少年期 一二歳の初夏・二
帝都には背が高い建物が多いので、おのぼりさん全開で上を見つづけていたら首が変になってきた。如何に鍛えてても、こればっかりはどうしようもなかったらしい。
まぁ、仕方ないじゃないか。新しいロケーションを見つけたら誰だってテンションが上がるだろう。薄くて高価な本でステージが追加されたら喜んで新しいシナリオを書き、何時ものパーティーで遠征するのを企画するのと大体同じ心理である。
「……あれ、衛兵が立ってない?」
馬車に揺られて辿り着いた魔導院。しかして、鴉の巣を守る門は無防備に開け放されており、両脇に衛兵や三頭猟犬が伏せているといったこともない。精々がお堀の脇に机を持ち出して陣取り、暇そうに客を待つ代書人くらいしか人気がない。
いや、よく見れば魔法が門に施されていることが分かった。私程度の目でもしっかり分かるほどの痕跡は、相当の大魔法が篭められているからだろう。恐らくは……。
『割り符を持ってる人間か、登録された人間以外を弾く結界が張ってあるから、無粋な鎧を並べる必要がないのよ』
実に魔導師の巣窟っぽいセキュリティでございますなぁ。その後に人件費勿体ないしね、と俗な感想が続かなければよかったのに。
人の行き交いも疎らな橋を渡る最中、道行く人に馬車がジロジロと見られていたが、皆スタール家の家紋に見覚えがないのか直ぐに興味を失っていた。場所が場所だけに貴人が訪れる機会も多いのだろう。
『さぁてと、大体二〇年ぶりね』
おん? 今なんと? 二〇年?
たしかに長い間戻ってなかったとは聞いたが、二〇年もフィールドワークに出されるって何やったんだこの人。私は未だにこの人の専攻が何か知らされていないので想像もできないが、果たして二〇年間もフィールドワークをせねばならない分野があるのだろうか?
これでインドアな科目だったら、本当に何やらかしたのか不安で仕方ないぞ。それだけの長期間「帰って来んな」って言われる所業、よっぽどじゃないとありえんからな。どれだけ学閥の長から嫌われればそうなるのか。
馬車は城館正面のアプローチ――ホテルの車が止まるような所だ――へ滑るように侵入し、何時ものように揺れもなく停まった。私も少しずつ慣れてきたもので、御者台から降りてタラップを引き延ばし、ドアを開ける。
そして、貴婦人らしく着飾ったアグリッピナ氏の手を取り下車の補助についた。別に要らんだろうと思う仰々しい動作なれど、こういう“無駄な動作”が必要な場所というのは往々にして多い。
みんな見栄を張るのに必死なのである。美貌は剣、被服は鎧、そしてマナーは障壁だ。最低限それらを構えていなければ、この見えない刃がミキサーみたいな勢いで振り回される領域では生きていけない……と、教えていただいた。
社交界なんて爪の先ほども関係がない所だったからなぁ。庶民的に貧困な知識でイメージする、扇子で口を隠しながらおほほと笑う有閑マダムの園ではなく、実権を巡って当てこすりと探りが飛び交う戦場などと言われても想像がつかん。ただ前世でも教授の閥云々の世知辛い話を大学に残った同期から聞かされていたので、やっぱり人間のやることは何処に行っても変わらないのだな。
その点、アグリッピナ氏の武装は完璧であった。何時もの如く魔法で――この人、燃費とか考えないのだろうか――整えた髪は銀細工を想起させる美麗さでシニヨンに編み上げられ、身に纏う大きく肩が空いた緋色のガウンは間近で見れば、絹の生地に恐ろしく細かな刺繍が施されていることがわかる。同系色で大人しい色合いにし、ケバケバしく飾らないのが貴族のオシャレなのだろうか。
続いて降りてきたエリザは、きちんと言い含められたのか地に足をつけて貴人らしい歩調で降りてくる。うん、これは努力の成果が出ているな。なにせ少し前までは田舎の子供らしく、外股でドタバタ喧しく歩いていたのと比べると大きな進歩だ。
そして、少し前の街で針子を雇って仕立てた服装は、実に可愛らしくエリザを飾り立てていた。
ローブは自立した魔導師の証でもあり、ガウンスタイルのドレスは貴人の装いだというので、代わりにフード付きのケープを羽織り、真っ白なフリルをたっぷり飾ったブラウスと、腰を大きく絞ったコルセットスカートに革の長靴を仕立てて貰い、着崩すことなくきちんと着こなしている。
母譲りの金髪を私が半時間かけて丁寧に編み込んで飾り、しとやかに後ろへ流している姿は名実共に妖精の可愛らしさだ。いや、控えめに言って天使なのでは?
