※幼年期 六歳の夏
昔から直そうと思っても中々直らない悪い癖というのは誰にでもあると思う。
私の場合は、ちょっとした物欲に弱いこと。そして財布の中身が増えると気が大きくなりすぎることだった。
「くっそー、みつかんねぇ」
「もー、どこ行ったんだよエーリヒ」
「あとあいつだけなのに」
そして、今まさに絶不賛悪癖発揮中だった。
よもや隠れ鬼ごっこのために<隠密>と<気配遮断>、そして<しのびあし>を取得するなんて……!
いや、マジでただの阿呆である。負けが込んでついカッとなりスキルを習得するとは。
潰しが利くし損はしないスキルの分だけマシだが、ほんとその内に身を持ち崩しそうだから洒落にならんぞこれ。
これらのスキルはすべて<体術>カテゴリの下位スキルだ。狩人や暗殺者カテゴリなんぞの職業スキルや特性と違い、比較的安価というのもあってついつい購入してしまった。どれも<基礎>レベルで止めてはいるが、真面目に家の仕事をして溜めた熟練度が一週間分は飛んでいるので自制心の弱さが凄いことになってるぞ。
ここは荘園の中でも外れの方にある森。初夏の青々とした葉も爽やかなそこは、原生林ではなく植林しつつ使っている保護林なので安全な場所だ。無論、林業をやっているあたりに近寄ると危険だが、その辺に近づかなければ子供の遊び場といってもいい。
荘園の子供はよくここで遊ぶ。六つになって活動範囲が広がり、家の外のもっと広い範囲で遊んでもよいと親からの許しを得た私もまた、荘園の子供たちに混ざってここで遊ぶようになっていた。
いま興じているのは変則的な隠れ鬼ごっこだ。こっちでは狐とガチョウといい、シンプルに鬼の狐がどんどん増えていく増え鬼ルールが主流である。
割とルールは緩く、隠れ場所の変更はもちろん認められている。私は狐の一団が探しに来ていると<聞き耳>スキルで察知したので――これも体術カテゴリの下位スキルで絶対腐らないのでノーカン、たとえ<熟練>まで伸ばして鬼ごっこに使ったとしてもノーカン――落ち葉や枝を踏みおらない<しのびあし>を使った繊細な足運びで隠れ場所を移すことにした。
しかし、本当に便利だなこの権能は。経験や前提技能によってロックされた特性は多く存在するが、こんな遊びでも隠密に関わる職業カテゴリが解禁される上……スキルを常時発動して動き回るだけで熟練度が結構たまってくれるとは。
ひょうたんから駒というべきか、うれしい発見である。あれだろうか、ガチ度によって熟練度の蓄積速度が違ったりするのかもしれない。だとしたら今結構ガチだから、この速度も納得だな。あと何時間か遊んだらペイできそうな勢いだぞ。
……トータルでアラフォーに足を踏み込んだ男が子供相手の隠れ鬼ごっこで本気になるな、と言われたら舌を噛むしかない現状が少し虚しかった。とりあえず、これは熟練度稼ぎの為だからと自分に言い訳しておこう。溜まる数値が正当性を証明してくれるのだから。
とはいえ、そこで慢心すると更に財布の紐が緩みかねないので、自制を絶対に怠ってはいけない。なんだ直ぐ溜まるじゃん、と阿呆な発想で巨大な買い物をしたら後が怖い。忘れた頃にサプリが大量に届いて冷や汗を掻くような経験は二度と御免である。
荘園の子供たちから離れつつ規律を正さんと試みていたが、不意に背後に気配を感じた。気配といっても曖昧な何かではなく、単に落ち葉がかすれる微かな音が聞こえただけだ。
「つっかまーえた!」
そして、それが最後だった。
「うわっ!?」
背後から背中に飛びついてきた何かに押され、中腰で移動していたがゆえ乱れていたバランスが崩れて前に倒れ込んでしまった。外で遊ぶからと怪我をしないよう、耐久ステータスを<優等>まで、体術カテゴリの<受け身>スキルは<熟達>まで伸ばしておいて正解だったな。
「へへ、エーリヒうちとったり」
倒れた私の顔をのぞき込んできたのは、かわいらしい少女の顔だった。丸みを帯びた愛嬌のある顔とヘーゼルの大きな瞳、ぷっくりした小鼻が愛らしく、親しみやすい印象を与える彼女はマルギット。二つ年上の同じ荘園の子供である。
「う……いつのまに……」
「うん、音を立てたら気づかれると思ったから、ひっそり探して後ろに回り込んだの。ヒトは後ろ見えないから不便だよね」
