青年期 二一歳の冬 四三
まるでGMが掌を打ち合わせて場面の切り替えを宣言したかの如く、我々は落下の感覚を覚えることもなく第三層に到達していた。
「……突拍子のねぇ発想が当たると何かなー」
「何だねジークフリート、言いたいことがあるならハッキリ言いたまえよ」
「スゲぇムカつく。俺、絶対コレ考えたヤツと仲良くなれねぇ」
階段があるのに登るのではなく〝飛び降りろ〟という回答に納得がいかなかったのか、ジークフリートは大層腹を立てているようで、不満を表情から隠そうともしない。
ただ、その意見には大いに同意しよう。私だってカーヤ嬢の助言がなかったら、これだけ早期に気付けていたか怪しい。明確な回答はあってもPCが最低一人はアイデアチェックに成功していないと詰む発想はどうかと思うんだ。
「いやー、お前は存外良い酒を酌み交わせそうな気がするんだが」
「おい、どういうことだねそれは。事と次第によっては文書で抗議するぞ」
じとーっと半眼で睨んでくる戦友に抗議していると、呆れた女衆の溜息で水入りとなった。これ以上やいやいやっていると後でめっちゃイジられるから、言いたいことは幾らでもあるが、一旦横に置くとしよう。
あくまで一旦だがね。絶対にあとで決着を付けるぞ。
「今度は回廊か」
「構造的に階段と同じく塔の外縁を登っていく形だね。また一体どういう構造をしているのやら」
物理的に成立しているのが不思議な巨大さに呆れるミカの言う通り、新たに送り込まれた三層はそそり立つ塔の外周を回る細い回廊だった。先程まで悩まされていた階段が廊下になったと思えば良いだろう。
そして、しんと佇む虚空の代わりに壁がある。塔の中心部を回廊から切り離しているそれは、私に一瞬長い長い玄室の連なりを連想させたが、どうにもそうではなさそうだ。
道は緩やかに上に伸び、壁に扉はない。ただ、一つの碑文が残るのみ。
「えーと……なんだこれ。文字? いやにしちゃ複雑だな。記号か?」
「おいおいマジか」
「ん? エーリヒ、読めまして?」
ジークフリートが首を傾げる碑文を見て私は思わず手で顔を覆っていた。
首を傾げて問い掛けてくるマルギットに応えている余裕もない。
畜生、こいつは我々に馴染みがある表音文字じゃない。
文字そのものに意味を込めて図形化した象形文字。
その中でも漢字とよく似ていやがる。
東の方にそれっぽい大国があるとは聞いていたけど、ここで来るか? 国交なんて途絶えて久しいから文書もなくて、神群も全く関わりを持たないため知識の取っ掛かりが誰にもないぞ。
「読めない、けど読める気がする」
「はぁ?」
いや、ほんとそうとしか言えないんだって。漢字っぽいけど知ってる形と微妙に違っていたりして、驚きと困惑が一緒に来る。
例えばこの文頭。帝国語に約せば師匠が仰ることには~となる〝師曰〟の師はノ部の下の段に横線が一本多いし、正義の義っぽい漢字は何か……こう、もうちょっと横線が多かったような気もする。
これはアレだな、東方に存在していると噂程度に伝え聞く、現実世界で中華に相当するであろう、今は衰えたる大帝国の文字ではなかろうか。
クソッ、もう日本語なんて何十年も使ってない上、私は選択が古文だったから漢文なんて殆ど分からん! 雰囲気で読むしかないのが辛い。というかPCの技能に留まらず、中の人にまで教養を求め始めるのは如何な物かと思うんですけどね!?
