少年期 一二歳の晩春・六
便利な物は大好きだ。私は割と新しい物好きという自覚はあるし、前世では物欲のせいで「これええやん」と衝動的に色々ポチることも多かった。
かといって、甘えすぎるのはどうかと思いしらされた。
「こえー、妖精こえー……」
私は今、倒れ伏す四体の魔物を前に種族固有スキルという暴力に打ち震えていた。
ここは中央棟に位置する晩餐室の脇に設けられた、侍女や侍従の待機場所だ。ここへロロットに導かれてやってきた私は、中に四体の魔物が詰めていると聞かされて、おもわず「うへぁ」と呟いてしまった。これがファンタジー的世界じゃなければ、フラグかフラッシュグレネードを持ってこいと言いたいところである。
ソロで四体同時はしんどい。可能不可能ではなく、明らかに消耗すると分かっているからやりたくないという意味でしんどい。実際、ここに来る前にガチンコで六体やっているし自信はあるのだが、バックスタブのために“手”を乱用しすぎた気もある。体力に余裕こそあれど、魔力を注ぐことで出力を上げる“手”の多用により、魔力の残量は些か心許ない。
なんだか力が抜けるような感覚があるのだ。半分ほどの消費でコレなので、使い切る前に昏倒する可能性の方が高いな。どうやら私はHPだのMPだのがゼロになるまで完全なパフォーマンスを発揮できる系のシステムの下には産まれていなかったらしい。負の方向にリアル過ぎると面倒で人気が落ちるからやめろとあれほど……。
冗談はさておき、じゃあちゃっちゃかやってしまうかとウルスラに魔物を一時的な盲目にして貰い、踏み込んでから“妖精のナイフ”で急所を一突きにして決着を付けて回ったのだが、嘘の様な手軽さで終わってしまった。
これに慣れると拙いと思うほど強かった。多分、強キャラに慣れすぎた格ゲーみたいに“これしかできなくなる”ことで相対的に弱体化しそうだ。便利なのは便利だが、甘えすぎないようにしなければ。
何時の日か、自分一人でどうにかしなければ詰む場面だって出てくるだろうしな。
「そうよ、愛しの君。妖精は本来怖いもの……愛してくれるのは嬉しいけど、頼り過ぎはだめよ? でもね」
何の憂いもなく、薄暮の丘で踊るのも楽しくってよ、と提案する彼女は実に愉快そうであった。どうして私の周囲に集まるロリは耳元で囁きながら物騒なことを宣うのが好きなんだ。
久しぶりになる尾骨のあたりから脳髄に駆け上がるぞわっとした感覚を堪能しつつ、私はこれだけ派手にやって尚も血脂の一つも浮かないナイフをポーチへしまった。これもちょっと自重しとこう。これだけ斬れると“きちんと刃筋を立てる”という剣士として最低限の癖も薄れそうだったから。
さて、四体の供回りを斃したら、残りは巨鬼が一体だ。もうロロットが位置を確認しており、晩餐室で待ち構えているとのこと。
これは狙っての配置だろうか。何も考えないで晩餐室に突っ込むと、待機場所から四体の供回りが突っ込んで来て挟み撃ち。考えなしのPCを完全に殺しに来てる。
中々の殺意の高さに戦慄しつつも、私は気合いを入れて晩餐室の扉を開いた。
さぁ、ガチンコといこうじゃないか。
かつては豪奢な料理が饗され、家族が朗らかに笑い、客人が料理人の質を褒め称えていたであろう空間は酷く寂しいものに成り果てていた。
長いテーブルは邪魔だと言わんばかりに打ち壊されて片隅に追いやられ、年月によって劣化した赤い絨毯は黒へ色彩を鈍らせ、褪せた装飾の群が衰退という美術の一端に身を窶す。
そんな空間の最奥、唯一取り残された主賓席にそれは座していた。
身の丈三mの美事な巨鬼だ。
青い肌は割れた天窓から差し込む午後の光りで鈍く煌めき、身に纏う毛皮本来の姿を大きく残したハイドアーマーは無骨ながらも、その荒々しさが返って武者の勇猛さを引き立てる。
左手で大きな円盾を地面に立てて保持し、抱きかかえるように長大な大剣を支えるのは“巨鬼の雌性体”であった。
「おいおい、マジか……」
ぎろりと剣呑に輝く瞳と目が合った。藍色の金属光沢を宿す髪の合間で煌めく目には、紛れもない知性の色がある。錬磨した“武”で身を鎧った、武人の目だ。昼間に斬り捨てた、本能に飲まれ狂しきった雄性体の巨鬼とは違う。
ゆるりと億劫そうに立ち上がり、美貌を怠惰に緩めた巨鬼は左手に盾を持ち、右手で長剣――巨鬼スケールのそれは、最早ヒトにとっては手槍に等しい――を握りしめる。
そして、確かめるように数度首が巡らされ……こちらに駆けてきた。
開戦だ。口上も何もなく、ただ互いの命をぶつけ合って、どちらがより硬いかを砕け散るまで確かめ合う戦いの。
巨鬼は盾を前に押し出し、入り身に構えて一直線に突っ込んで来た。教科書にお手本として載せてやりたいほど綺麗な盾と剣の使い方である。
盾はバイタルパートへの攻撃を完全に阻むべく身を覆い、その上で衝撃を受け流すため浅く角度をつけて構える。そして、剣は大きく引いて体と盾の影に隠し、出足を読めないようにしていた。
下手に突っ込めば盾による打擲の後に斬撃で、不用意に躱せば如何様にも調整できる剣戟で、生半可な一撃では盾で弾きとばして作られた隙に料理される。基本にして究極、単純だからこそ対処しづらい基本の構えは本当に狂しているか疑わしいほど美事な形だ。
その上、体長三m、総重量はもう考えたくない装甲車みたいな圧がプラスされるとなれば、普通なら踵を返して全力ダッシュか、人生を儚んでなるべく痛くない死に方を模索するところであろう。
このまま座視すれば挽肉待ったなしという生きた装甲車の突撃に対し、私は“送り狼”を下段に構えて駆けだした。
たしかに雄性体より遙かに強いと聞く雌性体の巨鬼と相対して面食らったのは事実だ。だからといって、まだ私の闘志は折れていない。
何より、ランベルト氏は私にこういう時の戦い方もしっかり仕込んでくれていたのだから。
戦いで最も重要なのは何か。力、間違いはなかろう、速さ、否定はしない、知略、確かに要素としては大事だ。しかし、そのどれも一番ではない。
最も重要なのは間合いを読み、その瞬間その瞬間で最も重要な位置を占位すること!
