幼年期 五歳の夏・二
何かを考えるにあたり指針とは必要不可欠である。
私は定位置になりつつある納屋の傍ら、薪を割る台座に腰を落ち着けながら考えていた。
目の前へ立体的に投影される円柱を組み合わせたステータスは実に膨大であり、様々なスキルや特性が相互に絡み合っているので、数多のルルブを読み倒した私をして未だ全容を掴みきっていない。
それもそうだろう。このチャートには私が好きに選べるように、この世界であり得る可能性のすべてが詰め込まれているのだから。実に便利なことにソートや抽出検索機能が備わっているものの、そのすべてを熟知しようと思えば年単位での研究を要することとなるだろう。
基幹部分だけでも<肉体>を囲むように<精神><教養><体術><感覚><社交>と広い基礎カテゴリが続き、それを取り囲むように無数の職業カテゴリに囲まれているのだ。効果や解説まで含めれば、ページで考えるのが馬鹿らしい複雑さと文章量である。サプリに換算するとぞっとする額になりそうなので、無料で詰め込んでくれた菩薩に感謝しよう。
ただ、あまりの膨大さにデータマンチを自認する私としては目移りして仕方ないのだ。至極贅沢な悩みだとは思うがね。
すでにいくつか「これってこわれてる」としか思えない組み合わせも見つけ、実際にどんな挙動を見せるのかテンションがおかしなことになりつつある。
目の前に可能性が多岐にわたって広がり、しかも即物的に必要な事態に対応できるとあって興奮しないTRPGプレイヤーは存在するまい。
ただ、目移りと即物性が少し悩み物でもあった。
即物性、これが何を引き起こすかといえば、あれもこれもとその場その場で便利そうだからと選んだ結果、どこに行っても中途半端な器用貧乏に成り果てる可能性を孕んでいるのだ。
インターフェースの便利さや機能そのものに文句のつけようもないが、残念ながらこの権能は融通が利かない。紙にシャープペンで書いたり、エクセルシートに入力したキャラクターシートと違ってスキルや特性の削除は当然、やり直しもできないのである。
私も初心者の頃はよくやらかしたものだ。初期作成時は問題なくとも、あれもこれも対応できるよう成長のたびジョブをつまみ食いした結果、輝くべき場面でカスみたいなダメージしか出せなくて涙したことが。
そんな記憶の彼方でエンディングを楽しめなかったキャラの供養をかねて、私は中途半端で終わるわけにはいかないのである。
まぁ、世の中には有情なGMがおり――私もそのつもりだが――もしどうしようもなくなればリビルドを許してくれる優しさもあろうが、残念ながらこの世界を回すGM連中は生ぬるくなくズルが嫌いらしい。
そこは現実と一緒だろう。人生がリビルドできたなら、誰もビルの上から空を飛ぼうと行為判定を試みまい。
そうならぬためには、指針を定めねばならない。何になり、何を目指し、何を為すか。私はある意味で大抵の物になれて大抵のことを為せる祝福を受けているが、残念ながらそれは裏を返せば何者にもなれず何もできないことにも通じる。
ここは慎重になるべきだ。私はこの世界について、何も知らないに等しいのだから。
私が知っていることは精々が荘園の名と、この荘園が属する行政管区の――ドイツの行政制度が導入されていたことに大変驚いたが――領主様や代官様のお名前程度。政治制度がどうだとか、地理風土歴史何も知らないに等しい。
できることが多く提示されていたとして、将来を決めるには時期尚早なのも事実である。
よく知らず今のうちから決め打ちで方針を決めて、後々それが異端で人類領域でまともに生きていけない仕様でしたー、と判明したら洒落にならんからな。結界のせいでみんなと寝泊まりできませんでした、なんて事態は勘弁願いたいものだ。
とくれば、重視すべきは効率がよく強力な特性――神童のような――を確保しつつ基礎を伸ばし、将来的になりたい自分の姿が見えた時に備えるのが当面の指針というべきか。
前世で父からよく聞かされたものだ。勉強はしておいて損はないと。なぜなら東大の医学部を出ていても、後から思い立って宮大工になることはできても逆はほとんど不可能だ。それならば、将来やりたいことができた時に備え、自分を多方面に磨いておくことは不可欠である。
本当に我が父ながら良いことを言ってくれたものだ。実際、肉体のステータスをろくに鍛えぬまま大人になり、思い立って一端の剣豪を目指したって遅いからな。
よし、ではまずは肉体的に過不足のないように育て、地頭と教養を養うとしよう。その上でめぼしい特性を取り、あとは情報収集に打ち込むと。