「師匠が仰ること曰く、己がまつ、奉るべき霊意外にしたが、いや侍るは媚に過ぎず、正義を……いやもっと曖昧な義? とりあえず義を見過ごすのは怯懦……いや勇気が足りない?」
前世の知識を引っ張り出して必死こいて約したところ、義を見てせざるは勇無きなり、との帝国にも似たような諺が伝わる物だとどうにか解読できた。
いや、ぶっちゃけちょっと怪しいんだけど。前世の日本人が雰囲気で中国語を読んでいるってのと同じくらいの怪しさだ。
「そういやお前、東方交易路から入って来た物を買い漁ってたりしたよな」
「その地の言葉なのですか? 我々の物とは随分異なりますね」
「え? あ、はは、まぁそんなところです。神皇の国と同じで表意文字なんで」
ジークフリート、いい支援だ。心の中で中指を立てながら、感心しているツェツィーリア嬢に曖昧な笑みを返した。
「しかし、ここで義を見てせざるは勇無きなりなど言われるということは、正義感で動くなと言うことでしょうか」
「だと思われます。第一層から分かっていましたが、この迷宮はどうにも精神攻撃が基本のようですから」
殴って解決しないことほど面倒臭い物はない。戦闘スキルでガッチガチのPC達が情報判定を全て擲って脳内筋肉率一二〇%で物事を解決しようと試みてGMがブチギレ。その末に黒幕の下に辿り着けなかったなんて経験もあるのだけど、やはり最終的に暴力で解決しない問題というのは難易度が高いなぁ。
ああ、思い出す。凄まじい難易度の立体パズルを卓の上にデンと置いて。これがその場に置いてある封印の魔導具です、とか言いだしてガチで解かせようとした野郎の面を。
「とりあえず進むか……」
「そうだね。マルギット、先導を頼むよ」
「ええ、畏まりましたわ」
愛しの斥候に先を探って貰ったが、罠らしい物は見当たらない。ぞろぞろ連れだって再び階段行脚を始めたが、今回は転々と灯りがある上、階段の幅も広いし高すぎないので負担も少ない。
気になることと言えば、構造の問題なのか矢鱈と足音が反響することか。
「……静かに」
一〇歩先を歩いていたマルギットが停止の合図を出した。右の拳を掲げると全員でとまり、呼吸を止めて彼女の語感を邪魔せぬよう意識する。
「人の声。かなり遠く。喚いていますわね」
「人間かい?」
「少なくともヒト種の可聴域内なので人類かそれに準ずる知性体ですわね。ただ、反響しまくっているのと遠方なので内容は正確に分かりませんけど」
先に見てきましょうか? と斥候役の提案を断って全員で進むことにした。
この迷宮は精神攻撃が基本なのだから、人から止めて貰わないと引っかかる罠の可能性の方が高い。物理的な罠ならばマルギットに先行して貰う方が安全ではあるけれど、ここは相互監視できる状況を保っておきたかった。
歩き始めると私達の耳にも遠くから反響してくる人の声が聞こえてくるようになり、やがて三周半もすると内容が分かるようになった。
離島語圏の言葉で助けを求めている。どうやらマルギットのように、この空間で足音を殺しきれない我々の靴が立てる反響を聞いて、接近を察知されていたようだ。
慎重に進んで辿り着いた音源は、壁にめり込む形で造られた牢獄であった。
しかも、ただの牢獄ではない。二部屋が並んでおり、片方は住人不在、もう一方に異国の言葉で喋っている人間が一人閉じ込められていた。
設備は割と整っている。単独用らしく寝台が一つと衝立に隠された雪隠が一つ、あとは洗面台なんぞがある近代的な独房で、絨毯や装飾を用意したら貴種用の牢であると説明されても納得行くくらい物が整っていた。
『ああ、ああ! 人だ! どれくらいぶりか!! 助けてくれ!!』
囚人の種族はヒト種、歳の頃は三〇を少し行ったくらいだが奇妙な程に小綺麗で、長い間牢獄に囚われているような雰囲気ではないな。しかし、彼は人を見るのは随分と久し振りのようで全くなりふり構っていないようだ。
装束は時折見かける、巡礼の旅に出た異教の僧が着ている殉教服。首から提げた聖印からして離島圏の神群に仕える僧侶であろう。ただ、刻まれている神聖文字や意匠が知らない形なので、かなり限定的な地方の神か、恐ろしく旧い神かのどちらかだと思われた。
『入ってくれ! 隣の部屋に! 助けて!! 見捨てないでくれ!!』
「隣の部屋……?」