間合いに入ると同時に構えられた盾が唸りを上げて、掬い上げるように振るわれた。私はそれを更に前方へ踏み込みつつ身を屈めることで回避する。盾の縁と兜が擦れ合い、火花が散って凄絶な音が鳴り響いた。
間髪入れず盾を振り上げることで体が泳ぐのを利用し、下段から切り上げる逆袈裟の一撃が颶風を纏って襲い来る。
私はそれを関節の可動域を読んで“刃が届かない”位置へ飛び込むことで躱した。敵の懐は死地なれど、体の構造をきちんと把握し読むことで、占位する場所によっては本丸にも姿を変えるのだ。
そして、飛び込みながら震え上がりそうな速度で頭上を通り過ぎていく腕へ、おかえしとばかりに切り上げの一撃を叩き込んだ。
「っ……!」
突進の勢いを殺さず、太股に触れるほどの間近を滑るように通り抜けた。手には感覚が失せるくらいの痺れと、例えようもなく重い手応えがある。きちんと刃筋を立て、全身を連動させた渾身の一撃でコレとは恐れ入る。もう少し入りが悪かったら剣は弾かれ、手首を痛めていただろう。
だが、痺れの代償はきちんといただけたようだ。みれば、刃先には青い血がぬるりとへばり付いていた。
「GUIII……」
間合いを稼ぎつつ即座に反転してみれば、巨鬼の手から轟音を立てて剣が落ちた。私の剣は腕甲と手甲の継ぎ目を抜き、手首を半ばまで斬り割っていたのである。
<雷光反射>によって極限まで高められた動体視力と<観見>で敵の挙動と弱点を見抜いた上で<多重思考>の全てを行動の予測に割いた戦術構築、そして<円熟>まで鍛え上げた<戦場刀法>が<艶麗繊巧>によって精妙の極みに昇華されれば、“送り狼”の牙は合金の骨に届きうる。
貫いた刃は巨鬼の右手首、その腱を断ったのだろう。右手を上手く握れなくなったのか、取り落とした剣を拾おうとして失敗している。
一手損だぞ、それは。私は剣を拾おうとする隙を見逃さずに疾駆する。脚がもつれ合わない限界の速度で、剣を右肩に担いで無防備な背に向かって進んだ。
「GURUOOOOOOO!!」
だが、巨鬼の反応速度は想像以上であった。一手損を取り返すほどの速度で旋回し、未だ健在な脚で振り向きざまに回し蹴りを叩き込もうとしてくる。軽自動車くらいならば、木っ端の如く吹き飛ばせる勢いを秘めた踵が眼前に迫った。
兜で頭を守っていようと、カウンター気味で叩き込まれた蹴りが直撃したならば、私の頭はザクロのように弾けてしまうだろう。
だから、私は“手”に新しい仕事をさせた。
上からやってきた押さえつける衝撃に体は沈み、風が痛いほどの至近を致死の蹴りが切り裂いていく。私は“手”によって強引に回避姿勢へと移ったのである。
即座に“手”を操り、下から胸を支えることで転倒を拒絶。次の一歩で姿勢を整え、右へのすれ違い様に膝へ斬撃を見舞った。硬革のプロテクターが膝に巻かれていたので、それも“手”によって力尽くでずらして隙間を作り剣戟を放り込む。
私が考える“魔法剣士”の挙動がこれだ。魔と剣を使い分けるのではなく、組み合わせる。さすれば刃はより深く敵の命に届き、技の冴えも輝こうというもの。
血しぶきが舞い、胸甲に青い染みを作り、筋を断たれた巨鬼が膝を突く。
ここで手を抜いてはいけない。びんびんと突き刺さるような殺気から分かる、巨鬼は未だ私への殺意を捨ててなどいないのだ。
斬り抜ける余勢を駆り、私は虚空に産みだした“手”へ脚をかけた。そして、跳躍、同時に背後で唸りを上げる豪腕が鎧を掠めながら抜けていった。
膝を突きながらも、手首を半ばまで断ち切られた拳で殴りかかってきたのだ。片手を失っただけで倒れ、戦意を喪った雄性体の巨鬼とは比べ物にならない闘志。これが武の種族と呼ばれ、畏怖される所以か。
拳だからこそギリギリ避けられたが、彼女の左側に斬り抜けていたらシールドバッシュを受けて宙を舞っていただろう。そうすれば終わっていたかもしれない。だが、それもきちんと読んで動いたからこそ、今の私がある。
