももっと素直に感動できたのだろうにね。


 湯船で妄想して時間を忘れるという、考え得る限り最低の遅刻をかました翌日、私は招待に応じて書庫を訪れていた。


 今日の格好は深い青の生地に目映い金糸で複雑な刺繍をこれでもか、と施したプールポワンだ。それにつばが広くて鳥の羽で装飾された帽子なんぞを持たされたら、一体なんの仮装行列かと問いたくなった。


 鏡の前で暫く悶えたね、これは酷いと。


 一体何をどうすれば人間の尊厳をここまで破壊できるのか。せめて帽子はもうちょっと小さくして、このウザったい羽を取っ払ってくれ。あと肩口に詰め物を詰めて無駄に肩を膨らませるのもやめてほしい。動きにくいし、帽子と相まって某漫画の神様が描いた少女騎士みたいな様になってんだよ。


 帝都の称号は伊達ではないらしく、流行の最先端を行くご婦人が、貴種住まう北方区画には大勢いらっしゃる。つまり、そんなマダムや、彼女たちに付き添う紳士はファッションにも目を肥やしているはずなのだ……が、それをして注目されるって一体なんなの? 私、こんな仕打ち受けるようなことしたか?


 目立つのは嫌いじゃないが、悪目立ちは好きじゃないのだ……。どうせなら、もっとかっこいいことで目立ちたかったなぁ。泣きたくなる。


 昨日私は自分の弱点を柔らかいことと言ったが、そこにメンタルの強さも含めるべきだろうか。


 その嫌な注目は逃げるようにやって来た魔導院に着いても続き、この聴講生では教授の許可、もしくは同伴がなければ立ち入れない“中層書架”を訪れてやっと逃れることができた。これ、噂になりそうだし暫く近寄らん方がいいだろうか。


 「あら、可愛らしい」


 そして、そんな評価を司書さん……おや、この人あれだな、普段は受付に立ってて顔を覚えている人だな。もしかして持ち回りなのだろうか。


 とにかく、今後も顔を合わせるであろう人から斯様な評価を頂戴し、平静でいられるほど私は強いメンタルを持ち合わせていなかった。


 「に、二番の個室はどこでしょうか……!」


 真っ赤な顔を帽子で隠し、待ち合わせの場所を告げる。すると彼女は、微笑ましそうに私を先導してくれた。


 もういっそ殺せ。


 「おおー! いい! いいですよこれは! なんというか、どっちでもいい! どっちでもいいって感じで!」


 対してこの、わかった黙れ、もう殺す、と開き直ってやりたくなるライゼニッツ卿であるよ。


 これはきっと、私の敵意が彼女をエネミーだと精神に認識させているが故、TRPGプレイヤーとしての本能が、とりあえず殺すか殺せるようになれ、と囁いて折れかけた気骨を補強してくれているに違いない。


 間違いなくコネクションの紙面ではなくアンデッド系エネミーの項目に名を連ねている外道は、しばし私の回りをふわふわちょろちょろ飛び回り、あろうことかポーズをとるようにリクエストまでつけてきやがった。


 勿論とったさ、できるだけ自然な笑顔を意識して。


魔法の知識という代価に比べれば、安くはないが――強さと尊厳を天秤にかければ、断然前者をとるのがマンチという生き物である――支払っても惜しくはない。持っていくがいいさ、プライドなんて軽い物だ。私のは特に。


 うん、実際安いからな。データ的にちょっと厳しい場合、PLという生物はいとも容易く唾棄すべき外道行為に手を染める。


 毒を盛る、人質を取る、土下座からのバックアタックは軽い方。拠点ごと火にかける、支流から水を引き込んで水没させる、あるいは疫病持ちの死体を放り込みまくって疫病でダウンさせるなんて畜生行為は一欠片のケーキが如し。


 そんな行為をセッションの目的達成による経験点ボーナスのため、数分の相談でやってのける連中にプライドなど有ろう筈がない。なら、媚びたポーズで二〇〇年熟成された変態に笑顔を向けることの何処に不可能性があろうか。


 オカマ口調で詩を吟じる一席よりも人生でなかったことにしたい一時を終え、私はようやっと目当ての物を得ることができた……。


 魔法の知識、そして、なんやかやで二〇〇年も学閥の長という立場を守り抜いた魔導師の助言を。


 「戦闘向けの魔法、ですか?」


 「はい。いつか冒険者になりたいと思っておりまして」


 「ええ……? 近侍か従士の方がいいと思いますよ? エーリヒ君は魔法も達者ですし、礼儀作法も立派に修めていますから。何より、あのちゃらんぽらんな耳長は、アレでいて身分を保証する者として過不足はありませんよ?」


