少年期 一二才の盛夏・二
朝のお勤めの後、私はプラプラとホールを歩いていた。最近は顔と名前を覚えられてきたのか、時折挨拶してくれる人がいるのが嬉しい。
人気の少ないホールの片隅、空いた来客向けの椅子に腰掛けて暇を潰す。聴講生達が講義などでやってくるラッシュは過ぎているここで待つ理由は一つだ。
カウンターの向こうから、紙束を持った職員がやってくる。彼女の行き先は、そう、御用板であった。
魔法で用紙が手早く貼り付けられていく様は、数多読み漁り、何度となく耽溺した物語の中で繰り広げられた行為。この中に潜り込んで、目当ての依頼を取りやすくするというロールの為だけに窃盗技能を取るヤツとかいたな。GMによっては、ここで行為判定振らせてセッションの難易度を決めたりして、サイコロの出目に一喜一憂したのを覚えている。
ここに集い、仕事を得ようとする者達も、そんな気分を楽しんでいるのだろう。
職員が最後の一枚を貼り終え、出来映えに納得して立ち去るのを見届けると、私は直ぐに御用板へ……向かわなかった。
同じように御用板に依頼が張り出されるのを待っていた、正規の聴講生諸氏がいらっしゃるからだ。
私の立場は、これでいて相当微妙なものである。二〇年近くフィールドワークに出ていた長命種研究者の丁稚であり、その弟子の兄にして、学閥の長が猫かわいがりするお気に入りの一人とくれば風当たりが変な具合になるのは想像に難くない。
そんな中で排斥されず、和を保って生きて行くのには気を遣うもの。本来、彼等の生活を助けるために産まれた制度に対し、外様の私ががっつくのは風聞にもよくあるまい。
たしかに権力者がバックにいるのを良いことに無茶苦茶する、あるいは力をひけらかして一時的に黙らせるのは簡単だが、そういうのは小物の仕事だ。往々にして斯様な阿呆はシナリオの半ばくらいにPC達に良いように利用されるか、後半に憂さ晴らしでぶっ殺されることになるのだから、お約束を分かっている私は自重する。
別に雑貨屋の息子みたいな嫌味なヤツが現れて、虐められた訳でもないのに子供と張り合うのもアホらしいしな。中身は大人なのだから、後ろの方から頑張ってるなと眺めるのが正解だと思う次第である。
ま、実際に絡んできたら、流石に“社会勉強”をしてもらうことになるが。
「やぁ、エーリヒ、いい朝だな」
しかし、こういう絡みなら歓迎だがね。
「ああ、ミカか。おはよう、いい朝だな。講義はいいのかい?」
気軽に返せば――謙った態度はやめてくれ、と二回目に会った時に言われたのだ――彼は自然に私の隣に腰掛け、教授は昨今晩餐会で人気らしくてね、と爽やかに笑う。
所作や口調がイケメン過ぎて、この世界に“主人公”がいるのなら彼なのでは? と最近思うようになってきた。もしくは乙女ゲーの対象として攻略される側かもしれない。
ただ、流石に「君性別どっち?」と無粋な質問をすることができず、ずるずると今まで来てしまったわけだが。
「なるほど、教授は晩餐会で“知見”を得てしまわれたと」
「ああ、きっと今頃新しい地平を見ていることだろう。シーツの海に溺れながら」
知見を得る、とは官僚として晩餐会や食事会に出ることが多い教授が宿酔でぶっ倒れることに対する宮廷語的な言い回しだ。お酒を召してお倒れになるなんて、三重帝国の貴種ならばあり得まい、きっと素晴らしいアイデアが湧いて手が離せないのだ……と、誰かが半笑いで言い出し、慣用句化していったのだろう。こういうユーモアは、私大好きだよ。
「さて、ぼちぼち空いたか。参ろうか?」
「ああ、参ろう、糧を得に」
二人して格好付けて尤もらしい顔をして言って、一瞬の後にくすくす笑いながら立ち上がった。どちらから始めたかは忘れたが、こうやって遊ぶのが最近のお約束になりつつあった。
「……お、薬草採取の依頼があるな。わざわざ野生の物を指名する理由はなんだろうか」
「ふむ? 富栄養化しすぎた土地で育った薬草を使うと、効果が変わると聞いたことがあるから、それかもしれないね。それよりエーリヒ、これはどうだい? 簡単なお遣いだが……」
「すまない、丁稚だからできれば日帰りで終わらせたいんだ。朝と夜のお勤めがある」
「ああ、たしかにこれは些か遠いか。なら、その薬草取りにしないか? 僕も近々薬草学の講義を取ろうと思っていてね」
