少年期 一二歳の初夏・四
私はこれでいて乱読家な性質で、前世ではレーベルを問わず色々読んでいた。
で、一時期女性ロールのため――テキストオンセだよ! 裏声はださないよ!――女性心理を探ろうとして、何を思ったかハーレクインロマンスにハマっていた時期がある。
そこでヒロインは魅力的な権力者に見初められ、時に強引に手込めにされたりしつつ関係を進めていくという展開は、男ながらに「こんな完璧な男がいるか」と思いながらも楽しんでいたのだが……その立場になるとちょっと引く。
いや、嘘を吐いた。ドン引きする。
「教授、まだ“それ”を拗らせていらっしゃる?」
「だって、可愛いじゃないですか! こんな地味なダブレットじゃなくて、真っ白なプールポワンを着せましょう! ズボンは流行の余裕があるやつじゃなくて、ちょっときゅっとしたやつ! んで膝まである長靴と手袋!!」
さっきまでテンション上がった死霊おっぱいの柔らかさも、どこか寂しいものに感じられてきた。ああ、何故だか無性に帰りたい。荘のみなの顔が見たかった。父母はどうしているだろうか。兄は上手くやっているのかな、もしかしたらもうミナ嬢の腹が膨らんでいたりして。マルギットは元気かな……。
「この子も、もっと豪奢で真っ黒な感じにしたいですね! フリル増やしましょう! スカートもパニエでふわっふわに! んで、扇子ですね! 子供に不釣り合いかもしれないけど、それがいいのです!!」
現実逃避していたが、妹から手をぎゅっと握られれば回帰せざるを得ない。なんだってこんな所に私はいるのだろうか。口調がすっごい早口で怖いなこの人。
「あにさま、このひとこわい……」
「我慢しような、エリザ」
耳に口を寄せてこっそり話しかけてくるエリザの手を両手で握ってやり、ちょっと我慢しようなと言い聞かせる。私だって怖いんだよ、色々な意味で。
「そう申されましてもね、エーリヒは丁稚として雇い入れる旨、ご両親と契約を交わしておりますわ。そちらの書類も既に万事整っております」
差し出される書類が一束増え、凄まじい勢いで回っていた口が止まった。
「くださいな、と軽々に言われましても……」
「うー……」
低く呻ってエリザと私を抱く力を増すライゼニッツ卿。あの、ほんと怖いんでそろそろ解放して貰っていいですかね? 私、まだアレ来てないですよ?
とりあえず、マスターはさっさと話の着地点を見つけてくれてないだろうか。ここまで煽るってことは、何か譲歩を引き出したいのだろうし。だったらさっさと話をつけてくれまいか。
ほんと早くここから出たい。生命礼賛主義者の死霊に絡まれるなんて、妹の出自以上に私の経験表が大惨事表になりつつあるぞ。
「まぁ、そこはエーリヒ次第ではあるのですが」
が、期待とは裏腹にマスターはとんでもない爆弾を投げてきた。オイ馬鹿やめろ、こっちにそれを寄越すな。
言い終える間もなく、ライゼニッツ卿が私の肩をがしっと掴み笑顔を向けてくる。どうしてこうなった。
「エーリヒ君ですね。どうでしょう、今なら私の客員聴講生として……」
「ご遠慮致します」
人生でも此処までないだろうという滑らかさで辞退の言葉が口から飛び出した。そして、彼女の口を一旦止めたなら、もう開かせてはいけないと直感が騒いでいる。
「この身は丁稚としてスタール様にお仕えするもので、私情を考えましてもその席は身に余るものでして……」
とりあえず稚拙ではあるが、私には丁稚という身分を盾にした正当な理論武装がある。たしかに魔法使いとしてステップアップできるような本なんぞが読めたり、技術を仕込んで貰えたらなと期待はしていたが相手くらい選ばせてくれ。
さぁ、このまま押し切るぞと思った時……視界の端っこでマスターが口の端を吊り上げる嫌らしい笑みを作るのが見えた。
あっ、これ駄目なヤツだ。
「ええ、しかしエーリヒは魔法の才があり、妹の学費を自分で工面しようとする素晴らしい兄でもあります。それ故、幾らか条件を呑んでいただければ、私としては彼にも自由にできる時間を与えたいとおもっているのです」
ええ、自由にできる時間を。そう含みたっぷりの――含み以外に何があるのか――言葉を零し、マスターは外連味たっぷりの邪悪な笑みを浮かべた。
おい、その“自由に出来る時間”というのはどういう意味か。誰が、誰を、どう自由にしていいのか是非聞かせてもらいたい。どう考えても私が、自由な時間を堪能できるようには聞こえんぞ。
「……いいでしょう、話を聞かせなさい」
あの外道、私を交渉のダシに……ただではすまさんからな。何時か覚えてろ。
