少年期 一二歳の晩春・七
戦いもキツかったが、その後に積み上がった魔物から魔晶を取り出すのも中々にしんどい作業であった。獣の解体を覚え、“手”による補佐があったとしても実に面倒だ。
殆ど何の抵抗もなく肉や骨を断てるナイフがあったからよかったものの、普通の短刀でやると思えば実にうんざりする作業だっただろう。もう戦い以外の理由で汗みずくの返り血まみれというのは勘弁していただきたいな。
アグリッピナ氏のあれは視覚効果が最低だったが、効率的だったのだなぁ……。
「はい、お疲れ様。ロロット、サービスしてあげなさいな」
「はぁい、おつかれさまぁ」
ウルスラに促されたロロットが水を掬うように合わせた掌に呼気を吹き込み、淡い緑に輝くそれを振りかけると、色々な体液で汚れていた体が一瞬で綺麗になった。解体した魔物から浴びた返り血だけではなく、私自身が掻いた汗までもが完璧に。
体に対して<清払>は怖くて使えなかったのだが、妖精ならこんなこともできるのか。まるで風呂に入った後みたいなさっぱりした感覚に、心の疲労まで洗い流されたかのようだった。
「おお……凄い! ありがとう」
「がんばったからねぇ、ありがとねぇ!」
兜を脱いだ頭にロロットはまたダイブし、汚れが落ちて心地良くなった髪をモフモフし始める。うーん、あれだろうか、妖精達の助力を請うのなら、今後は髪を少し伸ばした方がいいのかもしれないな。今は鬱陶しいから短めに整えているが、少し考えてみるか。
「さてと、それじゃあわたくしは、このアホの子を連れて行くから」
「アホの子!?」
「また呼んでちょうだいな? 出来れば次は、月が綺麗な晩がいいわ」
ウルスラはまだ遊ぶとぐずるロロットの首根っこをひっつかむと、そのまま虚空に消えていった。同時に今まで明るく保たれていた視界が元に戻り、<猫の目>の補正があってもかなり薄暗い館に取り残される。
ふと見上げれば、割れた窓から差し込む陽光は陰って勢いをなくし、夕焼けの朱に染まりつつあった。
うん、やっぱり目を貰わないでよかったな。時間の感覚が失せて頭が変になるぞ。
死体と長時間格闘していた自覚はあったが、想像以上に時間を食っていたらしい。私は言いつけに従って<声送り>でアグリッピナ氏に終わった旨を伝える。すると、暫しの後に空間が解れ……手だけが差し伸べられ、ちょいちょいと指だけで呼び寄せられた。
おっかなびっくり縁に手をかけ、ほつれを潜ると一瞬の暗転を挟み、そこは馬車の中であった。
「ごくろうさま。どーだった?」
さらっと凄いことをしていることは間違いないのに、驚くほど気軽な声がかけられる。大丈夫? これ体の組成変わったりしてない? というか、この世界の物流はどうなってんだ? 馬車が現役という時点で、これが一般的でないことは確かだろうが。
サロン風の装いになった馬車の中で、私の混乱も余所にアグリッピナ氏は安楽椅子に腰掛けて優雅に紅茶を召し上がっていた。その傍ら、何処からか持ってきたらしいエキストラベッドの上では、我が家のお姫様がお昼寝に興じている。
うん、別に彼女たちに非はないとも。それでも、人が命賭けてきたんだから、もうちょっとこう……こう……!
