青年期 二一歳の冬 四八
カーヤ嬢の敵味方識別は、ちょっと荒っぽかった。
基本〝催涙術式〟をブン投げて、無事かどうか確認することで区別してきたからだ。
我々は彼女が配ってくれた対抗薬を塗っているから平気だが、そうでないならば、この魔法の靄は多少の毒除けなんぞ無視して粘膜を酷く掻き毟ってくる。
仲間でないなら〝穏当に〟無力化して、仲間なら効かない。
まぁ、賢いっちゃ賢いけど、また無茶なことをしてくれたものである。
「で、またか」
「まただねぇ」
強引な解決手法で向こうは三人揃っていたので、五人が合流すると同時、我々はまた知らぬ地に飛ばされていた。
今度は小部屋で、五人も入ればみっちみちの狭さなのでさっさと次の部屋に向かうと、ジークフリートが〝うげぇ〟と悲鳴を溢した。
「あー……急に頭使わせてくる訳ね」
さて、今度はどんな鬱陶しい罠が待っているのかと思えば、入り口より少し広い程度の部屋で待ち受けていたのは屍の山と一揃いの椅子と卓。そして兵演棋の駒であった。
そして、対面には枯れ果てた遺骸が頽れるように座っていた。
「……なるほど、一局指せと言いたい訳か」
よくよく見れば、屍の山の前には多数かの椅子が用意してあり、座面に駒が刻印してあった。龍騎に騎士、近衛や密偵、歩卒以外の駒と同じ数がキッチリ揃っている。見慣れたそれから部屋のルールを何となく察する。
命を賭けた、しかも仲間を駒にした兵演棋をやれというのだろう。
「おい、勝手に納得してないで説明しろ」
袖をぐいと引っ張るジークフリートに考えを披露したら、彼は槍を取り落としそうな勢いで肩を落とし、まーた頭を使う系かよと項垂れた。
ただ、それだけじゃないんだよ戦友。
「恐らく、駒の命と椅子の命は連動している」
「はぁ?」
「見ろ、死体は全て綺麗だ」
椅子の後ろに投げ出されている、不思議と死臭のしない亡骸の山は悉く外傷が見受けられなかった。
そして、歩卒以外の刻印が捺された椅子があるということは、指し手一人、生贄その他を用意しろと言いたいのだろう。
要は〝落としてはならない駒〟を強制的に指名される縛りプレイでの兵演棋だ。
「……じゃあ、なんだ。座った椅子と同じ駒が取られたら死ぬってことか」
「だろうね。そうじゃないと屍の山も、こいつも説明がつかない」
対局用の椅子をガタッと引っ張って座面を見せれば、そこには皇帝の記号が画かれていた。
参ったね、王道指し……つまり皇太子への譲位を縛るという、兵演棋ではよくある特殊ルールまで使って真っ直ぐ勝てことかよ。
「誰か一人に命運を託して、ガチで指せってことさ。参ったな」
「あ、あの! でしたら私、どうせ死にませんし捨て駒に使って貰っても!」
セス嬢がぴょんと跳ねたのだが、私は小さく首を横に振った。
恐らくだが、この部屋はその手の外連を弾く術式が構築してあるのだろう。発光術式で部屋全体を照らせば、複雑な術式陣がそこら中に書き殴る勢いで刻み込んであった。
「味方の命を賭けさせて、捨て駒になりそうな仲間からは怨嗟の声。そして少しでも覚えがある面子からはあーだこーだ言われるわけだ。そして、劣勢になればいよいよ指し手自身が大焦り」
「なんて性格の悪い」
ミカは頬を掻きながら溜息を吐いた。全く同意だよ。
せめて掛かっているのが指し手の命だけならやりやすいのに、仲間の命まで賭けさせられては、精神的圧力で普段の棋力を発揮できる人間なんて少なかろう。
「で、誰がやる?」
「俺は無理だぞ。駒の動かし方も危うい」
「私は嗜む程度なので……」
「私も、あまり得意ではありませんわね」
まず、そういってジークフリートとカーヤ嬢、そしてマルギットが辞退した。三人とも盤上遊戯好きというわけでもないので妥当だな。
となると、この中で腕に覚えがあるのは残り三人。私とミカ、そしてツェツィーリア嬢なのだが……。
「わ、私、こういう大事な盤面だと凄いポカしそうで怖いです」
「早指しじゃないようなので落ち着いてさせると思いますが?」