後ろ向きな決心を固める私を余所に、奥歯で潰した苦虫を飲み下し損ねたような渋面を作るライゼニッツ卿に向け、この世の外道全てを煮詰めたような長命種はいっそ清々しいまでの笑顔を贈った。
「まずは、ちょっと疲れを癒やしたいですねぇ、何分二一年間もフィールドワークにでていたわけですから」
「……ええ、好きに休むといいでしょう。半年は認めますとも」
一つ目の提案はさくっと呑まれた。まぁ、我々からすると半年の休暇は驚くべき長さであるが、貴族感覚ではごく普通だ。一年ちょっと保養地でのんびりしてきます、なんてのもザラだと聞く。
「あと、二一年分のフィールドワークレポートを纏め、論文に仕上げる時間も欲しいですねぇ……二~三年いただけたらうれしいかなぁと」
嘘だぞ、絶対もう仕上がってるヤツだぞコレ。<真贋看破>みたいな<社交>の高級スキルがなくても分かるわこんなもん。
「二年ですね、いいでしょう、既に出来上がってるのではと疑っておりませんよ? ええ、ですから二年あげましょう……素晴らしい成果を期待しております」
「おほほ、お眼鏡に適うように努力致しますわ」
二つ目で合計二年半もの時間がもぎ取られた。長命種からすれば瞬きのような時間かもしれないが、それでも何もせずに工房や籍が維持されるとすれば破格の時間である。誰だって二年半も有給取ってブラブラできるなら、大抵のことはやってのけるだろう。それこそ自分の丁稚を売り渡すくらいちょろいもんだろうさ。
「それと、そうですわねぇ……レポートが仕上がっても、講義に戻るまで挨拶回りや準備で色々と入り用ですし……」
「ええ、はい分かりました、紹介状くらいなら何枚でも書いてあげましょう!」
どんだけだよこの人。言っておくが私にそこまでの価値はないぞ。おそらく、多分、きっと、いや確実に。エリザならまだしも……。
「いやぁ、そこまでの便宜を図って下さったなら、ご期待に応えないわけには参りませんねぇ。私の世話にそこまで暇もかかりませんし……」
この人、一体何時からコレを考えていたのだろうか。最初からダシに出来ると思って丁稚にされた可能性まで出てくると、あまりの度し難さに頭が変になりそうだ。もう勘弁してくれ、私は単にエリザにきちんとした環境と生存する権利を取り返して、冒険者になりたいだけなんだ。
決して変態とお近づきになりたいわけじゃなかったんだ…………。
【Tips】魔導院の研究者や教授には国から多額の研究補助金が支給され、素晴らしい発見をした場合は勲章の授与と一時金の授与、そして年金の支給までもが受けられる。
斯くして、薄ら暗い取引の下に生命礼賛主義者に売り渡された私は……。
何故か帝都北方にある貴族街の服屋に引っ立てられていた。
「まぁまぁ、綺麗な金髪だこと。確かにこれは白が映えますわね」
「お待ち下さいな、先日西方から仕入れたこの群青の天鵞絨もよく合いましてよ? 刺繍はどうしましょう」
「襞襟はなにがいいかしら。ああ、でも最近若い子は敢えて装飾を少なくして、すっきり纏めるのも流行っていますし悩みますわねぇ」
「ここはタイ……いえ、スカーフも悪くありませんわね。差し色で鮮烈な赤なんかが、凛々しいお顔によく似合うかと」
見るからに高価でござい、貧乏人と成金の一見様お断りという店に連行された私は、アグリッピナ氏が仕立ててくれた丁稚仕事用のダブレットをひん剥かれ、肌着姿で四人の針子からよってたかって採寸されている最中だ。
都度都度、触れるのも畏れ多いような反物を持ってきて――おそらく、一巻きで父の農地をまるごと買い上げても釣りが来る――首の辺りに添えられるのがおっかなくて仕方ない。うっかりくしゃみでもしたら負債が幾らになるのか、想像もしたくなかった。
今すぐにでも逃げ出したいが、クライアントからの指示なので姿をくらますこともできず、ただただ耐えるばかりである。
「あにさまぁ、疲れたぁ……」
「もうちょっと我慢だ、後で氷菓子買ったげるから」
なにより、可愛い妹も巻き込まれているのに先にケツ捲る兄貴などあっていいものか。私はここに立ちはだかり、断固死守する義務があった。
「うんうん、やっぱり東方交易路を再打貫させた今上皇帝は偉大です。この絹の質は向こうでなければ出せません。金色の刺繍で……あー、その糸ではなくて、もっと色が暗い金色がいいでしょう」
苦労の根源であるライゼニッツ卿は、私達を着飾らせる権利をアグリッピナ氏から手に入れてご満悦だ。幾らするかも分からない買い物をコンビニでチョコでも買うような気軽さでやってのけ、あまつさえ注文の付け方が細かすぎて別注料金がどれだけなのか考えるだけで吐き気がする。