よし、落ち着け自分。どうせこの人は私の挙動を観察していたのだろうし、エリザは心配させたくないから黙って出て来たのだ。心配される要素がないんだから、仕方ない仕方ない。
自己暗示で自分を落ち着けていると、マスターは肘掛けに肘を預けて頬杖をつき、にやにやとした笑みを作る。
「ま、上等上等、よくやったわ。使える駒は全部使って、安全にコト運ぶ姿勢は結構好きよ?」
「はぁ……ありがとうございます」
揶揄するような口調ではあるものの、褒めてはいるのだろうなと暫くの付き合いで分かるようにはなってきた。手で座るように促されたので、手近にあった椅子を引き寄せて腰を降ろす。
「じゃ、説明してちょうだいな。貴方の目線で何が起こり、どう感じたか」
楽にさせてくれるのは嬉しいが、それより先に着替えさせて貰いたいし、どうせ見てたんだろと思いつつも、話せというなら大人しく話しましょう。クライアントの命令に否という舌は持っておりませんからね。
館を見つけたことと、その中での顛末。そしてキルスコアと共に回収してきた魔晶を差し出せば、彼女はにやにやと雌性体の巨鬼から取り出した一際大きな一品を手にして満足そうに頷いた。それは本当に立派な魔晶で、他の品よりずっと黒々している上、大きくても直径七cmくらいの歪な物ばかりの中で、美事なオパールカットの威容を誇る拳大の品だったのだから。
「上等上等、良い子だわ。きちんと言いつけも守ったみたいだし」
「言いつけ?」
首を傾げてみると、彼女は妖精とはよく考えて付き合いなさいと言ったでしょ? と笑った。ああ、たしかにあの晩、妖精との付き合いは慎重にしろといわれたな。拉致されるだけではなく、こういう意味でもあったのか。
「昔、同じ学閥の知人でいたのよね、妖精と契約した魔導師が。貴方みたいに綺麗な金髪をしていて、目は深い青だったんだけど」
「はぁ」
「専攻は……えーと、なんだっけ、魔導的存在境界面云々で、何か生き物としての相を弄くろうとしてたみたいなんだけど……あー……」
魔晶を品定めしつつ、何事か思い出そうと努力しているようだったが、十秒ほどして諦めたのか「まぁ、そこはいいわ」と切って捨てる。多分、それくらいの付き合いしかなかったのだろう。
「妖精と仲良くして、最初は上手くいってたっぽいけどねぇ、ちょっと成果が上がるにつれて調子に乗っちゃったみたいでね」
ある日突然、研究室ごと消えちゃった、と子供が家出したみたいな気軽さでぶちまけられても、私は一体どう反応すれば良いのやら。聞いてもいないのに結局見つかってなくて、学長が探査術式を使ったら“もうこの世界にいない”という結論が出たとかいうホラーを語らないでいただきたい。
決めた、絶対に調子にのらない。ハニートラップを仕掛けられているくらいに構えておこう。
「きちんと考えて正しい選択をしたのはえらいわね。うんうん、ボーナスもつけてあげましょう。私にも副収入ができたんだし」
魔晶の品定めが終わったのか、マスターはうんうんと頷いてから中空に指を奔らせる。すると、軌跡に従って空間が淡く輝き、文字が描かれたではないか。地味だけど便利そうな術式だな。魔法使い以外にも読めるのだろうか。
「とりあえず、このでっかい魔晶は五〇リブラね」
「ファッ!?」
確かに滅茶苦茶苦労したが、五〇リブラとな? かつての我が家の年収が、私の内職込みで六ドラクマほどだったので……わぁお。
「他は前回と同じく二リブラ五〇アス、評価は変わらず……そんで、ボーナスなんだけども」
既に今日一日で一ドラクマ近く稼いでいることに戦慄しつつ、ボーナスと聞いて首を傾げた。確かに言われた通りのことはしたが、ボーナスを貰うような仕事ではなかったと思うのだが。
「あの館はね、ちょっと手紙を出して問い合わせてみたんだけど、まだ主が所有権を手放してなかったのよね。といっても、何代も前の話だから、今の所有権者が保っていると自覚しているかは怪しいけど……帝国法において無知は罪なのよね」
「はぁ」
この短時間の間に往復が終わる手紙と、問い合わせが終わる登記簿を管理してる部署の優秀さが凄まじいな。ネット全盛期の前世でもそこまでスムーズに行くか怪しいというのに。そして、知らなかったから無罪にしてくれが通用しないのは、前世も今も一緒だな。いや、当然の話ではあるけれど。
「つまり、所有者にはあそこを管理する義務があるのよ。魔物が拠点にしないよう、潰すなり人を置くなりする義務が。魔物なんかが蔓延ったら、三重帝国が何より重要視している交易の自由が侵されるでしょ?」
「あー……なるほど」
強請るんですね、分かります。親切な私達が掃除してあげたけど、これ国が知ったらどうなるかなー! 誰か費用払ってくれないかなー! というヤクザめいた交渉が入るに違いない。
「だからお裾分けってことで、今日はトータル二ドラクマのお支払いね。現金で受け取る? それとも学費に充てる?」
……今なんて?