最初は妙に先進的なデザイン――なんだっけか、童貞を括り殺す系だっけか――だと首を傾げたが、最近は農民が着るような簡素なデザインを敢えて豪奢にするのが中産階級で流行っていると針子は採寸しながら語っていた。
うん、細けぇことはさっぱどわがんねが、やっぱ家の妹は世界一だぁ。
私? 私は地味だよ。丁稚らしく暗色のダブレットとズボンで小綺麗に纏めているだけで、目立つ所と言えば少し伸びた髪を後ろに撫でつけたくらいか。丁稚の仕事は目立つことではなく、ひっそり三歩後ろに控えておくことだからな。
まぁ、貴族とその護衛の衛兵以外は帯刀禁止の帝都故、少し余り気味の袖に“妖精のナイフ”を忍ばせているのは……あれだ、チャームポイント的な何かだ。
『じゃ、大人しく後ろをくっついてきなさいな』
「かしこまりました」
口を動かすのも面倒なのか飛んできた思念に答え、口調を謙った宮廷語に切り替える。さて、こっからは普段と違ってきちんとお仕事と致しましょう。
マスターがエリザの手を引き、私はその三歩後ろに付く。これが正しい師弟とその丁稚の間合いだと教えられた。
表情はキリッと真面目に。ただし内心で、保全された明治期の建物でもお目にかかれないほど荘厳な建物に心踊らせながら二人につづいて魔導院に踏み込んだ。
魔導院はライン三重帝国の魔導の中枢であり、研究機関にして知識を収集・保存する学術機関、そして魔導を修めた官僚を輩出するための教育機関でもある。それ故、正面受付を兼ねる城館のホールは騒がしいのかと思っていたが、意外な程の静謐だけが黒を基調とした空間に広がっていた。
出城はいざという時は戦う為の施設だというのに、天井まで吹き抜けのホールは古き時代の銀行を想起させる構造だ。来客と職員を隔てる木製のカウンターは、屋根の素晴らしい模様を描く天窓からの光りに照らされて軽々に近寄ってはならぬ雰囲気を纏い、明らかに顔採用だろと言いたくなる職員達がその神聖さに磨きをかける。
マスターが“見栄の都の見栄の城”と仰ったのが何となく分かる佇まいであった。
三重帝国における魔導の中枢だけあって、ここで外からやってくる諸々を受け、各教授や担当に振っていくのだろう。難しい顔で文机に向かう聴講生と思しき人々や、証書挟みを束にして担いだ役人などが目立つとおり事務処理の起点であり、学生のホームグラウンドではない。
しかし、ここに研究者として籍を置くマスターが足を踏み入れたのは、久方ぶりの帰参ということもあって学閥の長に挨拶をするためだという。
そして、私達がカウンターに赴いて用向きを伝えようとした時……その必要はないとばかりに周囲を風が駆け抜けた…………。
【Tips】魔法薬や魔法の手助けを必要とする者は街の個人工房に顔を出し、ここにやってくるのはお役人レベルの依頼があるものだけなので訪ねる者は少ない。特別な用がある一般人は、正門脇の投書箱から依頼をする仕組みになっているため、門の脇にはちらほらと代書人が露店を出している。
魔導院。帝国における魔導の中枢にして魔導師共の塒には、開院以来絶えぬ争いがあった。
どの学問が一番高尚か……という、お前ら小学生か仲良くしなさいと言いたくなる争いは勿論だが、最も根深いのは閥の争いである。
それもそのはず。魔導院は帝国開闢と同時に、構成国となった初期の領邦から研究者気質の魔法使いを集めて作ったからだ。全ては帝国の維持と発展に、強力な魔法の力を用いるため。
五〇〇年前の彼等はローカルな個人間のネットワークしか持っておらず、魔法使いと魔導師の概念もなかったために全員がたかーいプライドを持っていた。物理的に存在したなら、天にも届くであろうプライドが。
そして小さな徒弟制によって技術的な血脈を紡いできた魔法には、権威的な達人を頭とする派閥も双子の兄弟の如く存在していた。学ぶなら腕のいい人の下がいいと願うのは当たり前なので、余程偏屈でもなくば集まった弟子達で構成される閥を持っていたのだ。
国からの予算や研究場所という飴で釣られ、他の閥より優秀だと力を示すチャンスですよと煽られて集まった斯様な連中で仲良しこよしができるのか。
トラ模様をこよなく愛する球団の激烈なファンと、オレンジ色をした兎がマスコットをしている球団を熱烈に信奉する二人が試合を観戦しながら酒を呑み、笑顔で別れる方がまだ難易度も低かろう。下手をすると普通に殺し合いになる。
いやなった。
