ヘンダーソンスケール 2.0 Ver1.5
貴族の煌びやかさは、全て見栄と外聞によって成り立ち、その必要性に応じて用立てられるものであるため、概して本人が望んで着ているかは問題とならない。
「本日はお日柄も良く、スタール伯爵夫妻にお目見えが適う最良の日を天候すらも言祝いでいるようで、私共一同も嬉しく存じます」
「そうね。ご苦労様」
その虚飾を以て武装と為す都市、ライン三重帝国帝都ベアーリンにおいて、数人の針子を連れた意匠設計士と大店の店主が、麗しい金銀妖眼の長命種に頭を垂れた。
彼等は帝都でも指折りの仕立て職人商家であり、番頭ではなく態々店主が訪れていることから分かるとおり、これ以上ない準備で今日を迎えていた。愛顧はここ百年以上に渡り、次女君の産着を作る名誉を賜って以来のものとなる故、何があっても失敗できないどころか、粗相一つが店の浮沈に関わる上客であるから当然だ。
今をときめく皇帝の寵愛篤き重臣から、用がないと言われてしまえば全てはご破算なのだから、なりふりを構わないのは当たり前。それを証明するように意匠師が抱えている最新の流行を取り込んだ見本書は分厚かったし、針子達が用意してきた反物と糸の山は、あらゆる要望に応えるため堆く積み上げられていた。
正しく不退転、命を懸けて顧客が満足する衣装を作ってみせるという覚悟がありありと見える態度ながら、呼び出した当人は全く興味がなさそうなのが対照的であった。
まぁ、至極当然のことである。
今やスタールの如しとして一種の形容詞にもなった夫妻の妻は、着ることができて不愉快でなければ、それでいいだろうという適当な嗜好しかない。というより、薄絹一枚の下着姿で、時には風呂上がりのまま全裸で工房をブラブラする悪癖がある時点で、拘りなんて物が一切ないのは明白であった。
彼女が今まで貴種の体面を保ってきたのは、偏になめられるのが嫌いだからというだけであって、本質的に不必要であれば求めることはない。
そして、遠大な野望のため、自分の思考リソースを割く必要がないのであれば、それを全て人に任せても良いという適当さを持ち合わせていた。
「さて、旦那様。如何なさいましょうか」
「特に変わりはないだろうが採寸をしてやってくれ。それと、其方らのことだ、きちんと休閑期の流行にも目を光らせていてくれたのだろう?」
故に挨拶だけは夫妻揃って行うが、それさえ終われば全てはエーリヒが差配する。
この慈悲深く多少の粗相を見て見ぬフリをする度量がある死霊との交渉にさえ移れれば、あとは楽な物だと店主は少しだが気が楽になるのを感じた。
「勿論にございます。最新の流行をおさえた物から、伝統的な物まで、幅広くご夫妻にお似合いになる物を考案して参りました」
「それは重畳。では見せて貰おうか」
「はい、ではまずこちらですが、東方騎馬民族の婚姻衣装から端を発する最先端の流行でして……」
お見せしろと命じれば、卓の上へ丁寧に意匠師が三面図を並べていく。紙に書かれた衣装は全て煌びやかかつ最先端の流行を盛り込んだ、社交界で耳目を集めるための最新武装であり、エーリヒ風に言わせれば社会的な装甲点を賦与するに十分な出来映えばかりだった。
「んー、ウチは曲がりなりに新しい家だからな。あまり奇抜な物ばかり着てもアレだが、二着か三着は貰っておこうか」
「いえいえ、スタール伯爵、ご謙遜はおやめください。忠臣として名高い御身ですから、どれだけ派手に飾ろうと不遜と取られることはございませんよ」
長命種や不死者の感覚は悠長に過ぎて、やはり何を言っているか分からんなと店主は思いつつ、口は上手いことを並べていく。スタール伯爵家が興って、もう何百年経っていると思っているのだろう。だのに新興家のように振る舞われては、むしろ回りが萎縮しよう。
