少年期・一二歳の晩春・五
昔好きだったアニメの主人公が、よく両のこめかみを拳でぐりぐりされる“うめぼし”という仕置きを受けていたが、よもや現実で目にすることになろうとは思わなかった。
しかも、可愛らしいフィギュアサイズの妖精二人で。
「ふぁぁ、いたいよぉ……」
「お礼も言わないで遊ぶからでしょう!」
「だってぇ、可愛かったんだもん……」
涙目でぶーたれる風の妖精に夜闇の妖精は泣いても許さないとばかりに強い目線を送り、奥に引っ込ませた。
「んっ……んん、あらためてお礼を言わせてちょうだい、愛しの君」
「ああ、うん……」
姿勢を正してそれっぽく言われても、脳からさっきの光景は消えないから、どうにもしまらないなぁ。
「さ、約束通りにご褒美をあげるわ。私が提示できるものはふたーつ」
言って、彼女は指をぴっと二つ立てた。そして、人差し指だけを改めて立てながら、唄うように提案してきた。こうしてみると、あの夜の時と同じ威厳があるのだから不思議である。先のギャグ空間を相殺し切れていない所が実に残念だが。
「一つは、その妖精の目を貴方にあげる。暗い所でもしっかり見えて、魔力の本質を見れる不思議な目」
「魔力の本質?」
なるほど、この目は一時的に夜闇の妖精の目を借りていたのか。薄暗い所でもよく見えるはずだ。<猫の目>の完全上位互換どころか、この言い草からして完全な暗闇では機能しない<暗視>さえも上回り、一分の光も通らない闇でも見通せるに違いない。
しかし、魔力の本質とは何だろうか。
「あなた達ヒトの目じゃ、魔法使いになってもよっぽど“弄くらないと”魔法ってよくみえないんでしょう? その構造も、所以も、式も、個性さえも」
妖精の目なら全てお見通しよ? そういって彼女は笑った。
何だか凄い特性のように思える。ただ……あまり見えすぎるのも考え物だ。
私はファンタジーのTRPGも好きだが、モダンホラーとコズミックホラー入り乱れる、PCが限りなく無力なシステムも好きだった。うむ、漁船で突っ込んでショットガンで囲めば旧支配者でも殺せるとか、象がステータス的には旧支配者共を軽くぼてくりこかせると書いてあるとかはいいとして、あのシステムで私は一つ学んだことがある。
知りすぎると碌な目に遭わない、ということだ。
普通は見えない物が見えるようになる。実にいいことだ。それが切片となって未知を切り開き、新しい解決に繋がるかも知れないから。
ただ、普通の人間に見えないようにできているものは、良かれ悪かれ“見えない方がいい”から見えないものだったりもする。
我々ヒト種の脳味噌には理解に余るものであったり、現実が大きくねじ曲がるような物が見えた場合、この柔らかで形のない“自我”は容易く煮崩れてしまうだろう。
壁の中を這うネズミ、夢の奥から語りかける何者か、視界の端っこを掠める虹色の泡。見ない方が良い物を見て、知らない方が良い物を知った人間の末路は概ね悲惨だ。出自に目覚めて深海に還るのが割とハッピーエンドな方なのだから、救いがなさ過ぎる。
それならば、深奥に触れた魔導師でもなくば見えないものは、見えない方がいいかもしれないのだ。
「二つ目は、特別な唇をあげる。どんな所でも、名前を呼べば私に届く唇」
「それはどういう……」
「行きすぎない程度に助けてあげるってこと」
……妖精使役者か何かになれというお達しで?