是非ともご指導いただきたい、そう芝居めいた言い回しでなされる提案に私は乗った。これもまた、広場をブラついていた時一緒に吟遊詩人の英雄譚を聞いた時から始まった遊びだったか。彼はハインツ兄と違い、濁流の河を渡る勇者のため、魔法で橋を渡した魔法使いに感銘を受けていたようだ。
「えーと、フェネル、ニガヨモギ、アニスとスイカズラ……」
「……これは魔法薬というよりも、薬草酒でも作るのかな? 一緒にシナモンでも差し入れるかい?」
「それは洒落てるが……いや、このデルフィニウムは毒草だ。オマケにアコニツムなんて漬けてみろ。坑道人でも泡吹いて倒れるぞ」
リストを引っぺがし、根まで含めて綺麗に採取すればそれぞれ幾ら、という内容を一緒に見つつ、依頼の目的を想像して遊ぶ。
そして、私達の足は厩舎を向いていた。
帝都は政治的に良好とされる地を切り開いて作った都市であり、市壁の外は僅かな耕作地帯と数キロの空隙地を除いて森林が広がっている。これは寄せて来る敵が大規模な陣を敷きづらくする為の施策らしく、その多くが保護森林として伐採を禁じられ生きたまま管理されていた。
ただし、禁じられているのは伐採だけということもあり、魔導師達はこれ幸いと色々な地方から有用な薬草を引っ張ってきて繁茂させたという。今より薬草園を効率的かつローコストに造営する能力がなかったため、彼等は空いた所に繁殖させることでホームグラウンドから離れた地でも安定して材料を確保しようとして努力したのだ。
その結果もあって、今も保護森林の中では様々な薬草が息づいている。偉大な魔導師達が環境を調整し、行使した魔法の数々が今も働いているからだと、この森の存在を教えてくれたミカは語った。その熱い語り口には、彼が尊び学ぼうとする魔法への熱意が滲んでいるかのようだったので、よく覚えているのだ。
ただ、流石に距離があるため歩いて行くと、行って帰って来るだけで結構時間がかかる。だから、アグリッピナ氏からは使う予定もないし好きになさいと言われているカストルとポリュデウケスに乗っていくのだ。
実は私、ホルターを扱うために幼少の頃に<騎馬>のスキルを<熟練>まで取っていたりする。輓馬の彼を先導するにも技術が必要で、<騎獣先導>でもよかったが、こっちでも援用が効くなら役に立ちそうな方を……と思って取得していた。
何より彼等は大型の軍馬だ。たまには走らせてやらないと体が鈍るしストレスもたまろう。ずっと椅子に座っていたり、寝台でゴロゴロしててもストレスが溜まらないのは一部の出不精だけなのだから。
競って俺に乗れと誘ってくる二頭と、釣られてテンションを上げ「俺! 俺俺! 俺でもいいよ!」と寄って来る他の馬を抑え、今日はカストルの背に鞍を乗せた。昨日は私の練習を兼ねてポリュデウケスに付き合って貰ったので順番だ。
「ちょっ、わっ、やめ! やめないか! また君か! こら! あっ、ちょっと、きたな……助けてくれエーリヒ!」
鞍帯の具合がどうかと確かめていると、ミカの悲鳴が聞こえてくる。何事かと思えば、彼はいっつも私の髪を噛んでくる一角馬に絡まれていた。角で突っつかれているのではなく、ちょっと癖のある黒髪を私のように噛まれたり、顔を舐められたり、終い口は背中を首でぐいぐい押されて転びかけていた。
またか、あの野郎。何かしらんが、私達が通ると毎度毎度ちょっかいかけてくるの止めて貰えませんかね。どっかにヒト種のままで、<信仰>カテゴリに触らなくても取れる<馬語>みたいなスキルないのか。いや、あれ一応は魔獣分類らしいけど。
友への無体を止めようとするも、結局私も一緒くたに噛み倒され、二人揃って<清払>が必要になるほど痛めつけられた後で馬丁が助けに来てくれた。ありがとうお姉さん、流石にここで馬に面傷を付けられてしまったら、冒険者になっても格好がつかないからな。
あの男の顔の傷? そりゃ変な一角馬に絡まれただけさ。なんて笑いの種にされたら憤死するわ。
互いに<清払>をかけ合って、カストルに跨がり出発だ。ミカが馬に馴れて、一人で乗れるようになったら二人で遠乗りするのも楽しそうだな。