「エーリヒ、私、あれは嫌なんだけど。去年流行った……」
「長い飾り袖か。手の甲までくる」
「そう。一々邪魔だったし、宝石まで縫い付けてあったから食事の時に鬱陶しかったわ」
「とのことだ」
言われ、数枚の図案が消えたが、意匠師は特に狼狽もせず、去年の流行でしたしスタール夫人と同じことを仰る方が多かったので、今年は流行としても翳っていることではないでしょうかと肯定した。
「あと、あれ……」
「真珠飾りをぬいつけるやつかい?」
「そう。真珠って魔力が変に通りやすいから、自分で刺繍を入れる時に溶けたり色が変わったりしたから、それも止めて欲しいわ」
「畏まりました。では、今年は真珠は用いないことにいたしましょう」
貴種の礼装には服に直接宝石を縫い付けるような物も珍しくないのだが、魔導師的には刻み込みたい術式陣との相性に障りを来すことがあるようで、ここ数年の流行である襞飾りの中に小粒の真珠を混ぜて光らせる小技は使えないようだった。
となると、些か地味になるなと思った図案を数枚下げる意匠師。その意を汲んだ店主は、昔ながらの上質な絹を用い、後は刺繍で彩りを加える陰影だけであれば清楚かつ伝統的な一枚を選んだ。
「スタール夫人はご自身で刺繍を入れるのもお好みですので、この辺りなど最適かと」
「ふむ、袖は少し長め、肩の風船飾りを廃して外套を着るのか」
「はい、社交期が終わって暫くしてからなのですが、服自体は簡素な意匠にし、その上に毛皮や織物の外套で豪華さを演出するのが流行っておりまして」
「ふーむ、慈愛帝が好まれそうだな。まずはこれを貰おうか」
「ありがとうございます! では、さっそく反物を選びましょう」
本日最初のご購入は流行を取り入れつつ、質素な物が採用された。これは意匠師もかなり気合いを入れて作ったらしく――控えめと地味の間には非常に難しい谷が存在する――選んで貰えたのが余程嬉しいのか、差し出す手に力が入っていた。
「ふむ、黒か……」
「ねぇ、エーリヒ」
「ああ、墨染めよりは少し鮮やかな黒が良いんだろう?」
こういう時、得てして夫は自分の好みを妻に押しつけるか、妻が欲しい物を欲しいがままに買い与えることが多いのだが、このスタール夫妻は例外だ。
お互いの好みを完全に知り尽くしているが故、こうやって具体的なことを口にせずとも察して相手が好むように着地する。
アグリッピナの愛する色を理解しているエーリヒが手に取った反物を、採寸されながらチラリと見た彼女は、それが満足行く物だったのか一つ頷いただけで何も言わなかった。
毎度見せ付けられる度に、店主は感じ入る。
流石は慣用句にして形容詞になるだけはある夫妻だと。これぞ正しくスタールの如し…………。
【Tips】スタールの如し。極めて仲の良い夫婦を指し示す慣用句にして形容詞であるが、ただイチャイチャしているのではなく、完全な相互理解が及んだ熟年夫婦を意味するため軽々に使う物ではないとして知られている。
「あー、面倒くさかった!」
夫婦の寝室でアグリッピナが服を脱ぎ散らかしながら寝台に倒れ込んだ。
如何にも真面目ったらしい面をして、お針子衆のなすがままになっているのが余程疲れたのだろう。多少のサイズ差を気にしないで済む男物と違って、女性は体型を目立たせるために繊細な採寸、そして体に押し当てながら型紙を作らないといけないので肉体的にも結構大変なのだ。
それにライン三重帝国では、かなり厳密に採寸して〝乳袋〟を作るのが何故か流行っているので――何処の変態が持ち込んだのだろう。いいぞもっとやれ――男と比べて労力は作る側も受ける側も何倍にもなる。