見れば、盤上には砂時計など時を計る物は用意されていなかった。
しかも、更によく観察すると埃の積もり方がチグハグで、色んな盤が置かれていたことが分かる。
恐らく、ここに現れた人間が遊べるような遊戯を用意する形になっていたのだろう。
ああ、よかった、ここで用意されているのが兵演棋で。
もし〝神様のご機嫌伺い〟みたいな運ゲーだったら、私が関わっている時点で惨憺たる結果になるのが目に見えているところだった。
「でも、私ほら、攻めが多いので捨て駒を多く作る指し手なので」
「あー……」
そういえば、セス嬢は女皇――皇帝に騎士と同じ動きをさせる駒――を配置して皇帝を前線に置き、ガンガン攻めていく超攻撃的な戦法がお好きなので、途中で脱落した駒が容赦なく死んでいくんだよな。そこは誰がどの駒を担当するかを決めれば上手く行きそうではあるが、押せ押せの戦法は“詰めろ”の一手が何より大事で、その場合は重要な駒を諦めることも多いから不向きか。
「じゃあ私かミカだが……」
正直なところ、私は帝都時代以来、あんまり兵演棋を指していない。剣友会の面子と戯れる程度にやることはあるが――鬼のように強いと言われることもあるけれど、人より定石を知っているだけだし――腕とカンは完全に鈍っている自覚がある。
恐らく、一二歳の頃の私と比べて、数少ない劣っている点であろう。
あの頃はセス嬢やミカと毎日指していたからな。やっぱりやらないと腕って落ちるし、この手の遊びでのカンって馬鹿にできないんだよなぁ。
しかし、マジで捻くれていやがる。楽しく遊ぶゲームで戦友の命を賭けさせるとか。ほんと何食ってれば思いつくんですかね、この趣味の悪い趣向の数々。
「ふふん、僕に任せたまえよ」
「え? ミカ?」
立候補するべきな悩んでいると、我が友は胸を張ってドンと叩いてみせた。
「僕はね、これでも帝都社交界の茶会でボチボチ人気者だったんだ」
「そりゃあまぁ君が耳目を集めるのは至極当然のことだが」
「そして、男性の社交といえば兵演棋。僕は向こうで嫌気が出るほど差してきたし、マルスハイムに来てからも社交でお相手することが多い」
ほほう、なるほど、言われてみれば道理だ。
庶民から高貴な人々まで帝国人なら皆、大好きな兵演棋であるが、その本場は上流階級だ。
何せ彼等は余暇がある。平民と違って夜に明かりを灯して贅沢に対局する時間を作ることもできれば、社交という立派な名目が立つ仕事で明け暮れることもできる。
そして、棋力とは結局、どれだけの時間を兵演棋に費やしたかなのだ。
剣と同じく技量や知識のみではなく、実戦が物を言うのが兵演棋。どれだけ指したか、どれだけ頭の中で回し続けたが全てを決める。
そう考えると、貴種につき合って指し続け、その上でお誘いが掛かるだけの腕を持つミカ以上の適任は、この場にいるまい。
「それに僕は向こうで兵演棋好きの紳士に気に入られて、かなりの数の棋譜を見てきた。君が知らない定石、初見では対応不能な戦術、古の忘れられたハメ技なんかもね」
「おおー!」
「そして君なら知っているだろう? 一番難しいのは……」
「手加減されていることに気付かせないように接戦する!」
下位者が上位者に勝つのは、あまりよろしくない。勝っても1:4くらいであることが望ましいとされるのだが、これがまぁ難しいのだ。
人は明らかに手加減されて勝っても嬉しくない。負けそうになって負けそうになって、そこで一筋の光明を見出して反撃して勝った瞬間に脳汁が溢れ出して気持ちよくなるのだ。
そして、それをやるには〝ただ勝てる〟以上の技量が必要となる。盤面を完全に見通して、敢えて隙を作るのは遊戯を知り尽くした達人の領域になって初めて見つけ出せるものなのだ。
「よし、頼んだ我が友」
「任せろ我が友」
ガシッと腕を組んで、指し手と皇帝を友に託すことに決まった。異論は特に出てこない。実際、剣友会では一番の指し手である私が信頼しているということ、セス嬢に至っては帝都を発つまで指し続けていた友人関係があるから彼の強さを分かっているのだろう。