なんと言っても、探していて「なんのこっちゃ」と首をかしげたくなる特性やスキルも山ほどあり、習得の前提条件が謎なものも少なくないからな。
だとしても、特性やスキルを探すのは本当に楽しい。色々と目移りして、欲しいものがいくらでもでてくる。
シンプルに強力そうな各種職業系スキル、真贋を見分ける観察力などのどうあっても腐ることがなさそうな特性を見つけるたび、和マンチの血がざわざわ騒いだ。ダメージをたたき出すメジャー・マイナー特技の重要を今更問う必要はあるまいが、クライマックスに辿り着くまでの過程を充実させるスキルもキャラの強さを語るに欠かせないのだから。
ただ、その中で習得が許されていないスキルや特性が多々存在することに気がついた。
たとえば<生粋の貴族>のような、今更変えようがない出自にまつわる特性は当然の如くロックされている。説明文を見る限り、貴族としての立ち振る舞いや行動に習得補正が入り、相応の身分を持つ相手への交渉判定にボーナスがつく強特性なのだが……まぁ、家系図はロンダリングできたとして、本来の出自は変えようがないから普通だな。
また私自身の性質から離れすぎているような特性、たとえば<精神>カテゴリの外郭カテゴリに属する<信仰>カテゴリの<聖人君子>だの<悪徳>カテゴリの<殺人性癖>、そしてそもそもの〝種族〟が異なる特性もロックされていて習得が能わないようだ。
これは分かりやすい。思考力と記憶力を上げた時に、ステータスや特性そのものが自我に影響を与えることはないと分かっていたからだ。あくまでそれらの特性は、外付けの補正に過ぎず、習得に至れば勝手に手に入る部類だろう。
裏を返せば、後々私の心が折れたり信仰に目覚めたら習得することもあるようだが。
あとは後天的に大きく体を変えることもできないようだ。円柱群の中央に据えられたヒトの<肉体>カテゴリにおいては、上背の潜在値や骨格などのステータスが細かく並んでいるが――五歳で自我が覚醒したのは、おそらくここに〝最低限人間に必要な熟練度〟が振り分け終わったからと推察できる。訳も分からずポイントを振り死なぬようにするフェイルセーフだろう――あくまで触れるのは〝潜在値〟止まりなのだ。
というのも身体的なステータスを振ることは「ここまで背が伸びますよ」とか「大体こんな太り方をしますよ」といった将来的な可能性を内的に固めるだけで、即座に体が変わるわけではないのだから。
これもまた理解できる。私が今何も考えないで「わーい、高身長のマッチョになるぞー」と雑事で稼いだ熟練度を身長と骨格に割り振った瞬間、ぐんと一息で背が伸びたら大事件である。おまえは誰だと荘を挙げての大騒ぎ待ったなし。
鍛えて伸びるステータスとは別に、自然に振る舞わないとおかしいステータスに制限が課されるのは無理からぬ話であった。
とはいえ、長々語ってみたものの、私はまだ五歳。何とでもできるからどうでもいいっちゃいいのだが。
「エーリヒ、まーたここでぼけっとしてんのかよ」
身長はどのくらいが良いかなと思索に耽っていると、ハインツ兄がやってきた。片手にはもうトレードマークになるくらい気に入ってくれた木剣を携え、どこで手に入れてきたやら古びた鍋の蓋を左手にぶら下げていた。
「あ、兄ちゃん」
「おまえも来いよ、遊ぼうぜ。ミハイルとハンスも待ってるぜ」
兄は私への敵意をなくして以来、こうやって遊びに誘ってくれるようになった。ミハイルとハンスの次兄と三人目の兄も一緒にだ。元々二人はちょっと乱雑でおっかない長兄に追従していただけで、私に特別の隔意を抱いていなかったようなので今ではすっかり仲良しになれていた。
「うん。何してるの?」
「決まってんだろ、冒険者ごっこだよ」
ぽてぽて短い足で兄の背を追っていると、彼は木剣を自慢げに天へ突き出しながら言った。
冒険者とは、教会法や行政区法の縛りを逃れて就ける数少ない職業の一つだ。各領邦の同業者組合を自由に巡って代官や領主の困りごとから市井の些事までを解決し、異形の怪物を討伐し、見果てぬ地や過去に没した国々を巡って財宝を集める英雄たち。
兄はこの間やってきた吟遊詩人のサーガを聞いて以来、その冒険者にお熱なのだ。
話は実にありふれたそれ。竜退治にはもう飽きた、というフレーズが生まれるほどに前世でも聞いたドラゴンスレイの物語。悪い魔術師に呪われた王妃を救うため、邪竜の持つ治癒の宝玉を持ってくれば王女を妻として与えるという王のお触れに応えた冒険者が伝説の宝剣を見つけ出し、神の祝福と共に冒険に出るといった筋書きだ。