途中の街路で昼食を仕入れ、外に出てから速歩で軽快に駆ける。ママチャリと大体同じくらいの速度だが、凄まじく上下に揺れるので慣れてないと腰とケツが逝くので馬という生き物は存外扱いが難しい。その証拠に、未だ慣れてないミカは必死に腰へ手を回して抱きついている。
……何か良い匂いするな、と思ったのは一生の秘密だ。
帝都外縁部は草原になっているのだが、たまに軍事演習で使うとかで結構綺麗に均されている。なんでも定期的に造営魔導師と呼ばれる、公共インフラだの何だのを大規模に修繕する専門の官僚が手入れしているそうな。そう、ミカの進路希望先である。
そんな先達の仕事に憧れつつも、見ている余裕のない道連れと共に駆けていたのだが、しきりにカストルが私を気にしているように見えた。
ああ、これはあれだな、おねだりだな。アップは終わったから、さっさと本気を出させてくれという。
「ミカ、大丈夫か?」
「あっ、ああ! 平気だとも! ちょっと腰が痛いけど!」
「だから、腰はちゃんと衝撃を殺すように使えって教えたろ」
簡単に言わないでくれ! という悲鳴をさておいて、私は万が一がないように“手”の術式を練り上げてから、カストルの腹に蹴りをくれた。
嘶きが草原に響き渡り、襲歩の勇ましき馬蹄音に混じるようにして絹を裂く悲鳴が響き渡った…………。
【Tips】帝都市街で馬を常歩以上で走らせた場合、一リブラ以上の罰金刑が課される。
「君はたまにああいう強引な所があるよね……」
「いや、その……何かごめん」
達成感に満ちあふれた顔をするカストルとは対照的に、馬上から私を恨めしげに見下ろすミカから逃げるように先を行く。こら、手綱を掴む手を噛もうとするな、もっと走りたいじゃないよ、怒られただろ。
……はい、どう考えても私のせいです、本当にすみませんでした。
何かテンション上がるんだよな、二人で遊ぶと。確かに狐とガチョウでスキルだの特性だのを取ってしまったのと同じく、体に引っ張られて子供っぽくなることが多いが、どうにもいかんね。
この何をしても楽しい、というテンションに覚えはあるのだ。そう、新しい卓で新パーティーを構築した時に似ているからだ。
自分の特性を説明しつつ、卓に集まった他の仲間の練り上げたPCを知っていくのは実に楽しい。これから、この面子で何をやるんだと考えるとテンションが何処までも上がっていってしまう。
それも、見ていて気分がいいほどの人物が一緒なら特に。ミカは今まで私の回りにいなかったタイプだからなぁ。
弁当のチーズを一欠片譲ることで手を打って貰い、薬草採取を始めた。
魔導師にとって薬草は重要な品だ。主な用途は二つある。
一つは魔法薬を作成し、二つは“触媒”として活用すること。
魔法薬とは、文字通り“現象”に過ぎない魔法を薬という形でこの世界に固着させたものだ。元々持っている薬草や鉱石、果ては肉から菌類なんぞの“要素”を抽出して、魔力に溶かし込んで純化させ、薬として完成させる技法。
これの良い所は瞬間的に魔力を持って行かれないことと、世界にとって単なる魔法の行使よりも違和感が少ないのか“元に戻ってしまう”までの期限が長くて、一〇年二〇年の保存が利くことであろうか。
あとは元気な内に大量にストックして、本番で大盤振る舞いというのもできるな。魔法薬とは、何も想像し易い回復魔法だけを詰め込める訳ではないのだから。
とはいえ、手間も材料費も馬鹿にならないので、その場合は文字通り金を叩き付けて戦っているような有様になるが……まぁ、どんなゲームでも錬金術師とはそういった仕様になる宿命なのだろう。
第二の触媒だが、これは私に指輪をくれた老翁の魔導師がやっていたように“魔術”や“魔法”の補佐をする道具である。
たとえば火を熾すにしても、マッチを渡されるのと、そこらの棒きれで頑張れ! と言われるのでは難易度が違うだろうし、その後も湿った木を使うのと乾いた薪を使うのでは燃える具合が全然違う。
触媒は、それと同じく魔法や魔術が起こりやすい環境を用意してやる物だ。
一握りの火薬があれば、それを変性させて花火にするのは容易い。たしかに熟達の魔法使いなら、魔力によって虚空から光を発散させて花火と同じ現象を起こすことは能うだろうが、それは燃費が悪いし大変疲れる。