学閥紛争、と呼ばれるクッソはた迷惑な争いが過去何度となく繰り返されているのだ。それこそ手袋を投げつけ合ってワンオンワンで殺し合う貴族の方がずっとずっとマシという被害を巻き起こしながら、五〇〇年という確執は今も続いている。本当にどの世界でも人類は度し難い生物である。
そんな魔窟は現在“五大閥”と呼ばれる学閥のパワーバランスで均衡が保たれていた。七つの学派の内、五つの閥が圧倒的権威を持って中小の閥を抱え込み、鎬を削り合いながら研究をしているのである。
何が性質が悪いかって、連中は一級の魔導師揃いなのだ。区画一つが簡単に吹っ飛ぶ核弾頭共が冷戦じみた小競り合いをしていて、それを監督する帝国の気分がいいはずがあるまいて。
帝国皇帝は連中の致命的な仲の悪さに複雑な外交と同じくらい胃を痛めつけられながら仲立ちをし、各種予算案を通さねばならないのだから、三皇統家が「拷問椅子」と玉座を呼ぶのも得心がいく話であった。いっそこいつら更地にしちまおうぜ、と過激なことを宣う皇帝が何代かに一回現れ、結果利益と天秤にかけて断念する様は最早コントである。
帝国皇帝のお寒い事情はさておき、アグリッピナが所属する払暁派と呼ばれる学派は“魔導を以て無明を払い、世に更なる豊かさをもたらさん”という、学閥紛争の度し難さが嘘の様な理念を持つ学派であり、主に社会で役に立つ研究を主眼として行っている。
たとえば空間を越えて魔力を転送し、遠方へ思念を送り届ける魔導伝文機は学派最大の貢献と言って良いだろう。これによって各領邦や同業者組合が高度に連携することが能い、領邦や国を跨がって活動する冒険者の同業者組合が成立しているのだから。
そして、その中のライゼニッツ学閥がアグリッピナの籍を置く、現代の大学でいうところの研究室であるのだが……この閥は何と一代閥、師から権威を引き継いで続く閥ではなく、二〇〇年前にライゼニッツ卿その人が一人で立ち上げた閥が今も続いているのである。
では、そのライゼニッツ卿の人となりとは如何なるものか。
果敢なれど精緻、雅量豊かにして労り深く、そして溢れる知啓を“誰にとっても理解しやすい”形にすることを得手とする天才にして弱者を見過ごせない博愛主義者。
まぁ、これ以上ない麗句を並べてみたが、これはライゼニッツ学閥が語る姿。
では、外から語る物はどうか。
新しい物好きの変節漢、政治家の方が似合いのおべっか使い、口舌の刃で人を斬り殺す通り魔、本来崇高な物は与えるべきを選ぶ所を無駄にばらまいた結果、迷惑をもたらす阿呆。
あとついでにフェイタルな生命礼賛主義者。
こんなところか。美点は欠点の裏返し、逆もまたしかりというが酷いものである。
そんな二〇〇年を生きる怪物の種族とは一体何か。
意外なことにヒト種なのだ。
いや、ヒト種だったと言うべきか。
壮麗なホールに零下の風が吹き抜けた。初夏に入りつつある暖かさを嘘の様に取り払う、皮膚が切り裂かれるような冷気。訪れていた役人が逃げだし、手続きの書類を書いていた書生が小さな悲鳴を上げて障壁の術式を起こす。中には慣れたもので、クソ迷惑だなと言いたげな顔をして去る者の姿もあった。
果たして、その渦の中央に座する人物こそ五大学閥たるライゼニッツ閥が誇る天才、マグダレーネ・フォン・ライゼニッツ教授その人であった。
ぱきりとアグリッピナが張った“不断”の意を込めた“概念障壁”の表面に霜が降りた。ぎしぎし軋みを上げる結界を前にして彼女は不敵な……いや、いっそ醜悪なと呼んでさしつかえのない笑顔で美貌を染め上げる。
そして、見本のように慇懃な態度で一人の、否、一体の“死霊”へ腰を折った。
「謹んでここに帰参の挨拶を申し上げますわ、尊敬すべき我が師、マグダレーネ・フォン・ライゼニッツ教授」
「どの口で……」
冷厳とした美しい声は、しかして苦悶の軋みによって地獄の底から響くようであった。
ただそれだけで、この研究者と学閥の長の確執が窺い知れた…………。
【Tips】学閥が制度として公に存在しているわけではないが、名誉ある教授職は貴族としてフォンを名乗る権利を与えられる。ただし<土地+爵位>という領主としての貴族位ではなく、貴族として振る舞えるだけの名誉称号である。
ついに総合日刊のTOP5に食い込んでしまいました。なんだこれ、夢か。
明日から新しい仕事が始まる故に覗くペースが遅くなりますが、書き溜めが十分にあるのでペースは暫く変わりませんのでご安心下さい。
明日2019/2/15は19:00頃の更新を予定しております。