いや、ただこの言い草だと主導権はあくまで彼女にあり、気が向いたら手伝ってくれるといった所か。<信仰>カテゴリで神々が授けてくれる奇跡の如く、妖精達に都合が悪くない範囲で手助けが望めると。
確かにふわっとしているが、リスク的にはこっちの方が良さそうだな。
暫く考え込んで、甲乙付けがたい希少な申し出ではあったが、結局私は後者に転んだ。余計な物が見えた結果、壁とお話しする仕事に就職するのは嫌だったから。
「じゃあ、その唇が欲しい」
「そう? じゃあ、あげるわ」
あっさり言うと、彼女はまた視認できても認識が及ばぬ歩法で距離を詰め、反射すら追い付かぬ間に唇に吸い付いてきた。体高一五cmほどの妖精から接吻を受けるというのは中々にメルヘンな光景かもしれない。私が完全武装で右手に剣を握っていなければ。
ほんの一瞬の接触。彼女は去り際に舌先で乾いた唇を舐め上げていくと、呆然とする私を見てくすくす笑った。
……私のキスってこんなんばっかりか。
クスクス笑う彼女を見て、私は確かに今の言い方だと誤解を招くなと思った。まるで、キスしてくれとねだったようではないか。きっと、今の私はかつてないほど顔を赤らめているに違いない。
「……二つ目のお願いでって意味だけど」
「分かってるわ。今のであげたのよ。名前を呼んでくれるなら、弱っていない時なら助けてあげる」
滅多に教えないんだからね、そう囁いて彼女は私の耳に体を寄せ、脳に刻み込むように甘い声で名乗った。
ウルスラ。それが彼女の夜闇の妖精としての個体名。
はにかみながらウルスラは私の肩に停まり、告げる。
「じゃ、さっそく助けてあげましょう。まだ戦うんで……」
「ずるいぃぃ!!」
「はぐっ!?」
が、どうやら今日はヘンダーソンスケールが高い日らしい。思った通りに事は進まず、何事も格好良くは終わらせてもらえない。そんなサイコロの出目ばかり出る日もあるな。
そんな日はどうするかって? さっさと諦めるに限るのさ。
何が起こったかといえば、今まで捨て置かれていた風妖精がウルスラの腹に突っ込んだのだ。呻き声を上げて妖精は諸共に落下し、埃まみれの床でキャットファイトを始める。
「ずるいずるいずるい! ロロットもぉ、ロロットもついてくぅ!」
「ちょっ、いたっ、痛いから!? 止めなさいよ! 先に目ぇ付けたのはわたくしなんですからね!?」
これどうしたもんだかな。止めに入るべきか、それとも好きにやらせておくべきか。
私は見た目は死ぬほど下らないのに、きっと内情は下手するとこの辺が更地になりかねない二人の喧嘩を見て、現実から逃げるように天を仰いだ。
……きったねぇ天井。
【Tips】“個”を認識するに至った妖精は、妖精の中でも高位の種として知られる。その力量は凡百の妖精では束になっても敵わず、行き着く先は“王”あるいは“女王”の位である。
「んっとねぇ、ありがとねぇ……? だからねぇ? お礼をあげるぅ」
どこかエリザを想起させる舌っ足らずさで、風妖精は私に礼を言って頭を下げた。あれだけ汚れた所を転げ回って、埃の欠片一つついていないのは流石というべきなのだろうか。
「えーと、何をくれるの?」
「えっとねぇ、一個はねぇ、ロロットのお名前おしえてあげる」
おっとぉ? 何か始まる前にネタバレ喰らっていた気がするぞ?
「もっこはねぇ? えーとぉ……んーとぉ……あ、そだ!」
暫く悩んでから、彼女はばたばたと体のあちこちを叩き始めた。
「じょーおー様が言ってたんだぁ、男の子のお礼には武器がいいって。んと、あーとぉ……あった!」
風妖精、ロロット? が背中に手をやったかと思えば、明らかに彼女の背後に隠れるサイズではない物騒な代物が飛び出してきた。
これは……なんだろう? 輪っかのついた刃物か?
尾の方に指を入れられそうな円環が備わり、先に続くグリップは手の形に合わせて成形されているのだが、先端の刃は缶切りのような形状に成形されている。
あー、何かで見たことがあるような気がする。たしか映画、いや、ミリタリー系のTRPGでサプリに掲載されていた気もするな。えーと、ほら、思い出せ私の<記憶力>、かなり熟練度ブチ込んでるんだから。
あっ、思い出した、カランビットナイフだ。元はインドネシアだかの農耕機具だとも聞いたが、暗器や刃物として使い勝手がいいから格闘でも使われるようになったんだっけか。
「これねぇ? 私達の翅と同じなの。妖精と、見て欲しいヒトにしか見えないし触れないのとねぇ? お肉しかきれないの」
ステーキナイフ? とボケた感想を零すと、呆れたようにウルスラが「無粋な金属に阻まれないってことよ」と呟いた。
ほぉ!? 装甲点無効とな!? 何だそのぶっ壊れた神器は。
形状からして扱いには癖があるだろうし、リーチも短いから慣れも必要だとは思うが<装甲点無視>の一言だけで万難を排して使う理由に足るぞ。刃を受け止めることはできるし、対して鎧に阻まれることもない……なんだコレ神か。
「ナイフを下さい!」
「えええええ!?」
元気にお願いすると、彼女はナイフを放りだして――なんてことを!?――小さな手で胸ぐらを掴んできた。
「なんでなんでなんでぇ!? ウルスラちゃんにはお名前聞いたのにぃ!? なんでロロットには聞いてくれないのぉ!?」
「え? あ、いや、普通にナイフ強いから……」
「もうちょっと考えてモノ出しなさいよ……」
物欲が大勝利した私と、明らかに私がちょっと悩んでやめそうな物を選んだウルスラ。どっちもどっちだが、素直に良い物を引っ張ってきたロロットもどうかと思う。でも折角左手が空いてるんだから、これ持ったままグラップルも出来そうだし普通に物欲が擽られたんだから仕方ないだろ。
「えーとぉ、えーと……あ、そうだ!」
何か名案でも気付いたのだろうか。風妖精、もといロロットは器用に風を操って、落とした神器に埃をかけて隠したではないか。
「あー、だめだなぁー、どじだなぁー、おっことしてなくしちゃったぁ」
態とらしく言って、期待した目でこちらを見る彼女。ここで「じゃあ他の武器ないんですか?」と聞いたらどんな顔をするのだろう。気になるような、流石に大人としてやっちゃ拙いような。
しばし自分でもどうかと思う下衆な葛藤を振りほどき、私は彼女に名を問うた。うん、妖精いぢめとか、後でこっちが酷い目に遭うのは童話の昔から決まってるからな。
彼女はぱぁっと笑顔になり、しかたないなぁと胸を張った。
「ロロットはね、シャルロッテってゆーの! たくさん遊んでねぇ!」
「ああ、うん、よろしく……」
ちょっと疲れながら、私は人差し指でシャルロッテと握手を交わした。なるほどね、ロロットはシャルロッテの愛称形か。
「で……ロロット、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「んー? なぁに、いとしいきみ」
ああ、そのダーリンとでもルビが振られそうな呼び方は統一されてるのね。
それはさておき、埃の小山を示してこれ拾っていいの? と聞いたら、彼女は少し悩んでから「忘れたぁ! ロロットそれしぃらない!」と自分を誤魔化すことにしたらしい。
……いいの? 後でもっと偉い妖精から怒られたりしない? そうなったら責任取り切れないよ?