本当に古き良き王道ストーリーである。私も初心者GMやPLに付き合い、似たような筋書きの冒険を企画したり参加したりしたものだ。陳腐と言われようと、王道には王道と呼ばれるべき良さがあるので実に楽しい時間だったのを覚えている。
ああ、そういえば途中で竜を口説き始めて最終的に結婚した阿呆やら、戦って倒すより売ってもらえばいいんじゃね? と逆転の発想で挑み、竜から「王国の至宝と交換な」と提示されたせいで大泥棒に転身した馬鹿もいたな。こういった一ひねりあるセッションも王道あってこそと思えば、ありふれたサーガを唄った詩人に文句は言うまい。
とまれ、兄はそんなドラゴンスレイヤーの物語が感性にぶっささったらしく、大変な熱を上げていた。将来は冒険者になると高らかに公言し、私たち兄弟を率いて冒険者の一党ごっこをしているのだから微笑ましい限りである。
まぁ、憧れに浸る子供に敢えて現実を突きつける必要はなかろう。冒険者などドサ回りの何でも屋に過ぎず、兄には家の跡取りとして代官様の私塾に通う運命が待っているなどと。
私は数日前、父に呼び出されて相談を受けていた。
曰く、私が望むなら兄の代わりに私を私塾に行かせてやると。
父が何を考えていたかは、この枯れた三〇代の思考能力を以ってすればたやすく察せられる。要は地頭が優れた末の息子に家を継がせようかと考え始めたのだろう。
私はそれを丁重に断った。
率直な物言いをすれば、見果てぬ可能性があるのだから無理をして自作農の家を継ぐのもなんだと思ったからである。仕官するのは難しいかもしれないが、自身をして農家をするのは惜しいと思える可能性があるなら、別の道に進んだところで問題あるまい。
今まで必死に家を盛り立ててきた父には申し訳ないが、折角のファンタジー世界なのだ。色々見て回りたいではないか。
どのみち私は四男だ。無理に家を継ぐにしても制限は多いし、父もそんな困難を背負い込む必要はなかろうて。なればこそ、私は晴れやかな気持ちで兄を私塾にいかせてやってくれと言うことができた。
そして余談ながら、その場で聞かされたのだ。兄が憧れている冒険者とやらの実態を。
竜を屠り数多の財宝眠る迷宮に潜るのはごく一部。実態は領主や代官が自身の手駒を使うのは面倒、あるいは手間といった雑事を押しつける何でも屋だという。世界は単純に、どこへでも派遣できるお安い労働力として冒険者を受け容れているらしい。
なんともお寒い話であった。
だから私は、兄の将来を考えて私塾を譲ったのである。
ぶっちゃけ私は私で、私塾に行かずともやりようがいくらでもあるからな。それならば長兄にきちんと家を継いでいただき、健やかに一生を送ってもらった方が家族としても安心だ。
「今日はどこを冒険するの?」
「裏の林に行こうぜ。隣のじいさんから聞いたことがあんだ。何十年も前の子供が、妖精に祝福されたコインを木の洞に隠したまんま死んじまったって。すっげぇお宝じゃねぇか!?」
なので今は存分に冒険者を楽しんでもらおう。賃金も命の危険も発生しない、猫の額ほどの林を駆けずり回る程度の冒険ならば健全だ。妖精のコイン? 大変結構。野盗狩りや獣狩りに二束三文でかり出されたり、排水路でねずみ取りとドブさらいをやるよりはずっとずっとな。
ただ、冒険者という存在に私も憧れを抱いていないわけではなかった。いくつもの私を重ねたアバターたちが、その称号を帯びて旅立ったからだ。
ひねりもなく魔剣に憧れて村を飛び出た少年。神の声を聞き蛮族に立ち向かうべく修道院を出た青年。迫害される出自故、逃げるように名声を求めて出奔した半魔の男。旅路に斃れた伴侶を取り戻すべく立った操霊術士の寡婦。遺跡に埋もれた己の出自にロマンを覚え、魔法の機器を操り遺跡に潜る機械人形。
どの冒険も今からリプレイを書けと言われて書けるほどよく覚えている。あれは輝かしく楽しい思い出達だった。
栄達を果たした者もいた。ヘンダーソンスケールが凄いことになって強盗団の頭になったこともあるし、GMとPLのサイコロが爆発して第一話で斃れた者もいる。
そんな記憶を浚ってみれば、冒険者という職業は悪くないのかもしれない。実態がどうあれ、サーガの英雄が存在しないわけではないのだから。
私は幻想に浸る兄の背を追い、自身もまた幻想に浸るため走り出した…………。
【Tips】スキルや特性に割り振った熟練度は不可逆である。神が与えたもうた権能は、残念ながらシャープペンで書き込んではくれない。
セージ・レンジャー・スカウト全部Lv3ずつ……始めて作るトライブリード……うっ、頭が……。
2019/1/22 改題