いや、まぁ私にもメリットはあるからこそ耐えているのだが。
まず、ライゼニッツ卿は私が丁稚として働き、エリザの学費を稼ぐのだという立場を尊重し、特別に魔導院の御用板を使う権利を与えてくれるというのだ。
御用板とは何かを説明せねばなるまいが、一番簡単に言うとクエストボードだろう。
魔導院は大きな組織であるが、所属する魔導師の勢力はピンからキリまで。金がある大家の出身者から道楽が高じて教授になった現役貴族なんぞもいれば、麦粥を啜りながら苦学して教授になった下層階級出身者まで様々である。
それは聴講生も同じで、実家から潤沢な仕送りを貰って帝都の一等地からのんびり通うご子息ご令嬢もいらっしゃれば、苦労して金を自弁しながら通っている魔法使いから魔導師になりたいと高い意志を持って門戸を潜った者もいる。
そんな境遇の差がどうしても存在する中、同胞の助けになればということで、魔導院には魔導師が魔導師に対して依頼を発注する御用板が設けられているのだ。
依頼の内容は実に様々である。買い物の荷物持ちを募る物から――この時代、信頼して荷物を預けられる人間は希少である――論文の添削、専門知識がなければ採集の難しい薬草の調達、魔法薬の調合助手、果ては魔法の実践に付き合って欲しいやら、極地探索の同行などバリエーションに富んでいる。
中には苦学の学生を助けるため、サロンでの茶会や夕食会を賑やかしてくれ、という金を貰ってついでに食事とお茶を楽しめる夢のような依頼を出す教授もいるとか。
この御用板は一般に解放されていない。利率の良い仕事を求めて冒険者なんぞに集られると、本旨を達成できなくなるからだ。中には、この御用板で達成したクエストを閥に招くかの基準にする教授もいるそうな。
これで空き時間を使って金を稼げるようになった訳だ。まずはライゼニッツ学派の研究者や聴講生に名を売って、そこから広くやればいいとアドバイスをいただいたので、堅実にやっていこうと思う。
これだけでも将来に繋がるありがたい提案だった。それなら着せ替え人形の前段階として、婦女子の前で半裸にひっぱがれるのにも、時折偶然を装って肌を触られるのにも耐えよう。よもやさっきと同じく、こんな所で女性の気持ちを体験することになろうとは思わなかったな……。
うん、これ、相手が変態とその賛同者でなきゃ、普通に嬉しいシチュエーションなのになぁ。なんか、私の人生って何時もあと一歩で惜しいんだよな。
それはそれとして、有り難い提案がもう一つ。
私が魔法の勉強をしているというと、ライゼニッツ卿は中層までの書庫を閲覧する権利を特別にくれると仰るのだ。それも、卿が同行している間だけという制限に見せかけた特典付きで。
考えてもみて欲しい、学閥の長というビッグネーム、それも実力がないヤツは臍を噛んで死ねという風土の組織で二〇〇年も頭を張っている傑物に教えを請えるのだ。たとえそれが生命礼賛主義者の変態でも――この世界では犯罪者とそしれないのがなんとも――得られる物はあまりに大きい。
ただ膨大な力を持った死霊というだけで、閥の長は勤まるまい。教育者としても、研究者としても……そして、政治家としても一級品に違いないのだ。醜聞には事欠かないだろう趣味をお持ちなのに、今の立場に二〇〇年も乗っていることが、何よりの証拠である。
ならば、この恥辱と頻繁に開かれるに違いないお人形扱いにだって耐えてやろうではないか。
辛いバイトで新しい知識が手に入るならば本望。むしろ、学生の頃は進んでやった物である。
「ライゼニッツ卿、お帽子は如何なさいましょう? やはり流行り物には乗っておかないと」
「ああ、そうですね……あ、この前に晩餐会で見たアレがいいでしょう! 鍔が広くてふわっとしたのが! 羽がついていてとても可愛らしくて……」
……うん、コンビニのレジに突っ立っている方が幾分か気楽だが、私は頑張るよ。とりあえず、エリザが凄い格好にされないよう目を懲らさねば。私には四人付いているが、彼女には五人もの針子が貼り付けられているのだから…………。
【Tips】三重帝国の貴族は“清貧”を重んじること、と歴代皇帝が命じているが、まともに守られたことは開闢以来一度もない。
休日四連続更新の一回目。いよいよポイント一万越えで、ブクマも三,五〇〇を突破いたしました。
望外の支持に日々胸が躍り、次は何を書こうかと楽しい気持ちで過ごせています。
とりあえず、注釈を入れていくところから手を付けようとおもっております。
次回は本日2019/2/16の19:00頃を予定しております。




