青年期 二一歳の冬 四七
迷宮の壁に背を預けていた不確定名称〝青い肌の人型〟は腰を跳ね上げて体を前傾姿勢になるやいなや、腰の物を手にして軽く引っ張り出した。
あの動作には見覚えがある。
あかん死ぬ、と思って半歩下がった刹那、顎の下を高速で刃がすり抜けていった。
居合いだ。居合抜きを喰らったのだ。
帯革から鞘自体を少し抜き、腰の前に持って言って鯉口を切ると同時に肩、肘、手首、そして腰の捻りを合わせて一瞬で抜剣と同時に攻撃と為す技法は〝日本刀〟で行う抜き打ちの技法。
畜生! 偏在しているとは聞いたけど、やっぱ当方にも現れるのかよこの魔宮!
そして、巨鬼でサムライとかちょっと構成がヤバすぎやしませんかね!? 今、顎の下すっごいヒリヒリしてるから、半歩退くのが遅かったら首飛んでたぞ私!
「~~~~~~~~~~~~~~~!!」
初撃を避けられたのが余程嬉しかったのか、姿の詳細がよく判別できない敵は、改めて戦吠えを上げるが今度は抑揚がついていて言葉めいている。
これは名乗りを上げているのか?
ああ、なるほど、つまり初撃の居合いを何とかできない程度の弱敵に名乗る名はないってやつか。
そしてアンブッシュは一回までオーケーって流派な訳ね。
何を言っているかは分からないが、何をしたいかは分かる。故に私は〝勝手に掌中へ現れた渇望の剣〟を盾にするような入り身に構えつつ――流石にこれだけの敵に前のめりに行くのは怖い――声を張り上げた。
「剣友会頭目! ヨハネスが四子エーリヒ! いざ参る!!」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
余程の強敵なのが嬉しいのか渇望の剣も応えて軋り叫ぶため、碌に聞こえているかは怪しいが礼儀は見せた。
良く分からないけれど、相手はにぃと笑ったような気がする。
そして、残心の姿勢から向こうが取るのは……蜻蛉!?
さて、前世で南の方じゃ何でも示現流とかいうのが流行ったらしい。一刀一刀に満身の力を込める恐ろしき剣術で、防御を顧みない捨て身の攻撃が最大の防御という、頭の螺旋を何本も外した流派であった。
初撃を受け止めたら最後、連撃の圧に押し潰されるため、これと対するにあたって「初太刀は必ず躱せ」とまで言わしめた示現流は〝構え〟とは防御のためのものであるため、基本姿勢である半身になって肩の高さで刀を保持する様を構えと呼ぶことを嫌い、蜻蛉に取るとまで言わしめた。
まぁ、何が言いたいかっていうと巨鬼にここまで似合う剣術は存在しないだろうってもんだ。
「うぉぁっ!?」
床が踏み割れる程の鋭い前進から繰り出される袈裟懸けの一撃は、下手に受ければ〝渇望の剣〟が耐えられても私が絶対に耐えられない一撃であったため、大仰なまでに横っ飛びで回避した。
瞬き二回前まで体があった部分を刀は颶風すら斬り割いて殆ど音を立てず通過。地面につく寸前に停止し、即座に下方から跳ね上がって此方を狙う。
下から切り上げて逆袈裟を狙う拝み斬り。先の一撃と同じく、此方も一刀で鎧諸共に私を両断する威力を秘めていることが見るだけで分かる。
だが、見て、分かる。
まだ読める。絶望的な腕の差はない。
私は反撃のために腹の皮一枚斬らせるくらいの間際で回避を試みたが、その刹那に経験則から来る〝カン〟が警鐘を鳴らした。
本能に従い、足を躙らせ指一本分更に後退。
すると、不思議なことに〝間合いが伸びて〟切っ先が胸甲と触れあって火花を立てた。
くっ、手首を返して指先分だけ間合いを伸ばしてきたか! 何たる妙技!! 戦場慣れしていなかったら今ので腸をぶちまけて死んでいたな。