歯を見せて快活に笑う、きれいな栗毛を二つくくりにした彼女はヒトではない。というより、二つ年上の童女が倒れる勢いで背中に飛び込んできたら、普通なら受け身をとっても怪我は避けられまい。
音もなく八つの少女とは思えない重みが背中から離れていった。そして、倒れている私にはちょうどよくても、普通なら低すぎる位置から手が伸びてきた。
「はい、立った立った。おーいみんな、エーリヒみつけたよ!!」
子供の腰ほどの高さの上背。それは彼女が矮躯なのではなく、下肢が蜘蛛のそれであるからであった。
マルギットはアラクネなのだ。私がこの世界をファンタジーなのだと強く認識できた一番目の要素である。
この世界には三つの人類が存在しており、我々ヒトのような“人類種”、魔素なる詳細不明な――スキルや特性のフレーバーテキストから類推は可能だが――要素を孕んだ“魔種”、そして彼女のような人類種の要素と他の生物の要素を含んだ“亜人種”の三種に大別される。
ライン三重帝国においてその三種に法的格差はなく、一つの荘で種族が混成して暮らすことはままあるものだ。というより、三皇統家の一つは吸血種なる生殖可能なヴァンパイアみたいな連中だそうだから、さもありなんという話である。
「あちゃ、落ち葉まみれ。ごめん、エーリヒ。ほら、お顔にもついてる。とったげるわ」
「ありがと……」
それ故、腰より下が蜘蛛のような見た目のマルギットでも、この荘では至極普通の存在として扱われていた。私も一瞬「おお!?」と思いはしたものの、周りが受け容れているなら慣れるのに大して時間は要らなかった。
なにせ、普通にしていたら面倒見が良いお姉さん――実年齢から目を背けつつ――だからな。
まぁ、前世でアラクネを含む人外が好きだった、という性癖を否定はしないが。
ただ、彼女は私が想像するアラクネとは少し違った。毛蟹を想起させる太く短い暗色の装甲をまとった六本の下腿――二本の腕と合わせて八本なのだろう――は一般的にアラクネと聞いて想像する細長いものとは大きく異なり、彼女が未だ幼い身だったとしても変態しない――姿が大きく変わらないという意味だ、オーケー?――蜘蛛の生態と照らすと不釣り合いだ。
というのも、彼女はジョロウグモなどの足が長い蜘蛛のアラクネではなく、ハエトリグモなどの地を這う蜘蛛のアラクネなのだという。我々ヒト種でいうところの白人と黄色人種の違いみたいなものだろうか。
「あー、マルギットにはかなわないなぁ……」
「そりゃね、年季が違うよ」
「二つしか違わないくせに……」
「前にばっかり気を払う半人前が何言ってもねー」
ふふんと自慢そうに薄い胸を張る彼女の頭、二つくくりにした髪の飾りにも見える位置についた黒い球体が、午後の陽光を反射してきらりと光った。
これはビーズの飾りではなく、立派な複眼だ。遠近感に優れた二つのレンズ眼と、複眼による広く瞬発力に富んだ視野を併せ持つのがアラクネの特徴だという。身を伏せて地を這い、飛びつくことで獲物を狩るハエトリグモぴったりの特性だな。
鬼ごっこだと数人で囲まないと捕まえられないレベルのぶっ壊れ特性は、彼女らを天性のレンジャーやスカウトたらしめており、その上優れた狩猟者として成り立たせる。ついでにグラップラーとかフェンサーにしたら、チートじみた回転効率を誇る回避盾になりそうだった。
実際、彼女は猟師の家系だ。食料調達のみならず、森に鹿なんぞの害獣が蔓延りすぎないよう調整する代官お抱え職としては最適な種族なので納得である。
「……次は見つからないよ」
「お、言うなぁ? よぉし、じゃあ次は一番に捕まえちゃうからね」
太陽のように笑う彼女を見ながら、次は<気配探知>も取るかと早速大人げない浪費の予定を立てる私であった…………。
【Tips】強力な種族固有の特性を持った生物は多く存在する。また同種においても人種的差異が存在し、それによって姿形が大きく異なることは珍しくない。
ライン三重帝国において人類種と魔種、そして亜人種の比率は5:1:3であると言われている。
制度的、文化的に各種族を隔てる制度が存在せず、各ヒエラルキーに多様な種族が存在していても帝国内で斯様な分布対比が発生しているのは、ひとえに人類種の増えやすさにあろう。