「お疲れ様。ただ、服を脱ぎ散らかすのは止めなさいっての」
私は術式を練ってポイポイとそこらに放り出される、一枚で平民が家族揃って何十年も生きていけるような服を丁寧に畳む。長命種は代謝的に垢が出ないので汚れはしないが、貧乏性が骨の髄まで染みついた私は〈清払〉をかけて長く使えるよう気を遣ってしまう。
「なんでこう、季節毎に新しい服を用立てないといけないのかしらね……貴種って面倒だわ」
「いやまったく、そこは同意するけども」
あとで侍従が片付けやすいよう目に付くところに置いておき、私も窓際の卓に着いて煙管に火を付けた。
死霊になっても新しい服が要るってのも難儀な話だ。
まぁ、私の場合は姿を揺らめかせて着ている物を変えているように見せかけるだけなので、意匠権を購入して姿を変えているのだけど、それだけでは十分な儲けにならないだろうから実体のある服もちゃんと発注してあるんだけどね。
「貴種もいっそ軍みたいに制服を採用すれば良いのよ。これだけ着てればヨシ、みたいなの。魔導師みたいに通年同じ長衣でも可、でもいいわ」
「見栄の都で見栄の舞台だ、そこで手を抜いたら威信が落ちる。仕方がないだろう?」
帝都ベアーリンは外交都市であり、帝城や各々の館で催される舞踏会や茶会には外国貴族や外交官を招いていることが普通のこと。そこで我々はこれだけの物を揃えられる外貨獲得力と権益があるんですよ、などと態とらしいまでに見せ付けねば国家の格が下がる。
纏う服の豪華さは、社会的な分厚い鎧だ。馬揃えの行進で騎士達が煌びやかで重厚な鎧を見せ付けて軍の強さを固辞するように、我々貴種は内外に向かって経済力の強さを誇示することで身を守る。
華美な服飾の数々は、お洒落にここまで金を突っ込む余裕がある家に喧嘩を売る勇気があるのか? と立っているだけで牽制する力があるのだ。
とはいえ、つき合うのも中々骨だ。季節毎に服屋を呼びつけて新しい物を仕上げ、アグリッピナに至っては自分で刺繍もしなければいけない。毎度毎度面倒臭くてしょうがない。
いや、全く以て滑稽な見栄の張り合いではあるけれど、実際に人口を消費して戦争するよりマシだから我慢するけどね。ウチなんて下手に金持ってるモンだから、いざ始まったら常備軍を供出しろだとか、戦争準備協力金がどうとかでえらい出費になる。
それを考えたら、平民からすると無駄遣いも大概にしろよと言いたくなる服も、必要経費だと納得できるんだけども、やはり疲れるものは疲れるのだ。
「はー、面倒かった」
彼女はダラダラと全裸になったかと思えば、枕元に畳んで置いてあった寝着に着替え始める。
それは数年前に仕立てて以降お気に入りの品で、肌の色が分かるほど真っ白で透けるように薄い絹地の逸品であり、肩を出して鼠径部を微かに隠す程度の丈しかない酷く扇情的な意匠をしていた。
アグリッピナらしく襞飾りなどの可愛らしい要素は排されているものの、刺繍が施されていて胸の形に沿って陰影が描かれ、体型にぴったりと合う形状なのもあって大変目に悪い。
しかも、何が嫌かって、これ〝私の趣味〟にドンピシャなんだよな……。
「さてと、着ていく服の選定でもするか……」
目に毒な自称妻から目を逸らし、私は密偵衆が集めて来た〝今期社交界における服飾の傾向書〟に目を通して、既に参加が確定している社交で何を着ていくかを事前に決める作業に入った。
これも結構重要な仕事なのだ。訪ねて行く家の奥方と服が丸被りするとお互い気不味い思いをすることになるし、何よりも〝空気が読めないヤツ〟扱いされるので事前に調べて用意しなければならない。