 割とまっとうなことを言われて、この人が教育者であることを思い出した。色々ネジが外れた変態として振る舞うのなら、最後までそうすればいいものを。


 昔からの夢なので、と言うと彼女は僅かの間は悩んでいたようだが、その内に諦めたのか小さく嘆息――呼吸などしていようはずもないのに――して、幾つかの魔法書を用意してくれた。


 「では、エーリヒ君には戦闘向けの魔法というよりも……魔導師の戦い方を教えてあげた方が良さそうですね」


 ぞわり、と背筋が粟立った。この怖気はマルギットの脳味噌を撫でるような甘い声とは違うベクトルの物だ。


 ああ、最初にウルスラと出会った晩、初めて魔物と戦った時に覚えた恐怖、背中を掠めていくシールドバッシュの風。


 抗し得ない、そう実感できる“ナニカ”と相対した時の感覚。


 「まぁ、これは私の持論というよりも“払暁派”の魔導師、それも同派閥の戦闘魔導師全員に言えることなのですが」


 何度も貸し出されたのか幾たびもの修繕を臭わせる本を前にして、彼女は表情を整えて居住まいを正す。ただそれだけなのに、この部屋にいるのが生命礼賛主義者の死霊ではなく、教授位を戴く指導者だと自然と認識させられる。


 ああ、本当に偉大な人間ほど何かを拗らせているのは、私に対する嫌がらせなのだろうか……。


 「エーリヒ君、生き物はどうすれば死ぬと思います?」


 実にシンプルな問であった。戦闘魔法を求める術者の目的は、たしかに行き着くところまで突き詰めれば正にそれ。


 そして、私は答えを知っていた。


 「殺せば死にます」


 一部の人からは答えになってないと言われそうな回答であるのだが、こと“払暁派”の人間に対して投げかけるのであれば、絶対に間違っていない自信があった。


 「ええ、そうです、生き物なんて殺せば死にます。何より、私のような死に損ないでさえ、世には殺す方法がありますからね」


 ライゼニッツ卿は回答を肯定し、優しい笑みを作った。そして、文字通り透き通るしなやかな指で己の首を撫でてみせる。


 「殺せる存在には必ず弱点があります。人類種であれば首や脳、魔物や魔獣もそれに魔晶が加わる程度。私のような生命としての“相”が肉を持つものと違う存在でさえ、存在骨子という中枢がある……なら、魔法や魔術にも同じことが言えるのですよ」


 そこを抉れる知識があるなら、卵を食べるスプーン一つで全ては事足ります。惚れ惚れするほどの笑顔で宣い、ライゼニッツ卿……いや、教授は本を開いた。


 「さて、少しグレーな領域であるのは確かですが、どうせここには私達しかいませんし、少しだけ講義してあげましょうか、冒険者志望さん」


 ぴっと指を立て、教授は実に楽しそうに語り始めた。そして、やっと私が感じていた何かが、始めて概説を聞いた時から“払暁派”に感じていた感情の質が何か分かったのだ。


 「魔法で戦うということと“魔導師”として戦う事の違いを」


 払暁派。魔導によって世に利益をもたらし、発展の光を世にもたらさんとする者達。彼等は紛うことなき効率厨にしてロマンビルドの信者。


 いわゆるデータマンチの同胞であろうと…………。








【Tips】大書庫。聴講生や一般官僚向けの“浅層”、一定以上の魔導を修めた者自身か、または修めた者の監督なくば危険極まる“中層”。そして、立ち入ることさえ死のリスクを伴う禁書庫にあたる“深層”によって構成される。この五〇〇年という三重帝国が魔導を追い求めて以後、蒐集し続け膨れあがった眠れる知識の巨人は、司書連の長曰く「帝国をグロス単位は更地にできる」特大の爆弾でもあった。

えーブクマ7,000とトータルPVが百万を超えました。これほどまでに拙作におつきあいいただき、なんと言えば良いのやら。感無量というところですが、これを一区切りなどと思わずこれからも頑張って生きたいとおもいます。


それとすみません、少し仕事で疲れていて感想の返信が送れています。ぼちぼちやっていくので、気長に待っていただければ幸い。


次回は明日2019/2/21の19:00頃を予定しております。

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― 新着の感想 ―
◯せば死にます データがあれば◯せます これぞ、和マンチの狂信狂気
[一言] コスプレではないけれど、自らコスプレだと定め、羞恥する。 こんな高等のプレイを興じるなんで、ただの変態だね。 そもそも羞恥する要素がない。
[一言] グロス単位ってのがえぐいよね···(=12ダース=144個)
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