このまま剛力と繊細さが同居した攻撃の乱打を受けては堪らぬし、仕切り直しを兼ねて数歩間合いを空ける。
落ち着け、気圧されるな。
力量は同等かちょい上くらい。私も捨て身でいかないと、毛ほどの傷も与えられず死ぬぞ。
というか、自分で防御は無駄と分かっているのに、何で入り身になんか構えたんだ。不壊の剣を持っているからと言って、膂力で叩き潰されるのは分かっているのに。無意識に脅えて護りに入ったか。
愚か者めと自嘲し、腰を落とし慣れた脇構えに取る。剣を体で隠し、心持ち前のめりになる普段通りの姿勢は敵と同じく攻めの姿勢。蜻蛉が全力で叩き潰す型であるとするなら、脇構えは出足を読ませぬ変幻自在の攻めを為す捨て身の型だ。
また敵が笑ったのが分かる。大笑している。自分の攻撃を二度ならず三度回避した私を好敵手と認め、本気で殺しに掛かってくるのだ。
この隠しようもないビンビン伝わる殺気は、凄まじく重い。私が鈍く、薄く隠そうとしているのはとは逆しまに、全力で伝えることで威圧する気配だ。
心臓が弱い者なら、この気配だけで死ねそうな威圧を凪いだ心で受け流す。
冷静に、かつ沈着に行くのだ。ビビれば死ぬ、逸っても死ぬ、普段通りでいなければ死ぬのだ。
思考を回せ。こっちの手札は何枚ある?
〈見えざる手〉による〈騎士団〉は力量だけあって効果が薄そうだ。むしろ、生中な剣じゃへし折られて即無力化されるのが見えている。
〈轟音と閃光〉の術式は、身に纏う装具によって無力化される公算が高い。あれだけの剣士が対魔導装備を一切纏っていないはずもなし。効くかどうか、一か八かで一手をかけるのは勿体ないな。
そして狭い部屋で必殺技級の術式を練るのは不安があるし、何より悠長なことはさせてくれなさそうだ。
とくると、純粋に斬り合いの腕比べが一番堅いと。
はは、こりゃ参ったね。肉体の基礎性能が違う相手に、頼れるのは自分の腕前と剣一本か。
いいね、燃えてきた。弧剣に依って立つと決めた訳じゃないが、これくらい乗り越えられなきゃ最強ビルドには程遠いものな。
「すぅ……」
深く一呼吸。心に優しく水を浴びせ冷やすように、一瞬の隙を見逃すなと覚悟を決めさせる。
次に息を吐く時が、死ぬか生きるか、硬貨の表裏が分かる瞬間だと言い聞かせて。
「~~~~~~~~~~~~~!!」
怪鳥めいた窓硝子が割れそうな叫びを上げて、ヒト種では数歩の間を一瞬で埋めて敵が肉薄。微かに腕を上げて溜めを作る瞬間を見逃さず、私は剣を振り上げた。
初撃を受けてはいけない。
ならばいなすまで。
刃が最も斬れるのは切っ先から少し下、日本刀においては物打ちと呼ばれる僅かな部位であり、それ以外の切れ味は多少鈍る。
それと同時に運動熱量が最も載る部分が物打ちであるため、そこを受ければ分かっていようが何だろうが潰される訳なので、私が先手を打って叩いたのは手元であった。
あわよくば出足に合わせて指の数本と思ったが、敵も流石。いなされると寸毫の間に悟ったようで手の位置を調整し、鍔で受け止めてきた。
くっ、硬い、やっぱり良い物使ってやがる。半ばまで斬り込んだ当たりで止められて、人差し指に刃が触れる寸前で止まってしまった。
だが、これでいい、初太刀は流した。
私はこのままでは鍔を支点に圧し斬られることを悟り、敢えて〝渇望の剣〟を捨てて前進。体当たりの間合いに入る。
これには敵も驚いたようで瞬き一つ分ほど反応が鈍ったのが分かった。
この痩躯で何をするかとでも言いたいのだろう。
だが、ソイツは斬りたがりで夜泣きが五月蠅い困ったちゃんだが忠実であることに疑いはない魔剣。