それに、邸宅の壁紙や植わっている花々との組み合わせも大事だ。緑色の壁紙が基調の晩餐室に緑の夜会服で訪ねれば、まるで迷彩しているみたいになってしまうので、そこら辺も本当に気を遣う。
ああ、やっと終わったと思ったのに、私の楽隠居は一体何処にあるというのだろう。思えば、立てなくなるまでマジでずっと仕事させられたもんな……。
「ねぇー」
「なんだい」
「暇なんだけど」
視界の端っこで寝台を見やれば、うつ伏せになったアグリッピナは足をパタパタさせていた。裸族の傾向がある彼女は肝心の所を隠す気がないのか――まぁ、今更ではあるけども――色んなところがチラチラしていて淑女の嗜みとは……などと考えさせられる。
「研究の続きでもしたらどうだい」
敢えて察しの悪い夫のフリをして、今忙しいんだよと無視を決め込む。忙しいのは実際そうだし、この案件は早い内に片付けておきたい。社交でトチると一回の失敗で十の挽回が必要になってくるから、失敗できないんだよ。
というか、こう言うのって普通は女主人が差配するものだよな。なんで私がアグリッピナの服装とか、当日付けていく宝飾品まで選定しているのだろう。
せめてもっとこう、文句の一つも付けてくれれば、自分で選べば良いだろうと言い返せるものを。
「今、経過観察中だからやることないのよね」
「なら社交の手伝いをしてくれないか」
「それはもう貴方の方がずっと上手くなったでしょう。何のために婿入りさせたと思ってるわけ?」
コイツ……と羽ペンを握る手に力が籠もったが、私の役割が彼女が心底面倒くさがる社交の調整役というのは変わらない。実際、これで飯を食っているようなものなのだから、投げ捨てるのも矜恃が許さないため反撃し辛いのが何とも言い難かった。
「じゃあ、これが終わったらどこか観劇でもいくかい?」
「今、古典ばっかりだから飽きたのよね」
「幻灯座は新作をやるようだけど?」
「〝永久鳴る愛〟が見たいとか正気?」
……そういえばそうだった。あそこ、前に私達夫婦の再会を題目にしたのがウケてから、手を替え品を変え擦り続けてるから性質が悪いんだよな。かといって帝室出資の彼等に鬱陶しいから止めろと強く出る訳にもいかないので、捨て置くしかないのが何とも辛い。
「はぁ……」
結局、私はその後、アグリッピナの〝暇潰し〟に午後を費やすこととなり、気持ちよく一人だけ寝ている彼女の横で後回しにした仕事を片付けることになった。
寝ることが不要になったこの体とはいえ、満足しきった顔ですよすよ隣で寝ていられると、勤労意欲が落ちるから勘弁して欲しいのだが。
とはいえ、直截に物を言われずとも、何を求めているか分かるようになってしまった私の落ち度でもあるか、これは。
いや、断じて長く付き添った故の弱みとは言わんぞ。
社交と同じで、面倒事を先に片付けて起きたいだけだ。
きっと、そうなんだ…………。
【Tips】現在、死霊が子を成すことは不可能であるとするのが定説であり普遍の常識であるが、スタール伯爵夫人が最近〝落日派〟や〝東雲派〟と共同研究していることは、それに関連することではないかと魔導院で密かに噂になっている。
尚、それを聞いたスタール家の子女達は、何か吐き出しそうな嫌な顔をしていたそうな。
機能は11/22いいふうふの日だったので、今日は11/23でいいふさいの日ということでご勘弁を……。
いやほんとスミマセン、原稿作業とかで色々筆が止まっていたり、現実逃避の小説を書く息抜きに小説を書くのが楽しかったりして色々進行が遅れて申し訳ないです。
ですが、今日は定例行事を楽しんでいただければ何よりに存じます。本編も近いうちに更新できればと頑張っておりますので、長い目で見てやってください……。