ただそれは、人類種の強さを意味しない。
適応力に優れ、おおよそあらゆる環境で繁殖できるからこそ人類種、そしてその中でも高い割合を誇るヒト種は数が多いのだ。
むしろ、ヒト種は人類種の中でも、いや、高度知性体の中ではほとんど底の種族といってもいい。魔力では同じ人類種の中の長命種に、頑強性においては坑道種に大きく劣っている。当然、魔種や亜人種と比しても単純なスペック比で勝る個体は少ない。
だからこそ、数年の差が露骨に出る子供の中でヒト種の割合が多ければ、さらに差が出る亜人種の子供が避けられるのは自明であった。
当たり前の理屈だ。馬人に駆けっこで勝てるヒトなどほとんど存在せず、牛人に膂力で勝る者も同様。まして狩猟者や斥候、暗殺者の種族として知られる蜘蛛人が鬼ごっこやかくれんぼに本気で興じ、ついてこられるヒト種がどれくらいいるだろうか。
猟師の娘、マルギットは最近悩んでいた。ルールを設けた――木に登ってはいけないなど――制限がかけられた鬼ごっこでさえ、最近は強くなりすぎて避けられつつあることに。
蜘蛛人、アラクネは総じて早熟なので無理もなかろう。虫系の亜人は成長が早い傾向にあり、寿命が短いほどそれは顕著だ。ヒトと寿命が近い蜘蛛人ならば、ちょうどこの時期には〝体ができあがる〟頃なので、その差は露骨に現れる。
文字通り子供と大人の対比になるのだ。種族特性という、並では超えられぬ暴力が付帯した対比が。
しかし、精神性まで大人になるとは限らない。三重帝国に順応した蜘蛛人たちの成人はヒトと同じく一五歳と定義されており、環境になじんだ文化で育てば当然精神の成熟はそれに見合ったものとなる。
マルギットはハエトリグモの蜘蛛人として完成しつつも、その精神はいまだ子供なのだ。
だから彼女は遊び相手を欲したが、一番好きだった狐とガチョウの遊びに誰もついてこれなくなりつつあった。
何度やってもすぐにガチョウが全滅するか、ガチョウが彼女以外残らず、それでも長時間逃げられるようでは勝てないとつまらない子供たちはすぐ飽きるし嫌になる。次第に周りの態度が素っ気なくなり、遊びに参加すると渋い顔をされるようになった中、一人の少年が仲間内に加わった。
遠出を許されてやってきた彼の名はエーリヒ。これといって変わったことのないヒト種の子で、すでにグループにいた兄弟の弟なので馴染むのは早かった。
そんな彼はマルギットによく懐いていた。見つければ笑顔で駆け寄って話しかけ、色々な話題をふってくれる。
そして何より狐とガチョウの遊びが上手かったのだ。
最初は年少らしくとろくさく、隠れるのも並だったが、ある日を境に彼は妙手に育った。素早く動き、まるで陽炎のようにいつ隠れたかも分からないほど巧妙に姿を消す。そして、一度姿を消したら捕捉が難しい実に性質の悪い特技も持っていた。
狐の時はそれで気づかぬうちに捕まえられ、ガチョウの時はいつまでも逃げ続ける。
その上、彼は頭も回った。
ほかの子供たちに、自分のような相手を殺す手段を与えたのだ。
数人に分かれて包囲網を狭めればどんなガチョウでもその内捕まるというそれは、マルギットをもきちんと片付けられる戦法。
新たな妙手と戦術、それが加わり、マルギットは皆の中に戻ることができた。異様に強い少年を単身で討ち取れるのもまた、彼女くらいだったから。
だからマルギットは彼のことを気に入っている。
そのさらりとした金の髪が好きだった。たまにどこか老成した大人の面影をのぞかせるキトンブルーの瞳と、線が細い顔が好きだった。子供らしからぬ落ち着いた調子の聞き取りやすい話し方が好きだった。ヒト種の高い体温を宿した体が好きだった。
なにより自分を仲間はずれにしない彼が好きだった。
だから彼女は、ただ彼にだけ飛びついて引き倒すような捕まえ方をするのだ。
無意識のうち、それが心地よいから。
それが蜘蛛人の、男性より女性が優位に立つ種族の特性であると知らぬままに。
そして今日も彼女は、本能のまま彼に飛びつくのだ。
行為の本質を知らぬまま…………。
【Tips】ヒト種は高い交配適合でも知られ、殆どのヒトの近縁種族との交配、あるいは交雑が可能とされる。それが基本的に“混血”の生物が生まれない中で重宝され、各地で繁殖した理由の一端である。