命ずるまでもなく、次の間には私の手の中に戻ってくるのだ。
何が起こったから理解できていない間に、私は全力で抜き胴を打った。
体がぶつかるほどの至近。肘を畳み、拳を体にくっつけるほど小さな構えで刃を水平に保持し、すり抜けるように斬る。全身の関節を噛み合わせ〈見えざる手〉で刀身を支えて満身の一撃とする。
ここまでしても、手応えは恐ろしく硬かった。きちんと着込みを着ているようで、構造上護りが薄そうな腰を狙ったがそれでも硬い。
ナニかを断つ感覚が一層、二層、そして恐ろしく粘りがある三層目は皮膚であろう。金属混じりの巨鬼が持つ肌にも負けず〝渇望の剣〟は斬り進み、四層目の肉を泳いですり抜ける。
クソッ、肉まで断つのが限界だったか。
「ふぅっ……」
走り抜けること部屋の対岸まで、決死の反撃を嫌って逃げるように至った先で最後の踏み込みを軸に反転。ぬるりと青い血が滴る剣を見て、攻撃がきちんと〝通った〟ことを確信する。
良かった、ちゃんと倒せる。私の力量なら、あの戦士の肉体にも対抗できる。
さぁ、次だ、と思った瞬間、巨鬼の体から力が抜けた。
何事かと思えば、膝を突く寸前で堪え、手で腰の辺りを抑えている。
「~~~~~~~~~~!!」
吠え声は苦しそうで、見守っていると敵は肩と腰の辺りに手をやって具足を剥ぎ取ったではないか。
それと同時、腰の傷口から腸がまろびでる。それは、腰骨の少し上を斬ったがために腹圧で押し出されたようで、巨体に見合って太く長い。
しかし、対手は手でそれを無理矢理に体内にねじ込むと、今度は腹筋を絞ってはみ出さないよう無理矢理に押し止めた。
何たる頑強性。何たる闘志。無茶苦茶にも程がある。ヒト種なら普通に死んでるぞ。
「~~~~~~~」
荒い息を吐き、顔色を悪くしながらも彼女が笑うのが分かった。
何を言っているかはくぐもって分からないが、カンに従うなら「待たせて悪い」であろうか。
ああ、彼女はここに、敵手を求めてきたのだ。
殺すと同時、死にに来たのだろう。
東でどのように伝わっているか分からないが、強大な敵と戦って死にに単身で来たに違いない。そして今まで時を過ごし、私と巡り会った。
終わりを運ぶ時間を心底楽しんでいる。
故に姿が分からぬままなのだ。まだ闘志を失っていない、腸が溢れて尚も降参していないから全容が分からぬままなのだ。
どうするか……もねぇわな。
「御美事」
再び脇構えに取って対峙すれば、敵は浅い息を繰り返しながら蜻蛉に取り直す。呼吸の浅さは腹に力を入れて腸が飛び出ないようにしているからだろう。
ここで一瞬、何とか気絶させてという雑念が過ったが、私はそれを直ぐに消し去った。
無粋にも程があるってもんだろう。
何より、彼女はもう私の敵だ。ここで気絶させて放置して、誰かに殺されるようなことがあってなるものか。
もう私の物なのだ。今この瞬間は、私が対手だけの物であるのと同じく。
「~~~~~~~~~~~~!!」
凄まじい踏み込みと共に放たれる一撃を〈見えざる手〉を用いた水平移動で回避。左方へ氷上を滑るが如く移動し、不意を突いて胸を狙う。
私が言う〝剣の腕〟には自分を対象とした魔法も含まれるんだ。卑怯とは言うまいな。
「うぉぉぉぁぁぁぁぁぁ!!」
下段から剣を持ち上げて上段に変化させた一撃を止めんと、肘が持ち上げられて肉の装甲として立ち塞がるが十分な加速の乗った〝渇望の剣〟で生態装甲と膝蓋骨を纏めて両断。そのまま右胸へ刃が水平に飛び込み、皮膚を裂いたが……。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