牢に縋り付いて泣きわめきながら滂沱し顔をぐちゃぐちゃにしている彼は、必死に訴えかけているのだが理由は不明。
ただ、推察できてしまった。
「マルギット、解錠できそうかい?」
「いえ、そもそも錠がありませんわ」
お手上げと言うように首を竦める通り、独房の扉には錠らしき物はなかった。よくよく観察すると鍵穴はおろか引き手すら備わっていないのみならず、ただ膨大な魔力が感じられ尋常な扉でないことが推察できた。
「なんつってんだ?」
「……分からない」
『頼む! 一人! 一人だけで良いんだ!!』
「中、調べてみましょうか?」
「待て、マルギット」
指さす幼馴染みの肩を掴んで押し止める。
ああ、よかった、離島圏語が分かるのが私だけで。
もしもツェツィーリア嬢が分かってしまっていたら〝身代わり〟になっていたかもしれない。
「罠だ。部屋から魔力が感じられる。幻術系統だな。助けようと部屋に入ると閉じ込められて、代わりに幻が解放され空っぽの部屋が残る。後は引っかかった間抜けが飢え死にするまで閉じ込められるだけだ」
自分の目が冷たくなっているのが分かった。マルギットの背中を押して先に進むよう促し、なぁんだと言いたげなジークフリートに安堵する。
ただカーヤ嬢やミカといった魔法の専門家、そして雰囲気から違和感を察せられるツェツィーリア嬢の足が遅い。
けれど、それでいい。今は頭目の強権を発動させてでも行くべきだ。
心の清い聖女であれば、何の助けになるか分からなくても入ってしまうかもしれない。
これは恐らく魂を使った拘束。一対二部屋の片方に虜囚が入ることによって、旧い囚人が解放される罠なのだ。
どうあっても心優しい彼女達にアレが〝今も生きている人間〟であると知られてはならない。
しかし、人間を釣り餌にするとは悪趣味な。しかも疑似餌ではなく生き餌を使うことで善良であればあるだけ無視しづらくするようにするとは。考えた野郎の性根が歪んでいることは今更なれど、曲がり方に多様性が溢れすぎているだろう。
どれだけ真面目な人間と自己犠牲に溢れた聖者が嫌いなんだ。
「幻覚とはいえど、悲鳴は不愉快でしょう。音を殺す障壁を張ります」
『なぁ、待ってくれ! 俺はどれだけここにいるのか分からないくらい待った! 一人、一人で良いんだ! 助けてくれたら代わりに働く! なんっでもする!!』
心の底から申し訳なく思ったが、私は指を鳴らして内向きの〈遮音障壁〉を張り巡らせた。
『頼む! せめて! せめて何年経ったか教えてくれ! 俺が生まれたのはジョゼフ上王一二年の年だ! 今は、今は何年なんだ!?』
許してくれとは言わない。きっと貴方はとてつもない善人か考えなしの阿呆、それか、その両方だったのかもしれない。けれど、私の仲間の誰にも変えられないのだよ。
それに私が知る限り、離島圏でジョセフという上王が立ったのは〝四百年〟も前のことだし、定命のはずの彼がその事実に耐えられるとも思わない。
だから何も言わずに立ち去ろう。
もしかしたら、この迷宮を踏破したら全ての善人が解放されるかもしれないという偽善の希望を胸に抱いて。
「マルギット、先導を変わるよ。音は私が聞く。魔法への対抗は、私の方が覚えがあるからね」
「……よくってよ」
私の目つき、そして普段は決を採っていただろう中で強引に結界を張ったことから事情を察せられてしまったのか、マルギットは少し痛ましそうな顔をして、私の背後に範囲を敷いた障壁の中に入った。
「できるだけ前を見て。さぁ、行きましょう」
それから潜り抜けたのは多数の牢獄。空の物も転々とあったが、一〇から先を数えるのはもう止めた。
なるほど、義を見てせざるは勇無きなり。その全文を知らない相手を罠に嵌め、善人であればあるだけ無視し難く、無視できても精神をゴリゴリ削れる罠を用意するとは。
良心の呵責ってヤツを形式上は理解しているってのが何より悍ましくておっかないな。ただただ残酷である方が幾らかマシだ。
ほんと、こういう冷静に狂った手合いと戦うのは心が疲弊するから困る。
檻の間より差し出される数多の救いを求める手を知らなかったフリをして潜り抜ける私は、せめて次の階層は分かりやすい罠であってくれと願わずにいられなかった…………。
また間が空いて申し訳ない。
どうにも疲れが溜まっているのか色々と筆が鈍くなり、執筆がおっつかない状態でして。
この謎の気怠さが抜けるにはどうしたらいいのやら。