だから魔法や魔術の行使に際して、“世界を納得させやすくする”補助輪として機能する触媒を持ち歩くのだ。一回気まぐれにやるならいいが、領主や代官から依頼を受けて何十発も上げるとなれば実に骨が折れるし。
うん、膨大な魔力でゴリ押ししてくるヤツも珍しくないがね。私の雇用主みたいに。
ともあれ、今回は魔法薬の依頼採取のため、要望通り傷つけないよう丁寧に根っこごと掘り起こし、標本でも作るような丁寧さで集めていく。一体何に使うかは知らないが、御用聞きにやってくる商人や薬草商を訪ねるより、注文を付けるなら御用板を使う方がお安いということだけは確かだった。
今回は普通の薬草だから、まだ楽な方だ。中にはその辺の土ごと纏めて持ってこないと魔法的な意味を発揮しないくせ者から、別の魔法薬で満たした円形のフラスコに根をつけ込みながら持ってこないと二分で枯れる難物なんかもあるからなぁ。そういうのは金貨が飛び交うほどお得な品だが、往々にして子供の足で採りに行ける場所にないのが困りものだった。
うーん、カストルやポリュデウケスに乗るのも楽しいが、やっぱり欲しいなぁ……<空間遷移>……。
昼過ぎくらいまで頑張って、それぞれ銀貨何枚分かの稼ぎになる頃に遅めの昼食としゃれ込んだ。ミカは飲み込みがいいのか、薬草の特徴と質の善し悪しをすぐに覚えてくれたから先生としては歯ごたえがあまりなかったな。いや、彼のようなあり方こそ、いい生徒と思うべきなのかもしれないが、やっぱり手がかかる方が可愛いと思ってしまうのは……きっとエリザの影響か。
「で、薬草そっちのけでスモモを集めていたエーリヒ君」
「なにかね、ブーツ一杯は埋まるくらい木イチゴを集めたミカ君」
弁当を堪能した後、デザートとして互いの“戦利品”を囓りつつ、大きな木に背中を預けて、盛夏の暑さから体が解放されていく感覚を愉しむ。この掻いた汗が気化して体が冷える心地よさは、この時期特有の快感だ。楽しく遊んだ後でそれに浸るのは、本当にいつだって気持ちいい。
「美味いな」
「ああ、美味いね」
顔をつきあわせて答えれば、暫く笑いが止まらなかった。何故だかこういうとりとめのないやりとりが楽しくて仕方がない。
ふと、<気配探知>に反応がある。眉尻がぴくりと上がり、“手”が常に袖へ仕込んである妖精のナイフへと伸びるが、ゆっくり上空から近づいてくる気配に敵意はなかった。
いや、むしろ薄い気配しか纏っていないそれは、生き物ではなかった。
「おお、珍しいな、手紙鳥じゃないか」
飛び込んでくる小さなそれは、小鳥の形に折られた手紙だった。本物と同じような動作で飛ぶ紙の小鳥は大変見覚えがある。
ああ、一週間前に最初の“ファッションショー”をやらされた時、お誘いで飛んできたのと同じヤツだ。
案の定、鳥は私の膝に着地すると独りでに広がり、用件を記した紙面を晒す。ライゼニッツ卿の花押が捺されたそれは、第二回のお願いと共に、待ち望んでいた図書館へ同行するお誘いが記されていた。
ああ、そうだ、結局前回はライゼニッツ卿の興が乗りすぎて時間が足りなくなり、図書館行きは延期になってしまったのである。それに臍を曲げた私の意を汲み、第二回は私が前の服屋で服を受け取って着替え、魔導院に赴いて行うことになったのだ。
そしてこれは、それを明日やりましょうというもの。
「払暁派はアレだね、やることが一々派手だ」
「黎明派は違うのかい?」
「少なくとも、常人が目で見えるようなやり方は好ましくない……とされるね」
丁寧に添えられた木炭片で了承の返事を記すと、手紙は再び鳥の形に折り上がり飛び上がっていった。
「ま、随分と洒落ているとはおもうけど。こう言うので夕食の誘いを受けたら、殿方でもご婦人でも心が躍るんじゃないかな?」
「はは、なら私は珍しいその例外というわけだ。これ、滅茶苦茶気が向かないんだ」
二人で飛び去っていく折り紙の小鳥を眺めながら、ふと一つの懸念がわき上がった。
この見目麗しい友人を、絶対に卿に引き合わせちゃいかんなと…………。
【Tips】払暁派の最大対立学派は黎明派である。
助走から踏切へ。
ついにブックマークが五千を超え、レビューまでいただいてしまいました。過分な評価、痛み入るばかりです。これからもキッチリ頑張っていきますので、また来週もよろしくお願いします!