大胸筋が一気に盛り上がって剣を噛み、一瞬だが止まってしまう。
しかし、まだだ。
私は移動に使っていた〈見えざる手〉をそのまま振り上げ、刀身を叩く。
一度目で肋骨の隙間を狙っていた刃が肉を裂き、二度目で肺腑に、そして三度目でより深く……刃越しに鼓動を感じる部分を割ったのが分かった。
命を絶った手応え。傷口越しに大量に噴出する青い液体をそのまま逃げずに浴びれば、敵は遂に膝を屈し、刃を落として頽れた。
「はぁ……はぁ……」
勝った。朧気だった姿のモヤが取れ、姿が露わになる。
美しい女性であった。
巨鬼特有の青い肌、髪の毛は鋼色で艶があって漆黒に近く、長い長いそれを束ねていたことがようやく見えた。そして切れ長の瞳は糸目に近いが眉尻を彩る赤い化粧で彩られて妖艶に美しく、むしろ小さいことが愛らしいとさえ思えた。
東方系らしく顔立ちは薄い。鼻筋はしっかり立っているものの低めの鼻、彫りの浅い顔、そしてがっしりした顎。女性らしく肉感ある唇から溢れる牙は、巨鬼にしては短めで先端がはみ出る程度で、これもまた可愛らしく見える。
「~~~~~~~~~」
俯いた彼女が何を言っているのかは分からない。東方語は厳密には日本語ではないため――それに時代が違うため、仮に日本語でも意思疎通は難しかったろう――声音は楽しげで酷く踊っているかのよう。
胸を押さえながら、彼女は濡れる瞳で私を見上げ、何事か呟いたが伝わっていないと分かったのだろう。
やがて、左手で自分の首をトンと叩いた。
仕草なら通じると思ったのだ。私は一つ頷き、大上段に構える。
「~~~」
そして差し出される首に刃を落とした。
「美事、御美事」
既に心臓を半ば割っていたからだろう。流出の少ない血を受け止め、私は皮一枚で止めた斬首が綺麗に決まったことを認めると、凄まじい力量であった戦士の最後を褒め言葉で飾る。
少しでもサイコロの出目が悪かったら、看取られているのは私の方だった。
いやはや、クソダンジョンながら何とも粋な出会いを用意してくれるものだ。終わり方はもの悲しいが、戦いに生き、戦いに死ぬことを求める戦士の最後を看取れることは誉れと認識するべきであろう。
私は彼女の首が床で汚れぬよう、丁寧に切り取った後、布でくるんで背嚢にしまった。
あとでカーヤ嬢に保存術式をかけてもらおう。そして、巨鬼の部族網で東にまで話が伝わるといいのだが。
さぁ、次はどちらがいいかな?
扉は四つ……ああ、そうだ、彼女が示してくれている。倒れている方へ向かうと、私は部屋の隅から薄い殺気を感じて直ぐに手を挙げた。
この馴染んだ感覚だけは忘れない。忘れようがない。識別判定も不要だとGMが言ってくれるほど馴染んだ物。
首筋に飛びかかられて、心地好い重みを感じつた直後……私はぞっとする言葉を掛けられた。
「エーリヒ、貴方、浮気してきましたわね?」
「へっ? そ、そんなまさか……」
「私以外の女の匂いがプンプンする上、そんな満足そうな顔しちゃって。どんな美人でしたの?」
相方からの鋭く厳しい指摘に、私は闘争とは別の意味で粘り気を帯びた汗を掻くのであった…………。
【Tips】巨鬼は主に西方の生き物だが、大繁栄時代に更なる闘争を求めて東方に旅立った部族も存在する。それは現在の三二部族に含まれないが、東方交易路が再打貫された今、時が経てば再び繋がることもあるだろう。
また間が空いて申し訳ありません。
原稿作業と並行すると色々頭のなかで混ざるので、分けてやっていることが多いもので。
おかげで初稿をなんとか脱稿できました。