あまりにも大きな額に脳味噌が沸騰しかかり、答えを返すのには随分と時間が必要だった…………。
【Tips】三重帝国の貴族は領地の徴税権や兵権、国家から支払われる恩給と年金など充実した諸制度によるバックアップが受けられるが、それに劣らぬくらい多種多様な義務と責務が付いて回る。それ故、単純に豪華な生活がしたいなら、騎士になるのはやめとけと事情を知る者は語る。それほど彼等が背負う責任は重いのである。
ついたての向こうでふらふらと覚束ない動作で着替える丁稚を見やりながら、アグリッピナはその深遠なる思考の多くを彼に傾けていた。
見ていたのだ。彼女はエーリヒが洋館で繰り広げた戦いの全てを。
センスがあるのは分かっていたが想像以上である。非戦闘用として本に載っている魔法を鵜呑みにせず、教えられもせずに式を弄くって戦闘にも運用できるように改装してみせたのは勿論、その使い方も単純な用途に限らず応用を尽くして活用する“頭の使い方”には光る物があった。
考えない者にとって<見えざる手>は、ちょっとした物を拾うための取るに足りない魔法であり、時として魔術よりも下等と見られる。
だが、ちょっと使い出を考えるだけで色々と応用が利くのだ。この世に真に役に立たない物など、探し出す方が難しいのだから。
物を持たせて遠くより刺殺する、口を塞がせて静かに始末する、はたまた足場や敵の隙を作るためにも用いてみせる。物は使いようで考えよう、正しくそれを体現するような戦いっぷりであった。
矢を止めた所からして、簡易な物理障壁として運用できることも分かっているのだろう。そして、敵の体勢を崩し、攻撃の起点として使ったなら、また別の使い方も考えているはず。
彼女は自分の短い――長命種基準で――人生の中でも、目端が利いて応用が得意なのは“化ける”と経験で学んでいたため、期待のレベルを少し引き上げた。近侍どころか、もうちょっと面白い所まで行ってくれるのではなかろうかと。
ライン三重帝国は窮屈な所もあるが、風通しは他の国に比べてかなり良い方だ。三皇統家や七選帝侯家の入れ替えは建国以来ないものの、藩塀として仕える貴族や騎士家には悲喜交々の栄枯盛衰劇があった。
当然その中で無名の者が貴族に取り立てられ、今尚誉れ高く軍事の名家として讃えられる五将家のはしりになったり、名高く詩に謳われる一二旗騎士家が隆盛するなど数多の立身出世物語があったものだ。
もしかしたら、コレもそういった手合いとして、世界を引っかき回してくれるかもしれないと想像すると……アグリッピナは楽しくて仕方がなかった。
彼女の本質は怠惰な傍観者である。聴衆と同じく愉快な物語を無責任に消費し、楽しんでは次に行く部類の生き物であり、決して演台には近寄らず、舞台の袖にすら触れたくないと考えている。
だが、面白い話は大好きだった。何よりも彼女が愛好する本も、とんでもないことをしでかす、もとい偉大なことを為す者がいなければ綴られないのだから。
是非ともそんな面白い物の一つとして、この丁稚も麗しの怠惰生活に花を添えてくれないだろうかと思ったのである。何時か何かをやらかした彼をサロンに招き、ソファーに寝そべりながら茶を飲んで話を聞いたなら、さぞ楽しい話が聞けるに違いない。
今度はどうしようか? 歴史を教えてみるのもいい。そうすればこのライン三重帝国が歩み、他にない特異な国民性を生むに至った事情を汲んで、何かやらかすもしれない。
新しい魔法も教えてみよう。館で錬金術の一式も見つけていたし、新しい発想からとんでもない兵器や薬が産まれるのはよくあること。
ああそうだ、薬草学なんかを仕込むのもいい。自分で仕入れるのは昔から面倒だったし、丁稚として使うなら便利に仕込めばいいじゃないか。
やる気はあるが飲み込みの悪い弟子より、こっちを育てる方に専念したくなるほどアグリッピナはエーリヒの異常性に注目していた。
これで一二歳だというのなら、育ちきればどうなるのか。魔獣の類いを掌に収めたような、危うい興奮を抱きながら彼女は新しい紅茶を虚空より取り出した。
低い低い笑いは、幸いにも弟子や丁稚に届くことはなかった…………。
【Tips】叙爵権は三皇統家と七選帝侯家が持つが、単なる貴族にも下位の叙爵権が与えられており、庶民を騎士に任ずることができる。
何かもうランキングが凄いことになっててビビりました。一体どうなってんだこれ。
過大な支援、ありがとうございます。
感想で「あー、確かにここ説明不足だなー」と分かって有り難い限りです。あと、コイツほんと誤字へらねぇな……。
次回は2019/2/13の19:00頃更新を予定しております。