「よし、じゃあ始めようか死人殿」
卓に着いたミカは、手早く皇帝を自陣手前際に配した。これはかなり攻撃的な指し方の基点だ。
相手も駒を配するが、こちらは敵陣最前、しかも中央よりというミカよりも更に超攻撃的なものだ。
駒が配置される音が続き、私達の配役は、私が冒険者、マルギットが斥候、ジークフリートが騎士、カーヤ嬢が不寝番、そしてセス嬢が司教となった。
最強の駒、騎竜に宛がわれた配役がいないのは少し不思議だが、強い駒を満遍なく使った手堅いだけの盤面に見えるが、そうではないのだろう。
実際、相手は、初っ端から龍騎を陣の真ん中に押し出す準備をしているが――将棋でいえばご機嫌中飛車というところか――ミカは築城、将棋でいう穴熊を組むでもなく、悠々と櫓を思わせる盤面で中央を制圧しようとしている。
ただ、これでは遅いのではないか? 相手の方が陣を崩す速度が速い。如何に皇帝を背後に庇っている限り取られない近衛で道を塞ぎ、直通路を通ろうとしたら逆に取ろうとした駒を殺せる勅使で抑えているからといって悠長に過ぎる。
このままだとタコ殴りにされるぞ。
「な、なぁ、今優勢なのか? 俺の駒の近くに何かいねぇ?」
「静かにしてくれジークフリート。大丈夫だ、取られないから」
「こ、こえぇ……」
事実、私の懸念通りにことは運んだ。カツカツと駒が配置される度にミカの陣形が悪くなっていくように思える。
敵の手が早い。このままでは縦横に動く龍騎が駒を切り崩して誰かが……。
「あっ!?」
「ふふん」
友人を信じていない訳ではないのだが、やきもきと戦場を見守っていると、彼は中々に信じられない手を打った。
敵陣の隙間、その置くに龍騎を放り込んだのだ。
これは絶対に取らないと拙いが、どの駒でとっても王を守る側の陣形が崩れるし、道が開いてしまう。
一見すると大駒の無料捨てのように見えるが、絶対に放置できない上、駒を取るためには、その駒の場所に移動しなくてはならないため、絶対に道をこじ開けることができる嫌らしい一手!
これは私も思いつかなかった! 中央でイケイケに攻めさせて奥を開けさせ、そこを無料捨てに近いが、絶対に放置できない大駒を叩き込んで皇帝への道を作るなど。
敵の手は早いが、これでミカの方が一手早くなった。どれだけの駒を犠牲にして王手に持っていこうとしても、我が友が攻めていた側面別働隊の方が早く王と皇太子を射程に収める。
「勝ちましたね」
「はい。キッチリ11手、詰みです」
私より読みが上手いセス嬢がいうのだから間違いないだろう。仮にこの盤面、王太子に譲位しても一手損であるから、そこで差が詰まらない。結局ミカが取って勝ちだ。
それに指し手の亡骸も気付いたのだろう。しばらく沈黙した後、彼は駒に指を伸ばす。
他の駒ではなく、自分の分身である皇帝に。
そして、枯れた指先がコツンと倒した。
ありません、その意思表明だ。
「ありがとうございました」
ガツンと机に頭を叩き落として沈黙した亡骸は、その礼に応えているようだった。
「どんなもんだい」
「お見それいたしました」
全員でパチパチと拍手を送ると、彼はふふんと胸を張って微笑んだ。
そして扉が開く。
今までにない展開だ。これまでは階層をクリアすると知らぬ間に飛ばされていたが、先に進めと言わんばかりに階段に通じる扉が開いたことはなかった。
全員がゴクリと息を飲む。
この性悪のダンジョン。その終わりを予感したから…………。
【Tips】兵演棋は社交の中でも男性から好まれており、一局指しながらおしゃべりするのが高貴であるとするのが今の風潮である。そして、時に政治的な意味を含ませることもあるため、高位貴族には一手一手の意味を探るだけの頭が求められるようになる。
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