連続して虚空に生み出した“手”を蹴って、反転しつつ跳躍。空中で体を捻って入れ替えるのに合わせ、私は刃を振るった。首と肩を守るハイドアーマーの合間へ差し込むように。
鋭く振るわれた切っ先は、首の四分の一ほどを断ち割った。血が勢いよくポンプの如く吹き出し、青い霧が作り出される。それに巻き込まれぬように、新たな足場を“手”に作らせ、私は蜻蛉をきって虚空に跳ねた。
最期の絶叫、断末魔に混じって虚空をかき混ぜる暴風が未練がましく私の顔を打つ。諦めてなるものかと、離脱する私へ追い縋るようなシールドバッシュが見舞われたのだ。あと数秒離脱が遅ければ、私は潰れた蛙のように天井へ叩き付けられていただろう。
ただ、瞳に宿る殺意だけがきちんと私に届き、脳の奥へ突き刺さるような恐怖を叩き込んでくる。これほど生の感情、強い強いそれを叩き付けられたのは……初めてだった。
負とも正とも断じられぬ、純粋な殺気が心を舐め上げて体を締め付ける。もし、戦いの最中にあの朱く光る目を見ていたら、どうなってしまったのだろう? 全体を見るともなしに見る<観の目>がなければ……危なかったかもしれない。
殺気に煽られて空中で姿勢が崩れ、私の着地は無様に失敗した。それでも、衝撃を受けた瞬間には正気に戻り、受け身を取って転がることで怪我を避けたのだからよしとしよう。
止め処なくあふれ出る血を抑えながら、巨鬼は立ち上がろうとして失敗し、前のめりに倒れ臥した。だのに顔だけはこちらに向けて、萎えぬ殺意と殺気だけを叩き付けてくる。せめて意志だけでも殺してやる、そう叫んでいるかのようだった。
鼓動に合わせて断続的に噴き出す血が、やがて弱まって疎らになり、遂には停まった。
私に出来たのは、馬鹿みたいに座ったまま、その最期を見つめるばかり。
……これが、本気で殺し合うということなのか。
なんと恐ろしい事だろう。体の芯から震え上がり、気骨が萎えるような気がする。骨格全てが失せ、立ち上がるのも億劫なほどの虚脱感に憑かれてしまう。燃え上がるような殺意と、一瞬の間に何十と交わされる精神での攻防は、心を恐ろしいほどに消耗させるのだ。
その時に私が思ったのは、勝ったという実感でも、やったという喜びでもなく、死ななくて良かったという安堵であった。
さっきまで、良い意味でも悪い意味でも私は“殺し合い”をしていなかったのだろう。余裕を持って対処できる敵を斬り伏せることは、殺し合いというよりも“殺し”に近い。
だが、一歩一瞬を誤れば命がなくなる“殺し合い”を、私は初めて経験した。
痺れるような感覚に憑かれつつ、しかし私は自分の頬を張って立ち上がる。
ここで立ち止まってどうするのかと。奪った命云々だの、殺した相手の分までだのとなまっちょろいことは考えない。奪われた側が考えることなんざ、精々が「野郎よくもやってくれたな」であって、私の分も立派に戦えなんて思いはしないだろう。自分の身に置き換えてみれば、簡単に分かるはずだ。
私が剣を取った理由を思い返す。こんな嫌な怖い思い、大事な人にさせたくないからな。私はエリザの兄貴として、彼女の将来のために立っているのだ。なら、ここで折れている余裕なんてあるはずもない。
「……名手の魂が、武神の祝福の下に安らかならんことを」
私は剣の下に伏した魂を導くという、武の神へ捧げる聖句を唱えて剣の血糊を拭う。
さて、本当にギリギリまで手出しせず見守ってくれていた妖精達に、私はきちんとした笑顔を見せられるのだろうか…………。
【Tips】闘争本能が強い種族の魔物であれば、その闘争本能はより鋭くなる。
ということで本当の意味での初陣終了です。単に殺すのと殺し合いの経験があるのは違うことってのは、窮地に追いやられた野盗なんかの描写を見るとよく分かりますな。
ぼちぼち時間を飛ばして帝都へと辿り着きつつ、話を進めていこうと思います。
次回は2019/2/12の19:00頃の更新を予定しております。