いやまぁ、本人がいいってんなら貰うけど。
神器を拾い上げて丁寧に埃を払う。微かに緑色を帯び、見た目の割に随分と軽いナイフは妖精の翅で出来ていると言われると納得の質感だった。これはたしか、リングを人指し指に通して逆手に持つんだったか。
となると、攻撃を受け流しつつ裏拳気味に突き刺すか、手刀を掠めるように斬る感じになりそうだな。慣れるのに時間はかかるが、上手く使いこなせば良い火力を出してくれることだろう。
「ああ、それで、二人は何ができるんだ?」
さて、神器はいいとして、報酬である彼女たちの助力は何が願えるのだろうか。風と闇の妖精と言えば、実に色々と応用が利きそうなものだが。
「そうね、今は日が出てるし月も欠けてるから大したことはできないけれど、貴方の姿を敵から隠すことができるわ。敵を一時的な盲目にすることも」
「んとねぇ、ここはせまいから、あんまりがんばれないけどぉ、息してるのがどれくらいいるかはわかるよ!」
ふむ。妖精への請願は隠の月の満ち欠けによって出力が変わると。ただ、姿を隠すというのは近接戦闘において実に大きいアドバンテージであるし、敵の数が今の内に分かるというのは実にありがたいな。
早速お願いすると、ロロットは頼られたのが相当嬉しかったのか、くるくる回って大きく大気を取り込み、小さなつむじ風を産んでみせた。
「けほっ、ごほっ!?」
「あっ、こら! 周りをよく見なさいな! 埃だらけの所で回ったら危ないでしょ!?」
当然の帰結として長い間積もっていた埃が舞い上がり、私の呼吸器にクリティカルダメージ。嬉しいのは分かったから、ちょっと勘弁してくれまいか。妖精は大丈夫だとしても、ヒト種の呼吸器は結構繊細なのだよ。
「ご……ごめーんね? でも、わかったよぉ、五つ、五ついたぁ!」
身を屈めて咳をする私を心配そうに覗き込みながら、彼女は偵察の結果を教えてくれた。あの一瞬だけで館の全てを精査したというのか。
「んとねぇ、緑のちっさいのが三つとね、獣臭いのが一個とね、青くてでっかいのが一個いたよ!」
緑のちっさいのは小鬼、獣臭いのは犬鬼、青くてでっかいのは巨鬼であろうか。他はそろそろ慣れてきたからいいが、巨鬼はしんどいな。硬いし速いしで、あまり正面からやり合いたくはない。
……いや、カバーしてくれる面子がいるなら、ちょっと正面から頑張ってみるべきなのか?
今の私に足りないのは“経験”だ。決して弱くはなくとも、未熟であるのは間違いない。それならば、バックアップが望める状態できちんと戦い、命のやりとりに慣れておくべきではなかろうかと思う次第である。
前世の私は平和に過ごしてきた。戦争のない国で、幸いにも死ぬまでただの一度も拳を他人へ打ち付けることなく生きてこられた。
だが、今後戦う機会が増え、もっとギリギリの戦いになった時、その平和ボケした感覚は必ずや災いを産むだろう。
なら、安全策ばかり採らずに修羅場を経験することも必要か。
私は考え込む様を不思議そうに眺める二人に、決意表明として何かあったら助けてくれるかと頼み込んだ…………。
【Tips】金髪碧眼の愛らしい少年少女には<妖精の寵児>なる特性が身につく。本人が意識せずとも妖精を惹き付け、交渉が上手く行けば力になって貰える特性だ。されど、彼等の好意はヒトの都合を考えぬもの。操縦を誤ったその時は…………。




